わが友ホロゴン・わが夢タンバール

654.02 ホロゴン外傅172「2016年7月27日マクロスイター26㎜で吉野を駆け抜けた」2 化粧を落としたら?



先日、奈良教育大前の交差点に停車したバスから眺めていると、
歩道をさっと駆け抜けて、大学に吸い込まれていった自転車の女性、
とても美しい横顔でした。

でも、フッと感じたのです。
化粧を落としたら、どうなんだろうか?
かなり印象が違うんじゃないだろうか?

昔の化粧は美しさを引き立てる役割でした。
今は化ける道具なんじゃないか?
そのせいか、日本の映画スターたち、みんななんだかそっくりさんで、
私には区別が付きません。
そんな疑いを感じてしまいます。

ハネムーンのホテルの朝、
はじめて化粧を落とした新婦の顔にお目にかかって、
「わっ、失礼しました!
ルームを間違えました!」
なんて口走って部屋を飛び出してしまう男性がいるのでは?
そんなことを真剣に疑ってしまいます。

私の見方が意地悪すぎるのでしょうか?
私には女性の気持ちなど想像もつきませんが、
男性として思うに、化粧なしの普段着の女性が、
化粧をしてイブニングに着替えて美しく見えるのは当たり前。
逆に、普段着に着替えて、化粧を落としたときに、
美しい人が本当に美しい、そう思うのですが........

化粧の理想は、名前とは裏腹に、
化けるものではなくて、
美しさを補完するものであってほしい。

私の孫プリンセス2人は2歳と1歳、
まだ赤ん坊卒業したばかりの女性たちですが、
限りなく美しいですね。
肌そのものが滑らかに輝いているせいもありますが、
その表情がひときわ輝くときがあるからです。

どんなとき輝くでしょうか?
新しいものを吸収したとき、
心の底からうれしくなったとき、
なにか自分から人生最初の冒険をしてみたとき、
そんなときです。

よく考えてみますと、
女性が本当に心の内から輝きを見せるのは、
どんな年齢になっても、そんなときなのではないでしょうか?
本当の若さを決めるのは、外観の若さではなくて、
心の若さなのではないでしょうか?

だからと言って、無理矢理新しいものに挑戦しようと努力しても、
かなり背伸びしていて、無駄な感じがします。
心の奥底から湧いて来る関心、興味、志を素直に延ばしつつ生きる、
そんな人が美しいのではないでしょうか?

漫画「じゃりン子チエ」で、
絵の先生から「のびのびと書きなさい」と言われて、
無理矢理「ノビノビ、ノビノビ」と絵を描こうとして、
かえって萎縮している優等生を後目に、
本当に絵を描くのを楽しんでいる、劣等生の女の子の方が
遙かに生き生きとした絵を描けるのに似ています。
もっとも私のこんな考え方に同調する人って、
今ではほとんど居ないだろう、私はそう感じています。

一つ質問。
デジタルカメラ愛用者のあなたに尋ねましょう。
① 画像設定を、解像度を最低に落としたり、
シャープネスやコントラストをデフォールトから低い設定に移していますか?
② 銀塩時代のフィルム写真よりも
デジタル写真の方が色や精密感が格段に向上したと感じていますか?

①にはno、②にはyes、
こう回答する人が95パーセントでしょう。
①にはyes、②にはno、
こう回答する人は1パーセント、
残りの4パーセントはケースバイケースという回答に収まりそうです。

そこで、私は95パーセントの方にこう申し上げたいのです。
あなたの選択、生き方をどうこう言うつもりはありませんが、
そんなあなたが私のブログに来るとしたら、
私にはそのお気持ちはとても理解できませんね。
私の写真は、デジタル移行後もひたすら銀塩画質が夢。
残念ながら、どのカメラも、すべてのパラメーターを最低にしているのに、
なお、デジタル画質で、ときどきイライラさせられますが、
少なくとも、ツルツルピカピカではありません。

題材がフォトジェニックと言えるレベルを遙かに下回る、
まさにアンチフォトジェニックのレベル。
しかも、意味不明のロボグラフィがバンバンと出現します。
これらは、私にとってはイマジネーション・ゲーム。
眺めていると、さまざまなイメージが万華鏡のように浮かんできます。
肉眼でなにかを感じるから撮りますが、
私の古代レンズたちがさらにこのイメージを、幽玄な魔術で、
不可解な遊びに満ちた幻影に作り替えてくれます。

私は撮影後、いつも撮影画像をチェックするわけではありません。
とくにノーファインダーで撮るときは、
ピント合わせを必要としないので、
撮影時に腰だめで撮る関係で、
液晶は確認せず、かつマイナス1.5程度に落としているので、
撮影後も液晶画面ではよく見えないので、
撮影結果もノーチェック。
帰宅後もマックに数百枚取り込んだ後は、
時間がないので、満足に開いてみないのが普通です。
数週間後、もしくは数ヶ月後にブログの順番が来たときにようやく見ることが多い。
「やあやあ、初めまして!
わあ、こんなロボグラフィが撮れてたのか!」
と、新鮮な喜びを味わいつつ、ブログ記事を作っています。
つまり、私のレンズたちが撮ってくれた画像の最初の鑑賞者が私というわけです。

すべてが場所とレンズと時間の相乗効果が生み出してくれたプレゼント。
いつも書いていますが、「自分の写真」だと思わない。
というより、思えない。
プレゼントって、いつなにをもらっても、
うれしいものじゃありませんか?
しかも、「役人の子はにぎにぎをよく覚え」ではなく、
すべて無償のプレゼントなのですから、
喜びは純粋そのものなのですから。
だから、写真の趣味が永続し、
どんな写真も私に人生の喜びを与えてくれるのです。

私の写真をつらつら眺めて、
「どこがプレゼントなの?」
そう感じるとしたら、あなたはこのブログとは無縁です。
時間の無駄はよしましょうね。




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by hologon158 | 2016-08-24 23:19 | ホロゴン外傳 | Comments(0)