わが友ホロゴン・わが夢タンバール

639.03 ホロゴン外傅162「2016年5月16日真打ちスピードパンクロ50㎜郡山参上!」3 一種の神話



ちょっとしたきっかけがあって、
以前に呼んだ空海への関心がよみがえり、
彼の語録を書棚から下ろして読み始めました。

序文に、空海という人とその思想はとても深遠で、
つかみがたい大きさがある。
さしもの司馬遼太郎も「空海の風景」で、空海をつかみきれず、
周辺事情を描くにとどまってしまったという趣旨の文章がありました。

私は別に司馬遼太郎ファンではありませんし、
この著者は、司馬遼太郎にはできなかった空海という人間の
まったき理解を果たし得たという気概、自負心から、
司馬遼太郎を見下したとまでは思いませんが、
でも、かちんときました。

空海ほどの人物でなければ、
かなりの程度までその人物の内奥、深淵を見渡すことができるんだけど、
という暗黙の大前提があるように思えたからです。
このような前提はおおっぴらにまかり通っている感じがします。
目利きが観れば、たいていの人間の人間性、精神の奥底まで見通せる!
このような目利きによる洞察的鑑定は、
実のところ、検証不能なのに、かなり信用性を獲得しているようです。

でも、これは完全な当て推量、憶測、憶断にすぎません。
むしろ検証不能だから、生き延びている一種の神話です。
もちろん多くの伝記作家や歴史小説家はこの神話にのっかって、稼いできました。
むしろ真相は逆で、誰にも他人を完全に理解することなどありえません。

カール・ヤスパースはさすがに大哲人です。
「どのような人も、常に、自分が理解し、人が理解している以上の存在である」
「どのような人も」なのです。

まして、偉大な人間になると、
私の揚琴伴奏の師匠である二胡演奏家陳少林先生が言った言葉が当てはまります。
「私は生徒さんたちよりもテンポが正確です。
だから、分かります。
小澤征爾先生は私よりテンポが正確です。
だから、私がずれたら分かります。
でも、私は小澤征爾先生のテンポがずれても分かりません。」

まったく同じことが人間の理解にも言えそうです。
私たちは自分よりも小さな人間のことならかなり理解できます。
でも、自分より大きな人間のことは分かりません。
自分より深い人間のことは分かりません。

空海はそんな大きさ、深さを備えた、空前の人物の一人です。
その空海に出会って、直接空海の人生に立ち会わないで、
空海のことが分かったなんて、言うのは、ナンセンスですね。

こんな風に考えると、人を理解しようとしたり、
ほめたりけなしたりするときも、
自ずと限界があることを忘れないようにしないと、
とんでもない誤解をしてしまうおそれがありそうですね。





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by hologon158 | 2016-05-28 23:34 | ホロゴン外傳 | Comments(0)