723.02 ホロゴンデイ203「2018年11月25日ホロゴン15㎜F8U京都東山で」2 鈴木春信展
5月8日水曜日、
大阪天王寺のアベノハルカスの鈴木春信浮世絵展に参りました。
江戸時代の木版多色刷りの錦絵の描法を確立した、
いわば始祖のような画家なのだそうです。
ほとんどすべてA4ほどの小さな摺絵です。
色彩も極度に限定され、総体に淡い色調。
女性の顔がとても繊細で薄い描線ですっと一線、
あえかにはかなげ、あでやかに艶麗に描かれて、
筆舌に尽くしがたいほどにデリケート。
女性の全身像は、中国の仇英の影響だそうで、
まさにモジリアニの顔の曲線で全身を描き出したようで、
それでいて、仇英同様に、バランスが絶妙で、あえかで艶やか。
水曜の午前中は穴場なのかも知れません。
最初から最後まで1人で1枚ずつしっかりと鑑賞できる客数。
絵のカルチャー組らしい男女数人の一人が、
ちょっと声高に、
「...さん、これ位やったら、俺でも描けるって思ってるやろ!」
写真と同じで、絵でも、圧倒的に慢心できる人が居ますから、
これはおそらく図星なのでしょう。
係員の女性がすっとんで行って、ひそやかに、
「あの、ほかの方のご迷惑にならない程度に小さくお願いします」
鑑賞に時間がかかる理由の一つが、
掲示文を全部律儀に読む人がいるからです。
そのうえ、春信は衣の模様のなかに隠し文字を忍ばせたそうで、
その図解まで掲示されています。
すると、二人連れのおばちゃんたち、
「あ、これが「十」の字やあ、
そう言われないと、分からんわなあ....」
絵は知識じゃないのです。
説明で分かるような種類のデータの判読ではありません。
未知の美との対面、超越的な感動の衝撃、
ショック、インスピレーション、啓示なのです。
文字、説明、題名など放り出してしまいましょう。
ただ、絵と素で向かい合う、これしかつきあい方はありません。
愛する人、愛するものとの出会い、交わりと同じではありませんか?
春信の美人たちの頬の繊細な描線は、単なる巧みさ故ではありません。
剛直なほど力強い描線をどのような形であれ一線で描き出せる筆力、
これは精神力の賜物です。
小さな絵に小さなスペースで、たとえば、
水の流れ、雨足、川、簾、格子等、
狭い間隔の線を超絶的に反復する箇所が随所に出現します。
その描線の繊細な重なりの正確性、そこから生まれる表現の強靱さ、
そのすごみ、その極致から生まれる音楽性は圧倒的です。
春信はものすごい修練、鍛錬の果てに作品を生みだしたのです。
春信という人は、江戸美術の巨人の一人なのかも知れない、
そんな強烈な印象でした。
まったくいかなる知識もないので、
私の勝手な途方もないでたらめな印象かもしれませんが、
私は学識の高さ、深さを誇るつもりなどありませんので、
思ったまま書きなぐるだけ。
でも、展示の最終スペースで、
春信が凡百に遙かに勝ることが証明されていました。
同時代、あるいはその後の浮世絵画家たちの作品が並んでいました。
春信の絵がはるかな高みにあることは一目瞭然でした。
描線がほんのわずかですが、頼りないのです。
天才と凡才の違い。
でも、たった2枚だけ、
「ああ、この人だけは違う!」
春信とはまったく作風が違います。
ふくよかで、あでやかで、のびのびとしています。
名板を見て、納得!
「喜多川歌麿」!
歌麿の線の方が強い。
でも、春信のように、消え入らんばかりにあえかに、
それなのに確かな線をすっと伸ばして、
その線がいつも生きている、これは天才の技。
それにしても、春信の線をこれほどまでに活かし切る、
彫り師の技の凄さ!
小さな作品に天才たちの入魂の仕事がぎっしりと詰まっています。
ただの庶民の手仕事が偉大な芸術として人類の遺産になる、なんて、
彼らの心にちらりとも浮かんだでしょうか?
by hologon158
| 2018-05-10 22:19
| ホロゴンデイ
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