わが友ホロゴン・わが夢タンバール

627.04 ホロゴンデイ155「2015年12月19日ホロゴン15㎜F8Mが梅田巡歴」4 ロボグラ認識論



前回、幼児が自己と他者との関係を学びつつあると書きました。
もしかすると、写真もまた別種の認識論なのかも知れません。
目だけではなく、カメラ、レンズを介しての他者の認識。
ロボグラフィはまさにそんな認識論なんだ、
今更ながらではありますが、私は今それに気づきました。

私のロボグラフィをご覧になって、
たいていの方は初手から躓いてしまいます。
大阪弁で言いますと、
「何や、これ?」
路傍に転がるものたちを、主体である私とは別種の、
主体たりうる存在であると認めることができない。
ただのものじゃないの?
ただの被写体じゃないの?
それをどうしてこんな風に大写しで撮るの?
なんの意味があるの?

あなたがカメラを持って荒野を探検するとしましょう。
古代の遺跡らしき石造物の堆積が見つかります。
エントランスらしい石段があり、
中に入ってみると、平たい石が並んだ平面があり、
周囲はほとんど崩れたり、瓦礫の山になったり。
でも、そこかしこに石柱や壁の残骸もあって、
石に彫り込まれた人工物が顔をのぞかせています。
ハッとするほど美しい女神らしい顔、
亀甲とか流水の文様が彫り込まれた壁、
ドラゴンらしき超自然の生き物の浮き彫りのある柱、
そんなアート的遺物たち。
きっとあなたも夢中になって撮るでしょう。

遺跡にはそれだけではありません。
黒いシミ、緑の苔が残骸、堆積にはびこり、
見ようによっては顔に見えたり、動物に見えたり。
瓦礫の組み合わせがなにか思わせぶりな形を浮かび上がらせたり。
でも、たいていの方はそんなものには見向きもしません。
わあ、気味が悪い!
なにか居そう、近寄らないでおこう!

ところが、ロボグラファーの反応は違います。
そんなものたちにも次々と対面して、
やあやあ、そんなところに隠れていたんだね、
元気にやってるね、などと声をかけながら、撮ります。
ファインダーをのぞいても見えないものが、
写真にすると、なぜか浮かび上がってくるものです。

この違いがなぜ起こるか?
どうやら、人によって連想とか想像をするレンジが異なるようです。
真面目で堅実な人ほど、目の前に来たイメージを、
もっとも基本的なものと結びつける傾向があります。
椅子を見たら、どのような角度であれ、どのような照明であれ、
椅子であると厳然と認識します。
私のような連想や想像を常に働かせる人間は違います。
椅子はときにはお化けとなり、ときにはモニュメントとなり、
ときには宇宙人となり、ときにはアートとなり、
そして、ときには椅子となります。
別に無理しているのではありません。
まず、なにかに見えてしまい、ときには別のものに見えます。

これもまた認識の一種のかたち、
その認識を現実として行動することはできないけど、
その認識を使って、しばし遊ぶことができる道具、
そう考えることができそうです。




c0168172_223610100.jpg
c0168172_2236473.jpg
c0168172_22355852.jpg
c0168172_22355225.jpg
c0168172_22354677.jpg
c0168172_22353699.jpg
c0168172_22353049.jpg
c0168172_22352478.jpg
c0168172_22351753.jpg
c0168172_22351098.jpg
c0168172_223547.jpg
c0168172_22345757.jpg
c0168172_22345146.jpg
c0168172_22344599.jpg
c0168172_2234393.jpg
c0168172_22343395.jpg
c0168172_2234279.jpg
c0168172_22342176.jpg
c0168172_22341535.jpg

by hologon158 | 2016-01-05 22:37 | ホロゴンデイ | Comments(0)