わが友ホロゴン・わが夢タンバール

476.03 ホロゴン外傳123「2013年11月9日 大阪福島でスピードパンクロがほくほく笑顔に」3 やめてみますか?



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昨日は2週間ぶりの付虹先生のレッスンでした。
冷や汗ものでした。
課題曲は2曲でしたが、どちらもテンポ、音の出し方、
なにもかもが間違っていました。

    思うに、私の場合はとくに、良き師匠がいないと、
    とんでもない誤解のまま、とんでもない調子外れの、
    音楽以前のものが出現することになったでしょう。
    こういうのを「知らぬが地獄」と言います。

私の専門分野でも、素人はとんでもない間違いを平気でします。
でも、その間違いに気づかない。
    
    間違い、ミスというものは、
    自分では間違い、ミスとは思っていないときに起こるものです。

これが一番危険なのは医師ですね。

    体の部位ごとに専門化が進んでしまい、
    自分の専門領域以外では、「知らぬが地獄」が
    「医者が知らぬが、患者の地獄」につながってしまいます。

こんなお話しがあります。

    ある人が恒例となって、いくつかの医科にかかり、
    それぞれ数種類の薬をもらっていたそうです。
    ある日突然頭髪が猛烈に落ち始めました。
    医師に相談すると、尋ねられました、

        「髪の毛が落ち始めた直前に、なにか変わったことがありましたか?」

    じっと考えて、

        「※科で※をもらって服用し始めたところでした」
        「それじゃ、その医師に相談してみたらどうですか?」

    そこで、その薬をもらった医師に受診して、相談したそうです。

        「※をもらうようになって、突然、髪の毛が落ち始めました」

    その医師、患者さんが飲んでいる薬の詳細をチェックしてから、
    こう言ったそうです、

        「心配だったら、この薬やめてみますか?」

    この患者さん、怒ったそうです、

        「先生、やめてみますかはないでしょう?
        患者にその判断をさせるのですか?
        先生が良否を決定するのが本筋じゃないですか!」

当然ですね。
この医師、責任逃れをしているのです。

    1 投薬するときには、他の疾病、他の投薬の有無を尋ねて、
    なんらかのバッティングが怒らないように専門的判断を下すのが本筋です。

    2 もし、1の手順を踏まずに、闇雲に出したとすれば、
    もし投薬と頭髪の症状との間に因果関係があれば、医師の責任です。

    3 もし、1の手順を踏んだのに、バッティングに気づかず、
    その症状を起こしたとしたら、やはり医師の責任です。

    4 いずれにせよ、まだ因果関係は明らかではないのですから、
    今回、改めて、その症状と投薬との因果関係の可能性を吟味して、
    今後の服用の良否、治療方針の変更の要否を判断するのが医師の義務です。

本当のプロである医師なら、どうするでしょう。

    自分の素養、知識、体験がその判断をするに不十分であれば、
    とりあえず、服用を中止させて、専門医たちの意見を求めるべきです。
    自分の判断できる範囲をしっかり自覚している、
    それがプロというものです。
    それなのに、「心配だったら、この薬やめてみますか?」

カルテにどう書くのでしょうね?

    おそらく「患者の自主判断で投薬を中止」?
    責任逃れもいいところですが、
    そんな小手先のテクニックで責任を逃れようとするなんて?
    とすると、カルテの記載はこうでしょうか?
    「投薬を中止することによる症状悪化のリスクを説明したにもかかわらず、
    患者の自主判断で投薬を中止」

同種の体験をなさった方は多いでしょう。
今や、人間全体の医療ができる医師など存在しない。
だから、患者が医師を選ぶ時代になってしまいました。
でも、素人がどう選べというのですか?

本来あるべき医療体制は、

    患者の全身症状に照らして、
    適切な専門医を糾合してチームを編成することです。

総合病院に医師たちが統合されようとしている現在の趨勢は、
もし上記のような医療体制を柔軟に組んで、
患者のニーズに即応できるのであれば、
けっして悪い傾向ではありません。
医療が格段に進歩した現在、個人医ができることは、
簡単な風邪等の疾病に対処し、
手に余るときは適切な総合病院に紹介して転医させることでしょう。

でも、総合病院がやっていることは、ただの総花的科目揃えにとどまって、
密接かつ臨機応変なチーム体制による医療を実現できないのであれば、
患者はただたらい回しされるだけで、
総合病院化は医師に対する管理強化にすぎません。

おいそれと病気できない時代になってしまいました。
私の場合、揚琴に関しては、良師に恵まれて幸せというべきでしょう。    
by Hologon158 | 2013-11-12 19:29 | Comments(0)