わが友ホロゴン・わが夢タンバール

431.22 ホロゴン外傳109「2013年4月13日 ビオゴンが京北野天満宮界隈を楽しんだ」22-完-撮っては捨て



京都地下鉄今出川駅から出発して、北野天満宮界隈で終わった、
ライカM9+ビオゴン21mmF4.5の初コンビシリーズが終わりました。

スーパーアンギュロン21mmf3.4から始めて、
スーパーアンギュロン21mmF4、ビオゴンと、
21㎜超広角をライカM9で使う試みを続けてきました。

ライカ社は、スーパーアンギュロンのライカM9での使用は、
できないと明示しています。
周辺の色転びが激しいということが主要な理由なのでしょうか?
確かにスーパーアンギュロンではかなり目立った色ころびですが、
なぜかビオゴンではほとんど目立ちません。

多少なりとも色ころびがある限りは使わない、
そういう潔癖な方針を貫く写真家は多いかも知れません。
私はただの素人なので、まったく頓着しません。

よく考えてみますと、デジタル写真なるものは、
素人の場合、ブログにこうしてストックしない限り、
ハードディスクに死蔵するだけで、観る機会もなく、
撮影者自身からもほとんど永遠にさよならしてしまいます。

    ちぎっては投げ、ちぎっては投げ、なんていう表現がありますが、
    撮っては捨て、撮っては捨て、これが素人写真の運命。
    そんな写真の一部分の色がおかしくても、
    誰も気にする人がいないのですから、構うことはありません。
    これからは、これらの21㎜を多用することにしましょう。

こんな風に考えてみますと、素人写真というものは儚いものですね。

    海面を彩る波紋のように、あらわれては消え、消えてはあらわれ、
    この世になんの痕跡も残さずに、この宇宙から消えていきます。
    
ブログにその一部を留めておくことは、
私の人生にとってはかなり重要なことかも知れません。

    現在の私は、これらの写真が大好き。
    でも、それが客観的に観て、受け入れられるものかどうか、
    これはまったく知るよしもない。
    でも、幾年か経て、私がブログに戻ってこれを観たとき、
    どう感じるでしょうか?
    私はいつまでも同じ部分もありますが、
    変わってしまう部分だってあります。
    その変わってしまった私の部分がこの写真を受け入れるだろうか?

楽しみです。




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by Hologon158 | 2013-05-02 15:30 | ホロゴン外傳 | Comments(0)