576.00 古玉画帖2「ダルメイヤー25㎜F1.9と一緒に、梅田曾根崎の巷で夢を見た」
時々ふっと思うことがあります。
「私はアーチストです」
そう堂々と宣言する方が居ます。
でも、だから、アーチストなのでしょうか?
どうもそうとも言えないようです。
たとえば、良寛さん。
今は評価が高まるばかりで、
書道史上屈指の書家と認められるまでになっています。
でも、生存中はどうだったのでしょう。
字のうまいお坊さん、その程度だったのでは?
ご本人は、自分が偉大な書家であるなんて、
けっして思わなかったはず。
でも、それだからこそ、黙々と書を書き続け、
優れた仕事を積み上げることができたのではないでしょうか?
シューベルトもゴッホもモジリアニもそうでした。
現代は、すべてがビジネスと化しつつあります。
つまり、アーチストは金儲けの道具となってしまいかねない。
畏友のRAさんが面白いことを言っていました。
包丁を砥石で研ぐとき、かなり力を込めて研いでいたのだそうです。
ところが、けっして切れ味がよくならない。
近頃、羽のように軽く、脱力した状態で研ぐように、
研ぎ方を変えました。
けっして力を込めないで、そっと羽のように柔らかく擦りつづける。
すると、包丁はまるでカミソリのように鋭敏な切れ味になるそうです。
無理をしない。
力を抜く。
これが肝心。
でも、マスコミに乗ってしまったアーチストたちには、
それが段々と無理になっていきます。
大衆の見守る中でなにかアートを仕上げなければならない。
お金をもうけたい。
夢の豪邸を造りたい。
そんな精神構造でアートなど生まれるのでしょうか?
生まれるのでしょう。
でも、そんなアートって、
本当に時代を超えて生き残れるでしょうか?
どんなものであれ、アートとは無関係の人生を送る私が、
その代わりに選んだのがレンズ遊び。
十画帖に仕立てて遊んでいますが、
いかなる意味でもアートとは無関係。
でも、なんだか、ほくほくとご機嫌になれます。
by hologon158
| 2015-02-20 11:33
| 古玉画帖
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