わが友ホロゴン・わが夢タンバール

615.02 ホロゴンデイ148「2015年9月9日ホロゴンは中崎町を縦横無尽」2 菩薩の背



「白鳳」展での薬師寺月光菩薩との出会い、
この体験を通して知りました、
存在を輝かせるには時と場所が必要であることを。

ドラマや映画で、時として主役を食ってしまうわき役がいます。
わき役にはこれでいいのですが、
本体のドラマ、映画がときにはぶれてしまいます。
主役がしっかりと主役を演じ、わき役が主役をサポートしてこそ、
一つのドラマが浮かび上がります。
オペラでヒロインが最大の山場のアリアを歌っている最中に、
背景をわき役がにたにたしながら通り過ぎるようなものです。

薬師寺の薬師三尊像は主役の薬師如来が猛烈な存在感で聳えます。
脇侍の日光、月光はわき役の役割を忘れていません。
でも、宗教上の意味合いではそれでよいのですが、
私のような無宗教の人間には、それではおもしろくない。
薬師如来がわき役たちの存在感を食ってしまっているという感じ。
私にとって、どうも如来様たちは
あまりにも押し出しが良すぎるという感じがいつもあります。
細面の如来様って、居ませんね。
私の趣味としては、申し訳ありませんが、ちょっと幅がありすぎます。

「アラビアのロレンス」で、
ロレンスを演じたのはピーター・オトゥール。
まだ新進の劇俳優でした。
細面で、痩身、全身剣のような戦士の剛胆を備えつつ、
ナイーブで繊細な詩人であり、探求者であるという雰囲気でした。
彼が煙草に火をつけた後、
マッチの立ち上る炎をしゅっと吹き消した瞬間に、
大スクリーンはバンと一面の砂漠に転換するシーンは
今でも忘れることができません。
あれが肥大した後のオーソン・ウェルズだったら、どうでしょう?
あれだけのショック効果はなかったのでは?

仏教芸術では、むしろ観音様、菩薩様の方がずっと魅力的、
そう感じるのは私だけでしょうか?
月光菩薩は本当は主役を務めることのできる存在、
それなのに、脇役を務めるから、
主役の如来様がいやが上にももり立てられるという状態。

でも、国立博物館では主役でした。
頭を凛ともたげて、すっと立つ、余裕に満ちた風情の姿は、
まさに時と所を得て輝く存在感に満ちていました。
そんな存在感の一つの支えとなっているのは、
周囲どこから見ても完璧な立ち姿であることでした。

とりわけ背中の美しさは特筆ものでした。
薬師寺建立以来、
月光菩薩様のこの背中を見る機会を得た人は居たのでしょうか?
時折りのお身拭いの僧侶たちだけではないのでしょうか?
そんな僧侶たちにしても、間近で拭う仕事に忙殺されて、
離れて、その美しさを味わうなんて余裕はないので、
私たちが展示室で拝み見れたような雰囲気ではなかったでしょう。

そんな意味で、今回の展示は、
日本を代表する偉大な仏教芸術を純粋に等身大で嘆賞できる、
稀に見る機会だったのかもしれません。




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by hologon158 | 2015-09-20 22:30 | ホロゴンデイ | Comments(0)