わが友ホロゴン・わが夢タンバール

474.07 ホロゴンデイ110「2013年2月9日大阪駒林商店街でホロゴンが歌い」7 のほほんと


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今日は仕事で奈良盆地南部の桜井市に出かけました。
西側の直近、近鉄電車田原本駅下車して、タクシーで往還しました。

帰途、はるか西前方に二上山が見えました。
万葉集や古事記の舞台になった由緒ある2こぶの山です。
私は小学校6年までの少年時代、この山を毎日眺めながら暮らしました。

    二上山が故郷の山。
    大和川が故郷の川。

私は大和高田市のいわば都心に住んでいたのですが、
西郊外の大和川や田園によく遊びに出たものです。

    市街地と言っても住宅地、その外には平地が広がり、
    二上山はその平地の上にくっきりと聳えていたのです。
    小さな山ですが、なんでも比較の問題です。
    私は小さな男の子で、しかも、
    二上山の背後に夕日が没するのですから、
    壮大な夕焼け空をバックに私の山は神々しく浮かび上がりました。
    だから、文字通り聳えて見えたのです。
    私の記憶の中では今でも聳えています。

この山の由来となった2つの峰がくっきりと大小2つの峰に見えました。
田原本は高田よりかなり北に、そしてかなり近くに位置します。
この町からみると、かなり変形します。
左の小さな峰の前に大きな峰の裾が被さる感じなのです。
高さもかなり接近して見えて、
二上山という名前にぴたりの景観ではない。

これで感じたことが一つあります。

    人間の印象、大きさも人によってかなり異なるようです。

司馬遼太郎はそんな対比の逸話を書くことが好きな方でした。

「千葉周作」で、周作が崖沿いの小道を歩くシーンがあります。

    すれ違えないほどに細い危険な桟道です。
    反対側から2人の浪人がやってきました。
    2人は居丈高に「四つん這いになれ、俺たちが通るから」
    千葉周作はしばらくじっと見つめてから、
    桟道に四つん這いになりました。
    2人の浪人はその体の上をなんとかまたいで、無事前進を再開しました。

    一人が後ろの一人に声をかけました。
        「今の男の上をまたぐとき、ぞっとしたよ。
        かなりの使い手と見たね」
    すると、後ろの男が答えました、
        「へえ、そうだったかい?
        わしは何にも感じなかったがなあ」

こういうのを「できない人」と言いますね。

人間の価値、能力、大きさを見抜く力を、
「眼力」「人物鑑定眼」「鑑識眼」などと言いますが、

    人間には人間性、能力、感情、忍耐力等にかなりの差があります。
    人物をどのような基準で鑑識するか、という鑑識法はさまざま。
    でも、目的に沿ってふさわしい人材を発見するのが目的です。

中国の初王朝の創建者たちは人物の鑑識眼の名人でした。

    だから、劉邦は蕭何、韓信、張良らを得て前漢を創建し、
    劉備は諸葛亮、関羽、張飛を得て蜀を建てました。
    一方、項羽は、部下に名臣、名将を得ながら、
    その才幹を見極めることができなかったので、滅びました。
    任命、褒章のための印判をいつまでも手の中で転がして、
    丸くすり減らしてしまったという逸話が彼の才能の限界を証明しています。

近ごろで言えば、大阪市長など、この人物鑑定眼がまるでありませんね。

    自分で選んだ校長や区長が次々と不祥事。
    いわば恥さらしもいいところで、大いに反省するのが当然なのですが、
    まるでテンとして動じない。
    そんな不適確な人が責任ある職で仕事をしていたことなど無視して、
    辞めさせることで、責任は果たしたことになる、と宣う。

    企業の人事担当者だったらどうでしょう?
    不適確な人を選んだ責任を問われることはもちろんです。
    やることなすことこの調子で、私の人物鑑定眼では、
    人間としての基本的素養にかなり欠けている人と言わざるを得ません。
    このような人は人の上に立つべきではないのです。

千葉周作はもちろん武道の達人です。
彼は2人と向かいあって、なにを考えたのか推測してみましょう。

    桟道で向かい合う2人が自分よりもかなり腕前が下と見抜いたでしょう。
    ただし、先頭の一人はかなり腕が立つことも分かったでしょう。
    このような足場の頼りない危険な場所で立ち会いしたら、
    もつれ合って、もろともに転落するリスクは無視できません。
    相手の男はそこまで予測できるだけの力量ではないのですから、
    余計危険です。
    
だから、膝をついて、2人を通したのです。

    でも、いつ何時上から襲われるかも知れないのですから、
    油断はせず、気配をじっとうかがっていたのです。
    剣を抜く音が聞こえたら、ただちに反撃する構えです。
    それが殺気となって現れた。
    ここでは、人物を見抜くことが死と隣り合わせだったのです。

市民の公僕である市長なら、重要な公職を公募するにあたり、
公職につくために必要な実績を積んでいない一般人から選ぶのですから、
このときの周作と同じ位の覚悟、決意、鑑識眼が必要なのではないでしょうか?

    それなのに、自分の選んだ人たちが不祥事を起こすなんて、
    夢にも考えなかったのです。
    周作が必殺の構えをしていることなど気も突かずに、
    のほほんとまたいでいった一人と、
    大阪市長、ダブって見えませんか?
by hologon158 | 2013-11-05 18:12 | ホロゴンデイ | Comments(0)