わが友ホロゴン・わが夢タンバール

2017年 10月 17日 ( 1 )

707.07 ホロゴン外傅213「2017年9月9日タンバール90㎜F2.2生駒幻泳の1日」7 ホメーロス



ホメーロスの「オデュッセイア」を読んでいます。
すでに10回以上は読んだ愛読書が10冊ほどありますが、その一つ。
岩波文庫の松平千秋訳は最高ですね。
完全に日本語の名文になりきっていることに、読む度に驚嘆させられます。
彼のクセノポンの「アナバシス(一万人退却)」も至上の名訳ですが、
オデュッセイアも一歩もひけをとりません。

よほどの才能と見受けますが、
原作者のホメーロスときたら、こちらはもう、けた外れの天才!
文学界における世界三大文章家を言えと言われたら、
私は躊躇なく次の三人を上げます。

   ホメーロス
   シェークスピア
   紫式部

いずれもその時代にあって、その後の文学をすべてあわせ考えても、
これ以上の奇跡的な文学を生み出した人はいない、
私はそう確信しています。

ホメーロスがなぜ奇跡的なのか?
文章を通じての性格描写、情況、出来事、精神状態の
完璧な文章表現、場面展開、筋立て、フィードバックを含めた、
読者の心をつかんで離さない表現技法、なにもかもが完璧、
そう言いたい位。
それなのに、ホメーロスは紀元前8世紀頃、
つまり、3000年近い昔の人なのです。

何度も書いていることですが、
その時代に文字と文学を生み出していた古代文明はほんのわずか。
それどころか近代になるまで、
世界中の諸国の識字率はきわめて低かったと言われています。
ホメーロスは、伝説によれば、盲目であったとか、
数人、少なくとも複数人の吟唱をまとめあわせた、合作であるとか、
とにかく諸説フンプンというところ。

でも、たとえば、ギリシアの神々にかんする記述にせよ、
トロイア戦争の経緯にせよ、
実に確固たる共通の土台が、
客観的に存在し伝承された史実の根幹があるように思えます。
人間の様々な美徳、体験を重ねて得られる体験、学習、
人と人との交わりから生まれる種々の感情、人間関係、
そうした人間にまとわりついた諸条件は現代と変わらない、
そう言いたい位に成熟し、深化していることが明らかです。

ホメーロスの作とされるもう一つの古代叙事詩の最高傑作、
「イーリアス」にも、
限りなく気高く、限りなく純粋な愛がいくつも登場します。
とりわけ、古代が生んだもっとも高貴な人間であるヘクトールと、
その妃アンドロマケのしばしの憩いのひとときの下りなど、
古今を通じてこれ以上に麗しいカップルはなかったのでは、
と思えるほどに、深い情感と、
来るべき不幸を予感しながら、その運命を甘受しようとする、
気高い諦観と人間性の香りに満ちています。

私は、この2冊の叙事詩は、後世さまざまに編集されたとしても、
その原作、その最高のオリジナリティは、
たった一人の人間の手によって作り出された、
そう確信しています。
こんなに凄い天才作家がギリシアに同時に二人も生まれて、
それが一人のホメーロスとして混同されるようになった、
なんて、およそありえない、私にはそう感じられるからです。

もし一人の天才作家の作品ではなく、
これが多くの物語作者たちの創作が時代を経てまとめられた、
とすると、共通の歴史、知識、文化の中で、
深い人間観察と高い文学性を備えた物語作者たちが沢山居た、
という、さらに驚くべき可能性を示唆することになりそうです。

さて、その一冊「オデュッセイア」ですが、
他のすべての叙事詩との違いは、
主人公やその妻ペネロペー、王子テレマコス等の重要人物は、
その内心の心の動き、内心と行動との落差まで細やかに描き出されます。

そして、物語の後半、オデュッセウスが、
圧倒的な敵が待つイタカに帰国してからの物語は驚異。
まさにドキュメンタリータッチの迫真のリアリズム。
現代のどんな冒険小説と比較しても、
サスペンスにおいては対等、
畳みかけるように起こる様々な出来事の豊かな雰囲気表現、
登場人物たちの人間性の豊かさ、品格の高さ、
そして、終始、まさに永遠のリアリティと言いたくなるほどに、
まるで自分が立ち会っているかのようなディテールの表現、
その隅々から香り立つ、極めて高い文学性、
これらに関しては、現代のいかなる作家にも優るとも劣らない。
つまり、作家は現代の作家たちに比肩し、あるいは凌駕するほどの、
洞察力と文才の持ち主!
3000年前の人間も現代人と変わりはなかったのかもしれない!

ホモサピエンスに進化してから現代までの何万年か、
生物的には何一つ進化した部分はない、と言われています。
文明の進展にともなう人間関係の複雑化、
生活の多様性等のなかから生まれる、
以前にはなかったような関係、感情、生き方などはあるでしょう。
でも、「オデュッセイア」「イリアッド」「春秋左氏傳」
「論語」「史記」等の古典を読みますと、
本質的な人間存在の人間関係、感性、感情、徳性、等々の人間的条件は、
ギリシアや中国ではすでに明確に豊かに深化していることは明らかで、
そうだとすると、他の諸文明でも、かなり古くから成熟していたけど、
それを記録する文字がなかったために、伝承されていないだけ、
という可能性を想定することも十分に合理性があると感じます。

というより、現代の日本、アメリカの政治家たちの低劣な人間性、
我執に満ちた独善的行動をみていると、
なんだかむしろ現代文明の発展にともなって、
人間性そのものは劣化の道をたどり始めているのではないか?
そんな疑いをますます強めつつあります。
人間は、実は深く静かなプロセスの中で、人間社会の頂点を極めてしまい、
人知れず台頭しつつあるメカニズムに取って代わられようとしている、
そんな可能性を真剣に考える時期にきてしまったと感じます。
そう感じるのは、私だけでしょうか?




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by hologon158 | 2017-10-17 23:03 | ホロゴン外傳 | Comments(0)