わが友ホロゴン・わが夢タンバール

662.01 ホロゴン外傅178「2016年10月4日アポクアリア28㎜F2の佐保路」5 音楽の力


中国古代の鐘、編鐘の演奏風景を見たことがありますか?
舞台一杯に鐘が並んでいます。
荘重な響き。
2000年以上もの時間を飛び越えて聞こえてくるようです。

論語だったか、なんだったか、忘れました、
孔子が春秋時代の国々の音楽の楽風をさまざまに評価する言葉。
どこの国は重厚であるとか、どこの国は下品であるとか...
このことで分かるのは、春秋の諸国が国ごとに音楽を発展させていたのです。
固定した曲だけではなく、その国の作曲家(おそらく演奏者自身)たちが
さまざまにお国柄に沿った変更を加え、
もしかすると、新しい曲も作っていたのです。

そのことを物語るお話が司馬遷の「史記」にもあります。
始皇帝を暗殺しようとして失敗した荊軻の親友の高漸離。
この人は現代の古琴の先祖と想われる琴の天才でした。
暗殺未遂事件の後、荊軻を派遣した燕の国も滅ぼされ、
荊軻に親しかった人たちも連座して刑戮されてしまいました。
迷惑な話です。

高漸離も捕らえられたのですが、
始皇帝は彼のことを知っていたようです。
才能を惜しんで呼び寄せ、その琴の演奏を楽しんだのです。
この事績からいくつかのことが推測されますね?
何でしょうか?
そう尋ねたら、頭脳明晰なあなたなら、
たちどころに10や20は並べ立てることでしょう。
私はかろうじて、次のことくらいしか思い浮かびません。

①当時すでに音楽は中国全土で、宮廷でも民間でも、
人々の楽しみとなっていた。

②高漸離の弾いていた琴は全国的に普及していた。

③すでに琴の演奏家には優劣があった。
つまり、優劣が現れるほどの難曲がすでに生まれ、
聴衆は演奏や解釈の優劣を評価するだけの経験、素養を積んでいた。

④そうした音楽情報が戦乱の戦国時代末期には全土に伝わっていたので、
文化的にかなり遅れていた西の辺境の地、秦の始皇帝でさえ、
遙か西の果てに住んでいた高漸離のことを知ることができた。

⑤高漸離が当時並ぶものなき名手とうたわれたのは、
演奏技術だけではなく、その演奏する曲のすばらしさも手伝っていた。

⑥高漸離が刑戮されなかったのは、
高漸離の演奏技術が惜しまれただけではなく、
彼が作曲収集した名曲がこの世から失われるのを惜しんだから。

音楽がいつの時代に生まれたか?
明らかではありません。
でも、石窟画に踊る人たちが描かれていることから推して、
数万年前から、まず、歌、踊り、そして、楽器が次第に生まれていった、
そう推測しても間違いではなさそうです。
さらに、祭りが生まれ、祈りが生まれ、さまざまな儀式に進化し、
その間に、音楽は発展進化して、高漸離のような天才を生み出した、
そんな風に考えてもよさそうです。

古典期ギリシアの早熟の天才アルキビアデスが、
子供の頃、笛を習うことを拒否した逸話が残っています。
両手を使うので、歌うことも踊ることもできないから、というのです。
この話からも、歌や踊りは人々の本質的な楽しみ、営みになっていたこと、
楽器は先生について習うほど、発達していたことが分かります。

孔子は紀元前6世紀の人、
アルキビアデスは紀元前5世紀の人、
始皇帝は紀元前3世紀の人です。
どうやら音楽は当時すでに、
中国でもギリシアでも、さらには、地球上のどこでも、
音楽は人間の営みの本質的なファクターだったのでしょう。
人の心を高揚させ、一つにし、インスピレーションを与えることで、
人間社会に巨大な凝集力、推進力を生み出し、
人間の文化、文明を大きく加速したのかも知れませんね。





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[後書き]
9枚目をご覧下さい。
何に見えますか?
ただの地面?
ま、それも良いでしょう。
顔?
そう、右手に木の葉をもって、
鼻に近づいて、香を嗅ぐ人、
そう見えませんか?
巧い具合に木の葉があったものだ。
置いたんだろう?
そうお考えになる方は多いでしょう。
そんな風に手を加えて演出される写真家はかなりおいででしょう。
私は絶対にしません。
写真家は、意図通りの写真作品を創り出したいから。
私は、その場で瞬間に感じた自分を写真に撮って記録したいから。
よく言います、「写真は、人に見せた途端、一人歩きしはじめる」
私の写真は一人歩きしません。
どこまでも私のものです。
なぜか、写真に写っている私を誰も知ることができないから。
by hologon158 | 2016-10-27 15:34 | ホロゴン外傳 | Comments(0)