わが友ホロゴン・わが夢タンバール

620.13 ホロゴンデイ152「2015年10月31日ホロゴン15㎜F8UFが京東山へ」13−完ー法悦境

私が京都のコンサートに行った日、
妻もコンサートに出演していました。
奈良で開催された第九の演奏にソプラノパートで参加したのです。

帰宅すると、すでに帰宅していました。
「どうだった?」
「ものすごい名演だった!
昨年よりずっと出来がよくて、
バリトンの三原剛さんがアンコールで出たり入ったりしながら、
ずっと合唱団に拍手され続けたほどだったよ。
あなたも観るべきだった!」

ご遠慮もうしあげます。
私は第九がきらいなのです。
長すぎ、おおげさすぎるのも嫌い。
独唱も合唱も、ベートーベンは楽器として扱っていて、
声楽としての豊かな味わいがぜんぜんないのが嫌い。
とくにソプラノは超高音をヒステリックに歌わされ続けるのが嫌い。
要するに、性があわないだけですが、
いくら奥さんが出演しているからと言って、
性があわないものにつきあわされるのはたまったものじゃない。

妻の話では、指揮者がゲネプロでこんなことを強調したそうです。
合唱のどの部分でも、各声部は見事な和音となっている、
だから、うつくしい響きが出る。
みんなでいくつか和音を歌ってみて、それが実感できた。
あなたも、こんな勉強をすべきだ。

私、波風を荒立てないように、指摘するのは差し控えましたが、
それって、当たり前のことですね。
現代音楽でことさら不協和音で音楽を作るようになるまでは、
すべての音楽が、民族音楽も含めて、
それぞれ特有の和音はありますが、
すべて同じ。

指揮者はこんな風に素人合唱団員に手品をやってみせて、
心をつかむコツを知っているというわけです。
アンドレ・プレヴィンも笑いながら打ち明けていました、
「初めてのオーケストラのリハーサルでは、
いきなり、クラリネット、今音がちょっと下がった、
なんて、やります。
下がったかどうかはどうでもいい。
それだけで、楽団員、ぴりっと奮い立ちます」
これと同じ手法。
だから、第九を聴きにきて、と言われてもねえ。。。。

私という人間が下手物嗜好なのかも知れませんが、
私の心にぐっと食い込んで、
私をどこか虹の彼方に連れて行ってくれるのであれば、
演歌でも民謡でもカントリーでも、なんでもよいのです。
音楽に貴賤上下の区別などありません。

でも、妻の次の言葉は気にかかります、
「ホール一杯になにかわっと爆発したように広がり、
私の声はその中に吸い込まれていく、そんな感じだった。
そんなの初めて。
なにか別の宇宙にワープしたみたいだった」
去年には出なかった言葉。
驚きました。
第九って、演奏者側にとってはスペシャル、
宗教的法悦、陶酔の世界なのかも知れません。

昔、ロンドンのウェストミンスター寺院でミサに行き合わせ、
合唱とグランドオルガンが一体となって、
徐々にフォルテッシモにクレッシェンドしていったとき、
まさにそんな感じでした。

第九はこれが最後、そう言っていましたが、
この調子じゃ、また来年も第九の参加しそうな気配。
ちょっと怖いですが、
ちょっと羨ましい感じもあります。
私は法悦の境地とはまったく無縁なので。




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by hologon158 | 2015-12-02 11:41 | ホロゴンデイ | Comments(0)