わが友ホロゴン・わが夢タンバール

564.12 ホロゴンデイ127「2010年1月9日の初撮りは大阪北浜だった」12 反省しきり



まだClub Sei-G写真展の反省をしています。
私のような写真素人が人に自分の写真を見せる、
このことにはどんな意味があるのでしょうか?

   アマチュア写真家には自明のこのことが、
   私には分からなくなったのはかなり以前です。

   人に見せるものとして撮っていないのを、
   人に見せて、なにか意味があるんだろうか?

お二人の写真家のお誘いに乗って、
キヤノンサロンで三人展「トライアングル」を開いたのは2006年でした。

   あれからもう8年も経ったのですね。
   当時はまだ人に写真を見ていただくことがうれしかった時代でした。
   その後、毎年、キャノンサロン、オリンパスギャラリーで、
   仲間と写真展を重ねました。
   この頃から、回を重ねるにつれて、自分の写真などどうでもいい、
   プレゼンテーションの一つの要素として機能してくれればそれでよい、
   という気持ちが強くなっていきました。

今回のClub Sei-G写真展はさらに強くなり、
写真展に3日詰めましたが、自分の写真の前に立ったのはほんの数回。

   人に自分の写真を見てもらいたいという気持ちが私の中から消えてしまった。
   もちろん人が見てくれて、賞賛してくれれば、気持ちがよい、
   ということまでなくなったわけではありません。
   でも、それは、いわばただの一時のきまぐれの出来事、という気持ち。
   私の表層にしか届かないのです。

現在の私にとって、写真の喜びの根本は、

   ロボグラフィとの出会い、撮影の瞬間の心の躍動、これに尽きます。
   一目惚れ、ということが時に起こりますね。
   
   路傍のなにかと目が合ってしまうのです。
   すると、「ここにこんな美しい人が!」
   それがドラム缶であったり、ゴミ箱であったり、
   割れたガラスであったり、錆びた自転車であったり。
   人が見たら、なんでこれが美しいの、と目を白黒させるようなもの。
   私にとって、なにが美しいと感じるか、完全に予見不能。
   それが「一目惚れ」の本質なのですから。

そんな私にとって、Club Sei-G写真展はもったいなさすぎる感じ。
引っ越してみたら豪壮な宮殿だった、そんな感じ。
写真展は参加するものではなく、見せていただくものですね。




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by hologon158 | 2015-01-02 16:51 | ホロゴンデイ | Comments(0)