わが友ホロゴン・わが夢タンバール

629.10 ホロゴンデイ156「2016年1月9日ホロゴン15㎜F8UFの近江八幡」10-完-源氏物語



日本の書道史の入門書を読んでいます。
「書の見方」
一つ不思議な言葉を見つけました。
書の大家藤原伊行の「夜鶴庭訓抄」の言葉、
「物語は能書が筆を執るべきではない」が大きく影響して、
平安時代のには、物語を書写した古筆が少ないのだそうです。
鎌倉時代になって、ようやく能書家も物語を書写して、
手許において鑑賞するようなっていった。
「源氏物語」も鎌倉期の藤原定家本が代表的な写本。
(後述する事情があるので、定家が筆写したのは、
やっぱり写本だった可能性が高いでしょう)

でも、それ以前に、有名になっていたわけです。
平安期の物語文学、とりわけ「源氏物語」や
「竹取物語」はどうやって流布したのでしょうか?
石山寺に紫式部が源氏物語を制作した部屋がこれだと、
説明を受けた記憶があります。
どこで書いたにせよ、紫式部はまず原稿を書いたうえ、
自分なり近辺の人なりが紙に丁寧に書き移し、
完成すると、一巻ずつ綴じたはずです。
当時、物語を営利目的で作り出したとは思えませんから、
紫式部がこうして完成したのはたった一冊でした。
でも、とにかく当時は手書き以外には、
文章を他人に読ませる手だてはなかったわけです。
だから、書写したことは間違いがない。

おもしろいとわかれば、誰もが自分一人で読みたい、
親しい友にも見せてあげたいと思って、
喜んでコピーを作ったことは疑いがありません。
はるか後代の江戸時代でも、杉田玄白も福澤諭吉も
自分では購えない貴重な洋書全部をせっせと筆写したのですから、
平安時代にも同じことをしなかったはずがありません。

ちょっと話が逸れますが、
日本の奇書中の奇書が、沼正三『家畜人ヤプー』
濡れたように耽美的で精緻極まりない文体、
その根底に古今東西の古典への深い知識、
とにかくこの著者はただ者ではありません。
そこで、著者の正体が謎。
日本を代表すると言える程卓越した裁判官のペンネームだ、
というすっぱ抜きが流れたことがあります。
ご本人は断固否定して、未だに解決していません。

その裁判官が、稀覯本のサド小説を所蔵する人物を尋ねて、
フランス語だったかドイツ語だったか忘れましたが、
所蔵者に懇願して、
その本を全部筆写したという話を所蔵者が明らかにしました。
まだ、青焼きしか、コピーがなかった時代です。
稀覯本を青焼きするなんて考えられない。
でも、筆写までするというエネルギーは凄いですね。
筆写しかなかった時代の習慣が昭和まで残っていたわけです。

話を戻しましょう。
「源氏物語」はコピーのコピーが重なって、
かなりの量が流布したはずです。
「枕草子」だって、清少納言は、かなりの自信家ですから、
才女ぶりを当時の宮廷社会に誇りたいが故に、
あれだけの才気走った名文を陸続と生み出したのはないでしょうか?
「香鑪峰の御簾を掲げる」エピソードは、
清少納言のそんな性質を如実に物語っています。
彼女がエッセイを書き記すたびに、同輩がこぞって、
流麗な仮名文字を使ってこれを書写したことでしょう。

そして、思うのですが、
「源氏物語」や「枕草子」の当時の読者たち、
主に名門の宮廷、邸宅の女房たちと、
貴族の一門たちだったことでしょうけど、
写本をちゃんと読めたし、ちゃんと理解できたのです。
私には半分も(いや、せいぜい3分の1かな?)理解できないのに!
当時の文化の中ではふつうに理解できる言葉だったのでしょうけど、
紫式部も清少納言も漢籍の文章を下敷きに書いたり、
会話文のなかにこれを織り込んだりしています。
言葉そのものの理解も含めて、
当時の文学的素養、文化の高さを考えさせます。

これらのことを考えると、
一連の推論が成り立つようです。

①「源氏物語」や「枕草子」の写本を平安期に作成したのは、
いわゆる能書家ではなく、女房、女官たちだった。

②女房、女官たちにも能書家はいたはずですが、
能書家として世に認められた人は大変に少ないようです。
男性ばかりが字がうまかったはずがないから。
でも、能書家と認められるためには、
社会的地位のある男性でなければならなかった。
このあたり、歌人たちとは違う状況があったのかもしれません。

③そうすると、書は、歌よりも一段と高い条件、すなわち、
漢籍を初めとする高い教養を備えるべきものとされていた。

④でも、紫式部や清少納言も、
かなり高い教養を身につけていたことは文章から明らかです。
紫式部は、父が兄を教える場にいつも同席して、
兄を凌駕する賢さを見せて、
「妹と兄が逆だったらよかったのに」と、
父を嘆かせた逸話は有名ですね。

⑤ということは、紫式部たちはあくまで女房だったので、
識者とは認められず、たとえ、どんなに達筆であっても、
能書家に数えてもらうことはできなかった。

⑥だから、執筆者自身のいわばオリジナルも、
女房たちが盛んに筆写したものも、
いわば消耗品扱いで、大切に保管されることがなかったために、
どちらも幾度も重ねて写本されたものだけが幸運にも残された。

両書とも、女官が書いたということで、
地位の高い男性たちは読まなかったでしょうか?
そんなはずはありません。
どちらも読まずにはおれないほどの豊かな文学なのですから。
でも、読んでも、これを優れた書物であるなど言いたてたら、
馬鹿にされたのかも知れません。

うろ覚えですが、「紫式部日記」に一つ話が残されています。
道長に「源氏物語」のオリジナルを強引に奪い取られた。
そうなのでしょう。
でも、それは優れた文学を読みたいためではなく、
光源氏のモデルは道長であるという噂を知って、
どれ、ほんとかどうか、読んでみようか?
自分は人からどんな風に思われているのかな?
という、単なる好奇心からなのかも知れません。
このオリジナルはついに紫式部のもとには返ることなく、
消えてしまいました。
道長が「焼いてしまえ」と命じた可能性も考えられます。
唐の太宗が収集した王義之の書を、
全部自分の墓場に持って行ってしまったのは、敬愛するが故。
道長かそれともその跡継ぎの誰かが源氏物語を廃棄したのは、
源氏物語を嫌ったか、値打ちがないと思ったか、
太宗よりかなり低劣な理由からでしょう。

世界文学史上最高のレベルに位する、
世界最高の文章家の一人である紫式部が、
シェークスピアほども高い名声を得ることなく、
各時代の人々の熱い関心をよぶこともない理由は、
日本語で書かれたという事実にありますが、
日本人自身が源氏物語に全然関心を持っていないのですから、
世界に喧伝される可能性そのものがとても乏しいわけです。
これはとても恥ずかしいことだ、私はそう考えています。




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by hologon158 | 2016-01-26 16:41 | ホロゴンデイ | Comments(2)
Commented by korekazu at 2016-01-26 16:59
一つ一つの被写体は奇異なものなど何一つ無いのにどの作品も一種独特のムードに包まれていますね。
これはやはり光の扱いが巧みでそのブレない技術技法が一貫してるかと考えてみたりしています。

「源氏物語」は高校の国語の授業で読んだだけで、まともに読んだことがありませんf^_^;
Commented by hologon158 at 2016-01-27 01:22
korekazuさん
ありがとうございます。
でも、買いかぶりです。
私はなにも考えていません。
ノーファインダーなので、どう写るかも予期、予見できません。
だから、写真のこと、撮影のことは一切頭からぬぐい去って、
ただ撮りたいものが自分の心にかなうかどうかだけ考えて、
それをど真ん中に置くだけ。
ピントを合わせる写真も実はまったく同じ。
ピントを合わせるだけで、構図は一切考えません。
だから、私の写真は実は以前からあまり評判がよくないのです。
ブログを遡られたら、分かりますよ。
korekazuさんのように私の写真に関心を持つ人は、ほとんどいませんよ。
でも、自分の人生、自分の写真です。
自分の撮りたいように撮りたいですね。