445.13 ホロゴン外傳114 「2013年6月22日風邪快復後の筆ならしを大阪平野オリオンで」13 又も文句を
芸術の一番基本的なファクターはなんだと思いますか?
私は少し古い人間なのでしょう。
芸術の根本は節度である、そう信じています。
どんなジャンルの芸術に接しても、
本当に私の心に浸透してくるアートは、
いつも節度を見事に保っています。
この節度を超える、どこか超人的なアーティストには、
どうしても心が震えないのです。
イルデブラント・ダルカンジェロというバスバリトンがそうでした。
猛烈な迫力、底力に満ちた際限なくクレッシェンドする歌声は、
前代未聞と言ってもよいほど。
でも、ちらっとも感動が浮かんでこない。
歌よりも声に注意が引きつけられるという印象。
現代でもっとも人気の高いロシアのバリトン、
ディミトリー・フボロストフスキーも私にとってはそうです。
まるで津波のようにぐーんと伸び広がってくる深々とした歌声は、
それ自体天然記念物のような稀有の魅力に溢れています。
でも、いつもその声。きっと、実演はど迫力なのでしょう。
偉大なバリトンたちの声はどうでしょう?
ヘルマン・プライ。
シューベルトの歌曲集「冬の旅」から1.おやすみ
(http://www.youtube.com/watch?v=tyqUd9e14O0)
ディートリッヒ・フィッシャー=ディースカウ
ワーグナー《タンホイザー》「夕星の歌」
http://www.youtube.com/watch?v=0R1ezZP68Do&feature=endscreen)
二人のヒューマニスティックなさまざまの情感のこもった、
ニュアンス豊かな声を聴きますと、もうだめですね。
こう言いたくなってしまいます、
フボロストフスキー君、
もう一回、音楽を勉強し直したら?
音楽は力比べでも、声量比べでもないのです。
古の大テナー、ベニャミーノ・ジーリが最初から最後まで
ソット・ヴォーチェで歌うビゼーの「真珠取り」からのアリア。
たとえようもないほどの美しさでした。
三大テナーの世界公演も聴衆に悪しき影響を与えました。
3人で声量比べ、フォルテッシモの競演を繰り広げるのが売り。
マイクを使って増幅した絶唱に聴衆は熱狂しました。
完全な見せ物、でも、聴衆はこれを音楽と思い間違っています。
彼らだけではありません。
ビジネスとして巨大な利益をたたき出すために、
コンサートホールはますます巨大化し、
歌手たちは、マイクを使いつつ、声を限りの絶唱を強いられ、
歌手生命を短くしています。
プロモーターはそれでも一向に構わないのです。
次のスター候補が目白押しに待っているのですから。
こうして、たとえば、女性歌手たちはアクロバティックになり、
下品になっていきます。
悪貨は良貨を駆逐する好例。
フボロストフスキーはそんな劣悪な歌手ではありません。
これから成熟していって、
歴史に残る大歌手の系譜に名を連ねてほしいものです。
by Hologon158
| 2013-06-28 21:49
| ホロゴン外傳
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