わが友ホロゴン・わが夢タンバール

2017年 09月 03日 ( 1 )

702.01 ホロゴン外傳208「2017年8月2日奈良町行脚のアンギュロン」1 縄文時代②


さて、今度はスーパーアンギュロン21㎜F3.4シリーズ。
なんの講釈も要りませんね。
天下御免の名刀ですが、
ちょっと切れすぎなんじゃないの?
というのが、私の感想。
あなたはどうお感じになりますか?

さて、前回からの続きを続けましょう。

縄文文明にあっても、その圏内では、小スケールであっても、
さまざまな歴史絵巻が繰り広げられたことでしょう。
古事記、日本書紀によれば、
どうやら天皇家の大和王朝は紀元後に九州王朝の傍系が、
九州王朝から分かれて、近畿圏大和に侵入し、
既存の王朝をいくつも倒して、支配権を奪って王朝を開きました。
そして、日本列島をその後数世紀にわたって勢力を高めて、
各地の支配者を倒しつつ、徐々に日本全土に支配圏を広げたのです。

現代の日本古代史の学者の間では、
天皇家が日本列島を最初から支配してきたことが暗黙の前提です。
だから、九州や関東で王者、有力者の墓が発掘されると、
常に大和朝廷の誰だったのかということだけを議論します。

でも、古事記、日本書紀の記述の暗黙の了解事項は逆。
天皇家自身が大和の地から出発して、
支配圏を徐々に拡大したことを自認しているのですから、
真相は、記紀の記述よりも天皇家に不都合な可能性はあっても、
逆に、もっと大和朝廷が古くから日本全土を支配していた、
そんな可能性などあるはずがありません。

とすると、天皇家が倒した各地の王朝、支配者たちは、
滅びるまでにどんな歴史を持っていたのでしょう?
神武の侵略軍が大和に出現する直前に、
日本全土の各地に雨後の竹の子よろしく出現したのでしょうか?
そんなことはありませんね。
これらの支配者たち、多くは王を名乗っていたのでしょう、
彼らの王朝もまた過去に王権を奪取したり、支配圏を確立した、
長い歴史をもっていたのです。

大和朝廷は古事記、日本書紀の編纂によって、
あたかも大和朝廷が神代から日本列島を支配してきたかのように、
神話的正統性を虚構しただけなのです。
でも、よくお読みになれば分かります。
神々の日本支配と大和朝廷との間には長い沈黙の時間があります。
そして、大和朝廷を開いてから、
天皇家が日本全土を支配するまでのプロセスについても、
何百年の沈黙の時間が横たわっています。
まるでなんの苦労もなく、気がついたら、日本全土を支配している、
そんな構図なのです。

時折挟まれる大和の外での活動はすべて、支配者としてではなく、
よそ者としての活動ですね。
たとえば、日本武尊命は関東に旅します。
でも、そこでは、大和朝廷の権威など認めない、
別個独立の支配者がちゃんといました。
でも、そのあたりはぼかされたまま。
結局、日本武尊命は、天皇家の支配を確立する目的を達しないまま、
いわば命辛々逃げ帰るのですから、征服者とはほど遠い姿。

日本書紀や古事記には、
日本各地の別王権の存在など一切記載されていません。
そのような存在は、天皇家の万世一系の支配権と相入れない、
別権力の存在を自認することになるからです。

たとえば、崇神天皇天皇の四道将軍ってなんでしょう?
各地の大和王朝を認めない別権力を倒す征服軍でした。
それ以前に大和王朝がその各地を支配していた記述などないからです。
でも、彼らが一体なにをしたか?
具体的は記述は一切ありません。
ぼんやりと移動の経路が行って帰ったことだけが書かれているだけ。
大和朝廷が日本列島全体に支配権を拡張していった記載はありません。
まして、その行程となった諸地方を大和朝廷の版図に収めた、
ということを証明する事実も記載されていません。

さして事もなく日本全土が平和裏に大和王朝の支配に服したのなら、
そう書いたはずですが、そのあたりは一切不明。
大和朝廷が日本のごく小さな地域の支配者から出発したことなど、
認めるわけにいかなかったからです。
まして、苦労して征服したことなど、さらに書けなかったのです。
その意味で、古事記も日本書紀も、
天皇家の正統性を証明することを目的とする文書でありながら、
支配圏を確立する経緯を一切隠蔽し、省略する、
前代未聞のプロパガンダ文書なのです。

そうすると、ますます興味深くなるのは、
大和朝廷が征服していった各地の権力って、一体なんだろう?
その各地の支配者たちもまた歴史を持ち、
その歴史は縄文時代にまで深くつながっていた、
その可能性を否定するのは無理ではないでしょうか?

つまり、縄文時代は、単なる縄文土器を作る原始人たちの、
歴史のない生活、原始的な文化の連続ではなかったのでしょう。
そこには、各種の文化的、政治的営みが錯綜し、
有史以前に劣らない人間の闘争の物語があったのではないでしょうか?
ただし、縄文土器の様式が各地に連綿とつながって存続したことが、
そうした歴史の長い経過を証明しているのではありませんか?

日本列島で生きた人々は誰だったのでしょう?
後年、蝦夷、アイヌと呼ばれるようになる人々でしょうか?
どうやらその後の日本列島の支配民族となる現日本人の祖先たちより、
持続性の高い文化を維持した民族のようです。
1万年以上存続して、歴史を作り続けてきたのですから。
そして、どうやら縄文の末期には、さまざまな方角から、
さまざまな民族が渡来して、定住し、縄文人と混淆して行って、
日本人を構成するに至ったようです。
でも、縄文時代を通じて、縄文文化が主流を失わなかったとすれば、
その混淆のあり方は、縄文時代に限って言えば、縄文人を主体としていた、
そう考えてよさそうです。

縄文人は周辺民族にも大きな影響を及ぼしていたことは疑えません。
その証明の一つが、アメリカ大陸での縄文土器に似た土器の発掘があります。

米国の研究者によれば、縄文土器と判定できる形質が26かそこらあって、
アメリカ大陸出土の土器は24ほどの形質を共有しているのだそうです。
縄文人が日本列島の海岸沿いの海運を交易ルートとしていたという説が
有力になりつつあるようです。
大森貝塚を作った膨大な海産物処理によって作られた製品も
そんなルートで交易されていたという説があるようです。
当時、陸路、海産物を迅速に運べる街道、ルートがあったか?
そう考えると、なかなか説得力がありますね。

そして、縄文人は海上を航海できる能力を持っていたのでしょうか?
偉大な(と言ってもよいでしょう)古代史研究家古田武彦さんは、
古代人が、現代のポリネシア人たち同様に、
海洋を自由に航海していたと主張しています。
すると、アメリカ大陸まで到達することも可能であり、
そこにコロニーを作るなり、土器を交易し、さらには、
製作法を伝授したということも考えてもよさそうですね。




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by hologon158 | 2017-09-03 11:49 | ホロゴン外傳 | Comments(0)