わが友ホロゴン・わが夢タンバール

457.10 ホロゴンデイ107「2006年5月20日雨の大阪天満から梅田にホロゴンと歩いた」10 駄弁蛇足の山


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外出用帆布バッグには、以前は必ず本を一冊入れていました。

本なしでは生きられない人間、私はそう思っていました。
ところが、ポメラが手にはいると、
ポメラで文章を書くことができれば、本はいらないということに気づきました。

    人から見れば退屈そのものの駄文でも、
    私にとっては、たった今、自分の脳裏をよぎった、
    ほやほやの思いであり、
    「我思う、故に我あり」という言葉に照らして、
    私の生きている印なのです。

人が読むに値する文章を書ける文筆家、思索者だけが
文章を書くべきだというきまりはどこにもありません。

    ブログの場合、つまらないと思ったら、読まなければよい、
    いつもつまらないと思ったら、二度と来なければよい、
    ただそれだけです。

書く側から言えば、
誰かが読むだろう、そう思っただけで、筆が止まります。
でも、ブログとして公開している限り、誰かが読むのは避けられない。
そこで、こう考えることにしています。

    1 書くときに、読者をまず自分一人に限定してしまえ。
    2 誰かが読むとしても、不特定の第三者なんて、誰でもない。無視しちゃえ。

4年近く前、コメント欄を閉鎖したときに、こう決めました。

気楽ですね。
かくして、出かけるとき、

    こたつ蹴っても鞠蹴るな、
    じゃなかった、
    本忘れても、ポメラと予備電池忘れるな!

いつもなのですが、
なにか書きたいことがあらかじめ決まってから書くことはまずありません。
文筆家、思索家じゃないのですから、書くことなんかありません。

    無理して、考え出す。
    なにか書きだしてみる。
    その後は、ただの連想ゲームで書き続ける。

キーボードを叩く感触が大好きです。
そのために、プログラマー用の最高級キーボードを使っています。

    Happy Hacking Keyboard Professionaru2

キータッチの感触が私には最高。

    深いのに、軽やかで、絶対確実で、実に鮮やかな応答性。
    考える速度にかなり近い速度で打ち続けることができます。

私は、キーボードで文字を書く方式は人間を堕落させると信じています。
饒舌で、無駄話ばかりになりかねません。

    ところが、思考訓練のブログとなると、
    この欠点を逆手にとることができます。
    駄弁でよいのです。
    誰も読まない方がよいのです。
    まともに受け取られたりしちゃ、たまりませんからね。
    とにかく思いつくまま、気の向くまま文章らしきものを書き上げ、
    推敲もせずに、だっとブログに掲載する。
    このやっつけ仕事的感覚がたまりませんね。

         思考のジェットコースター
by Hologon158 | 2013-08-21 22:00 | ホロゴンデイ | Comments(0)