わが友ホロゴン・わが夢タンバール

536.19 ホロゴンデイ123「2014年8月18日 ホロゴン15mmF8Mが平野に新境地拓く」19 モンテーニュ



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モンテーニュの「エセー」の死についての一章を読みました。

    とても不思議でした。
    まるでマルティン・ハイデガーのような論調で、
    死を忘れるな、
    死がいつくるか分からないことを覚悟して生きよ、
    と繰り返し繰り返し説いていいるのですから。

たとえば、こんな風です、

    「おまえが生きている分というのは、
    すべて、これを生から奪い取っているのだから、
    いのちを犠牲にして生きていることになるぞ。
    おまえが生きるという、この絶えざる仕事とはな、
    それは死という建物を構築するようなものなんだ。
    生のなかにいるあいだ、お前は死のなかにもいるのだ。
    だって、おまえはもう生きていないときには、
    死に追い越されてしまっているじゃないか。
    あるいはお望みとあらば、生きた後で死ぬということでもかまわないぞ。
    だけれども、生きているあいだに、死に瀕しているんだからな。
    そして死は、死者よりも、死にかけた者に、よりつらく、
    よりはげしく、また本当にぶつかっていくのだ。
    人生を大いに謳歌したというなら、もうたらふくいただいたのだから、
    満足して立ち去るがいい」

当時は、キリスト信仰が唯一無二の時代だったのです。

    キリスト教では、死は永遠の生への入口なのです。
    その永遠の生がどのようなものであるか、
    どこで送ることになるか、は、
    すべての人の心にかかる不安、懸念、恐怖でした。
    だから、この生涯を敬虔に生きなければならないのです。
    いわば、試用期間の身なのだ、それがキリスト教の立場です。

それなのに、彼はそんな永遠の生についてなど一言も触れません。

    死はたった一度、一瞬のことであり、
    しかも、死んでしまえば、
    それまでのことはすべて無になってしまうのだから、
    なにもおそれることはない。
    そうはっきりと教えるのです。

奇妙だと思いませんか?

    モンテーニュは1533年生、1592年没。
    ルターが95個条の論題を提議したのが1917年、モンテーニュ16歳のとき、
    ローマ教皇によるルターの波紋は1920年、モンテーニュ20歳のとき、
    カルヴァンがプロテスタントに改心したのは1933年、モンテーニュ33歳のとき、
    つまり、モンテーニュの生涯は宗教改革の歩みと平行していたのです。

そんな熾烈かつ妥協の余地のないつばぜり合いが続くヨーロッパにあって、
モンテーニュはカトリック、プロテスタントの融和に努めるモラリストとして、
生涯を政治と文化の先頭に立って生きた人なのです。

    「おまえの人生がどこで終わろうと、それで全部なのだ。
    人生の有用性とは、その長さにではなく、使い方にある。
    長く生きても、少しだけしか生きなかった者もいる。
    生きているうちに、しっかり心にとめておくんだ、
    お前が十分に生きたかどうかは、その年数ではなしに、
    お前の意志にかかっていることを、な」

このような「エセー」の言葉を読んでいて強烈に感じることは、

    モンテーニュは正気の人、覚めている人、まさにヒューマニストであること。
    まるで現代人なのです。

    ただし、現代の政治家たちにヒューマニストは居ませんが。
by Hologon158 | 2014-08-24 16:56 | ホロゴンデイ | Comments(0)