わが友ホロゴン・わが夢タンバール

528.12 ホロゴン外傳130「2014年6月1日 幻燈街展の後では京の街も幻燈街に」12 コントラスト



久しぶりです。
ほとんどお休みをしたことがなかった本ブログですが、
孫には勝てません。

   14日生まれたばかりの孫とそのお兄ちゃんを連れて、
   産後の静養のために長女が帰宅したのは、先週木曜日。
   それが戦争の始まりでした。
   
ブログも断続的となり、25日以来久しぶりに時間ができました。
大急ぎで投稿しましょう。




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ものごとを決めるのはコントラストですね。
人生でも歴史でも写真でも、その事情は変わりません。

いつも思い出す逸話が2つあります。
衣装比べの逸話。

   どちらも、コントラストの妙味を得たら、
   シンプルがゴージャスに勝るという教訓話。

①清小納言「枕草紙」が伝える中宮定子と皇后の対決、
②フランス王アンリ2世の愛妾ディアーヌ・ゴ・ポアチエと王妃カトリーヌ・メディシスとの対決。

   どちらも権力と富のある皇后、王妃側は絢爛豪華な衣装を揃えました。

   権力のない側は、純白に統一しました。

白、シンプルの圧倒的な勝利だったようです。
その理由は明らかです。

   見る人の視線は、前者では、衣装の側に集中してしまいます。
   後者では、着ている本人に集中します。
   絢爛、豪華な衣装が似合うのは、本人自身が華麗な美しさを備えている必要があります。
   一方、白は並の容貌の女性を引き立て、美貌の女性をさらに美しく引き立ててくれます。
   そのうえ、どちらの勝負でも、
   絢爛、豪華な陣営が白の陣営の引き立て役にもなってしまったことでしょう。

まさに勝利者側のデザイナーはT.P.O.を正しく理解していたのです。

   フランス王宮廷での勝負のデザイナーは間違いなく
   賢明なディアーヌその人だったことも十分推測できます。

キノプラズマートはそんなディアーヌのデザイン感覚を継承しているのでは、
と、我田引水的に推測したくなります。

   フレアも含めて、白がとても清らかに輝くからです。

なお、中宮定子の勝利の立役者、デザイナーが、
清小納言ではなかったことは絶対に間違いのないところ。

   もし彼女自身だったら、枕草紙にちゃんとその旨付け加えたでしょうから。
   でも、発案者について一言もないのは、もちろん知っていたのですから、
   書きたくなかったから、ということも間違いがありません。

ついでに付け加えますと、
皇后の一行のデザイナーが紫式部ではなかったことも間違いないと、私は信じています。

   紫式部だったら、むしろ白で統一したでしょうから。

その理由は「源氏物語」にあります。

光源氏は、自分が庇護していた玉鬘を弟に会わせたときのお話が、
それを証明しているからです。

   光源氏は、照明を落とした室内の帳の中に座らせた玉鬘の背後に、
   多数の蛍を一気に放ったのです。
   蛍の光だけに照らし出された玉鬘の美しさはいかばかりだったことでしょう?

   もう一つ、薫大将が、風で膨らんだ御簾の隙間に、
   楚々と、でも艶やかに立つ紫の上を一瞬のぞき見てしまうシーン。

   紫式部は美の絶妙の演出者だったのです。

でも、もしかすると、逆かも知れません。

   紫式部がこの2つのシーンを書いたのは、
   中宮定子の勝利を目撃した後であり、
   この白の勝利に深い感銘を受けたために、
   玉鬘の蛍のシーンを思いついたという可能性もありますね。

さらには、さらに再逆転の可能性も推測できます。

   まことにうがちすぎのアイデアかも知れませんが、
   中宮定子の白を思いつく美的感覚の持ち主がそうざらに居るはずないので、
   この晴れの催し物に参加を許されなかった紫式部が仕返しに、
   このアイデアをライバルの清小納言か、それとも別の中宮のお付きの友人に、
   密かに吹き込んだ可能性だって考えてみたいですね。
   (つまり、だから、清少納言はデザイナーをばらせなかった)

研究者たちはもっと的確な事情説明をしているでしょうけど、
私はただの遊びとして、勝手な憶測を楽しんでみました。
by Hologon158 | 2014-06-30 13:50 | ホロゴン外傳 | Comments(0)