482.06 ホロゴン外傳125「2011年9月10日 ボケレンズが梅田、難波の路地を駆け抜けた」6 美体験は何事にも
月曜日の続き
おもしろいことに、アマチュア写真家でも、
その人独特のイディオムが身に付くようです。
カルティエ=ブレッソンやラルティーグのように、
いわば我が道を往き、
他人に迎合したり、人気取りをしたりする必要のない人の場合、
思う存分自分自身の心を開いて、まず自分の心にかなう写真を撮り続けたら、
写真の才能があり、撮りたい世界があり、十分な撮影体験を積むことができる人なら、
そのようなことが起こるという感じがします。
ただし、カメラ、レンズの機材が黒子と化することができる人の場合だけですね。
私のように、カメラ、レンズにこだわって、頼りきって、
とくに多数のレンズを日替わりで使って楽しむ人間には、
レンズ試写体験ばかりが堆積して、
独特のイディオムなんて、お金と一緒で、からきし貯まりませんね。
でも、このことで分かるのではないでしょうか?
写真はとても大きな器なのです。
写真を楽しむ人の数だけ、写真の楽しみ方はあります。
なにも人と同じ楽しみ方をしなければならないわけではない。
写真家として大成することだけが写真の楽しみ方じゃない。
人に認められることがなくても、自分が認めたら、いいじゃない?
それでも、私は実はひそかに自負しています。
自分にぴったりの写真の楽しみ方を見つけた人間、
それが私である、と。
いわゆる「すぐれた写真」で自分を満足させようと考える人は、
苦しみますね。
才能がなくては、そんなことは実現しない。
チャンスがなくては、そんな写真は撮れない。
私はその逆手を取ったわけです。
なにがなんでも、自分が撮ったら、全部フェスティバル!
妻は、私が挫折を味わったことがない人間だと信じています。
実際には、そんな人間なんか、この世に存在しませんね。
実際には、私は挫折を味わったことがないのではなくて、
挫折があっても、へこたれなかっただけ。
もちろん愛しい妻がいるからですが、
もうひとつは、この世の最高の美を味わうことができる、
あらゆることに美を見つけ出すことができる、
そんな人生を送ることができたら、
挫折の一つや二つ、なんだって言うんだ!
というわけです。
写真はそのような美を私に運んでくれる「翼」なのです。
ここに並べる写真に写し出された光景を「美」と感じるのは、
あいにく私だけなのですが、それがどうした?
私に大切なことは、私が美しいと思うことで、
それが万人の目に美と映らないことなど、
Who cares?
by Hologon158
| 2013-12-13 01:16
| ホロゴン外傳
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