わが友ホロゴン・わが夢タンバール

472.14 ホロゴン外傳122「2013年10月19日 天王寺通天閣界隈に獅子吼するのは?」14 生きた形



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ジョージア・オキーフが面白い言葉を残しています、

    本物の生きた形とは、思い切って未知なるものへ入り、
    生き生きしたものを創り出そうとする個人の努力の
    自然な結果であると、私は感じています。
    そこでは個人が何かを体験し、理解しないにしても何かを感じ、
    その経験から未知なるを知りたいという思いが湧いてくるのです。
    未知なるものは、つまりその人にとって大変重要な意味をもつので
    記録に残したい、感じてはいるがはっきりと理解できない何かを
    明らかにしたいというものなのです。
        (中略)
    私はある意味で、
    誰もがその何かを明らかにした状態で生まれてきたのだと感じています。
    しかし、たいていの人はそれを枯らしてしまうのです。

オキーフが心の中に強く感じているのだけど、
言葉に言い表しにくいなにかを、なんとかして伝えようと、
懸命に言葉を選んでいる状態がそのまま出ています。

でも、彼女の絵を観ていきますと、
本当にそのとおりなんだなという思いがしてきます。

    石ころや花や岩場、空、水がオキーフの素材。
    色と線のただのデザインに見えて、実体が浮かび上がり、
    異形の世界が現出します。
    そんな彼女独特の変容を経て、
    ありふれたものたちが「本物の生きた形」に変身しています。
    具象よりも抽象に傾けば傾くほど、
    そんな「本物の生きた形」が凄みさえ伴って力強く現れて迫ってきます。

そんなオキーフ世界を創造するために、
生涯どれだけの努力をしたことでしょう?
でも、彼女は比較的若い頃に画風の根幹を見つけ出すことができたようです。
かなり幸運な人だった感じがあります。

    でも、アーチストの生涯の努力の姿を観ると、
    「百尺の竿頭なお一歩を進む」の言葉を想い出します。

その点、素人写真って安楽そのものですね。

    努力などなにもいらない。
    ただ、楽しめばよい。
    
私が今並べている写真をご覧いただいたら、よくお分かりでしょう。

    楽しいものを見つけたら、露出を極度に切り詰めて、
    超接近して、ただそれだけを切り取る。
    すると、カメラとレンズがなんとか玄妙な雰囲気を盛り込んでくれます。
    私のやることと言えば、選んで、撮ること、これだけ。

こんな風にエンジョイしても、
継続することは力なり、ですね。
気が付いたら、自分の好みも撮り方もかなり固定してきて、
努力しなくても、自分好みの写真が撮れるようになります。
すると、さらに撮影が楽しくなります。

写真家としての野心、
見る人にアピールしたいという切望、
こんなものがあなたの心に生まれたら、
私に言わせれば、ある意味で災難ですね。

創造の森の奥深く分け入って、
棲息しているはずと噂の一角獣を探し求めるような営為。
でも、人に自分の写真世界を認知してもらうこと、
これは何ものにも代え難い歓びなのでしょう。

でも、私のように、人知れず写真を楽しむのも、
これまた何ものにも代え難い歓びなのです。

写真は人に見せてはじめて価値がある、
そうおっしゃる方が沢山おいでです。

    でも、私もその「人」なのです。
    見せる人は一人でもいいじゃないですか?
    もう一人の人は必ずしも必要がない。

    たとえば、夜、一人でバッハの無伴奏チェロに耳を傾けている、
    そこへ人が入ってきて、「先週化した1万円今すぐ返して!」
    これじゃ、歓びもお終い。
by Hologon158 | 2013-10-29 16:59 | ホロゴン外傳 | Comments(0)