わが友ホロゴン・わが夢タンバール

742.00 美との対話3「2018年9月19日中国古代の青銅器文化にただただ唖然」


図書館で次の本を見つけました。

  「中国古代の造形」(杉原たく哉) 小学館

あんまり凄いので、自分でも購入しました
次々と登場する中国古代の青銅器等の発掘品たち。
もう唖然とする異貌の世界。
まず、ざっと並べてみましょう。。
説明しませんから、ただただ、味わってください。




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とりわけ驚いたのは、三星堆の発掘品です。
2枚目の黄金仮面と3がそれです。
顔の峨々たる輪郭、
超自然的な風貌、
厳格な表情、
飛び出た目、
なにもかもが人間を超越しています。
まさに仮面ですが、これに限らず、
古代中国人たちの想像した造形美術は、
いずれも現実界を超越した異貌、異形です。

古代中国人がリアリズムを知らなかった、
写実のアートを創造する能力などなかった、
ということが絶対的にありません。
ちょっと後世になりますが、秦の始皇帝陵の兵馬俑が、
中国人陶工たちの写実力を十二分に証明しています。
4枚目、5枚目がそれです。
さらに、古代の中国人たちの生み出した動物像、
とくに9枚目の馬を見れば、
中国人たちがリアルな動物たちの姿をありのまま認識し、
かつリアル無比に造形する能力を持ちながら、
なぜかデフォルメしているのです。

縄文土器を思い出します。
縄文人は上記の古代中国人よりも数千年も先んじて、
人物像、動物像、土器を生み出しました。
これこそ、古代史最大の謎です。
大陸文化の影響を受けたのだとする説があります。
ところが、いつまで経っても、縄文文化に先行する文化は、
中国大陸に見つかりません。
数千年遅れてやってきた文化が縄文文化に影響を与え?
これじゃ、まるでSFの世界です。

この縄文文化の産物たちも、
不思議なことに、すべてが例外なく、
写実を遙かに超越した異貌、異形の創造物なのです。
いわゆる遮光器土器と呼ばれる異形の人形たちを思い出してください。
遮光器を付けているのだとする説が有力ですが、
じゃ、顔の下半分はどこに行ったのですか?
口がちょぼっと付いているだけ。
猛烈なデフォルメ、アブストラクトの表現?

顔全体を覆うような遮光器って、見たことがありますか?
遮光土器はほぼ全部異様なほどに膨らんだ服を着用しています。
縄文人たちはこんな異様な紋様、異様なデザインの服を
着けていたのでしょうか?
三星堆の仮面と同じくらいに、異様な存在、
そうではありませんか?
遮光器を付けていただろう、なんて軽く済ませて、
分かったつもりになるのは、いささか軽薄すぎるのでは?

人類は飛躍的に脳量が増大したホモサピエンスに進化して以来、
いかなる進化も示していないそうです。
つまり、ネアンデルタール人もクロマニヨン人も、
現代人と風貌、体型ともに変わらないのだそうです。
かつてはネアンデルタール人がゴリラ風の顔に復元されていましたが、
発掘されるサンプルが増加した現在、
上記の風貌はある種の疾患のせいで、通常の人たちのは、
現代人のヴァリエーションの幅に入るのだと分かっているようです。
つまり、超古代人たちは、外観、中身とも、
現代人とぜんぜん変わらないのだそうです。
今でも、裸になってジャングルを飛び回れば、
古代ネアンデルタール人より野生的な人がたくさんいますね。

大阪の御堂筋線の地下鉄に乗る度に、驚愕に近い印象を受けます。
もちろん、私もそんな一人なのでしょうけど、
なにしろ一生見慣れてきたので、自分のことはさておくことにして、
こんなに人間って、バラエティに富んだ体格、容貌、スタイルなのか!
海外の人も多くなっているせいもありますが、
それ以前から同様の印象をずっと受け続けて、笑ってしまいます。
これが日本人だ、これが中国人だ、なんていう基本体型など、
存在しません!

ということで、1万年以上前に日本を闊歩していた縄文人たちも、
はるか後世の古代中国人たちも、現代人と同様の写実力を有していた。
でも、彼らは、通常、現代人にはまねができないほどに、
奇想天外な異形の造形を連綿と生み出し続けたのです。
とりわけ強烈な異形の文化の展開が見られるのは、
四川省の三星堆遺跡。
今回の掲載分では3枚目だけなのですが、
三星堆の発掘品はみなこれに似て、異様そのものです。

ウィキペディアによれば、遺跡は広大です。
東西5〜6000m、南北2〜3000m、総面積12平方キロメートル、
紀元前2800年頃から約2000年続いた文化だということです。
一大文化、政治勢力がここで栄えていたのでしょう。

中国の中心地帯を支配した王朝を並べてみますと、
夏は紀元前2070年頃から1600年頃まで、
殷は紀元前1600年頃から紀元前11、12世紀まで、
周は紀元前1046年から256年までだそうです。
とすると、三星堆文化は夏よりはるか前から始まり、
周の支配になってから200年ほども続いた、
超古代文化だと言えそうです。
ところが、どうやら中国の正史には記載されていない!

私が読んだ当時の史書と言えば、春秋左氏傳と史記だけですが、
三星堆に関する記事を読んだ記憶はありません。
私の推測する真相はこうです。
どの国の歴史もそうですが、
中国でも、その版図の諸国はさまざまに交流し、
さまざまに影響を与えあって進展してきたことでしょう。
でも、そのすべてを目撃し、記録することなど誰にも不可能です。
ある特定の時代にある特定の史家が、彼の手の届く限りの情報を前にして、
史書に記録するに値すると彼が判断した事績を記載して、
史伝を編纂します。
そうすると、人間たちの苦闘の歴史は連綿と続いていたのですから、
正史の記載に漏れたものが、後世の私たちにとって、
本当に知るに値するものではなかったはずと、とても言えませんね。
三星堆はこうして左傳、司馬遷の筆から抜け落ちてしまったのですが、
だからと言って、中国の政治文化史に取るに足りない小枝だ、
と即断することはできそうにありません。

そこで、三星堆の歴史を推測してみましょう。
三星堆文化は殷時代から西周時代にまたがっています。
人類の常として、政争紛争はなかったわけではないでしょう。
でも、我が国でも、およそ1万5000年前から紀元前の終わり頃まで、
縄文土器を作り続けた文化が続いたのです。
さまざまな政争紛争があったとしても、
同一文化圏の部族紛争の域を超えなかったから、
縄文文化が続いたのだと言えそうです。
そうすると、三星堆文化も周辺諸国と無用に争わず、
むしろ平和共存を続けたからこそ、長く続いた。
まさに中国の縄文文化に比肩できるような、
平和の文化だったのかもしれませんね。

その傍証がある、そう考えたいのです。
中国の諸都市がそうであるように、三星堆も城壁で囲まれていました。
でも、残された遺物たちは、博物館に展示されている限り、
青銅の目を見張るような遺物たちに傷、損傷、破壊のあとはありません。
敵国に滅ぼされた遺跡と平和裡に衰退滅亡した遺跡は違います。
モヘンジョダロを思い出して下さい。

当時、青銅は剣、槍、甲冑にも使用されていたはずです。
征服した部族、種族が三星堆の人々と信仰をともにしていたとすれば、
そもそも戦争などなかったでしょうし、
もし異種であったとすれば、
これらの巨大な青銅製品は武器に作り替えられてしまったでしょう。
それなのに、完璧な形で埋没して見つかったということは、
三星堆文化は人知れずひっそりと歴史の襞に覆われて地中に消え去った、
そう考えるほかはないのではないでしょうか?

いずれも想像を絶するような形姿のお面たち。
おそらく三星堆の人たちの風貌の一部は継承しているのでしょう。
でも、あくまでも厳格そのもののまなざし、表情は人間を超えていて、
まさに神寂びた佇まい、気配は神々しささえあります。
三星堆人はまさに神と対座し、神に語りかけていたのでしょう。
もしかすると、三星堆人は人間境と神境とは、
重なりあう別次元の同一世界と感じていたのかもしれませんね。






by hologon158 | 2018-09-19 21:33 | 美との対話 | Comments(0)