わが友ホロゴン・わが夢タンバール

615.05 ホロゴンデイ148「2015年9月9日ホロゴンは中崎町を縦横無尽」5 写真は消え去るのみ



9月21日月曜日、祝日だそうです。
私は人間が好きですが、人間が嫌いです。
一人一人の人間に向かい合えるときは好きですが、
たくさんの人間となると、我慢ができない。

これは子供の頃からのはっきりとした傾向でした。
一緒に遊ぶのは、少なければ少ないほど良い。
人と遊ぶなら、二人がいい。
でも、自分一人だったら、もっといい。

私の趣味はすべて一人で楽しむものばかり。
碁も将棋も麻雀も、ゴルフもテニスもなんにもしません。
マラソンは一人だけど、人と一緒に走ります。
競争がまた大嫌い。
はっきり負けるのが嫌いだからです。
人に評価されるのはさらに嫌い。

写真展も幾度かしましたが、
これは仲間と写真展を作り上げていく楽しみがあったから。
いざ写真展になったら、自分の写真はそっちのけでした。
自画自賛は好きですが、自己陶酔は大嫌い。
自分の写真をけなされるのは大嫌いですが、
自分の写真を賞賛されるのも好きではありません。
等身大で生きたい。
うぬぼれたり、思い上がったりなどしたくない。

憲法違反の法案を、猛反対を押し切って成立させた途端に
ゴルフを楽しむ首相のように、
人の神経を平気で逆なでするような、
無神経でおごり高ぶった人間にはなりたくない。
「奢る平家は久しからず」の教訓なんか知らないのでしょう。
「実るほど頭を垂れる稲穂かな」の句も知らないのでしょう。
狭い了見で物事を取り仕切る人間ほど怖いものはありません。

私はそんな風にごり押しをすることもなく、
生きて、それから消える、そんな人生を選びたいですね。
もしかすると、私は老子の系譜に連なる人間なのかもしれません。

昨日、写真家吉田正さんの写真教室で印象的な言葉がありました。
「自分は死んでも、写真は残る」
私は彼の写真集を3冊大切にしていますが、
本当にその通りの傑出した作品群です。
カルティエ=ブレッソンやユージン・スミスの系譜に連なる真の写真家です。
ある種のドキュメンタリー、記録でありながら、
その写真群は傑作に満ちている、そんな写真家。

森山大道の後期の作品群は、一枚一枚は楽譜の音符と化して、
そのような切れ味、深みはなくなりました。
私はそんな音符たちが生み出す調べが好きではありません。
一枚一枚深い意味を秘めた作品群が一つの深遠な世界を作り上げる、
そんな写真家の方が好きです。

そのためには身を削り、心を絞る人生でしょう。
偉大な芸術家はみんな一緒です。
私は芸術家の辛苦の所産によって心を豊かにさせてもらっているのです。

自分の写真は、そんな芸術のレベルとはまったく違うレベル、違う意味。
生きる行為であり、歩いた足跡であり、
私の足が浅瀬を渡りながら上げる水しぶき、
それが、写真。
全部消え去っていきます。
「自分が死んだら、写真は消え去る」
消え去らない写真を撮りたくないのか?
そう尋ねられますと、躊躇なく答えますね。
「撮りたくないですね。」
そんな苦労なことはしない、というわけです。





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by hologon158 | 2015-09-22 23:01 | ホロゴンデイ | Comments(0)