わが友ホロゴン・わが夢タンバール

630.06 ホロゴン外傅157「2015年1月9日ペッツヴァールが近江八幡をさらりと」6 自撮り



自撮り棒というのがありますね。
中国人旅行者が使っているのを見て、知りました。
中国の発明なのでしょうか?
感心することは、実はその自撮り棒ではありません。
旅先で自分を撮るという行為。
自分の顔、姿を写真で確かめて、きゃっと喜ぶ人たち。

これが私には分からない。
ちょっとおかしいんじゃないか?
そう感じてしまいます。
まして、カメラに向かってニッコリ、なんて、
絶対にできません。
笑顔を作ったことがない。
笑いたいときにか、笑わないのですから。
私は変わっているのでしょうか?
だから、知らぬ間に撮られてしまった写真をもらったりすると、
歩行者にかってに自分の写真を撮られてしまった、
三億円犯人のような表情をしてしまいます。

しかし、どうやら80パーセントほどの人は喜ぶようですね。
私の家族も、私以外は全員喜びますので、
実のところ、90パーセントの高率。

写真を人からもらうと、捨ててしまいます。
家族が撮って保存している以外、私の写真はほとんどありません。
多分私の方が自意識過剰なのでしょう。

ところが、そんな私が近頃洗面のときに、
熱心に鏡をのぞき込むようになりました。
いやですねえ。
老いの兆候を探している!
というのは、この一、二年、久しぶりに出会う知人が、
ほとんど例外なく、猛烈に老いて見えるようになったからです。
たいていの場合、ちょっと、あるいは大幅にしぼんでしまった、
という感じ。
親友のDAさん(この人はまったく変わりません)、
電車内で「やあ! DAさん!」と声をかけられて、
振り向いたのですが、しばらくの間、
そこににこにこしている人物が誰なのか分からなかったそうです。
数年ぶりに出会ったその人物の顔がすっかり変わっていたからです。

歳をとるにつれて老いるのはやむを得ないことです。
でも、その速度が問題ですね。
その原因も問題です。
人が亡くなった途端に、指紋が消えてしまう、
と聞いたことがあります。
そのことから推測してみますと、
人間は一つのオーガニズムとして、
完全なコントロール下にあるんだけど、
そのコントロールが次第に緩み始めているのでしょうか?

このコントロールは心と体の両面で行われています。
とすると、心と体の両面で、
コントロールを強化するように努力すること、
これしかありませんね。

もちろん、だんだんと衰えて行くのはどうしようもない。
ロックだったかが言った「Perpetual Perishing」こそ、
宇宙のプロセスなのですから。
でも、私は絶対に抵抗したい。
私が考えるに、心身両面で、無為こそ敵です。
どちらも絶えず動かし、働かせること、
これがエクササイズです。

私が近頃オーディオシステムの前に座って、
音楽に耳を傾けることをしなくなったのは、
たしかに音楽を聴く行為は心のエクササイズになるのですが、
体のエクササイズにはならないからです。
目を覚ましている限り、心身どちらも同時に動かし続けること、
これが正しい方法だ、そう考えているからです。

たしかに水泳やマラソンは心身両面のエクササイズになるでしょう。
でも、私は体育系の人間じゃないので、そんなことはしたくない。
溺れるエクササイズなんて、したくないですね。

写真を撮ること、
楽器を学ぶこと、
そして、
ブログの文章を書くこと、
これが私の近頃お気に入りのエクササイズ。

篠田桃紅さんのように100歳を越えて現役でがんばっておられる方に
共通するところは、目の力ではないでしょうか?
目に心身の力、エネルギーが現れています。
もしかすると、永遠を見つめているのでしょうか?
それとも、憧れを失っていないからでしょうか?
変化をおそれないこと、これだけは確かです。
どこかに安住してしまったら、終わり。

退職者が突然緩んでしまう現象があります。
自分の人生は終わった、そう感じてしまう方に、
そんな現象が起こるようです。
とんでもない、職業はただの衣服に過ぎません。
それなのに、それを本質と思い間違っている。
以前も、電車内の老人二人、たがいに部長と呼びあっていました。
退職時部長だった人は死ぬまで部長なのでしょうか?
笑ってしまいました。

私は、極端ですが、自分の職業生活のことなど一切思い出しません。
脱ぎ捨てた下着のことを、あなたいつも思い出していますか?
ちょっと比喩が悪いかもしれません。
昔、持っていたけど、すでに売ってしまったダイヤモンドのこと、
いつも思い出していますか?
昔来ていた素敵なコートのことを思い出すことがありますか?
もちろん思い出さないか、思い出しても、考えるでしょう、
「いや、忘れよう、昔のことなのだから」
あなたの職業上の地位も同じことです。
今は、あなたとはなんの関係もない。
そのことを悟らなくちゃ。

人の上に立つ身として、あるいは人間としての
矜恃、誇り、志、ノブレスオブリージュを忘れない、
これは正しいことです。
でも、それは今あなたが生きるための糧、基盤としてであって、
昔を思い出し、懐かしむためのよすがとしてではありません。

80を過ぎた哲人アルフレッド・ノース・ホワイトヘッドの姿を
弟子の一人が書きとどめています。
もともと小柄な人でした。
その背もかなり曲がっていました。
でも、頭をしっかりともたげ、ほほえみつつ空を見上げる
その眼差しはキラキラと輝き、とても力強かったそうです。
そんな人間になりたいものです。
いつまでも憧れを忘れない、
それが鍵なのではないでしょうか?




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by hologon158 | 2016-01-31 11:37 | ホロゴン外傳 | Comments(0)