わが友ホロゴン・わが夢タンバール

550.10 ホロゴン外傳137「2014年10月3日 壺坂の城下町は人形で溢れていた」10 柳に風折れなし



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私の父の趣味は囲碁と俳句でした。

   65歳で定年退職し、数年不定期の仕事をした後は、
   趣味の句会に出かける程度で、対戦相手が必要な囲碁は止めて、
   20年近くほとんど家で過ごしました。

母が父のために猛烈に安定感のよいチェアーを奮発しました。

   この椅子に一日中座って、テレビを見、読書をしました。
   まるで植物人間のようなのに、死ぬ数分前まで自分で歩行できて、
   ぼけることもなく、1日1冊のスピードで読書していました。
   弟が節税のためもあって、どんどん本を買い込み、
   書庫のために一つマンションを借りるほど蔵書を保有していたので、
   読むものがないということが起こらなかったからですが、
   「柳に風折れなし」のたとえそのままの老後でした。

一方、人一倍体力があって骨太だった母は、
そんな父にいわばかしづいて一生働きづめだったのに、
アルツハイマーになりました。

   まったく分からないものです。
   いや、これで分かることは、
   人の人生って分からない、ということ。

私は父のように生きるつもりはありません。
たえず動き回っています。

   本、レコード、CDをどっさり集め、
   退職後はゆっくりと書物と音楽を楽しみたいと思っていたのですが、
   毎日本を少しずつ読む程度で、
   のんたんさんのように、
   毎日1枚はレコードをかける優雅な生活とはなかなかならないようです。

以前は本とレコード三昧でした。

   国家試験もオペラを囂々とかけながら勉強しました。
   お隣のご主人は私と同業者、つまり先輩でしたが、
   同じく同業の父に言ったそうです、

       あんなに音楽をかけまくって、よく合格したものだな」

理由は簡単。

   他の生活音を遮ってくれること、
   そして、自分が快いと思う音楽に包まれること、
   それがかえって集中力を増すからでした。

そういうお隣さんも自宅で仕事をするときは、
倉を改造した書斎で音楽をかけながらしていたのですから、
自分のことは棚に上げて、というところです。

   この癖は今でも治らず、とくにブログの記事を書くときなど、
   音楽を流しながらなのですが、
   これが今ではすべてYouTube。

   アンプを通して、エクリプスの無志向性スピーカーで鳴らすと、
   過不足のないサウンドを奏でてくれます。

要するに、生活スタイルが完全に変わってしまいました。

   絶えず頭を働かせ、絶えず動き回ることで、
   ぼけることを防ぐつもりなのですが、
   最初に書いた両親の例を見ても、そんなことが、
   アルツハイマーはもとより、ぼけを防いでくれるとは本気で信じていない。

でも、昔言われたように「かのように」の哲学で、
あたかもそうすればぼけないで過ごせるという気持ちで人生を作っていく、
これしかありませんね。
by Hologon158 | 2014-10-13 11:56 | ホロゴン外傳 | Comments(0)