わが友ホロゴン・わが夢タンバール

427.25 ホロゴン外傳107「2013年3月30日 スーパーアンギュロン21mmf3.4が天神橋を渡った」25 作風



写真家の作風も、文体に似ていますね。

    語り口、
    コンセプト、
    画像イメージ、
    これらに一貫した共通性があって、
    その共通性は、他の写真家の作品群とまったく異質であり、
    その写真家の作品であることが一目で分かる、
    そんなものが作風なのでしょう。

作風もまた、天才は別として、
永年にわたる模索と努力があってこそ確立できるのでしょう。

「天才は別として」と書きましたが、
私が頭に浮かべているのは、もちろん、

    カルティエ=ブレッソン。

ライカを持った途端に、
彼はまぎれもなくカルティエ=ブレッソンでした。
彼以前からストリートフォトはありましたが、
ストリートの人間模様を、
彼ほど生彩溢れる完成度の高い作品群を生み出した人はいません。

彼の前に彼はなく、彼の後に彼はありません。
カルティエ=ブレッソンが出現した後、
ストリートフォトの写真家たちの作品は、
カルティエ=ブレッソンが置いた高い基準、規範に対する、
彼なりの応答、リアクションという性格を帯びることになりました。

カルティエ=ブレッソンはこう定義しています、

    写真を撮るということは、
    頭と眼とこころが一本のおなじ照準線上で狙いをつけることだ。
        (アンリ・カルティエ=ブレッソン「こころの眼」岩波書店)

そして、

    私にとって写真は、生きる術スベなのだ。

こう言える人だから、
彼にしか撮れない豊饒かつ多彩なイメージを生涯紡ぎ出すことができたのでした。
作風は、彼のような写真家の作品世界にこそ顕れる独特の響きかも知れません。
丁度、数秒聴いただけで、これはモーツァルトだ、と分かるように。

    文体と同様、作風も、類い希なアーチストにだけ与えられる、
    アートの神のプレゼント、トロフィーなのでしょうね。




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by Hologon158 | 2013-04-08 15:17 | ホロゴン外傳 | Comments(0)