わが友ホロゴン・わが夢タンバール

534.14 ホロゴンデイ122「2006年4月29日 秘境菅浦は清々しい晴れだった 」14 嘉納愛子さん



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吉田正さんが写真教室の前半の講義で、
また素晴らしい方を紹介して下さいました。

    嘉納愛子さん
    1907年1月1日生まれですから、現在107歳!

グーグルで画像検索をしてみてください。

    まだ80歳ほどにしか見えません。
    若々しく、華やかで、美しい。

一口で107歳と言っても、ピンと来ませんね。

    60歳定年退職しても、
    まだ47年間も生きなければ到達できないのです。
    我々の理想像のような方です。

検索してみると、さまざまな記事に出会えます。

    何とも肯定的で、楽天的で、積極的なお人柄でしょう。

私がいつも努めて書いているように、
長生きしている人はみなさんよく笑います。

    悲観的で否定的な長寿の方はあまり見かけませんね。
    誰にも悲しいこと、つらいことは一杯あります。
    でも、その受け取り方、消化の仕方が違います。
    長寿の方は、どんなことがあっても、否定的になりません。

これは正しいことです。

    私の見るところ、
    私たちに降りかかるすべてのことに、正負両方の面があります。
    そのこと自体はどんなに悲しいこと、苦しいことであっても、
    その出来事があったが故に、次のステップで、
    楽しいこと、うれしいこと、幸せなことに巡り逢えるかもしれないのです。

禍福はあざなえる縄のごとし、という言葉があります。

    中国の言葉には常に中国数千年の知恵がこもっています。
    だから、どんなことがあっても、
    それを至福への梯子の一段だと考えることのできる人は幸せです。

そんな風に考えることができる人は常に長生きするわけではないでしょう。
長生きにはまた長生きの幸運が必要かも知れません。

    でも、どんな年齢で亡くなるかは神様にお任せしましょう。
    どんな年齢であれ、すべての運命を幸せへの階段だと受け止めることができたら、
    その人は心から満足して世を去ることができるでしょう。

ヘロドトスは賢者ソロンの知恵を伝えています。

    クロイソス王は富強を誇った全盛時代、
    ソロンに向かって自分は世界一幸福な人間だと豪語します。
    すると、ソロンは笑って、
    
        「人は死ぬその瞬間まで自分が幸せであると言うことはできません」

    クロイソス王は後年ペルシアのキュロス大王に国を奪われ、
    自分も火刑に処せられようとします。
    その瞬間、彼ははらはらと涙をこぼしてこう言います、
    
        「ソロンよ、あなたの言うとおりだった」

    キュロスはいぶかしく思って、処刑を中断して、
    クロイソスに言葉の意味を尋ねて、
    ソロンの言葉を知り、クロイソス王を許すのです。

でも、私はこの逸話をそんな高く評価しません。

    人は人生の中にあって、さまざまな幸せを味わいます。
    たとえその後、不幸になったからと言って、
    かつての幸せが不幸に転化するわけではありません。

    幸せな生涯をずっと続けてきて、
    最後の最後に不幸に見舞われたからと言って、
    その人の人生が全部不幸だったなどと、どうして言えるのでしょうか?

    たとえば、心から愛し続けてきた妻が、
    結婚後数年にして夭折してしまったからと言って、
    妻との結婚が不幸であったとか、妻への愛は無意味だったなどと、
    どうして言えるのでしょう?

    それでも人生は続くのです。
    ならば、妻への愛を心の糧として、
    さらに豊かな人生を築こうとするのが正しい人の道ではありませんか?

嘉納愛子さんはそんな風に生きてこられたのでしょう。

    長生きされてきたのですから、
    数知れぬつらい体験、不幸に出会ってこられたことでしょう。
    でも、こんな美しい笑顔ができるのです。
    並大抵の人物ではありません。
    私たちすべての人間の模範、目標となる偉人なのです。

よし、私も生きている限り、なにが起ころうとも、
笑顔と希望を忘れずに生きるぞ!
by Hologon158 | 2014-08-19 11:33 | ホロゴンデイ | Comments(0)