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556.11 ホロゴンデイ126「2005年5月3日 琵琶湖畔近江高島は春だった」11 訃報が届き


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訃報が届きました。
医師であった友人が86歳でなくなりました。

    かなり以前のことですが、幾度も幾度も写真を撮り歩いた友人です。
    山辺の道で知り合ったのです。

ちょうど中間地点の環濠集落の農産物集荷場のたたきに、
一人ポツンと腰を下ろしている初老の人物に出会いました。

    私も一人でしたので、誘いに応じて、隣に座って話したのです。
    話しぶりからかなり優れた人物と知れました。
    お互いにヤシカコンタックスを使っていたこともあって、
    話がとてもよく合い、まだ残る半分の行程をご一緒することにしました。
    この方、ANさんはレンタサイクルだったのに、ずっと歩き詰めでした。

随所で撮影し、歩いている間はずっと話を続けました。
私の家系には医者が多いので、雰囲気、しゃべり方からそれと知れましたので、

    「失礼ですが、お医者さんじゃありませんか?」

ANさんも切り返して、

    「あんた、※※でしょう?」

    お互いに図星でした。

私の当時の職場の近くに内科医院を長年経営して、
職種は違いますが、
私と似たような職業の友人、受診者がたくさん居たのです。

それ以来、イギリスにはご夫妻と一緒に旅行するなど、
たえず撮影に出かけ、たまに診療も受けたりと、
親交を重ねたのでした。

    山登りと旅行が好きで、世界中を旅され、多趣味の人生を謳歌しておいでの、
    まさに快男児でした。

そのANさんも70となり、内科医院を畳んで、引退して、
撮影もやめてしまわれました。

    それ以来、折に触れての電話で近況を話し合う程度となっていたのです。

奥様からのお手紙によると、無事息災に過ごされていたそうです。

    80歳になると、
    「人間には天命がある」と、一切健康診断も受けずに、
    元気に生活されいたのですが、
    突然体調を壊し、検査をしてみたら、胃ガンの末期だったのです。
    そのままあっという間に旅立たれてしまいました。
    痛みを含めて、胃ガンの症状などまったく出ないまま、
    眠るがごとくに逝ってしまわれたとのこと。

理想的な生涯だったと言いたいところですが、

    享年86歳はあまりにも早すぎます。
    たしかに天命だったのでしょうけど、
    あれだけ強壮に生きてきた方なのですから、百歳まで生きていただきたかった。

    かなり気落ちしています。
by Hologon158 | 2014-11-13 11:20 | ホロゴンデイ | Comments(0)