わが友ホロゴン・わが夢タンバール

カテゴリ:未分類( 177 )

678.01 ホロゴンデイ193「2016年12月15日ホロゴンが写真展を見て」1 発奮

写真家吉田正さんが主宰する写真クラブClub SEI-Gの2016年写真展
mind picture 2016
この写真展のことはすでに書きました。
今、Club SEI-G Official Blogである「mind picture」で、
(http://club-sei-g.blog.so-net.ne.jp/2017-01-18-7)
お一人ずつ、出展作の紹介がなされています。

たいていの写真家は思わず心の中でつぶやくでしょう、
「なにくそ、負けないぞ!」
私は、写真家じゃないので、ただ一言、
「畏れ入りました」
私の無目的ランダムに撮り貯めるロボグラフィは、
創造的意図に基づて撮影され構築された写真作品とは次元が違う、
そのことをはっきり思い知らされますね。
一度は参加したクラブですが、やめてよかった。
正直なところ、
私はこんな難しいことに頭を使いたくないですね。
アートって、苦しいものですね。
私が一生、レンズに遊んでもらいましょう。

レンズは写真家にとっては道具。
私にとっては、あるレンズは仲間、あるレンズは敵、あるレンズは愛人、
そして、ホロゴンは生涯の伴侶。
とにかく私とは対等のときもあれば、私の上に君臨する存在も。

ちょっと話が逸れるかも知れませんが、
あなたが配偶者をお持ちとしましょう。
力関係はいかがですか?
私が仕事についた最初の同僚はなかなか厳しい人物でした。
(と言っても、7年先輩でしたが、とにかく同格)
「この仕事をやっていく上で大切なことの一つが女房との関係です。
とにかく七三の関係を保って下さい」
もちろん彼が七です。
私、それを重々承知の上で、あくまで明るく、
「ハ、ハ、ハ、私も七三の関係ですよ。
ただし、妻の方が七ですが.........」
たった半月前に結婚して、数日前に帰国したばかりなのですから、
私には自分を七にする気持ちなどまるでありません。
でも、最初が大切だったのかも?
現在に至っては、九一の関係なのですから。
でも、いいでしょう、
妻が元気で、家内も安全です。

でも、その同僚とは1年あまりうまく行きませんでしたね。
私に対して七三の関係を押し付けようとしたので、
ここは五五の関係を守り切ったせいでしょう。
おっと、長々懐古話。
これって、年取ったせいでしょうか?

昼食後、梅田教室のお二人の女性と写真展をあとにして、
そのお一人と夙川の堤防でお別れ、
モノクローム一筋の方と海辺に向かいました。
今回のシリーズはそのホロゴンロボグラフィ編。
4回シリーズでご覧に入れましょう。
mind pictureの作品を真似るつもりはありませんが、
自分でも沢山写真を撮りたい、という気分にはなりました。
よい写真展を見た日は、発奮するせいでしょうか、
気持ちよく撮ることができたようです。




c0168172_15354947.jpg
c0168172_15354377.jpg
c0168172_15353632.jpg
c0168172_1535308.jpg
c0168172_15352325.jpg
c0168172_15341185.jpg
c0168172_1534325.jpg
c0168172_15335673.jpg
c0168172_15334661.jpg
c0168172_15333853.jpg
c0168172_15333183.jpg
c0168172_15332359.jpg
c0168172_1533161.jpg
c0168172_15331052.jpg
c0168172_1533296.jpg
c0168172_15325494.jpg
c0168172_15324794.jpg
c0168172_15323926.jpg
c0168172_1532315.jpg
c0168172_1532215.jpg
c0168172_15321548.jpg
c0168172_1532840.jpg
c0168172_1532062.jpg
c0168172_15315297.jpg
c0168172_15314449.jpg
c0168172_15312053.jpg
c0168172_1531115.jpg
c0168172_1531465.jpg

by hologon158 | 2017-02-23 15:38 | Comments(0)

655.01 ホロゴンデイ166「2016年7月29日ホロゴンが我が懐かしの岡町に」1 吉田正写真教室

8月18日木曜日、吉田正さんの写真教室でした。

毎回前半は講師の講演ですが、これがいつも聞き応えがあります。
今回はアンセル・アダムズの言葉を紹介していただきました。
「アイデアがぼやけた写真よりも、
アイデアが鮮明なぼやけた写真の方がいい」

これはぼやけた写真ばかり撮っている私には力強い言葉。
ただし、私の写真が「アイデアが鮮明」かどうかは怪しいものですが、
「ぼやけた写真」であることは間違いがないからです。
ただし、アダムズほど常に鮮明な写真世界を展開した人はいませんので、
彼の言葉の後半は彼の写真とは無縁。
アダムズはアマチュアの指導も行った写真家なので、
そんな写真修行中のアマチュアたちへのアドバイス、警告だったのかもしれません。
私は、ボケレンズを多様するだけに、とても励みになる言葉でした。

アダムズは生涯ボケた写真など撮ったことのない写真家でした。
なにしろ作った写真家グループの名称が「グループf/64」
大型カメラのレンズの最小絞りから来ています。
パンフォーカスでびしりと全景を決める、それが彼のコンセプトでした。
開放原則、ピンフォーカスでたった一点を止める私とは正反対。
でも、「アイデアが鮮明であること」、
これを至上とする点では変わらないなとうれしくなりました。

ただし、もう一つの言葉は私の根本テーゼとは一貫しません。
彼はこう言うのです、
「ネガは楽譜、プリントは演奏である」
現代のRAW撮影に似ています。
ニュートラルに撮っておいて、
画像処理ソフトで自在に自分の意図にあわせて画像を調整する。
アダムズは、モノクロームプリントの際に、
画面の隅々までしっかりと浮かび上がるように、
覆い焼き、焼き混みの細やかな処理を丁寧に施したそうです。
どちらの場合にも、そのような精緻な画像処理が
本来の写真作品を創造するための不可避不可欠のプロセスである
という考え方が一貫しています。

私は写真を始めた頃から終始一貫して違いました。
モノクローム時代は最高にニュートラルなフィルム現像に心がけ、
引き伸ばしにあたっても、引き伸ばしレンズをひたすらF8に絞って、
あっさりと露光するだけ。
焼き込み、覆い焼きは一切しません。

デジタル写真の時代になっても、
カメラの設定をなにもかも最低に落として、
jpgで撮影し、レベル補正で濃度を整えるだけ。
写真は作品でも何でもない。
私一人の記憶の保存手段。

近頃知って、ときどき楽しむ遊びがあります。
私が2つのブログ名をグーグルの画像検索をすると、
iPhoneの場合はかなり沢山の私の写真が画面に並びます。
ああ、あそこにも行ったなあ。
ここではこんな面白いものが待ってくれたなあ、
などと、懐かしく回想することができます。
ブロガーの皆さんはおやりになってみたらいかがですか?





c0168172_22595111.jpg
c0168172_22594525.jpg
c0168172_22591678.jpg
c0168172_2259693.jpg
c0168172_22585593.jpg
c0168172_2258487.jpg
c0168172_22584233.jpg
c0168172_22583518.jpg
c0168172_22582931.jpg
c0168172_22581431.jpg
c0168172_2258656.jpg
c0168172_2258041.jpg
c0168172_22575336.jpg
c0168172_22574642.jpg
c0168172_22573929.jpg
c0168172_22573151.jpg
c0168172_225724100.jpg
c0168172_22571728.jpg
c0168172_22571150.jpg
c0168172_2257497.jpg
c0168172_22565811.jpg
c0168172_22565165.jpg
c0168172_2256466.jpg
c0168172_22563884.jpg
c0168172_22545248.jpg
c0168172_22544528.jpg
c0168172_22543763.jpg
c0168172_2254298.jpg
c0168172_22542384.jpg
c0168172_22541725.jpg

by hologon158 | 2016-08-29 17:39 | Comments(0)

648.01 ホロゴン外傅168「2016年5月21日京ではパンタッカーの出番」6 良寛さん



良寛さんがぐっと来る言葉を残してくれています。

    世の中のまじらぬとにはあらねども
    ひとり遊びぞわれはまされる

世間のことにまったく関わらないというつもりはないけど、
独り自分の心の中に自由に羽ばたくことこそ、
私の一番得意とするところだ。
そんな意味でしょうか?

こんな言葉ひとつをとって、我田引水するのが私の悪い癖ですが、
それでも、この言葉に出会って、瞬時に心が燃えました。
良寛さんと僕は同志じゃないか!

もちろん退職はしてしまったけど、友達少ないなあ、
仕方がない、自分でなんとか楽しまなきゃ、
そう感じる人は数知れず居るでしょう。
たいていの退職者の運命なのですから。
でも、その境涯を心から喜んでいる人は少ないでしょう。
まして、在職時から、そんな境涯を夢見ていた人間になると、
ほとんどいないのじゃないでしょうか?
私はそうでした。

退職後、盛んに旅行をする方がいます。
私も退職したら、ときには旅を楽しめると期待していました。
在職中は、旅をかなりしました。
一年に一度は仕事のことを忘れたかったから。
ところが、自由になった今、ほとんど旅をしません。
なぜ?
私の生活の数本の柱がすべて平常の生活を基礎にしているからです。
楽器を楽しんでいます。
我が家で毎日少しずつ少しずつ上達する、それが楽しみ。

ブログも人生の喜びとなりました。
子供の頃から日々を記録する日記が夢だったのです。
何度もトライしましたが、いつも失敗しました。
モチベーションにどこか欠けた部分があるのです。
ブログを始めたときは、自分の写真の発表の場と考えていました。
数ヶ月でこれは間違いだったと気づきました。
自分の写真が人に向かってなにかをアピールする性質を持たないことを、
以前から知っていたのですが、
ブログはこのことを改めて自覚する場になりました。
どんなに作品らしく見せかけても、人に向かってはなにも語り出さない。
自分がそんなつもりで撮っていないからです。

ブログを通して、私は自分の写真人生を捉え直すことができました。
自分の写真は私自身の日常記録以外のなにものでもない、
そう自覚することができました。
そして、ブログという半ば公の掲示板にそんな日常記録を掲載することには、
たとえ人が見なくても、ある種の緊張感を与えてくれることを自覚しました。
1年間アクセス記録をチェックして、
ほとんど人が来ないけど、ほんのわずかですが来ないわけではないことを確認しました。
たくさん文章を書きますので、必然的に検索にひっかかります。
恒常的にわずかながらも、訪問者がおられます。
でも、絶対に増えない。
ということは、来ても、一回だけか、何回か来ても早晩無縁と分かるから、
常連さんができないということが分かりました。

これは私には絶好の状況でした。
人のことを気にしないで、
写真と文章を使って自由自在に自分の日常を記録しておける!
ほとんど開始1年で、私のブログは完全な日記に路線を変更してしまいました。
以来アクセスリポートを見たことがありません。
実際に平均何人位来ているのかも知りません。
でも、ほとんど両手で数えるほどでしょう。
意味の分からない一見でたらめな写真、
そして、プライベートな、他人には理解不能、無意味な日常記録、
そんなものをランダムに記録したブログなのですから、
反応がないのは当然。

でも、私にとっては、
これが退職後の一つの柱になってくれたのですから、
本当にありがたいことです。

良寛さんは浮き世を離脱しながら、けっして浮き世から離れませんでした。
私は浮き世に行きながら、けっして浮き世に溶け込まない人生。
このあたり、かなり違うのですが...........





c0168172_15275378.jpg
c0168172_15274756.jpg
c0168172_15274127.jpg
c0168172_1527364.jpg
c0168172_15271828.jpg
c0168172_15271375.jpg
c0168172_1527777.jpg
c0168172_1527166.jpg
c0168172_15265556.jpg
c0168172_15264927.jpg
c0168172_15264412.jpg
c0168172_152638100.jpg
c0168172_15263297.jpg
c0168172_15261361.jpg
c0168172_1526828.jpg
c0168172_152625.jpg
c0168172_15255682.jpg
c0168172_15255195.jpg
c0168172_15254679.jpg
c0168172_15254051.jpg
c0168172_15253580.jpg
c0168172_15252975.jpg
c0168172_15252340.jpg
c0168172_15251890.jpg
c0168172_15251374.jpg
c0168172_1525745.jpg
c0168172_1525255.jpg
c0168172_1524561.jpg
c0168172_15245080.jpg






     [後書き]
        今回からホロゴン写真も混じります。
        バルターも良いけど、
        やっぱり、ホロゴン。
        そんな感じ。
by hologon158 | 2016-07-19 15:32 | Comments(0)

646.01 ホロゴントラベル36「2016年4月3日ホロゴン名残りの角館」1 奢る平家は

約1ヶ月半、長々続けて来た角館シリーズも、
残り少なくなりました。

人間って、絶頂に達したときが一番危ないですね。
「奢る平家は久しからず」
専制的権力を握ったとき、人間の地が出るようです。

諸葛孔明は「子孫に美田を残さず」を地で行った人でした。
鎌倉の執権北条時頼が、夜訪ねてきた部下をもてなすために、
台所を探して見つかったわずかな味噌を酒の肴にして
酒を酌み交わした話を小学生の頃読み、
心に焼き付けられました。

石原慎太郎が東京都知事に当選した当時、
この日本で、誰からも権力の掣肘を受けないという点で
もっとも独裁に近い地位が都知事だと盛んに言われたものでした。
前任者がどうであったかはわかりませんが、
現知事がその絶大な権力に溺れてしまい、
栄耀栄華を尽そうと、都民のために使うべき予算を
自己の権力を誇示する方向に使いまくったようです。
当選前の政党交付金の不正使用も含めて、
さまざまな公金流用、費消が明らかになっているようです。

彼は今のところ「厳正に調査した上で」と
逃げの一手を打っているようです。
でも、そうやって自分の首を締めているのです。
考えてもみてください。
調査もなにも、そのような乱脈予算の計上を命じ、
かつその果実を貪ったのは都知事ただ一人なのです。
政党交付金の流用についても同様です。
たとえば、正月に正月祝いもしないで、
誰かを呼びつけて会議を開いたのであれば、
調査も何もいりません。
その人たちに正真正銘会議を開いたことを証明させればよいだけです。

これから第三者機関に調査を依頼して潔白をはらすと、
豪語していますが、果たしてそんなことが可能でしょうか?

都庁の役人の皆さん、長年先例に依拠して生きてきた人たちです。
都知事がその先例を無視して、
さまざまな予算支出を命じてきたのです。
その都度、抵抗したに違いありません、
「そのような先例はございません、
第一、このような先例無視を都民に言い訳ができるとは思いません」
都知事の船は今や泥舟となって、
ずぶずぶと東京湾に沈没しようとしています。
そんな泥船に誰が乗るでしょうか?
打って一丸となって、
その責任が都知事一人に明らかにしようとするでしょう。

今、彼がすべきことはきわめてはっきりしています。
自分の行った先例無視によるさまざまな公私混同の行為を、
議員、都知事として信義誠実の権限行使であったと言い訳できるかどうか、
自分の胸に問うべきなのです。

彼が第三者機関に調査をと逃げているのは、
そうすることで、答弁を避けることができ、
第三者機関の調査と生じて、時間稼ぎをしている間に、
この問題をかすませるなにかが起こって、
国民がこの問題を忘れてくれる、という期待から、
と疑われます。

でも、そんなに巧く事が運ぶでしょうか?
あがけばあがくほど、都民のみならず、国中の世論が
厳しい追求を求める方向に高まって行くでしょう。
すでに告発もなされたようです。
隠れようとしても、それは無理じゃないでしょうか?

東京都知事の前代未聞の涜職犯罪、逮捕、
都知事の交代の大騒乱に加えて、
東京オリンピックの招致を巡る贈賄疑惑が、
フランスで刑事事件になったりすると、
もちろん東京オリンピックの指定が取り消され、
あるいは、そこまで行かなくても、辞退せざるを得ないという
前代未聞の歴史的カタストロフィに発展する可能性があります。

そのような事態に立ち至ったとき、
オリンピック関連の事業はすべて見直しを迫られ、
オリンピック開催に伴う波及的効果としての経済振興も無に帰し、
日本経済は回復不能の打撃をこうむるおそれがあります。

反省して、都知事としての正当な予算処理ではなかったと
思われる節が少しでもあれば、
彼はただちに全面的に陳謝して辞職すべきなのです。
彼が言い逃れをしつつ都知事の地位にしがみつけばしがみつくだけ、
罪状は重くなるばかりか、
日本国と日本人にたいへんな迷惑をかける危険があるのです。
潔く陳謝して辞職しても、刑事訴追を免れるとは思えませんが、
それでも、刑罰が軽減されることは間違いがありません。
彼自身の未来のためにも、日本の未来のためにも、
それが一番の選択肢なんですけどねえ...........





c0168172_16281559.jpg
c0168172_1628655.jpg
c0168172_16275962.jpg
c0168172_16275345.jpg
c0168172_16274759.jpg
c0168172_16274142.jpg
c0168172_16273593.jpg
c0168172_16272952.jpg
c0168172_16272340.jpg
c0168172_16271049.jpg
c0168172_1627367.jpg
c0168172_16265667.jpg
c0168172_16264745.jpg
c0168172_16263956.jpg
c0168172_16262485.jpg
c0168172_16261722.jpg
c0168172_16261192.jpg
c0168172_162668.jpg
c0168172_16255947.jpg
c0168172_1625533.jpg
c0168172_16254634.jpg
c0168172_16254131.jpg
c0168172_16253660.jpg
c0168172_16253042.jpg
c0168172_16252595.jpg
c0168172_16251917.jpg
c0168172_1625141.jpg
c0168172_1625868.jpg
c0168172_1625397.jpg

by hologon158 | 2016-05-22 16:32 | Comments(0)

645.01 ホロゴントラベル35「2016年4月3日スピードパンクロも内陸鉄道で」1 股肱の家臣


秋田角館の旅の3日目、内陸鉄道の旅。
こんどはスピードパンクロ35mmF2の旅シリーズ。
カメラはソニーNEX-5。
内陸鉄道の旅の間、ホロゴンとほぼ対等に活躍しました。
ホロゴン301枚に対して、スピードパンクロ249枚。

高価すぎて手に入らないスピードパンクロ50㎜F2の代わりに、
この35㎜がパンタッカー50㎜F2.3と並んで、
水戸黄門の助さん角さんよろしく、
我がホロゴン15㎜F8の股肱の家臣なのですから、
一応全写真いちいちチェックしながら、
「これはいいな」と思うものだけストックから外す、
そんなスタンスで出発します。

ご覧のように、車窓風景はほとんどすべて走行中の撮影。
でも、52.5㎜標準レンズ相当なので、
カメラ背面の液晶ファインダーで一応チェック。
ソニーNEX-5のシャッターのタイムラグはまったく未知なので、
これらの写真を撮った瞬間、私がどんな画像をイメージしたか?
これは忘却の彼方。
でも、まあまあ撮れてますね。





c0168172_1721982.jpg
c0168172_1721373.jpg
c0168172_17205864.jpg
c0168172_17205278.jpg
c0168172_17204750.jpg
c0168172_17204183.jpg
c0168172_17203517.jpg
c0168172_17202573.jpg
c0168172_17201823.jpg
c0168172_1720722.jpg
c0168172_1720149.jpg
c0168172_17195576.jpg
c0168172_17195047.jpg
c0168172_17193818.jpg
c0168172_17193278.jpg
c0168172_17192050.jpg
c0168172_17191349.jpg
c0168172_1719878.jpg
c0168172_1719286.jpg
c0168172_17185751.jpg
c0168172_17185116.jpg
c0168172_17184314.jpg
c0168172_17183633.jpg
c0168172_17182639.jpg
c0168172_17181722.jpg
c0168172_1717463.jpg
c0168172_17174151.jpg
c0168172_17173597.jpg
c0168172_17173038.jpg

by hologon158 | 2016-05-13 17:21 | Comments(0)

644.08 ホロゴントラベル34「2016年4月3日ホロゴン内陸鉄道の旅へ」8 恐竜と人間



とんでもないことに気付きました。
きっかけは恐竜のことを考えたことにあります。
4歳になる孫プリンスが恐竜に夢中であることは書きました。
実は、私も恐竜に夢中。
でも、恐竜たちについての知識は孫プリンスに遙かに劣ります。
私の才能には「記憶力」は含まれていないからです。
その代わりに、いろいろと考え、いろいろと想像します。

一番の疑問は、彼らの生って、どんなものだったのだろう?
我々の想像を絶しているんじゃないだろうか?
そう思いはじめたのは、恐竜たちのDVDを見て。
ご覧になったことがありますか?
孫プリンスには見せたくないほど、殺戮に次ぐ殺戮。
コンピューターグラフィックスが進歩して、
実に迫真の生存競争の世界が描かれています。
とりわけ巨大な肉食恐竜ティラノサウルスの凶暴ぶり!

これまでに見つかった恐竜って、何百種という程度のようです。
でも、中国を初めとする世界各地で、
新種がまだどんどんと見つかりつつあります。
将来はさらに沢山見つかるだろうと言われています。
つまり、現在分かっている恐竜たちはほんの一部なのです。
当然です。
1億6000万年ほどもの長期、世界中で栄え続けたのですから。
主要な恐竜たちはそれぞれ数千万年以上も進化し続けたのです。

つまり、あんなに肉食恐竜たちが殺戮を繰り返しても、
滅びもしないで、じっくりと進化し続けていたのです。
そして、実は人間以上に長命だったのです。
最大級の肉食恐竜たちは130年ほどもの寿命を保ったそうです。
数十年にわたり成長を続け、あとはゆったりと生き続けた!

その長い生涯の間、肉食恐竜たちに襲われ続けたのでしょうか?
どうもそうではなかったようですね。
もっとも竜脚類は超巨大の体躯ゆえに、
ティラノサウルスたち肉食恐竜を寄せ付けなかったとされています。
でも、その他の植物食恐竜たちはどうでしょうか?
ステゴザウルスなんか、巨大な鎧に身を固めていると思われていましたが、
背中に突っ立った巨大な楯のような突起には血管が通っているので、
とても防御には役立たず、むしろ華麗な飾りだったという説が有力です。
あのスタイルじゃ、足も肉食恐竜ほどは早くなかったでしょう。

とすると、狙われる度に殺されてしまったのでしょうか?
どうお考えになりますか?
私には、答えは簡単なように思われます。
生態学的に考えれば、
肉食恐竜たちは、食べ物となる植物食恐竜を食べ尽くさなかったので、
飢えることなく、繁栄を続けられた。
植物食恐竜も、無事進化を遂げられるほどに沢山生存し続けた。
生態系のヒエラルキー全体が同様の事情で存続し続けられたのです。
つまり、いろいろと問題は発生したでしょうけど、
とにかくバランスよく、みんな揃って繁栄を続けられたからこそ、
無事1億6000万年ほど、進化し続けることができたのです。
紀元前6500万年頃、小惑星の衝突が引き金となって、
地球上の生命のほとんどが死に絶えたとき、
恐竜はまだ進化の真っ最中だったようです。
つまり、小惑星が衝突しなければ、今でも恐竜世界だったかも知れません。

人類が地上を支配するようになったのは何年前でしょうか?
長い間、さまざまな種と共存してきたのです。
本当に地球の大半を支配するようになったのは、
おそらく何百年という期間ではありませんか?
たとえば、リチャード獅子心王の時代、イングランドは森林で覆われて、
ロビンフッドのようなならず者たちが無事生きることができました。
イングランドでそうだとすれば、どうでしょうか?
世界中、人間が入り込めないジャングル、湿地帯等が
果てしなく続いていたのではないでしょうか?
私の子供の頃、電車に乗っても、自然の光景だらけでした。
この20年ほどの間に、京阪神はほとんど人工物で埋め尽くされ、
緑の自然はほとんど稀、という状態になってしまいました。

18世紀にフランスで暴れ回ったジェヴォーダンの獣をご存知でしょうか?
この獣がなんだったのか議論があるようですが、
その当時まで、パリ周辺でもオオカミが我が物顔に闊歩していたそうです。
だとすると、他の諸地域も似たような状況だったでしょう。
つまり、その当時でもまだ、
人類が地球を支配していたと言うのは語弊がありそうです。

ところが、恐竜たちは1億6000万年ほども進化し続けたのです。
人類は数百万年の間に少しは進化したようですが、
ホモサピエンスになってからは、ちっとも変わらず、
もちろんあまりに短期間なので、進化などしていない。
それどころか、政治家達の姿を見るにつけ、
激しく退化しつつある感じさえしますが、それだけじゃない、
地球上の生命の多くを絶滅させ、人類自身も危機に瀕している。
これはどういうことでしょうか?

恐竜時代の安定した生態とはどういうものでしょうか?
生態の頂点である肉食恐竜から最下位のミクロの生命まで、
その食物連鎖のヒエラルキーのどこも暴走しなかったのです。
それぞれの種が繁栄し進化し続ける状態を保っていたのです。
きちんと棲み分けして、必要なだけ捕食して、
子供達を産み続け、突然変異とか環境変化とか様々なファクターが、
それぞれの種に進化する時間的余裕と機会を与え続けたのです。

一方、人類は、下位の種に進化どころか生存の機会も与えず、
自身の生存環境を破壊し続けています。
世界人口は150億まで増え続けるだろうとさえ、言われています。
その150億の人類は一体何を食べて生きるのでしょうか?
原発はどうなるのでしょうか?
福島原発はすでに手の付けられない状態。
1番古い原発は1966年12月、最新の原発は2009年運転開始、
なのだそうです。
耐用期限はどんどん伸びて、現在40年のようですが、
すでに、かなりの数が耐用期限を超過し、
遅くとも30数年後には全部耐用期限を超えてしまいます。
政府は耐用期限をどんどん延長することで対処するでしょう。
でも、天変地異はその間にどれだけ起こるでしょうか?
そのすべての天災を無事切り抜けることができるでしょうか?
それなのに、政府、電力会社は原発依存政策を変更しません。

以前から書いていますように、
日本は国民主権国家ではありません。
企業主権国家なのです。
企業にとって、日本はいまではただの拠点の一つに過ぎない。
利益を貪り尽くしたら、移動すればよいだけ。
ティラノサウルスよりも恐ろしいのです。

私たちはこの地球について、人類について、
かなり大きな誤解をしているのです。
人類が地球の王者になった期間は、
恐竜が王者であり続けた期間に比べると、
砂粒ほどに小さく、ミクロに近いほど短いのです。
にもかかわらず、地球の種を大量に絶滅させようとしています。
幾度かあった種の絶滅はすべて天変地異に起因したのに、
人類が原因として絶滅を起こしていしまうのです。
恥ずかしいことではありませんか?

このことに気付いて、グーグルで検索してみました。
「現代における種の絶滅」
既に権威者が主張していました。
「ノーマン・マイヤーズ(生物多様性の権威)によれば、
恐竜時代には1000年で1種だった種の絶滅は
1600~1900年で4年で1種まで増え、
さらに1975年には1年で1,000種、
そして1975~2000年には毎年4万種もの絶滅が起こっている」

この文章を読んだ人の反応は容易に推測できます。
だから、どうだって言うの?
必要だから仕方がないよ。
今更、後戻りはできないじゃないの?





c0168172_1361175.jpg
c0168172_136539.jpg
c0168172_136057.jpg
c0168172_1355561.jpg
c0168172_1354963.jpg
c0168172_1354367.jpg
c0168172_1353877.jpg
c0168172_1353368.jpg
c0168172_1352751.jpg
c0168172_1352174.jpg
c0168172_1351563.jpg
c0168172_1351073.jpg
c0168172_135578.jpg
c0168172_135099.jpg
c0168172_1345470.jpg
c0168172_1344911.jpg
c0168172_1344476.jpg
c0168172_1343912.jpg
c0168172_134342.jpg
c0168172_1342848.jpg
c0168172_1334797.jpg
c0168172_1333914.jpg
c0168172_1333447.jpg
c0168172_1332831.jpg
c0168172_1332353.jpg
c0168172_1331635.jpg
c0168172_1331112.jpg
c0168172_133641.jpg
c0168172_133081.jpg
c0168172_1325443.jpg
c0168172_1324444.jpg

by hologon158 | 2016-05-12 13:15 | Comments(0)

639.03 ホロゴントラベル29「2016年4月1日ホロゴン15㎜F8Uが角館にご挨拶」3 幾何学



「アンリ・カルティエ=ブレッソン 20世紀最大の写真家」
(「知の再発見双書」143)を読みはじめました。

カルティエ=ブレッソンの写真に魅せられて
写真趣味に入った人間にしては遅すぎますね。
私がこの数年、読書よりもブログ文を書く方が
楽しくなってしまったツケを払わされているようなものです。

著者のクレマン・シェルーは、
ポンピドー・センターの学芸員を務める写真史家だそうです。
三流雑誌風の体裁の本ですが、文章はしっかりしています。
これまでまったく知らなかった新事実が沢山見つかります。

カルティエ=ブレッソンがフランスの雑誌で、
ムンカッチの「タンガニーカ湖の波の中を走る少年たち」を見て、
写真の力に開眼したこと。
でも、カルティエ=ブレッソンの面白いところは、
生涯、ムンカッチ流のスナップは一枚としてとらなかったこと。
ムンカッチは少年たちの肉体の躍動の音楽を、
スナップ写真に結晶させました。
カルティエ=ブレッソンは、最初から、
人間をその置かれた状況の中に生きる存在としてとらえ、
常にその社会的、文化的な文脈を写真の中に写し込んでいます。

カルティエ=ブレッソンは徹頭徹尾、ドキュメンタリストだった、
そんな感じがします。
それなのに、彼のドキュメンタリ作家としての姿を再現する写真集は
今まで一冊も出されていないようですが、
それは彼の意向でもあるのでしょうけど、
私たちには残念なことではないでしょうか?

シェルーは強調しています、
カルティエ=ブレッソンが幾何学的構図を追求したことを。
この点に関する彼の言葉がいくつも記録されています。
「私にとっては、<はじめに幾何学があった>のである」
「幾何学者でないものは、誰もここに立ち入るべからず」
「被写体との関連でカメラを空間のなかに位置づけなければならない。
そこから構図という大きな領域が始まる」
このように整理することで、人間たちが周囲の環境の中に
しっくりと位置づけられた写真を撮ることができたのでしょう。
カルティエ=ブレッソンにとって、構図こそが、
被写体となる人間と周囲環境との有機的な関わり合いを
正確に表現する方法だったようです。

ところが、これほど難しいことはありませんね。
都市の中で、自然の中で、人間たちは絶えず動いています。
写真家も動きます。
その交錯する人間たちの軌跡と周囲環境との三次元的な配列、
絡み合いが一つの関係性に結晶する瞬間があります。
写真家は、さまざまな方向に動き回る人間たちが
ある瞬間に独特の位置関係に整列するスポットがあって、
その方向に向けて、正しいレンズを使ってシャッターを押す、
という奇跡的な離れ業をやってのけなければならないのです。

たいていの場合、1回しか撮れません。
秒10コマ連写できる現代カメラで撮っても、
たとえば、シャッター速度が500分の1秒とすると、
1秒を500に割って、そのたった50分の1の瞬間しか撮れない。
モータードライブを経験された方ならおわかりのように、
人間たちの理想的な交錯はもっとすばやく消えてしまうのです。
その理想的な瞬間にシャッターが働くとは限らない。

でも、たった一発のスナップショットで、
数人の人間が理想的な位置関係で交錯する瞬間を
苦もなく写し止めることができる人がいます。
カルティエ=ブレッソンがそうです。
私の友人にも幾人か居ます。
これは努力して身につける技術ではありません。
天性のものとしか言いようがありません。

だから、カルティエ=ブレッソンは、
カメラを持った最初からカルティエ=ブレッソンだった、
そんな感じがします。





c0168172_1748455.jpg
c0168172_17484020.jpg
c0168172_17483546.jpg
c0168172_17483073.jpg
c0168172_17482450.jpg
c0168172_17481736.jpg
c0168172_17481151.jpg
c0168172_1748616.jpg
c0168172_17475897.jpg
c0168172_1747519.jpg
c0168172_17474547.jpg
c0168172_174734.jpg
c0168172_17465568.jpg
c0168172_17464368.jpg
c0168172_17463864.jpg
c0168172_17463253.jpg
c0168172_1746276.jpg
c0168172_17462229.jpg
c0168172_17461713.jpg
c0168172_17461172.jpg
c0168172_17443021.jpg
c0168172_17442396.jpg
c0168172_1744832.jpg
c0168172_1744317.jpg
c0168172_17435097.jpg
c0168172_17434450.jpg
c0168172_17433869.jpg
c0168172_17433341.jpg

by hologon158 | 2016-04-09 17:51 | Comments(0)

633.14 ホロゴンデイ158「2016年2月16日高畑町をマクロホロゴンが一掃」14-完-小川英紀水彩画展


3月2日の記事。
神戸三宮行きの目玉を最後に残して起きました。

小川英紀水彩画展
「第10回 ヨーロッパ風景画展」

三宮のセンタープラザ東館二階のギャラリーあじさい。
長方形のかなり広いスペースが幸せな雰囲気に包まれていました。

もともと油絵画家だったのですが、
水彩画に転向されたのはかなり前のはず。
非常に安定したタッチ、
文句なしのデッサン力、
豊かな精神、
この三位一体があたたかさと安らぎに満ちた光を生み出して、
絵の隅々から幸福感を静かに沁みだしてくるくるようです。
楽しい時間を過ごすことができました。

一つ、貢献をしました。
画家は絵の大きさを基準にして、
A、B、C、Dの4段階で売価を付けておられます。
リスボン名物の市街電車の素敵な絵がありました。
本来ならBであるはずの生彩溢れる絵。
それなのに、Cの売価が付けられています。
別室には、本来はCの売価であるべき絵がBでした。

なかなか素敵な絵なので、
間違ったら、画家は愛着があるのだろうと考えました。
でも、Cの売価が付けられた絵はどう見ても、B。
尋ねてみました。
画家は、ただちに、2つの絵の札を取り換えられました。
完全な札の付け間違い。
どなたかが「これは拾い物だ」と購入を申し込んだら、
あぶないところでした。
画家としては、値の付け間違いだったとは言いにくいし、
もしそう言ったら、今度はお客さんの方が気まずい思い。
さりとて、付け間違った値で売ると、
画家としては、なんだか納得のいかない思いだったでしょう。

私の感想としては、素敵だけど、物足りない。
というのは、画家の最上の作品群は、
ベルギーのブルージュのような小都市での、
高い塔のある町並と、その前に広がる運河の組み合わせ。
煉瓦造りの建物の壁と水の描写が本領なのですから。





c0168172_134348.jpg
c0168172_2339848.jpg
c0168172_23385613.jpg
c0168172_23384959.jpg
c0168172_2338265.jpg
c0168172_23381937.jpg
c0168172_233813100.jpg
c0168172_2338370.jpg
c0168172_23374443.jpg
c0168172_23373970.jpg
c0168172_23373343.jpg
c0168172_23371251.jpg
c0168172_2337273.jpg
c0168172_23365637.jpg
c0168172_23365094.jpg
c0168172_2336452.jpg
c0168172_23364019.jpg
c0168172_23363042.jpg
c0168172_23362430.jpg
c0168172_23361891.jpg
c0168172_23361257.jpg

by hologon158 | 2016-03-10 23:41 | Comments(0)

632.04 ホロゴン外傳159「2016年1月30日超ベス単が加美で華開いた」4 ジュディ・オングさん



前回の学生がそうでしたが、
本職のプロを凌ぐ才能を示す人はいるものです。
優れた版画家として活躍しておられるジュディ・オングさんも
そんな方ですね。

すばらしい作品を続々と創造しておらえます。
「ジュディ・オングの版画」でグーグル画像検索してみてください。
その生き生きとした画像に圧倒されますよ。
本職も趣味もなにもかも一流どころか二流に達しなかった私としては、
うらやましいなんて思う域を越えています。
まさに不思議!
才能は一つの分野に限られない、
いくつもの分野に溢れ出る、ということなのかもしれません。

でも、そのダイナミズムをちょっと想像できる感じがします。
超々多忙な仕事の日々。
そうであればあるほど、心はどこかに、
リラックスの別天地に遊びたいという気持ちが募ります。
そんなとき、本当に心からやりたいというものが見つかった人にだけ、
このようなことが起こるのではないでしょうか?

ジュディ・オングさん、
ほんの短時間でも見つかったら、版画制作に没入し、
余裕が短時間であればあるほど、創造衝動は高まり、
彫刻刀は入魂の切れ味を見せるのではないでしょうか?
作業時間は短くても、常に余暇を見つけて没頭することで、
塵も積もれば山となるのたとえ通り、
陸続と傑作群を生み出してこられたのでしょう。
ここにも「継続は力なり」の大原則が生きている、
そんな感じがします。





c0168172_22382039.jpg
c0168172_2230794.jpg
c0168172_2230264.jpg
c0168172_22295776.jpg
c0168172_22295186.jpg
c0168172_22294587.jpg
c0168172_22294089.jpg
c0168172_22292792.jpg
c0168172_22292159.jpg
c0168172_22282772.jpg
c0168172_222740100.jpg
c0168172_22273268.jpg
c0168172_22272559.jpg
c0168172_22271975.jpg
c0168172_22271257.jpg
c0168172_2227477.jpg
c0168172_22265891.jpg
c0168172_22265289.jpg
c0168172_22264642.jpg
c0168172_2226406.jpg

by hologon158 | 2016-02-22 22:35 | Comments(0)

620.04 ホロゴンデイ152「2015年10月31日ホロゴン15㎜F8UFが京東山へ」4 a1photoさん


昨日、嬉しいことがありました。
私が愛するブログがいくつかありますが、その一つが
a1photoさんのブログです。
(http://a1photo.exblog.jp/)

彼の記事にコメントしたのです。
「近頃の3枚、相変わらずのa1photo節。
変化があって、ユーモア一杯で、いいですねえ。
とくに「曇天」が楽しい。
この石に上ったからと言って、
どれだけ眺望が開けるというのか?
それより、男にとって、美女と一緒にこの石に上るという行為に、
とても意味深いなにかがあった!?
そんな感じがしますね。
いろいろと考えさせてくれる、でも、答えが出ない、
それがa1photoさんの写真世界。」

私は、ほんの7、8個のブログしか参りません。
そして、よほどのことがない限り、コメントしません。
3回の記事が一つ一つa1photoさんらしい傑作だったからです。

a1photoさんからのお返事が嬉しかった。
「Sha-Sindbadさん
いやあ、やっぱり天才一歩手前の人物ですね、
ホロゴンさんは。
天才とは言いません。一歩手前です。
ブログを見るだびに驚く一方。
そのうち、どこからか、
それがカメラ雑誌かも知れませんが、連絡が行くはず、
と思いますね。」

この「天才一歩手前」というセリフが気に入った!
もちろん私は天才になんかまったく無縁の平凡人。
でも、一つだけ得意なことがあるのです。
「それらしく見せかける術」の名人。
師匠の田島謹之助さんがいみじくおっしゃったことは、
「あんたの写真って、一見、なにかありそうなんだよ。
でも、よくよく見ると、なんにもない」
ついにこの境地から抜け出ることができなかったので、
20年前からど素人の分際に安住しているわけです。
そのあたりの機微を見事見抜いた眼力はさすがです。

この人、一度新潟で会いましたが、
河中さん同様、一目見た途端、好きになりました。
あけっぴろげで、誰にも遠慮せずに、思ったことを言います。
それ以前からブログを通じて、
a1photoさんの人柄にほれていたのですが、
実物に出会って、ブログを通じて感じ取った人柄そのままでした。

この人、ブログ界に珍しい本物の写真家です。
「北越のユーモア/ホラー写真作家」という珍しい写真世界。
そこで、私のコメント回答は以下の通り。
「a1photoさん
茶化したらいけませんよ。
カメラ雑誌、その記事でつぶれますよ。
それより、私の方で企画してみました、
a1photoさんの写真集、写真展。
①「ジベタリアンの王土」(珍しいほど所嫌わず地べたに座り込む人々)
②「北越写譜」(失われつつある地方文化に生きる、おかしな人たち)
③「我、ここに在り」(女たち、その他のホラー的肉薄ポートレート集)
①は富士フォトサロン、②はニコンサロン、
③はキャノンギャラリーに出して下さい。
コンセプト文は私に書かせて下さい。
全部合格します。
大阪でのセッティングとギャラリーの応対は任せて下さい。」

私は本気で書いているのです。
でも、しそうにありませんね。
いつも軽くいなされてしまうだけ。

それにしても、a1photoさんに限らず、
私の大好きなブログの皆さんはそれぞれに作品世界をお持ちです。
ブログだけではもったいない、面白い写真家たち。
皆さん、写真展しないかな?

そんなとき、いつも言い返されるセリフ、それは、
「そういうあなたが個展したら?」
私はにべもなくお断り。
「しませんよ」
なぜ?
「人に見せる写真は撮っていませんから」
「でも、ブログにどんどん掲載しているじゃありませんか?」
「何度言ったら分かるんですか?
これはただの日記ブログ」

私の私による私のためのブログ。
正直なところ、7、8年前には迷ったこともあります。
でも、気がついたのです。
自分の為に写真を撮る癖がついてしまうと、
人に見せようという、いわば表現欲が零下に下がっていることに。
それが分かるのでしょう、
私の写真になにかを感じる方って、私にごく近い感性の持ち主だけ。
いわば近縁種。
そんな人はほとんど居ません。
私自身、ほとんど出会ったことがありません。
だから、ほとんどの方は、なぜか私の写真を見ると、退いてしまう。
私の2つのブログも、最初の1年を過ぎてからは、

アクセスリポートを覗いたことがありません。
見たいとも思ったことがありません。
私の日記に関心がある方が何人いるんだろうか?
なんて、好奇心を持つって、なんだか変なので。
と言いつつ、正直なところ、
ほんの一握りしかおいでになっていないことを確かめるなんて、
マゾヒズムに近いので、絶対に見たくない。
アクセス数は伸びない代わりに、
記事と掲載写真数は伸ばす!
これが私の楽しみ。

大ブロガーの皆さんの写真展を見たいのは、
もしかすると、自分では実現できない夢を、
代わりに見せて欲しいからかも知れませんね。




c0168172_15444049.jpg
c0168172_1544346.jpg
c0168172_15442381.jpg
c0168172_15441752.jpg
c0168172_15441293.jpg
c0168172_1544663.jpg
c0168172_1544078.jpg
c0168172_15434717.jpg
c0168172_15434264.jpg
c0168172_15433583.jpg
c0168172_15433086.jpg
c0168172_15432418.jpg
c0168172_15431845.jpg
c0168172_15431222.jpg
c0168172_1543617.jpg
c0168172_1543076.jpg
c0168172_15425525.jpg
c0168172_1542494.jpg
c0168172_15424387.jpg
c0168172_15423689.jpg

by hologon158 | 2015-11-27 22:35 | Comments(0)