わが友ホロゴン・わが夢タンバール

カテゴリ:タンバールドラマ( 30 )

634.11 ホロゴン外傳160「2016年2月25日タンバールも通天閣で華開いた」11-完-夢見る詩人



次に、詩人の作品が登場。
尾﨑まことさん。

この方はすでに紹介しました。
私は詩のことなど分かりませんが、それでも分かります。
とてもすぐれた詩人です。
なぜ?
私の心の直接響いて来るからです。
たいていの詩人の詩、私には響いてきません。
そんな詩人は、どんなに名声が高くても、
私には無縁。

この方の写真もまた毎回私たちをあっと言わせてくれます。
詩人が写真を撮ったらこうなるのか?
そんな未知の発見に満ちた写真が、
これでもかこれでもかと出現します。
私(私だけではありませんが)が仰天したのはとくに4枚。

①ビルのロビー風景

巨大なガラス壁に面したロビーに長いストゥール。
その両側に転々と7人か8人の男女がほぼ等間隔に立って、
そのすべての人が頭を垂れて携帯電話を見つめている。
ほぼ等間隔になる心理的メカニズムは分かります。
心理的に無視できない距離よりも遠くなるように立つから。
でも、その奇妙な現代的光景に気付いて、撮る、
これは撮影者の目と心です。
「現代」とか「仕事」と題してよい、都会スナップの傑作。

②大阪港の埠頭の自転車

大阪港に面して、設置された前面板張りのスペース。
海をバックに、男が一人自転車でどうやら円を描いてらしい。
右に大きく傾いた自転車乗りの後ろ姿が左寄りに来た瞬間。
画面は実にシンプルです。
自転車乗りと板を敷き詰めた床と背景の湾だけ。
実にスタイリッシュで、動感があります。

尾崎さんは、よく大きな空間を写真のどこかに配置されます。
おそらく詩の一節を配置するスペース。
詩と写真とが一体となって、一つの詩的イメージを創造する、
これが尾崎さんの意図なのでは、と推測されます。

左隅にちょっと傾いた外灯のポール。
吉田正さんから、一つ、問いかけ。
「ポールがここにあるのはどうですか?
入れた方がよいのか、入れない方がよいのか?」
私が申し上げた意見は「これが必要です」
ないと、ありきたりの風景であり、
右側のフロアーだけの大きなスペースが間延びしてしまいます。
大きく右に傾いて、なんだか倒れ込んでしまいそうな自転車乗りを、
左上隅からぐいと引っ張り上げて、ドラマを演出してくれています。

幾枚か撮られたそうですが、もちろん外灯がない写真もあったはず。
でも、尾﨑さんは外灯のある写真を選ばれたのです。
詩人の直感は正しかった、そう感じます。
一つには、右のスペースに詩を配置することで、
さらにバランスがよくなると計算されたのかも知れません。

③ハイキーのストリートシーン

尾﨑さんの一つのテーマが白く飛んだ街頭シーン。
おそらくプラス3ほどにオーバー気味に飛ばして、
通行人たちはまるで気化したように、
ともすれば消え去りそうな、かそけきシルエットと化し、
その中で、一人だけちょっと実在感のある形で浮かび上がります。

何十枚もお撮りになるそうです。
ほとんどの写真に夾雑物、邪魔が入っていて、
作品になるものはとても少ないのだそうです。
ご自分の詩的イメージとこだまし合うようなシーンを、
その中から選び出すことができるのも、
尾﨑さんが心に生きたイメージをお持ちだから。

この試みを数年お続けになって、
ご自分の詩とのコラボレーションを試みられたら、
とても音楽的な詩集が生まれそうです。

④電話ボックスからの雨のシーン

吉田正さんも含めて、教室をあっと言わせたのは、
この写真でした。
雨に濡れた電話ボックスの中に立って、
ボックスの透明プラスチックの壁にピントを合わされたのです。
左側をちょうど黄色い傘の人物がこちら向きに通り過ぎるシーン。
スタイリッシュで、心を透明にしてくれるシーン。

独創的です。
この日吉田正さんから紹介していただいたばかりの
ソール・ライターのストリートフォトと通じるあたりが、
心憎い。
こんなシチュエーションを撮りたいと思う人があっても、
これだけ色のバランスが絶妙のシーンにはならないでしょう。

尾﨑さんの詩集の一つの題名は「夢見る木」
尾﨑さんは夢を詩に、写真に表現できるアーチストなのです。

私は大好きな言葉を一杯持っているのですが、
よく心に浮かんでくる言葉が一つあります。
「ただ憧れを知るもののみ」
尾崎さんの写真群を見るたびに、この言葉を思いだします。
まさにただ憧れを知るものだけが撮れる写真たち、
そんな思いを強くしました。





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by hologon158 | 2016-03-19 14:50 | タンバールドラマ | Comments(0)

634.10 ホロゴン外傳160「2016年2月25日タンバールも通天閣で華開いた」10 マドンナのように


3月17日木曜日の吉田正さんの写真教室の圧巻は、
実は生徒さんの持ち寄った写真たちでした。
4回にわたって、報告させていただきましょう。

まず、仰天したのが、中国人の若い母、Rさん、
6歳の娘さんやそのお友達の女の子たちのポートレート専科。
これまでの教室でも、毎回、あっと驚く出来映えでしたが、
今回は、それらの出来映えが運、偶然、ソフト的な粉飾ではなくて
写真家としてのセンスと技量の両方に支えられていることを証明した、
そんな感じがします。

まず、2年前の桜の季節の奈良公園。
雨の後の湿った地面に花びらが敷き詰め、
一頭の雌鹿が足を開いて、すっと地面に顔を伸ばすシーン。
状況の選択、シャッターチャンス、背景処理、
すべてにおいて申し分がありません。
なんでもない光景なのですが、
本質的にスナップの才能がおありであることを証明しています。

だから、娘さんを中心とする少女たちのポートレートも
最も美しい表情が絶妙の瞬間に切り取られています。
驚きは、保育園の参観日の机を囲む子供たちのシーン。
長焦点を開放に開いて、右側に座った娘さんが、
広いテーブルの反対側の友達になにか言っている。
その横顔はラファエロ描くマドンナのように古典的に美しい。

でも、圧巻は、その美しい顔を崩して泣き崩れる表情の写真。
生命感がわっと飛び出してきます。
6歳でもすでに一個の人間なのだ、
そんな訴えが心を打ちます。

この頃、背景処理に困って、どう撮っていいのか、
分からないときがある、どうしたらよいのでしょうか?
そんな質問をしておられました。
吉田正さんのお答えは、うろ覚えですが、
誰でも通過しなければならない段階なのですから、
とにかく撮っていきましょう、
そんな感じだったと思います。
即効性のある解決策はないのです。

教室が終わってから、私も同じ趣旨のアドバイス。

Rさんの写真を観る人は、誰もが顔だけに集中します。
表情が素晴らしいので、背景なんかどうでもいいですよ。
だから、背景のことなどお考えになる必要がありません。
しかも、これまで拝見した写真すべてに言えることですが、
背景も見事です。
そんなことを気にしなくてもいい、
よいシーンを見つけるセンスがおありです。
これがすべて。
とにかくどんどん撮ってください。
娘さんの成長を記録する美しい写真集が作れますよ。

この方の写真がこれからどんな風に展開していくのか?
とにかくそれが楽しみで、この教室に通えそうです。





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by hologon158 | 2016-03-19 11:59 | タンバールドラマ | Comments(0)

634.09 ホロゴン外傳160「2016年2月25日タンバールも通天閣で華開いた」9 ソウル・ライター



今日はものすごい写真家のニュースをいただきました。

ソウル・ライター
Saul Leiter

この人をご存じでしょうか?
誰も知らなかったのです。
ドイツの出版社シュタイデル社が彼を見いだし、
「写真家ソール・ライター」という映画を作りました。
その映画の紹介文を引用させていただきます、
(http://eiga.com/movie/82440/)

伝説の写真家ソール・ライターの半生を追ったドキュメンタリー。
1923年、米ピッツバーグに生まれた写真家のライターは、
絵画のように豊かな表現力でニューヨークを撮影した
カラー写真の先駆者として40年代から活躍し、
「ハーパースバザー」や「ヴォーグ」といった
有名ファッション誌の表紙も飾ったが、
写真に芸術性よりも商業性が求められるようになった80年代、
表舞台から姿を消してしまう。
それから時を経た2006年、
写真集の印刷に定評のあるドイツのシュタイデル社から
初の写真集が発表され、
80歳を超えた「巨匠の再発見」に世界が沸いた。
「人生で大切なのは、何を捨てるかということ」という持論で、
あえて名声から遠ざかるように歩んできたライターの人生を通し、
彼の作品が見る者の心を打つ理由を探る。

上記のサイトに予告編があります。
その中に上記の言葉が正確に紹介されています。

「有名人を撮るよりも
雨に濡れた窓を撮る方が
私には興味深いんだ。」

「私は物事を先送りする。
急ぐ理由が分からない。
人が深刻に考えることの中には
そんなに重大なことでないことが多い」

「人生で大切なことは
何を手に入れるかじゃなくて
何を捨てるかということだ」

彼が表舞台で活躍していた当時からか、
それとも引退してからか、分かりませんが、
ストリートフォトを楽しむようになりました。

この映画、すでに日本で公開されており、
5月には神戸の元町映画館で上映が予定されています。

吉田正さんがこの写真家の作品群を紹介して下さいました。
おそらくデジタルカメラでしょう。
望遠レンズを多用して、
これまでお目にかかったことがないほどに独創的な切り口。
上記の予告編にも紹介されています。
グーグル画像検索でも沢山観ることができます。

猛烈に状況不明、撮影意図不明なのですが、
世界の隠された顔を描き出して、
見る人の心を躍らせる不思議なイメージの連続。
色の魔術師!
猛烈に刺激的!
私の心をドン、ドンと叩いてくれます。

でも、面白いですね、
誰にも見せるつもりがなくて、撮っていても、
誰かが発見する!
ソール・ライターを発見したのが出版社だったのは、
写真家にとっても、私たちにとっても、最高に幸運でした。
しかも、「世界一美しい本を作る男」の会社だそうです。
shteidl
この題名の映画も公開されています。
観たいですね。
でも、もっと観たいのはこの出版社の写真集!
これまでに作られたことがないほどの美しい造本、
美しいプリントで写真を見せてくれるのだそうです。
昨夜、早速2冊注文しました。

Early Color
Saul Leiter: Early Black and White

「世界一美しい本」って、どんなだろう?
今から心をときめかせています。

吉田正さんの冗談が楽しかったですね。
私に向かって、
「あんたの写真だって、
どこかの出版社が発見してくれるかも知れないよ」
アッハッハー!
私も返しました、
「そのときは断りますよ」
こんなことが起こりそうです。
出版社員が食い下がります、
「きっと受けますよ」
私、静かに、
「私のブログのリポートをご覧になってください」
私は2つのブログのアクセスリポートを、
開設後約1年を境にのぞいたことがありません。
このときものぞかないでしょう。
出版社員さん、私のパソコンでリポートを開いて、
一人しばらくチェックしてから、立ちあがり、
「む、むりみたいですね..................」
「ま、お茶でも。
写真出版のお話楽しそうだから、聴かせてくださいよ」
社員さん、げっそりとした顔で、
「私にはちっとも楽しくありません。
無駄足ばっかり..................
お邪魔しました」




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by hologon158 | 2016-03-18 14:57 | タンバールドラマ | Comments(5)

634.08 ホロゴン外傳160「2016年2月25日タンバールも通天閣で華開いた」8 写真教室


3月17日木曜日、吉田正さんの写真教室。
今日はひたすら驚き、ひたすら心ときめくひとときでした。
吉田正さんの言葉に、
吉田正さんが紹介してくださった写真家の作品群に、
そして、教室の皆さんの作品群に、
ドシンドシンと揺さぶられる2時間半でした。

まず、先生の人生史の一こまから。
最初に就職した大手広告会社でコマーシャルフォトを手がけ、
ややあって退社して、フリーになったとき、
会社から彼に仕事をもっていかないように、
というお達しが全国に出されたのだそうです。
(誰に出されたか、これは聞き漏らしました)
そのようなことは初めてだったとのことですが、
当然かも知れません。
でも、どうしてもやってほしいという顧客もあって、
今までおつき合いが続いているとのこと。
吉田正さんの能力であれば、
会社は吉田さんを商売敵と見なしたことは明らかです。
このようなクリエイティブワークでは、
クライアントにとって、
注文、ニーズ以上のパフォーマンスを返してくれる人と、
そうでない人との差は天と地ほとの落差があるでしょうから。

そんな吉田さんの今日の言葉を3つ。

①今の自分を表現してほしい。
どんどんと変わっていくのだから、
自分の今を大切にしてほしい。
私から学ぼうとしないでほしい。
自分が感じて、自分から学び始める、
そんなスタンスで居てほしい。

②気配を感じ取って、撮ってください。
基本ワードはあくまでも、「美しい」ですよ。
美しくなければ、意味がない。

③写真は、説明したら、終わりです。
見る側に想像する余地を残してあげなくちゃ。
そんなとき、結局、決め手になるのは、センスですね。
これはもって生まれるもので、
どんなに努力しても、どうしようもない。
訳の分からないけど、
いざとなると最後にはこれがものを言います。

痛いことを平気でおっしゃるのですから、
困ったものです。
私は、センスなど持ち合わせないことをよく知っています。
だから、その代用品として、レンズに寄りかかっています。
現代レンズだと、個性など似たりよったり。
でも、古代レンズだと、
写真そのものの質に関わるほどのファンタスチックな変容を
画像にもたらしてくれます。
そこで、私は、写真をレンズからの賜物と考えています。
「これは私の写真なのです」とは言わない。
たとえば、「これはタンバールが撮ってくれました」
その第一の鑑賞者が私、というわけです。





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by hologon158 | 2016-03-17 22:35 | タンバールドラマ | Comments(2)

634.07 ホロゴン外傳160「2016年2月25日タンバールも通天閣で華開いた」7 写真の2つの顔

前回の続き。
永遠に伝えられ、後世の人に新鮮な感動を与えつづける名作を
生み出した真の芸術家は、写真界に幾人存在したでしょう。
カルティエ=ブレッソン級の偉大な写真家のことを考えています。
指折り数えても、せいぜい10人かそこらでしょう。

他の数知れない写真家の皆さんについては、
個々の傑作が美術館に残ることはあっても、
写真家の名前は鑑賞者に記憶がなく、心にも留まらない、
ということになりそうです。
まして、趣味の写真家にとっては、
写真は一代限りの喜びでしかありません。

そんなことよりも、今を生きる、
これが本当に意義のある生き方なんだ、
私はそう信じています。

写真には2つの顔が付いています。

  α 撮影者自身に向かってほほえむ顔と、
  β 撮影者以外の公共の空間を見つめる顔。

写真を人に見せたとたんに、写真は一人歩きし始める。
鑑賞者は、写真家の意図など無関係に、
自分なりの楽しみ方をすることができる。
前回のお二人はβがαよりも大切な写真家でした。
私の人生にとってはβなど無価値、
ひたすらαだけが大切。
この両極端のどこかにアマチュア写真家は位置することになりそうです。

「誰だって、写真を認められるのはうれしいことじゃない?」
そうお感じになる方が多いでしょう。
でも、私はいつも長いタイムスパンで考える人間なので、
実はまったくうれしくないのです。
誰かが私の写真を見て、
「ああ、これはいい、ホロゴンさん、
あなたはすてきな写真を撮るんですねえ」と絶賛してくれても、
心を動かしません。
その方は、その場を離れた途端、私の写真のことなど忘れ、
二度と思い出さないでしょうから。

一方、私は忘れません。
もちろん、40年間果てしない数の写真を撮ってきたので、
いちいち記憶に呼び返すことはもちろんできません。
でも、見たら、その場の状況を思い出します。
傑作、駄作の区別などありません。
ただし、思いの籠る写真ばかりではありません。
勢いに乗ってただシャッターを押しただけの写真も、
当然ながら、沢山混じっています。
こんな写真はもちろんゴミ箱行きなのですが、
でも、病気一つせず、ただひたすら撮り続けてきたのですから、
私の記憶に値する写真は数知れずあります。

本ブログと別ブログ「写真千夜一夜」を合わせると、
すでに10万は超えています。
掲載したいけど、機会が来ないストックは、
その2倍はあります。

近頃、揚琴、二胡、リコーダーの練習の方が比重が大きくなって、
ブログ掲載が渋滞しがち。
もちろん文章が邪魔
ところが、どっこい、そうは参りませんね。
ぼけ防止のためにも、生きるためにも最上のことは2つ。
① 考えること
② 歩くこと
この2つではありませんか?

あいいく、私はソクラテスじゃないので、
宙で思考を紡ぎ出すことなど絶対いできません。
私にとって、考えることとは書くこと。
ただ歩く、ということも嫌いです。
私にとって、歩くこととは写真を撮ること。
というわけで、文章を書くことと写真を撮ることは
私の楯の両面のようなものです。

その2つのモチベーションを保ち続ける方法は、
写真の喜びとブログ、これだけ!
楯の両面のようなものです。
このブログ方式には大きな利点があります。
グーグル検索で間違ってブログを訪れる方も、
文章と写真がどちらも大量過ぎることで、
「こんなど素人のエッセイにつきあってられるか!」と、
ただちに退散されるでしょう。
たまに文章をお読みになる暇な方も、内容に耐えられない。
写真も無意味で耐えられない。
だから、その時点でさっさと退散。

よく口にされるせりふがありますね。
「私には読者への責任がありますから」
ハハハ、ご苦労さん、がんばっていただきましょう。

私は思うに、読者への責任なんかありませんね。
勝手に来ているだけなのですから、
ご自分で勝手にすべったり転んだりしていただきましょう。
私はせっせと鉄ビシを巻いたり、泥沼を掘ったり、
迷路を用意したりして、お待ちしています。





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by hologon158 | 2016-03-16 22:59 | タンバールドラマ | Comments(0)

634.06 ホロゴン外傳160「2016年2月25日タンバールも通天閣で華開いた」6 時代は変わる


先日、親友のDAさんと撮影した際、知りました。

私たちが十数年前まで所属した写真クラブの創立者で、
リーダーであった写真家が、
胃の全摘手術を受けて、その写真クラブはもとより、
諸処で開催指導してこられた写真クラブ、写真教室の
指導を降板せざるを得ない事態に発展したそうです。
お元気な時代しか会っていないので、
ちょっとショックを受けました。
もちろん、健康を回復されて、
写真家として現役に復帰されることを願いたいですが、
ハードな指導の現場に戻ることはもう困難かもしれません。
一時代の終わり、という感じを受けてしまいました。

この方の指導を受けて頭角を現し、
各種の写真コンテストを総なめにしておられた方も
亡くなられたと聞きました。
数えてみれば、80過ぎてのご寿命という感じがします。
この方は写真で名を上げることを目標にされ、
私は、いっさい写真発表もコンテスト応募もせず、
ただ単に、写真クラブに訳の分からない写真
(当時もすでロボグラフィだった)を持参するだけ、
という具合で、どうも水と油のように気性が合わず、
6、7年は同じクラブに所属しながら、
口をきいたことがありませんでした。
私はそんな人間なのです。
一生、誰にもへつらわず、愛想をしたこともない。
でも、それ以前の問題でした。
一緒に語り合うなにものかがまるでない、
そんな気配だったのです。
こんな希薄な関係の方ですが、それにしても、
ショックに変わりはありませんでした。

こんな風にして、時代は変わり、人は交代していく。
いつか自分の番も回ってくる。
それは分かりきった事実。
ただし、私はあと50年はがんばるつもりですが。
こんなとき、いつも思うことは、
名声を求めて生きても、いつかは忘れられる日が来る。
そんなことにあくせくするよりも、
無名でもいいから、思う存分人生を楽しんだ方がいいじゃない?
私はそう考えて、徹底的に表に出ないで生きて来ました。

私のことを誰も知らなくて、別に構いません。
私が私のことを知って、気に入っていれば、
それで十分じゃありませんか?
だって、一生付き合う相棒なのですから。





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by hologon158 | 2016-03-16 22:27 | タンバールドラマ | Comments(0)

634.05 ホロゴン外傳160「2016年2月25日タンバールも通天閣で華開いた」5 怖い未来

近鉄奈良駅から東大寺に向かう参道の
歩道の大半は土でした。
昔は、どの町でもそうでしょうけど、
道という道は土面でした。
今、国立博物館に面した道あたりが工事に入る気配。
どうやら舗装化の準備作業に入ったようです。

こうして奈良の町もどんどんとコンクリート化して行きます。
実は、我が家も道路に面した全面を
ほとんどコンクリート化してしまいました。
夫婦とも多忙を極めて草取りのような庭作業をする時間が
まったく取れないため。

いけないことですね。
なぜ?
土中の微生物、昆虫の生存空間をどんどん狭めているからです。

夜、東海道の空を飛んだことがありますか?
まさに光、光、光。
日本の太平洋側の狭い平地がどんどんコンクリートに覆われて、
人間だけが棲息するエリア、
つまり、他の生物の棲息できない地域に変わりつつあるのです。

いつも書いていることですが、
なんで恐竜は1億数千万年の間地球上に君臨できたのでしょう?
恐竜絶滅の謎が解けた今、これが大きな謎になっている。
私はそう思うのですが、そのあたりを指摘し、
その謎を解明しようとする学者はいるのでしょうか?

もっともメカニズムは明らかです。
恐竜を頂点とする生態系が保たれたからです。
草食恐竜の竜盤目の超巨大恐竜たちは、
たとえば、スーパーザウルスは35mにまで成長し、
100年以上の長寿を保ったと言われています。
これを超えると思われるような草食恐竜たちが
どんどん見つかり続けているのが現状です。
彼らはとてもでっかくて、とてものろいのに、
ティラノザウルスのような巨大肉食恐竜たちの攻撃を
100年以上もの間寄せ付けず、あるいは跳ね返して、
毎日毎日何トンかの植物をせっせと頂き、動き周り、
生殖し、子育てをしんがら、生き延びたのです。

なんでだ?
ティラノザウルスのような巨大肉食恐竜たちを頂点とする
生態系がきちんと保たれていたので、
そんなに沢山の巨大肉食恐竜はいなかったからです。
群で移動し、その巨体でティラノザウルスたちを圧倒し、
子供たちを守ったのかもしれません。

健全な生態系の根本的存在理由はなにか?
実に簡単ですね。
数知れない階層の生物たちが、
一つ下の階層の生物(食べ物)を適量に食べること。
これによって、正三角形の構造を保持しつづけるのです。

頂点の肉食生物(どの階層でもよいのですが)が
なんらかの理由で絶滅したり、減少しますと、
その下の生物が繁殖することになります。
すると、その生物はその下の生物を食べ漁ることにあります。
すると、その下の生物は、逆に、
自分たちを食べるものがなくなって、繁殖する。
こんなチェーンリアクションが最下層まで波及していき、
生態系は完全にむちゃくちゃになってしまうわけです。

恐竜時代でももちろん徐々に変化は起こっていたのでしょうけど、
1億数千万年も恐竜の繁栄を崩すような生態系の乱れは
起こらなかった!
これは驚くべき事態です。
ティラノザウルスって、あんなに恐ろしい顔をしているのに、
必要なだけしか殺さなかったのです。
どの階層の恐竜たちもそうなのです。

もうかなり昔ですが、
マイアサウラという子育て恐竜のコロニーが見つかりました。
1万を越す巣が平原を埋め尽くしていたのです。
肉食恐竜にとってはパラダイス!
食べ放題、代金不要の巨大イオンが開店しているようなものです。
ずんずんと片端からガブリガブリと食べまくったら、
もうこんな楽なことはない!
でも、なぜか、そんなことはしなかったのです。
そんなに肉食恐竜はいなかったし、
そのような巨大コロニーのすごい景観とものすごい音響が
肉食恐竜を寄せ付けなかったかもしれませんね。
しかも、もし食べ放題のようなことが起こっていたら、
肉食恐竜は自分の首を自分で絞めることになっていたのでしょう。
どこかの階層が激減、激増するチェーンリアクションが起こって、
その付けはかならず肉食恐竜に戻ってきたからです。
そんなバカなことするはずないじゃないか?
そうティラノザウルス君は言うでしょう。

ところが、そんなバカなことをしている生態系の頂点の生物が
たった一種いるのです。
それが人間です。

アイザック・アシモフのSFでは、
未来世界は星全体が無数の階層の建築物で覆われています。
人間以外の生物って、なにが生き残っているのでしょう?
その何百億もの住民たちの食べ物はどこで、
どうやって生産しているのでしょう?
温室栽培以外は、すべて有機加工物なのでしょうか?
他のほとんどすべての生物を失ってしまった人間は
ほんとに健全に生きることができるのでしょうか?

そこまで行くまでに、地上の動植物を失った人間は、
必ず海中の生命を採りまくって、
こうして、アシモフの世界にたどり着くことになる。
そうすると、食料は100%、他の星に頼るのでしょう。

でも、そんな人間地獄になる前に、
健全な生態系を失った人間は必ず滅びてしまう、
私はそう確信しています。
詳しいことは忘れましたが、
何十年後かには150億まで膨れ上がると予想されています。
日本の食料自給率はどれくらいでしょうか?
おそらくその頃までに、自給率はかなり減少して、
不足分を輸入に頼る事態はさらに増大しているでしょう。
でも、その頃、食料を輸出できる国が残されているでしょうか?
最悪の場合、飢餓や飢饉が常態となり、
海の資源を含めて、食料争奪戦争が起こるでしょう。
これはちょっと頭を働かせば容易に予測できる未来の地獄絵。

でも、国際間の協力によりこの危険を回避しようという動きは
見あたらないようです。
なぜか?
これも簡単に推測できます。
大国たちは考えているのです。
国際協調も人口抑制も無理だ。
まあいい、そのときは、自力救済するだけだ。

怖い未来が待ち受けている、そんな感じがします。





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by hologon158 | 2016-03-16 11:38 | タンバールドラマ | Comments(0)

634.04 ホロゴン外傳160「2016年2月25日タンバールも通天閣で華開いた」4 大写し


3月7日月曜日、孫プリンセスの面倒をみました。
ママが来月産休明けで復帰する前に、
準備で幾日か出勤することとなり、
まだ保育園に入っていない1歳8か月の孫プリンセス
の世話をしなければなりません。

まったく手間のかからない子のうえ、
そんなにたくさんおしゃべりはできませんが、
こちらの言葉はかなり理解できるので、
臨時保育士としてもとても気楽。
一緒に昼食をとりました。
自分で食べてくれます。

一足先に終えて、食卓の幼児用の吊りイスから降りて、
さっさとテレビの前に行って、なにをしたか?
テレビのリモコンを取り上げて、
人差し指を一回押しただけで、
食事中ポーズしていたビデオが再開しました。
2歳にならないのに、もう電子社会に適応している。

偶然、そのテレビで韓流ドラマをしていました。
30分ばかり楽しみました。
そこで、わかったのです。
もし、私がテレビ画面で韓流ドラマを見るようになっていたら、
私はこんなにも韓流ドラマに没頭する人間にはならなかった!

私は最初の最初から液晶プロジェクタを使い、
80インチのスクリーンに投影するからこそ、
ほんのりと穏やかな画面となり、
まるで映画館で映画を観るような気分で楽しめます。
だから、韓流ドラマに没頭することができるのです。

偶然、料理番組にぶつかりました。
かなり年配の女性料理研究家です。
助手を務めるのは、アナウンサーなのでしょうか?
ドラマチックに巨大な目玉の、江戸時代の役者絵のような男。

先生も助手も大写しを多用して、カメラが肉迫します。
先生を見るのはつらい感じ。
助手を見るのは、まるでホラー。
42インチの液晶画面一杯に顔が迫るのですから、
はっきり言って、直視に耐えない感じ。
なんだか怖い世の中になった、という感じ。
テレビ放送を受信するのを止めたのは正解でした。

テレビは早々に消して、孫プリンセスの可愛い顔だけ、
大写しにして楽しみました。




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by hologon158 | 2016-03-15 23:49 | タンバールドラマ | Comments(0)

634.03 ホロゴン外傳160「2016年2月25日タンバールも通天閣で華開いた」3 混迷の時代


3月7日月曜日午前8時発のJR大和路快速に乗車しました。
始発ではありませんが、まだ座席が空いています。
どこに行くにも、どこから帰るにも、
ほとんど常に座って移動できる、
これが奈良市に居住する人間の特権です。

朝の出勤組の大半は目をつぶっています。
そうでなければ、携帯をじっと見つめています。
このごろ、本を読む人にほとんど出会いませんね。
仕事と睡眠と携帯と新聞とテレビだけじゃ、
常に受け手にまわるばかりで、頭はどんどん植物化します。
いつ仕入れた情報を消化するのですか?

自分の頭でなにかを考え、検討し、
蓄積した経験、情報の中で、問題を理解し、
解決策を適切な決断をする、
これが人間の独自性です。
情報を受け入れるばかりで、
そんな人間独自な能力をどうやって日々育むのですか?

クセノフォンの「アナバシス(一万人退却)」は、
希有のドキュメンタリーです。
松平千秋さんの稀代の名訳で翻訳されています。
「アナバシス―敵中横断6000キロ」 (岩波文庫)

紀元前401年、ペルシアの奥深くで、敵に囲まれ、
さらには隊長以下の指揮官全員を失ってしまい、
突然、完全に孤立無援となってしまったギリシア人傭兵たちが、
自分たちで隊長、士官を選び、ほとんど損失もなく、
黒海のギリシア人植民都市まで逃げ延びます。
これは直接民主政の下に自分の頭で考えることができる
ギリシア人だからこそ成し遂げられた偉業。

情報化社会という名の下に、
消化不能なほどに大量の情報ばかり受け取り、
マスコミによって用意に扇動されてしまう大衆の雪崩現象が
扇動政治家を支配者に押し上げてしまう現代の日本人に、
同様の離れ業ができるでしょうか?

目下、アメリカでも、同様の大衆現象が起きているようです。
次第に台頭しつつある共和党の候補者、
あれはなんですか?
立ち居振る舞い、言動、すべてにおいて、
日本のどこかの市長だった人物と同様、
歴然たるただの扇動政治家であり、
思想も識見も指導力もないことは一目で明らかです。
それなのに、ただ大衆を喜ばせるエキセントリックな言動だけで
人気を博しつつある。
彼を見て、ひやりとするものを感じませんか?
大統領となるべき資質も人間的深みも威厳もないのに、
もしかすると、アメリカ合衆国の大統領として、
世界の動向を左右することになるのでしょうか?
アメリカでも、大衆は思考力を失っているのではないか?
そんな恐れを感じます。

情報心理学、広告心理学が極限まで精緻巧妙に発達しています。
テレビ、インターネット、携帯電話、この3つの情報機器は、
人心操作の空前の武器となっています。
この3つのソースから流された情報は、
比較対照すべき情報を他から意識的に採集しない人間にとっては、
その情報だけが真実、リアル、かつ有効な情報であると受け取られ、
そのまま蓄積されて、受け手の思考・行動基盤を形成しているのです。

その好例が衆議院総選挙です。
有権者は、限られた政党の中で、どの政党に政治を任せるのがよいか、
という択一問題としか考えません。
だから、自民党がしくじったとき、民主党になだれ込み、
民主党がしくじったとき、自民党になだれ込んでしまいました。
そして、今は、受け皿がないために、大衆は、
自民党にいやでも寄りかからざるをえないと感じてしまう。
でも、これじゃ、ボウフラ現象、水分子現象ではありませんか?
一党にだけ頼りきる択一姿勢が、
たんなる人気取り扇動政治家を頂点に押し上げてしまうのです。

そうではなくて、日本の政治をよくするためにどう投票すべきかを
選挙の度に注意深く検討すべきではないでしょうか?

第2次世界大戦後の最初の総選挙において、
強烈な指導力によって連合国側を指導して勝利に導いた
チャーチル率いる保守党は、労働党に一敗地にまみれました。
イギリス国民は、勝利におごる独裁政権の誕生をおそれたのです。

前回の総選挙において、自民党に投票した有権者のみなさんは、
憲法の存在を踏みにじる戦争への道を切り開くことに狂奔し、
未だに解決への道を一歩も踏み出せないままの福島原発を黙殺し、
原発政策もいっさい見直しをしないまま、
旧来の原発行政を継続しようとする、
自民党の政策を容認しているのでしょうか?

これらはすべて前回の総選挙の争点から隠されていました。
国民の大半は、その後、日本の軍備の飛躍的な拡大増強を
実現する方向での法案の提出もなく、
福島原発に関する報道もマスコミが完全に封殺している状態で、
頼りのないのは無事な証拠、日本は天下太平、順風満帆なのだ、
そう思いこんでいるのではないでしょうか?
いやなことは考えたくない。
だから、目をつぶっているのではないでしょうか?
それとも、まったく問題に気付いていないのでしょうか?

現代ほど完全に情報が管理された時代はないことに
誰も気づいていないのではないだろうか?
そんな風におそれます。
衆議院総選挙のときがそうでしたが、
表面には出ず隠されていることにこそ、重大な判断資料があります。
テレビやネット情報に頼る限り、
お釈迦様の手の平の上を飛び回った孫悟空とそっくりになりかねません。

我々の目に達する情報は極めて偏っていて、ほんの一部でしかない、
虚偽の情報がむしろほとんどであることを忘れず、
行間を読むこと、
眼光紙背に徹すること、
こんな読み方がすべてにますます必要な時代になったのです。
そのためには、基本的な知識、人間観、洞察力が
ますます重要になります。

情報が完全に管理されている現代ならば、
そのような管理がなされていない情報源を探して、
批判の目を養うこと、
この方法しか現代人には残されていないのでは?

アーノルド・J・トインビーは、広大な学識に基づき、見抜きました、
ギリシア、ローマの古典時代と現代は同時代である。
ギリシア、ローマの古典時代を学ぶことによって、
現代を知ることができる、と。

ギリシア、ローマの古典時代だけではないでしょう。
多くの国際政治が錯綜した時代があります。
たとえば、エリザベス女王の時代、
ルイ14世紀の時代、
江戸末期の維新の時代、
(この「維新」という言葉、
今ではすっくり薄汚れてしまいましたね)
第一次世界大戦前の時代、
両次の世界大戦の時代、
そして、冷戦時代。
このような時代に人間はどんな問題を抱え、
どんな風に解決したか?
そんなことを考えてみるのがよいのでは?

私は歴史に関心が強いので、様々に学んできましたが、
一つ言えることがあります。
嵐の時代を切り抜けた国家がいつもあります。
そんな国家を指導した政治家たちに一つの共通点があります。
じっくりと腰を据えて、時代を見つめ、
極めて長いスパンで動きを捉え、
最良の政策を果断に決断できた人たち。

ああ、現代の政治家たちの小粒で無能なこと!
世界史で一番難しい時代に一番ふさわしくない人たちが、
近視眼的に右往左往している有様に目を覆いたくなるのは、
私だけでしょうか?




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by hologon158 | 2016-03-15 11:46 | タンバールドラマ | Comments(0)

634.02 ホロゴン外傳160「2016年2月25日タンバールも通天閣で華開いた」2 葛城古道


もうかなり前になりますが、3月5日土曜日、
葛城古道の南半分を歩きました。
写真家の林孝弘さん、親友のDAさんとAKさん、私の合計4人。

私の装備は、
Hologon15mmF8U付きソニーα7
パンタッカー50mmF2.3付きリコーGX-R
要するに15mm超広角と、75mm長焦点レンズの組み合わせ。
バランスよくどちらも300枚を超えました。

正確な数は不明です。
調べれば分かるのですが、要するに、あほらしくて調べたくない。
ソニーα7には、私には理解不能の悪癖があります。
使っている間に、勝手に設定が変わってしまう。

その2大悪癖は、
①感度が勝手に25600に跳ね上がってしまっている。
カメラによっては、ある一定の感度を設定しておいて、
明るさが設定値を超えると、オートに切り替わるという設定。
リコーGX-Rにはそれがあります。
ソニーα7にはありません。
オートと特定の感度設定だけ。
それとも、デフォールトで、
ユーザーの意向を無視して、ソフト的に設定ずみなのでしょうか?
それにしても、なんで25600という特定の設定になるのだ?

②勝手にブランケットの3枚撮りに変わってしまう。
どちらも、幾段階か、順序に従って、別のボタンを押すことで、
設定を変更します。
私が夢遊病のように、その幾段階を正確に動かして、
設定を変更しているのでしょうか?
まちがってどれかのボタンを押してしまったも、
次の動作でシャッターを切ったら、設定は変更されません。
私はバンバンとノーファインダーで撮っているのですから、
そんな風に知らぬ間に、幾段階もボタンを正確に押し続ける、
なんて、想像がつきません。
まったく理解不能の設定変更。

カメラに任せなさい、ということなのでしょうか?
私はこんな設定を「ど素人化推進設定」と読んでいます。
実は「RAW」もそうです。
もちろん絶対失敗が許されない報道等のプロカメラマン用の設定。
アマチュアがこれを使うと、現場で光を読み、
現場で露出補正によって、自分の作品らしい個性を作り出す、
という、本来、プロ、アマを問わず写真作家がやってきた
基本的な修練ができなくなってしまいます。

よい写真が撮れたらいいじゃないの、
という向きにはとても便利な機能ですが、
現場で光を読んで、最適の露出を瞬時に選択し、
それに賭けるという修練が写真家を鍛えます。
現代デジカメの超便利機能におんぶに抱っこしてもらう限り、
いつか行き詰まります。
光を読む等の修練は、
自分の個性にあふれた作品を創造する基礎修練なのですから。
カメラが撮らせてくれる美しい写真ばっかり撮ってると、
いつか写真に飽きることは目に見えているのに。

古代マケドニア王国のファランクス(密集陣形)は、
アレキサンダー大王の下で無敵でした。
その後、マケドニア人はファランクスを旧套墨守して、
どんな状況にも対応できるような可変性を備える努力を怠りました。
ファランクスは全身甲冑に覆われて、巨大な槍を突き出す陣形なので、
平坦な地形では、敵はその隙間に入り込むことができませんでした。
ところが、アレキサンダーの時代から約200年後、
ローマ軍と対決して、その弱点をさらけ出してしまいます。

ファランクスは最初こそ、
平坦な地形でローマ軍を押しまくりましたが、
前進していく内に、でこぼこの地形に入り込んでしまったのです。
ファランクスよりもかなり隙間をとって、
兵士個人の創意による臨機応変の対応に委ねていたローマ軍は、
マケドニア軍のファランクスのほころびにすかさず飛びこみ、
ついにはファランクスをずたずたに分解してしまいました。

上記の2つの設定はこのファランクスと一緒です。
プロや、経験を積んだアマが駆使してこそ、無敵となりますが、
写真を撮り始めたばかりのど素人が使うと、
写真の基本をいっさい身につけないで、
カメラに撮ってもらって、すぐにのぼせ上がります、
「ああ、わたしは天才なんだ!」
フォトショップの各種機能がその増長をさらに強化します。

プロ野球に殴り込みをかけて、いつも20点もらってゲームする、
アマ野球チームみたいなものです。
そんなに点をもらっても、5回終わってみたら、
32点対20点でコールドゲームになるのに、
勝てると思っているらしい。

私は早い時期から、写真家になどなれないことを悟って、
自分が喜べる写真を自分のために自分なりに撮ろうと決意して、
そのための修練を積んできました。
銀塩時代のメインは完全マニュアルカメラでした。
露出計もついていませんでした。
今は、デジカメを使いますが、ノーファインダーか、
ファインダーを拡大画面にして、ピントだけ合わせて、
即座にシャッターを切り、構図はファインダー上では作らない、
そんなやり方を貫いています。

その一方では、奇をてらったり、傑作写真を撮ろうとはせず、
ひたすらレンズを水平垂直に構えて、
できる限り接近して撮りますから、
余分なものは入らず、水平垂直の写真なので、
対象をまともに直立させて撮ることができます。
私の撮りたい写真なら、これで全部撮れます。
(念のため書き添えますが、
私も現代デジタルカメラからたっぷり支援してもらっています。
このこともあって、私は、写真たちを我がものとは考えません。
レンズとデジカメの賜物であって、これ以上のものではない、
そう信じています)

現代の写真家の皆さんは、プロもアマも、
銀塩時代の写真家たちのレベルを軽く超えてしまった、
そう信じておられるようです。
私は、とんでもない。
写真家の質は劣化するばかりだ、そう確信しています。
光彩陸離、巧さばかりが目立って、心が感じられないのですから。

おっと、報告が後回しになりました。
葛城古道、かなり疲れましたが、まだ、人影もほとんどなく、
ロボグラフィの宝庫であることに変わりはありませんでした。
ほっと安堵する一方で、しかし、疲れました。
葛城山系の斜面は開発がますます進み、
農道とバイパスばかりが数知れず開設されていて、
迷子寸前だったからです。




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by hologon158 | 2016-03-13 20:26 | タンバールドラマ | Comments(0)