1871 奈良春日山(2017年8月22日クセノン50㎜F1.4が古代の息吹を)2 縄文時代③
でも、縄文時代に関する文献には、
前回記事のような可能性を記載した文章はほとんど見つかりません。
Youtubeで、タレントの武田鉄矢さんだけが興奮しています。
でも、武田鉄矢さんが興奮するのが当然なのです。
どんなことでも、まず、驚きから始まるのではないでしょうか?
縄文時代、縄文土器について言えば、
最初から最後まで私の頭を占めているのは、
なんでこんな古代も古代に、
まだ文明が発祥していなかったはずの時代に、
文様のついた土器を発明し、
その他、縄文文化を彩る種々の芸術的製品を生み出し、
連綿と1万年にわたり作り続けることで、
その間、同一文化を維持し続けることができたのだ?!
その後の人類なんて、たった2000年ほどもみあった挙げ句に、
刹那の利益を追求するあまり、資源を食いつくし、
自然を荒廃させて、人類滅亡に向かって突進しているというのに?
あらゆることのはやり、すたり、流行ということを考えてみますと、
私の子供の頃は、流行は数年にまたがっていました。
ミニスカートも数年続いたのではないでしょうか?
そんな流行のスパンがどんどん短くなってきました。
今は、月変わり、週変わり、日変わりの時代。
縄文文化と来たら、1万年のスパンで続いた!
その差はなんなのでしょう?
その答えは、一言で言えば、人間を大切にしたから、
なのではないでしょうか?
現代は、多くの人が気づいていませんが、
多国籍企業、国家等の機関が主権者と成り上がってしまい、
国民は単なるユーザー、従業員、臣下、数、使い捨て資産、
さらには、奴隷に成り下がってしまいました。
流行のスパンが短くなったのは、
今では、流行は統計現象、カオスの現象になったようです。
どう変って行くか、誰も予測できない。
その中で、流行に火をつける者が市場を支配するのです。
流行に踊らされる人間が脚を地に付けていないから、
こんなことが起こるのです。
こうなると、日本人はとりわけ現代社会に適応力があります。
たとえば、勝算のない戦闘をそれと分かりながら始めて、
部下の軍団を敵の銃火にさらすだけの前進を命じたら、
多くの国では、将軍は軍法会議に付されるでしょう。
でも、日本軍なら、「涙を呑んで決死の戦闘に挑んだ名将」とされ、
乃木将軍のように、末代まで名将とされたのです。
203高地の正面には、兵士たちが立ったまま折り重なって、
屍をさらしていたと言います。
ノモンハンを開戦した辻政信参謀、
インパール作戦を強行した牟田口大将、どいつもこいつも、
敵の実情も調べもしないで、闇雲に兵士たちを戦場に駆り立て、
数知れない兵士たちの屍を戦場にさらし、一敗地にまみれて、
勝利も利益もなにも日本にもたらさないまま、責任も負わず、
名誉に包まれて礼遇されました。
彼らのことを考えるたびに、はらわたが煮えくり返る思いをします。
でも、彼らをのさばらせたのは日本人自身です。
日本人自身が、自分の意見を持ち、自分を大切にする民族だったら、
こんなことは起こらなかった。
人間を大切にしない文明は続きません。
どうやら、縄文時代は違います。
現代日本とはちょうど正反対の文化が栄えたのです。
征服とか、侵略とか、隆盛とか、共に天をいただかず、なんて、
マイナス思考は痕跡もなかったようです。
だから、1万年も同質の文化が続いたのです。
大和朝廷になってからも、聖徳太子がそうではありませんか?
「和をもって尊しとなす」
現代は違いますね、
「殺られる前に殺れ」
「人を見たら敵と思え」
「勝てば官軍、黙ってても、国民はついてくる」
「ナチスがワイマール憲法にやったみたいに、
日本国憲法もなしくずしにしてしまいばいい」
そんな暴言を平気で公言する人間は、
一部の人間を除けば、誰も重大な反逆的発言であるなんて、
考えないだろうと、正しく予測して、わざと高言するのです。
案の定、大半の国民は気にも留めません。
日本憲法によって存立している日本に対する反逆であるなんて、
気づきもしません。
これが日本人だとすれば、昔とちっとも変っていませんね。
民主主義だなんて、日本にはほとんど根付いていないのです。
お上至上主義なのですから。
縄文時代のことを考えれば考えるほど、
日本は、世界はデッドエンドに近づきつつある、
そんな感じがして、心が痛みます。
今こそ、縄文時代をしっかりと見直し、
その知恵を学ぶときではないでしょうか?
by hologon158
| 2017-09-04 22:54
| ホロゴン外傳
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