わが友ホロゴン・わが夢タンバール

570.13 ホロゴン外傅142「2015年1月18日 梅田はスイター日よりだった」13 暗黒時代へ


日本の古代史は闇のなかの闇。
紀元後5世紀頃までほとんどなにも確実なところは分かっていません。

    大和朝廷が最後に日本を統一したことは、
    結果として分かっているのですが、
    統一以前の日本の各地の政治状態、統一のプロセスは完全に謎。
    なぜか?

文字がなかったからです。

    稗田阿礼のような口伝の史官が各地の王朝に居たのかもしれません。
    でも、それらの各地の伝承を筆記する太安万侶は居なかった。

実のところ、このような事態は世界中であたりまえの状態でした。
文字を生み出した文化、文明だけが伝承を記録することができました。

    その最良の実例が中国、ギリシア、インド、ローマにあります。
    言葉の発明は人類を、人類学的にではなくても、
    文化的に飛躍的に進化させました。
    でも、その言葉を文字によって記録するレベルに至るためには、
    おそらく超絶的な天才の存在を必要としたのではないでしょうか?
    言葉があれば、文字も遅かれ早かれ出現するというような、
    必然的な関係にはありませんでした。

早い話、日本では、弥生時代の前の縄文時代は、
なんと1万年ほども続いたと言われています。
すでに言葉によるコミュニケーションはあったのでしょう。
考古学的に、さまざまな遺跡が見つかり、
かなり広範囲の物流があったことが証明されているからです。

    でも、文字を発明するにはついに至らなかったし、
    高い文化が興隆し栄えたというレベルにも
    ついにたどり着かなかったようです。

生活の必要を超えて、より高い次元での行動を生み出すためには、
それにふさわしい概念、思考、きっかけ、歴史が必要だったようです。

    でも、そのためにはなんらかの意味で言葉を概念を表す道具、つまり、
    シンボルとして使用できるようにならなければならないことは明らかです。

文字、書き言葉が発明されたとき、
言葉はそのものとして独立の思考の道具に昇格しました。

    中国人、ギリシア人、インド人は気の遠くなるほど昔から、
    言葉を駆使する訓練を受けてきたのです。
    偉大な哲学が、歴史書がこれらの文明、文化の中で芽生え、
    興隆したのは当然です。

    その周辺の文字のない諸国家では、
    いつまでも「切った、はった」の血なまぐさい歴史だけが展開したのは、
    高邁な概念、思想、理想を生み出す文字がなかったから、
    生物学的なレベルから抜け出ることが困難だった、
    ということではないでしょうか?

この格差は現代でもまだ続いています。

    文明、文化が次第にグローバル化した現在、
    大きな格差は国家間だけでなく、個人間にも広がっています。
    たとえば、コンピューターが戦闘に使われるようになると、
    戦闘そのものが人と人との格闘のレベルを遥かに飛び越して、
    バーチャルリアリティの中での戦闘が、
    現実の戦争行為となるまでになっています。
    そうすると、人の痛みなど知る機会がなくなってしまいます。
    殲滅的な作戦が平気で敢行される時代。
    ヒューマニズムなど、国家の必要の前では完全に無視される時代。
    政府や東電が福島原発事故の罹災者の気持ちなど平気で踏みにじる時代。
    国家のためには個人は平気で犠牲にされてしまう時代。

でも、これは、人類の精神史上、何世紀もの後退を意味するのです。
つまり、まさに人類は暗黒時代へと突入しようとしています。

    こうなると、高邁な理念、理想を心の中にしっかりと育むことこそ、
    高い人間的文化を育てるための絶対的前提となりつつあります。

    企業への献身に心身をすり減らして、
    帰宅して、「めし」「風呂」「寝る」だけで夜を迎えるようでは、
    次第に心はひからびてしまうことでしょう。

私は孫のプリンスが2歳になったばかりの出来事を忘れられません。

    まだほとんど片言をしゃべりはじめたばかりなのに、
    血相を変えてやってきて、絵本の開いた頁を私に見せました。
    消防団のはしご車の伸びた梯子の天辺に居る団員が、
    マンション6階のベランダにいる小さな女の子にむかって、
    かなりの距離から大きく手を伸ばして助け出そうというシーン。

    孫はこの女の子を指差して、目をまん丸く開いてこう言ったのです、

        「こわいなあ、こわいなあ..........」

    それから、そそくさと台所に居た私の妻のところに行って、
    妻にも絵本を指し示して、

        「こわいなあ、こわいなあ..........」

私がそのとき感じたのは、

    ああ、この子は人のいたみ、気持ちをもう理解できるんだ!
    そして、もう一つ、
    この子は絵を見て、現実を想像することができるんだ!
    絵のなかの子供を見て、
    現実の子供の感情を感じることができるんだ!
    つまり、シンボルを正しく読む能力が育ちつつあるのだ!

    孫たちには人間らしい情けのある心を持つ人間に育ってほしいものです。

これができない人が大人にもときどき見かけます。

    このような人は、人がどうであろうと、
    我がもののように同情することなどできません。
    でも、思うに、こんな人も子供の頃はそうではなかったはず。
    
社会が構成員から人間らしい感情をはぎ取って行くとすれば、
    そんな社会は人間の社会ではありません。
    生物の社会でもない(近頃、捨てられた赤ん坊を
    猫が暖めて救ったというニュースがありましたね)。
    ロボットの社会ではありませんか?

言葉、シンボルを読む力が人間の文化を守っているのです。

    マスコミ、ネットの情報に闇雲に頼るのをやめなければなりません。
    私たち一人一人が、自分の頭で物事を考え、判断する力を養う、
    それが未来の人間社会を築く礎になる、
    私はそう信じます。




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by hologon158 | 2015-01-23 22:18 | ホロゴン外傳 | Comments(0)