わが友ホロゴン・わが夢タンバール

26.11 ホロゴンデイ7「2005年5月29日の滋賀五個荘町」11 手作りの家、終焉に近づきつつもなお輝き


もう一度、簾と格子のバリエーションをお送りします。
昔の家って、大工さんたちの手作りの感触が素敵ですね。
すでに廃屋となりつつある家でも、
不思議に手のぬくもりが残されているようです。
近頃、「木のいのち木のこころ」(新潮文庫)という本を読んでいます。
宮大工の西岡常一さんたちの聞き書き集です。
なんとも味わいの深い、懐も深い言葉たち。
その中で、西岡常一さんのこんな言葉を見つけました、
「近ごろの道具は昔に比べて質が落ちてます。
鉄の作り方が違うんでしょうな。
鉄は硬ければいいというもんやないんです。
「あま切れ」といいまして、柔らこうてよく切れるものがいいんです。
そんなものはめったに出ませんわな。
硬い刃物は硬いものに会いますと、ぱりんと折れます。
あま切れのものやったら、曲がることはあっても折れません。
それでいて時間がたつと刃が戻りますのや」
我田引水で申し訳ないのですが、すぐにピンと来ました、
なんだ、レンズと一緒!
ディジタルカメラは猛烈によく写ります。
銀鉛の四×五判のようななめらかさ。
でも、肉眼を超えているのです。
たとえば、シグマDP1のプリントを見て驚嘆した後、
ホロゴンやビオゴン21mmF4.5、ローライ3.5Eのプラナー等、
銀鉛の銘レンズの写真を見ますと、
まさに「あま切れ」の味わい、手のぬくもりがあります。
これでいい、これ以上のシャープネス、粒状性は行き過ぎだという気持ちになります。
こんな私の意見は今では完全な少数意見となりつつあるようです。
でも、やっぱりこの意見だけは捨てたくないですね。

c0168172_0323998.jpg
c0168172_033265.jpg
c0168172_0332153.jpg

by Hologon158 | 2008-09-14 00:34 | ホロゴンデイ | Comments(2)
Commented by andoodesign at 2008-09-14 02:22
僕はデジタルの手軽さによって写真の楽しさを知った口なので、銀塩を語ることは出来ませんが、双方の違いは絵画素材に似ていると感じています。
顔料や油絵の具のように伝統的な絵画素材は100年単位でその可塑性が立証されています、時にはその劣化具合が味を作ることもあります。
それに対してアクリル絵の具のような現代の素材はとても手軽に絵を描くことが出来ます(絵の良し悪しは別として)。現在ではその耐久性も科学的に立証されていますし、多くの素晴らしい作品が最新の素材によって制作されています。
でも、その素晴らしい作品は、まだ1点も100年を経過していないのです。
デジタル写真技術は今も進化を続けています。
画質は上がり続け、おっしゃるとおり既に肉眼の認識領域を超えつつあります。逆にわざと画質を落としたりエフェクトをかけるなど銀塩を模した加工をすることも出来てしまいます。(嘘くさいですね)
でも、僕の様にその恩恵を受けて写真を楽しむ人々が写真の裾野を広げていることも確かです。
そんなデジタル至上主義の僕でも、いつか銀塩にさかのぼって行くのかもしれません。

あ、また支離滅裂ですね...
失礼いたしました!
Commented by Hologon158 at 2008-09-14 21:46
re)andoodesignさん
おっしゃることはすべて、私も異議ありません。
andoodesignさんの言葉、支離滅裂なのではなく、
ディジタル、アナログ両方の魅力を知った人間の複雑な心境のあらわれですね。
写真というものは、長い間、大変に習得が難しい技術でした。
私が写真クラブに入った頃は、ピントがあって、手ぶれのない写真を持って行けば、
それだけで上位入選という時代でした。
今では、携帯電話でも、当時の銀鉛カメラの写真よりもずっと上質。
だから、感性だけで勝負できる時代になったわけで、それ自体は素晴らしい変革です。
これなくしては、現代の女性写真化たちの活躍は不可能でした。
私は、まさに時代に取り残されるオールドボーイなのです。
銀塩写真の肌触り、感触、味わいを至上のものと考えて生きてきた人間なので、
仕方がありません。
でも、ホロゴン、ビオゴン、スーパーアンギュロン、ディスタゴンといった古典的広角レンズの、
鋭利なのにふくよかな味わいを知ってしまうと、もういけません。
こうした魔性のレンズたちの呪縛は、
かぐわしい天女たちの魅惑の舞いを知ってしまった人間の業なのです。