わが友ホロゴン・わが夢タンバール

カテゴリ:ホロゴン写真展( 152 )

267.15ホロゴン外傳25「2011年9月12日故郷大和高田にダルメイヤー連れて」15 石仏に



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Nkさんが、飛鳥の路傍の素敵な石仏写真をお撮りになっています。

    斑鳩の里・初秋の光の中に
        (http://k7003.exblog.jp/)

私が、Nkさんの作品を拝見してとても面白く思ったのは、
自分を絶対的に素人だとみなす証拠のようなものだから。

Nkさんの作品からは、
俯瞰という意表をついた角度でしか見えてこない、
ある精神的光景が浮かび上がってきます。
本当に独創的な写真家です。

一方、ちょうど私も石仏の写真をアップします。
私は、石仏に出会ったとき、
信仰を持ちませんので、
信仰の対象であっても、平気。
相変わらずロボグラフィとして撮ります。
ただ、それだけ。

Nkさんの作品を観ますと、
信仰のない私だって、なにかを感じます。
まして、信仰のある方だと、もっと深く感じるでしょう。

私の写真は、そのような喚起力を持ちません。
ただの写真ですから。

理由は簡単、
私には、写真作品を創造しようとする意思も能力もないから、
そこに写っていることは、
ただ、ここに石仏があった、ということだけ。
スピード・アナスティグマートで撮ったということだけ。

でも、私にはこれが大切なのです。
世界中に素敵な写真家がいっぱいおいでになるのですが、
私が石仏に出会ったときにどんなことを感じたか、
そのことを思い出すよすがとなる写真を撮れるのは、
私1人だけなのです。

ですから、これらの写真は、
私には大事な写真なのです。
by Hologon158 | 2011-09-15 17:00 | ホロゴン写真展 | Comments(0)

143.12 ホロゴンデイ43「2009年11月7日天下茶屋とはまた壮大な名で」12 明日に向かって撮れ!

ロボグラフィって、一種類ではありません。
町によって、ストリートによって、路地裏によって、
独特です。
トルストイが、幸せはどこの家庭でも似通っているが、
不幸はそれぞれに違っていると書きました。
ロボグラフィは、一口で言えば、「廃れものの小唄」
どんなに贔屓目にみても、幸せの形ではありません。
底なしの転落への崖っぷちでかろうじて踏みとどまっている、けなげな姿、
それがロボグラフィです。
熊本のロボグラフィはどんなものだろうか?
わくわくして来ました。
今、正午すぎ。
いくつか食堂をパスして、ちょっとしたイタリア料理店を見つけました。
    おいしいグリーンサラダ、
    私のお好みの太めのスパゲッティのイカのパスタ、
    ラザニアとパン、
    自家製プディングのデザート、
    コーヒー
これで1250円なのですから、大当たりでした。
午前中1時間半で、フィルムの収穫は5本。
まずまずがんばっています。
じゃ、熊本のロボグラフィになにか特徴が見つかったか?
見つかりっこありませんね。
そんな特徴などないからです。
ロボグラフィは、路傍に転がっているやつら一人一人の姿。
擬人的に言いますと、生きざまというか、
それとも、死にざまかもしれません。
「明日に向かって撃て」で、
最後にサンダンス・キッドとブッチ・キャシディ、二人の列車強盗が、
包囲しているメキシコ軍に向かって、ピストルをぶっ放しながら、
わめき叫んで突進していくのがラストシーン。
この後になにが起こったかは明らかです。
間違いなく、二人に明日はなかった。
でも、その死にざまはきっとめざましいもので、
包囲したメキシコ兵たちに一生忘れることのできない印象を残したことでしょう。
それがロボグラフィ、
私は、そう感じるのです。
    路傍に捨てられ、廃れへの道をたどりつつ、
    やつらがなにやらわめき、
    ピストルをぶっ放している、
そんな風にお感じになりませんか?

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[後書き]
なんだか、この広報板、党と運命を共にしているみたいですね
by Hologon158 | 2010-03-13 17:53 | ホロゴン写真展 | Comments(0)

104.39 ホロゴン写真展2「古色拾い」39-完-ブレッソンなんて、もう時代遅れ?

以前、写真クラブに所属していたとき、忘年会だったと覚えていますが、
酔った挙げ句、人と意見がかなり対立したことがありました。
なにも喧嘩口論したわけではありません。
もう少し理論的なことで、
退職した後で写真を始めて、かなり腕自慢才能自慢の方がこう言ったのです、
「もうモノクロームなんて、旧式で古い。
カラーがちゃんと自然な発色をする時代になって、
モノクロをやろうという人間の気が知れない」
私はすでにモノクロームからカラーに移行して数年経っていたのですが、
ちょっとカチンと来ました。
「カラーとモノクロームをそんな風に比べるのはおかしいんじゃありませんか?
ぜんぜん別ものなんだし、第一、モノクロームは色を抽象するだけに、
成功すると、素晴らしい芸術になる可能性が高いですよ。
カルティエ=ブレッソンを見て下さい」
すると、彼、
「カルティエ=ブレッソンなんて、もう時代遅れですよ。
今では、あんな写真よりももっと凄い写真を撮る写真家がどっさり居る!」
彼が言いたかったことは、「たとえば、私」であることは明らかでした。
こんな誤解が大変に満遍なくアマチュア写真家に行き渡っている感じがします。
とりわけデジタルカメラが進歩した結果、
かつて、プロが重い三脚に重い四×五を据え付け、重いレンズを押し込んで、
重い露出計で露出を測り、シャッター速度と絞りをやおら設定し直して、
レリーズで「えいっ!」とばかり、気合いを込めてようやく撮った写真と、
ほとんど同じくらいに精密描写で、色も露出もどんぴしゃり適正な写真を、
初心者が手持ちで軽々と撮れる!
それで、「わたしゃ、カルティエ=ブレッソンを超えました」となります。
そんな身の程知らずは別として、
写真評論家、写真史研究家たちも、カルティエ=ブレッソンの報道姿勢は恣意的であった、
写真もいわば強者から弱者をあわれみの気持ちで撮っていて、
ニュートラルなドキュメンタリーじゃなかった、とかなんとか、あげつらって、
だから、カルティエ=ブレッソンはすでに否定されたと言わんばかり。
確かに写真技術は発達し、写真に対するアプローチの仕方も進化しました。
でも、そうしたいわゆる「進歩」「発展」は、
カルティエ=ブレッソンのような巨人たちの努力、成果の上に築き上げられているのであり、
そんな進歩、発展をいくら重ねても、到達できない、ある種の絶対的な境地に、
偉大な写真家たちはたどりついている、私はそう考えます。
偉大な写真家たちは乗り越えられるのではなく、
後輩は、その肩に立って、ものの見方、とらえ方に対する新しい地平を見晴るかし、
今度は、別の場所に、自分で自分の山を築き上げるのです。
芸術の歴史に、直線的な進歩の流れなど、存在しません。
次々と曲がり角を曲がって、新しい世界に足を踏み出すのですが、
そこまで至れたのは、先人の積み重ねの賜物であり、
大芸術家たちは、真珠の首飾りの一つ一つの真珠のように輝いて、
全体として互いに美しさを引き立て合うのではないでしょうか?
というわけで、私は、おそらく素人のせいでしょう、
芸術の分野における学問的研究にほとんど重きを置かないのです。
あるのは、個々の芸術、一人の芸術家との対決、向かい合い、出会い、衝突であり、
その芸術と私自身とが響き合えるかどうか、それだけ。
響き合えないからと言って、その芸術家を否定するのは傲慢というものです。
たがいに合わなかっただけだし、ときにはこちらの無理解だってありえます。
稀に私の心を震わせてくれる偉大な芸術はタイムマシーンです。
幾世紀を超えて、私の心がその芸術家の心にじかに触れることができるのですから。
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by Hologon158 | 2009-09-05 00:07 | ホロゴン写真展 | Comments(0)

104.38 ホロゴン写真展2「古色拾い」38 日陰者列傳ここにあり

天王寺の通天閣のすぐ側に小さな芝居小屋があります。
ある意味では田舎芝居。
でも、ある日、通りかかると、ちょうど舞台がはねたところで、
役者たちが舞台衣装のまま道路に出てきて、ファンたちに取り囲まれていました。
ちゃんとおっかけのおばさまたちが居て、お祝儀を渡したり、
握手したり、額の汗をぬぐってあげたり。
どんなに田舎芝居でも、渾身の舞台を務め、
ファンたちも熱狂的にそれに反応するのでしょう。
演技だって、そんなに質の低いものじゃないかも知れません。
でも、時代があり、時があります。
大手の役者にのし上がるためには、ある種の幸運、チャンスが必要。
そんな幸運、チャンスをつかめないままに、
目立たぬ場所にひっそりと逼塞している名役者だっていることでしょう。
どんな分野でも、これは同じ。
成功する人には、もちろんそれなりの才能があって、単に運がよいわけじゃない。
でも、成功しない人の中にとんでもないほどの芸術家がいたりするものです。
ところが、反面、ほとんど才能がないのに、運だけで大舞台で大きな顔をしている人だっている。
だから、始末が悪い。
結局、世の中、不公平にできているのです。
もし、そんな不運な芸術家を見つけたら、ぜひ、応援してあげてください。
そして、路傍にも、そんな日陰者たちが沢山いることを忘れないでください。
私のブログは結局、「日陰者列傳」なのです。
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by Hologon158 | 2009-09-04 21:26 | ホロゴン写真展 | Comments(0)

104.37 ホロゴン写真展2「古色拾い」37 ハッブル望遠鏡、ああ、ハッブル望遠鏡!

私も少年の頃、いっぱしの天文少年でした。
小さな屈折望遠鏡、成人してからは反射望遠鏡を手に入れましたが、
目当ての星を見つけるのに苦労し、
見えた星はそんなにはっきりとしないし、
あっと言う間に視野から消える、
期待したほどに、私の夢をかき立ててくれる宇宙の像をとらえることはできませんでした。
もっとも心をときめかしてくれたのは、なんと言っても、
映画「2001年宇宙の旅」の冒頭シーンでした。
原始時代からどんと宇宙ステーションの画像に切り替わったときの驚き,
心の広がる想いは今でもはっきりと覚えています。
ジョージ・ルーカス監督のスターウォーズ・シリーズにも大いに期待したのです。
でも、ありきたりの星団のイメージ、
ありきたりの宇宙ワープのシーン、
レイア姫が可能な限り露出した姿で、
ジャバ・ザ・ハットの奴隷となっているシーンには吹き出してしまいました。
なんたる旧式イメージ。
なんたる貧弱な想像力。
ルーカスとそのスタッフはここで普通の男性の視点からイメージを作っている。
ジャバは人間じゃない!
ジャバが男性ヒューマノイドであるとしたら、
ジャバの美しいと想うのは、ジャババ姫であって、レイア姫じゃない!
じゃ、自分で想像してみよう、そう考えても、なかなか難しいですね。
見たことのないものを想像するのは、かなり困難。
昔、夢で見たシーンは今でもはっきりと脳裏に残されています。
暗い坂の向こうの天空全部をいっぱいに埋めて、
色とりどりの星々が、不定形の星団を作って、立ち上っていたのです。
ちなみに、私の夢は、いつもではないのですが、時に総天然色です。
別の夢では、完全なるブルーの透明の水がひたひたと波打つ沼に私は面して立っていました。
私はこんな華麗なる色彩の夢を毎夜見たいものとあこがれているのですが、かないませんね。
ほとんどいつも、目覚めたときには、見た夢を完全に忘れているのですから。
ちょっと話が逸れましたが、私の長年の夢をちょっぴりかなえてくれる本を見つけました。
野本陽代「ハッブル望遠鏡 宇宙の謎に挑む」(講談社現代新書)
たった940円で、信じがたいようなイメージが幾枚も幾枚も!
人工衛星に天体望遠鏡を組み込んで打ち上げたのです。
視界を遮る空気層がない!
その写真の鮮鋭なこと!
まさに人生観、宇宙観をひっくり返すような写真たち!
地球のような惑星を従えている恒星を数知れず含む銀河系の、
想像もつかないような多彩な姿をここではじめて観ることができました。
もっと凄い光景があるのです。
どんなものか、書かないでおきます。
まるで神話的な超越的なシーンが観られます。
月並みな言葉でお許し下さい、
宇宙は夢と驚きに満ちているのです。

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by Hologon158 | 2009-09-04 18:52 | ホロゴン写真展 | Comments(0)

104.36 ホロゴン写真展2「古色拾い」36 要するに、「脳天気」なのかな?

ジョン・メディナが「ブレイン・ルール」で、忘れない男の話を書いています。
1886年生まれのロシア人新聞記者のソロモン・シェレシェフスキー。
彼は、どんなものでも、たとえば70以上のリストでも、視覚化することによって、
どんな形であれ、復唱することができ、15年後でも同様だったのです。
すべてが個別的な情報として、脳の中に蓄えられたのです。
ところが、これらの記憶をたがいに組み合わせて、組織化することができなかった。
忘れることができないために、日常生活にも困るほどだったのです。
ボルヘスも、短編小説「記憶の人フュネス」で、すべてを記憶してしまう人間が、
どんな悲劇に陥るかを描いてくれました。
メディナは、日常生活をスムーズに送り、思考を組織化するためには、
忘却が不可欠の役割を果たすと述べています。
記憶のスペースを優先度を付けて確保し、
優先度の劣る情報を速やかに忘れることができるからこそ、
人間は、必要な情報を蓄え、利用できるように組織化することができるのです。
あなたはいかがですか?
どんな細かいことでも、ちゃんと覚えていますか?
私は、たいていのことは全部忘れてしまいます。
記憶力がよくないことは超一流の私ですが、
メディナ氏の説明を読んでいて、だんだんと、自分は幸運だったのだなと思うようになりました。
おかげで、私は、ずばっと一番本質的なことだけをつかみ出す名人か、
それとも、ずばっとつかみだしたものだけが、自分には大切なものだと思いこむことで、
思考を自分勝手に単純化できる名人か、そのどちらかなのです。
それとも、ときには前者、ときには後者なのかも知れません。
それの方がいかにもありがちなことです。
とすると、私という人間は別の意味で、厄介を抱え込んでいるのかも知れません。
つかみだしたものが、本質的なものか、それともアトランダムに抽出したものががせネタか、
どうやって区別をしたらよいのでしょうか?
こいつは厄介です。
そこで、こう信じることにしています。
私は、木を見ずに森を見ることのできる名人なのである、と。

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by Hologon158 | 2009-09-04 00:08 | ホロゴン写真展 | Comments(0)

104.35 ホロゴン写真展2「古色拾い」35 ホルバインのいたずら

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ハンス・ホルバインというドイツの画家がいます。
レンブラントやフェルメールよりも1世紀前にロンドンで活躍しました。
偉大なる文人エラスムスの肖像画で有名ですが、
角度を変えてみたとき正常な形となるアナモルフォーシス形式で、
だまし絵を楽しんだことでも有名です。
「大使たち」と題する肖像画です。
いずれもホルバインの友人で、フランスの廷臣、僧侶の若い頃の肖像。
実に見事な精密画法で、まさにその場にいるがごとく描かれています。
それなのに、二人の足下にはなにか異様な物体。
左下から斜めにのぞき込んでください。
なにが浮かび上がるでしょうか?
ロンドンのナショナルギャラリーにありますが、
実際にのぞいてみて、笑ってしまいました。
なんで、こんなおかしな遊びをしたのでしょうね?
二人の肖像よりも、だまし絵の法が興味を惹いてしまう。
折角の友人たちの肖像画がぶちこわしではありませんか?
ローマの聖堂の天井画も同種のだまし絵ですが、
こちらの方は正当な理由があります。
私は行ったことはありませんが、真下に立って見上げると、
まるでドーム天井に立体の彫刻がびっしり設置されたように見える。
窓は本物なのでしょう。
そうすると、その窓をも効果的に利用して、
天空目指して壮麗なる世界が展開してゆくようで、スペクタクル。
実際よりも遙かに高い天井と錯覚させる効果があります。
結局、人間の視覚が立体視を生み出すのでしょう。
真下から見上げると、
遙かなる高みに逆に落ち込んでいきそうな錯覚を覚えるのではないでしょうか?
アナモルフォーシスは、それが有効に働くと、異様な雰囲気を作り出します。
試しに、手のひらに乗るほどの大きさの長方形の紙を切り、
4等分するように、折り目を付けて、横から見ると、Wの形にしてみてください。
この紙を手のひらに載せて、じっとにらみます。
そのとき、山形の折れ目を谷と、谷形の折れ目を山と感じられるように、
自分の視覚を逆転させてみてください。
最初は難しいけれど、すぐに簡単にできるようになります。
すると、それが成功した途端、紙がぐらっと動くように感じ、
手のひらに異界が出現したかのように、不思議な違和感を覚えるはず。
あんまり見続けると、吐き気さえするほど、
一度お試し下さい。
それほどに、視覚って、奇妙な働きをするのです。
だまし絵はこうした視覚の特殊性を逆手にとっているようですね。
(ホルバインのだまし絵はしゃれこうべでした)
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by Hologon158 | 2009-09-03 22:01 | ホロゴン写真展 | Comments(0)

104.33 ホロゴン写真展2「古色拾い」33 美のかけらでいっぱいに

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今、ナンシー・ウッドの「今日という日は贈りもの」(角川文庫)を読んでいます。
「今日は死ぬのにもってこいの日」(めるくまーる)の著者です。
どちらもネイティブ・アメリカンの英知を凝縮したような詩をたっぷり味わえます。
なぜインディアンの言葉を考えるとき、英知という表現を使うのか?
理由は簡単です。
ほんとうに英知に満ちているからです。
私たちの祖先が知っていて、私たちが忘れてしまった真実をしっかりと忘れていないからです。
こんな言葉、いかがですか?

      魂を美のかけらでいっぱいにしよう。
      そして、ゆっくりと時間をかけて、
      そのかけらをつなぎあわせよう。
      きっと一つの完全なものができるはず。

私はかってにこんな風にいつも考えています。
美って、普遍的なものかも知れないけれど、
その前に、きわめて特殊なものであるはず。
誰にとっても美ではないけれど、ぼくには美であるようなものがあっていいじゃない?
それがロボグラフィなのです。
私は、ロボグラフィを撮るとき、写真をしているという言葉は適切ではないと感じています。
美をエンジョイしているのです。
大げさに言いますと、私の魂をロボグラフィの美で満たしたいのです。
その一瞬の体験こそ大切。
だから、写真はその結果にすぎません。
オペラグラスを目にあてて、オペラのクライマックスを楽しむように、
ホロゴンというレンズを通して、ロボグラフィを楽しむのです。
こうしてご覧いただいている写真のすべてが、
私の美の体験のかけらの証拠であり、証拠でしかないのです。
私の心の奥底深くに、魂のどこかに、この美がしっかりと根付いてくれること、
これだけが大切なことなのです。
この美がそこから魂の隅々まで沁み通り始め、すでに住んでいる美たちと結びつき、
私の心を美しく染めあげてほしい。
こんな願いの下では、ブログは、私の魂のための備忘録となります。
美のかけらをつなぎあわせる助けになればという願いをこめて。
私の魂の中では、フェルメールもダ・ビンチも路傍のドラム缶もホースも手袋も、
みんな同格の仲間であり、私という人間を織りなす、貴重な絹糸なのです。
20世紀の偉大なる哲人、アルフレッド・ノース・ホワイトヘッドは、自伝でこう書いています。
  「ロンドンの私の家に、ある日私の娘が入っていくのを警官が見かけて、
   天使が入っていったと思ったそうです。
   それは真実でした。
   外観は何でもない住居ですが、私たち一家にとってはパラダイスだったのです」
ホワイトヘッドは、そんな天使の一人、長男を戦争で失います。
その心の痛みを克服できるような世界観を作り出すために、
ホワイトヘッドは、壮大なる形而上学を生み出した、
彼の近い弟子はそう説明しています。
道理で、彼の哲学には悲観的な要素や不安と言った消極的要因は皆無。
宇宙の小さな塵一つまで、宇宙の片隅の道の存在まで、すべてが寄与して、
私たちすべての存在がある、そんな光に満ちた思想なのです。
私も、私のパラダイスを家庭と私の心の中に生み出したいと願っているのです。
昨日、妻が小旅行から帰宅しました。
二人で居間に座っていると、長男の銀太が妻の真横にやってきて、
きちんと手を揃えて行儀良く座り、じっと妻を見上げました。
そのあどけないまん丸の瞳は、喜びとあこがれに輝いていました。
この猫、すでに13歳、実年齢ではかなりの老齢かも知れませんが、
私たちにとっては、かけがいのない美しい天使であり、生き甲斐なのです。
by Hologon158 | 2009-09-03 16:40 | ホロゴン写真展 | Comments(0)

104.32 ホロゴン写真展2「古色拾い」32 鈍い眼差しもいいんじゃない?

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先週土曜日、刀匠と料理人、二人の鋭い眼差しに出会って、
考えました。
近頃、鋭い視線の人間に出会うことがとても少ない!
二年ばかり前、ある写真展の会場で、
大阪府警の特捜部刑事だったという方に紹介されたことがあります。
その方も、なにもかも見通してしまうような鋭い視線でした。
刀匠と刑事、どちらも視覚を武器とする仕事。
料理人だって、切れ味と美観という見た目が味を引き立てる勝負どころです。
むかし、土井勝という料理人がテレビ番組を持っていたことがありました。
この人の包丁さばきにはうっとりさせられました。
その刺身を厳選された皿に盛りつけますと、
テレビ越しなのに、いかにもおいしそうに見えたものでした。
彼もまたやはりとても鋭い眼光の人物でした。
とても柔和な眼差しで柔和にしゃべりましたが、
なんだか甲冑を法衣で隠そうとした平清盛といった風情がありました。
これらの人たちは、日々、しのぎを削る職場に生きる人たち。
日々戦場に生きる心構えで、熱い志を胸に秘めて生きている人たち。
そんな人たちが今でもどこかで戦っているのでしょう。
でも、私自身がそうした戦場から遠ざかったせいでしょう。
とても縁遠い世界になってしまいました。
ある意味でほっとしていますが、ある意味では残念。
人生に緊張感が大切だからです。
しかし、反面、そうした戦場に生きる限り、
大空高く浮かびながら、羽を休めつつ、遊翼して、
高みから世界をはるかに見渡す、そんな余裕もなかったことを思い出します。
なんで毎日こうも忙しく仕事をしまくっているのか、
そう心に尋ねて、答えがない、そんな日々だったことを思い出します。
もともと節穴の目なので、鋭くなかった眼ですが、
今は、もっともっと鈍くなりました。
それでいいんじゃない?
by Hologon158 | 2009-09-03 16:00 | ホロゴン写真展 | Comments(0)

104.31 ホロゴン写真展2「古色拾い」31 ジョン・メディナって一読の価値あるよ

ジョン・メディナの本が面白いですね。
「脳の力を100%活用する ブレイン・ルール」(NHK出版)
この表題だけ読めば、知的開発法のノウハウ本と思われることでしょう。
でも、中身は、れっきとした知能に関する生理学的、心理学的研究の集大成本。
脳の中がどうなっているか、いろいろ説明してくれるのですが、
まともに聞いていますと、もう怖ろしくなってきます。
脳の中は、ヒドラがのたうち、電気がバチバチと火花を散らす、ホラーの館なのですから。
脳の働きの重要性をしっかりと教えてくれます。
たとえば、「脳の重さはたいてい体重の約2%にしか相当しないが、
体のエネルギー総使用量の約20%を使っている」
そう、私たちは頭を使って生きているのですね。
メディナは、単刀直入に切り込んできます、
頭をよくしたかったら、運動すること!
「体にある道路、すなわち血管を、運動で増やすのだ」
「歯状回と呼ばれる領域は、海馬を構成する重要な要素だ。
この歯状回の血液量が、まさに運動によって増加することがわかった」
身体を動かすのが億劫なあなた、ご心配はいりません、
週2,3回で十分効果的だそうですよ。
でも、そうなると、あなた、心配ですね、
ぼくは週2、3回なら、これまでもずっと運動してきたよ。
でも、賢くなった感じはぜんぜんしない!
結局、運動だけじゃ、足りないのでしょうね。
そこで、この本から、ほんとに頭のよい人はどんな風に頭を使うか、紹介しましょう。
アメリカの大学で、キャンパスを完全に改造し、建物の間を芝生で埋めたのです。
そこで、各建物を結ぶプロムナードを設置する段になったのですが、
その設計図がないのです。
学長は、道を付けるのは新学期が終わるまでまで待って欲しいと言ったそうです。
学生たちは、その学期中、やむなく芝生の上を歩き回って移動したのです。
すると、キャンパスの芝生には次第に足跡が残り、
知らぬ間に、キャンパスは驚くほど効率的な径路で結ばれていたのです。
あとは、アスファルトを敷くだけ!
メディナは、こんな風に結ばれた径路がニューロンによって脳内に作られると言います。
さて、あなたの脳内キャンパスは効率的な径路で結ばれていますか?

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by Hologon158 | 2009-09-03 00:15 | ホロゴン写真展 | Comments(0)