わが友ホロゴン・わが夢タンバール

550.05 ホロゴン外傳137「2014年10月3日 壺坂の城下町は人形で溢れていた」5 眺めのいい部屋



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今iPodで聞いている英語朗読は、

    E.M.フォースターの「The room with a view」
    翻訳名は「眺めのいい部屋」

ジェームズ・アイヴォリー監督が映画化しました。

    疑いなく彼の最高傑作の一つです。
    最高のスタッフをそろえて、
    原作の雰囲気、登場人物たちの人柄まで忠実に再現してしまいました。

原作を少なくとも4度は聞き返し、1度読み、映画を見た回数は数え切れません。

裕福な家庭で憂いなくすくすくと育った令嬢ルーシーは、
いとこのオールドミスのシャーロットの付き添いの下に、
イタリアに旅行します。

    フィレンツェのオールドタウンを一人歩く内、
    広場でイタリア人青年たちが喧嘩口論の末、
    一人が殺害される現場に出会って、気を失ってしまいます。
    折よくその場に居合わせた、
    同宿の理想家肌の多感な青年ジョージに介護されます。

二人はこの出来事に魂のそこまで揺さぶられます。

    今そこで元気にしていた人間が、
    あっけないほどに突然この世から消えて仕舞う!
    命のはかなさ、運命のおそろしさを知るにつけ、
    今ここで自分が生きていることがどんなに幸せであるか、
    この体験を経て、自分がどんなに変わったかを知るのです。
    ある意味では、少年時代は終わり、
    2人は大人になったのです。

スパルタ王アゲシラーオスにこう尋ねた人がいます、

    「子供は学校でなにを学ぶのですか」
    王は即座にこう答えました、
    「大人になったときなすべきことを」

    それはすなわち「正しいこと」なのですが、
    そのことを忘れている人がどんなに多いことでしょうか?

二人は偶然ながらフィレンツェ郊外へ馬車で出かけるピクニック、
いわばワンデイトリップに参加します。

    そして、命の賛歌を歌うようにポピーの花が咲く斜面で、
    二人はまたしても偶然に二人きりで対面してしまい、
    ジョージは思わずルーシーを抱きしめ接吻してしまいます。
    この出来事が二人の人生、生き方を徹底的に覆してしまいます。

シンプルに言いますと、

    「今を全身全霊で生きよう。
    幸せは、人生は自分でつかもう」
    そんなところでしょうか?

このシーンは映画市場に残る最高のシーンの一つ、
私はそう信じています。

    「アラビアのロレンス」のオマー・シャリフ演じるアラビア騎士の登場シーン、
    「シェーン」のラストシーン、
    「第三の男」のラストでアリダ・バリが、ジョセフ・コットンに一瞥もせず、
    冷たく歩き去るシーン、
    その他いくらでも思い出しますが、
    そんな名シーンに立派に伍する名シーンなのです。

とりわけ、そのシーンにはキリ・テ・カナワの歌声が被さります。

    プッチーニのオペラ「燕(ラ・ロンディーヌ)」のアリア。
    その歌声の限りなく透明な美しさには聴く度に酔いしれます。

    You Tubeでもご覧になれます。
    Room With a View - That Kiss in an Italian Poppy Field
    (https://www.youtube.com/watch?v=J-gFsXfbF08)

話がかなり逸れてしまいましたが、

    ルーシーは元来心の中に自由を秘めているのに、
    田舎町の良家の子女という立場に縛られてたのですが、
    この体験が彼女を揺さぶって、
    本来の自分を確立する道へと一歩踏みだします。

彼女のベートーベンのピアノソナタ第21番「ワルトシュタイン」を聴いて、
そんな資質を見抜いていたビープ牧師は、
イタリア旅行の間に起こったルーシーの変化をこう表現します、

    「凧糸が切れた凧」

私たちは身体と心にいっぱい凧糸を付けています。
この世のしがらみというのはそんな凧糸の一種ですが、
それだけではありません。

    自分のこれまでに身につけた体験、素養、知識、
    それらもすべて凧糸になります。
    ときには、その凧糸を切らなければならないときがある。

ルーシーはそんな行動をとることができるようになるのです。

彼女が人生のある意味で最大の決断を迫られたとき、どうしたか?
これは映画か小説でお確かめください。

    ビルドゥングシロマンはどうあるべきか?
    そのとても美しい答えがこの小説にあると私は考えています。

私が尊敬するある人はこうおっしゃっていました、
    
    「人生の決断に立たされたとき、必ず細い道を選んだ」
    晴れ晴れとしたお顔でした。
    この方の人生もビルドゥングスロマンだった、
    私はそう考えています。
by hologon158 | 2014-10-09 11:43 | ホロゴン外傳 | Comments(0)