わが友ホロゴン・わが夢タンバール

630.07 ホロゴン外傅157「2015年1月9日ペッツヴァールが近江八幡をさらりと」7 シェークスピア!



近頃、私の心にかなうすてきな言葉を読みました。
「音楽はバッハ、文学はシェークスピア」
まさに!

この二人には他の天才たちと画然と分かつ共通性があります。
誰よりも覚めているのに、誰よりも深い。
明晰そのものに描き出した理性的な世界の向こうに、
神秘と謎に満ちた異界の扉を開く気配を感じさせてくれます。
その創造世界はまさに豊饒の海。
実に多面的、多彩な作品世界なのに、
常にまぎれもない創造者自身の刻印を記している。
この二人はまさに時代を超越した精神と視野を持った創造者でした。

でも、私は彼らが現代に通じると言いたいわけではありません。
いつも思うのですが、そのような表現にはいつも、
現代こそ、そして自分こそ、
あらゆる時代を通じてもっとも広く深い理解力を備えた精神なのだ、
という高慢そのものの自負が頭をもたげていると感じます。
とんでもない浅知恵ではないでしょうか?

時代を経るにつれて、人間の知識は深まり、精神も高くなっていく、
昔の人間は無知蒙昧の泥沼にのたうちまわっていたけど、
現代人はあらゆる点で賢くなっている、
そう信じている人が居るようですが、
まったく根拠のない独断と偏見です。

たしかに科学技術の面ではそのような一面もあります。
でも、それは巨人の肩の上に、
もう少し小さな大男が乗り、
その肩の上に普通の男が乗り、
その肩の上に小さな男が乗り、
さらにその肩の上にもっと小さな男が乗り、
そんな状態が生み出した現象に過ぎません。
(人間の体の大きさが能力の大きさに比例するような比喩で
申し訳ありません。これは有名な比喩のパロディなので、
ご容赦ください)

むしろ、人間の器はどんどんと矮小化しつつある、
精神や才能はどんどんと劣化している、
それが真相ではありませんか?

その証明は実に簡単です。
いまどき、人間は自由だ、平等だ、と信じている人がどれだいますか?
努力すれば、社会はますます良くなり、
世界は平和になる、と信じている人がどれだけいますか?
政治家やお役人たちは国民の福祉と平和だけを目標として、
真摯に私たちのために努力してくれていると、
信じている人がどれだけいますか?
今の政治家たちは昔の政治家たちよりもずっと立派で賢明だと、
信じている人がどれだけいますか?
世界は良い方に向かっている、
そう信じている人がどれだけいますか?
はっきり言っても、誰も信じていませんね。

今時、「少年よ、大志を抱け!」
そう激励する偉人など、どこにも居ませんね。
でも、そう激励されてこと、人間は大きく成長します。
志があるからこそ、それにふさわしい人間に伸びて行きます。
我慢するからこそ、
刻苦勉励するからこそ、
日常、平凡の枠組み、枷をぶっとばすことができる。
日々、欲望のままに生きている限り、
人間は小さくなるばかりです。
自分が日々接する世界が小さくなればなるほど、
人間は小さくなっていくのですから。

苦々しいことですが、今、日本国憲法を信奉し、
その理想の実現のために努力したい、
そう考えている人がどれだけいますか?
そんなものは絵に描いた餅で、
現実は、私利私欲と権力欲に突き動かされる人たちが
権力の争奪戦をしているだけ、それが日本である、
そうわかっている人か、なんらかの理由でそう考えたくない人か、
そのどちらかだけ、これが現在の日本人、人類の到達点なのです。

よくよく考えてみると、人類の歴史って、
大筋ではずっとそうだったのです。
でも、まだ、希望はありました。
理想主義者はいたし、人間が努力すれば、
ある程度は世界になにかをもたらすことができる、
そんな時代が続いていたからです。

でも、経済が世界全体を支配する一方、
人口は極大に達してしまった現代において、
経済力と軍事力が政権とマスコミの両方を掌握して、
大衆を完全に支配する構造ができあがってしまいました。
金力にものを言わせる寡頭政治の時代、それが現代です。
大衆はますます蟻と化しつつあります。

このような世界では、芸術の温度は絶対零度に近づきます。
人間が矮小化してしまい、
バッハやシェークスピアら巨人が生まれる余地はぜんぜんない、
私はそう思います。
バッハもシェークスピアも時代に隔絶した精神と頭脳でした。
でも、彼らを理解できる人たちも居たのです。

たとえば、シェークスピア。
現代の精神病理学、心理学がさまざまに解明を重ねてきた
深層心理、人間の精神構造を彼はなぜか理解していたのです。
そして、さらに驚くべきことは、
シェークスピアは環境、地位、歴史などが、
人間をまるで違った責任感、思考の存在に変えることまで知っていました。
彼のドラマでは、さまざまな階層の人たちが
まさにその階層の制約を心底帯びた状態で活動し、
生き、そして死んでいきます。
一介の芝居の台本作者が、たとえば、王様の心理、行動、言葉を
どうやって知ることができたのでしょう?
「ジュリアス・シーザー」の中で、
シーザーもアントニーもブルータスも、
まさに等身大のいかにもそれらしい個性の存在として苦闘します。
英国史を彩った人々も、彩らなかった人々も、まさに上から下まで
あらゆる階層の男女たちが登場しますが、
その圧倒的な実在感も奇跡的。
イギリスの高等教育を受けていない台本作者に過ぎなかったとしたら、
どうしてそんな人間観や知識を得たのでしょう?
当時、プルタルコスの対比列伝は英語に翻訳されていたのでしょうか?
海外に行ったことのないはずの一介のイギリス人平民が、
デンマークだ、イタリアだ、ギリシアだ、ローマだと、
さまざまな時代の諸外国の人間たちの思考、行動を
どうしてそれらしく創造できたのでしょうか?

私は、シェークスピア劇の作者が、
なんの教育も受けていないただの庶民だったなど信じていません。
彼は次の3つの可能性のどれかだった、そう信じざるを得ません。

① ギリシア史、ローマ史にも、そして、
さまざまな階層の人間の生活、振る舞い、信条等の精神構造にも
通暁する、最上級の学問歴を持つ、最高級の知識人だったか、

② それとも、聞きかじりの断片的な知識だけでも、
さまざまな時代、社会、階層の人間たちを想像し、理解し、
リアルに再現できるだけの奇跡的な想像力の持ち主だったか、

③ それともその両方の融合だったのか?

でも、②と③はほとんどありえない奇跡。
なにもないところから、現実を想像することはできないからです。
だから、私としては①の可能性を強く推したいですね。
シェークスピアは、当時、どころか、歴史上でも、
最高の知識人、
思索者、
詩人、
作家、
そして創造者だった。




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by hologon158 | 2016-02-01 12:00 | ホロゴン外傳 | Comments(0)