わが友ホロゴン・わが夢タンバール

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37.14 ホロゴンデイ15「2008年8月2日の伏見稲荷」14 このカメラなしで暮らさなければと考えるだけで


11の「今、一番見たい写真は何ですか?」という問いかけに、
yoshipassさんがこたえてくれました、「マリオ・ジャモメリ」
ご存知の方も多いと思います。
イタリアの写真家です。
実は、私もそのモノクローム作品をじかに観たいと願っている写真家だったのです。
この人、実に面白い人なのです。
というのは、写真を始めてからずっと一つのカメラを使い続けてきた人なのです。
彼の対談を読みました。
その辺りの気持ちを語ってくれるのですが、
それがみんな私の心に直接響いてきます。
「このカメラとずっと生活を共にしてきました。
僕の人生のたくさんの瞬間、良いときも悪いときも僕と一緒にやってきました。
もしこのカメラが無くなったら?
このカメラなしで暮らさなければならないと考えるだけで、
心臓が締め付けられるようですよ」
どうやら六×九判のカメラを友人に簡略化してもらって、
距離と絞りとシャッター速度だけを調節できるようにしてもらったようなのです。
「大事なのは、光がもれないことです。これはただの箱」
彼はこうも言います、
「もしできたら、カメラなしで撮影したいくらいですよ。
メカが好きではないのでね」
もともと画家を志望していたジャコメリが写真を撮るようになったのは、
「他の技術では取り逃がす事実をとらえることができること、
「写真がより強烈なものを作らせてくれることを発見した」からなのです。
次の言葉もいいですね、
「ぼくは時間の許すかぎり写真を撮っています。
ぼくは本職の写真家ではありません。
誰からも命令を受けず、今写真を撮ってこいと言う人もいません。
その気になって、自分が準備できたなと感じたら、撮ります。
精神集中ができないと、写真は撮りません」
でも、一番共感した言葉はこうです、
「このカメラは、僕と同じように感じ、
僕の邪魔もせず、難しいこともいわない」
コンタクトの中から写真を選ぶ心構えも気持ちがよいのです。
「自分が感じたことに一番合っていて、
他人と分かち合いたいと望む瞬間を一番よく再現している映像を選びます」
そして、とどめの一言、
「僕にとって、富とはまさに他人が捨てた無用なもの、
他の人にとっては意味をなさないつまらないものなのです」
私には、ジャコメリの言葉の一つ一つが珠玉のように感じられます。
私がホロゴンに対して感じていることそのまま、
私が写真に対して感じていることそのままを、
これ以上ない位に心温まる表現で言い表してくれたのですから。
ジャコメリさん、ありがとう!

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by Hologon158 | 2008-10-31 20:28 | ホロゴンデイ | Comments(0)

37.13 ホロゴンデイ15「2008年8月2日の伏見稲荷」13 時間の刻まれた顔、ある黄昏とある街


アルゼンチンの文豪ホルヘ・ルイス・ボルヘス、
私はこの人が大好きなのです。
1944年の「伝奇集」、49年の「不死の人」、
この2冊に熱狂したのは、まだ学生の頃だったように記憶しています。
おそらくオスカー・ワイルド、ポー、芥川龍之介の、
強烈に圧縮された小宇宙的短編小説の伝統を、
南米特有の宇宙的なスケールの視野の中に取り込んで、
独特の短編小説を世界に贈ってくれた人でした。
まさに筆を惜しむ極端な節度をもって紡ぎ出されるのは、
測り知れない深い教養に裏打ちされた神話的小宇宙でした。
このボルヘスが1950年に、こんな箴言を残してくれています
「音楽、
幸福の陶酔、
神話、
時間の刻まれた顔、
ある黄昏とある街、
これらはすべてなにかを語ろうとし、
われわれが見落としてはならなかった何かをすでに語り、
あるいは何かをまさに語ろうとしている。
いまだ生み出されないこの啓示の緊迫性こそ、
美的現実というものであろう」
詩人でもあった言葉の達人が語るのです、
この言葉それ自体が詩であり音楽である、そんな感じがします。
おそらく原文は、完全に詩であるはず。
この、あたかも写真を視野において発言したかのような、
しかし、実は写真とは無関係の言葉のようです。
にもかかわらず、この言葉は写真に一番よく当てはまる感じがします。
「時間の刻まれた顔」、まさに写真ではありませんか!
「ある黄昏とある街」、これこそ今や私のライフワークとなりそうな主題。
最後の4行と来ますと、
もう写真表現の特質そのものではないでしょうか?
「いまだ生み出されない啓示の緊迫性」、
それを抜き差しならない迫真さで写真に盛り込めたら、
そのとき、写真は、
他の芸術のなしえない別種の奇跡を果たすことができるのではないでしょうか?

さて、伏見稲荷の参道はもう薄暮に近づきつつあります。
まさに「ある黄昏」
陽光と混じり合って、照明があたたかいですね。

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by Hologon158 | 2008-10-31 00:05 | ホロゴンデイ | Comments(2)

37.12 ホロゴンデイ15「2008年8月2日の伏見稲荷」12 人々の願いが積もり積もって


お稲荷さんは商人の神様として知られています。
つまり、現世的な御利益が直接見込まれる神様なので、
端的に御利益を要求できる心やすさ、分かりやすさが身上。
神域の至る所に礼拝所が設けてあります。
礼拝所ごとにどんな由来があって、どんな御利益があるのか、
さっぱり分かりません。
でも、長年お稲荷さんとお付き合いをしている人たちは、
そのあたりの微妙な違いを経験によって十分に把握しているはず。
前にも書いたかも知れませんが、
私は神社仏閣でお祈りをしたことがありません。
祈る姿って、傍目にはとってもすがすがしく美しく見えます。
ところが、あまのじゃくな私、
傍目に美しく見えるような行動は絶対にしない。
願い事は神様にお願いしない。
というより、神様にお願いしなければ実現できないようなことは願わない。
自分の努力で実現できることしか、人生で願わない。
そんな性格の人間に幼い内からできあがってしまっていたようです。
面白味のない人間なのですね。
そんなわけで、伏見稲荷でも、
礼拝所は純粋にフォトジェニックなものとして撮っているせいでしょうか?
人々の願いが積もり積もって、独特の気配となって立ちのぼる、
そんな霊気のオーラを撮ることはとても無理。
撮影者本人が信じていないのに、
ホロゴンウルトラワイドに信じろと言っても、それは無理。
それなのに、じっと写真を見ていますと、
なにかしら漂うものの気配…

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by Hologon158 | 2008-10-30 21:29 | ホロゴンデイ | Comments(0)

37.11 ホロゴンデイ15「2008年8月2日の伏見稲荷」11 今、一番見たい写真は何ですか?


写真のことに限定しておたずねします。
今、一番見たい写真は何ですか?
「自分の生涯最高の傑作」なんて、言いっこなしにしましょうね。
生涯最高の傑作は、常に、次に撮る一枚なのですから。
見たい写真作品と考えますと、私にも一杯あります。
でも、作品という枠を外しますと、
私が今一番みたいもの、それは、
カルティエ=ブレッソンのコンタクト・プリント!
カルティエ=ブレッソンがどんな風に写真を撮っていたのか?
決定的瞬間として、かれが選んだ作品の前後にはどんなコマがあるのか?
一発必中で撮ったのか?
それとも、幾枚も幾枚も同じ場所で撮ったのか?
カルティエ=ブレッソンの写真の著作権はマグナムにあるそうです。
カルティエ=ブレッソンは、その生存中、コンタクトシートの公開を禁じていました。
彼が亡くなった今、おそらく誰かがカルティエ=ブレッソンの創作の秘密を探るべく、
彼の膨大なコンタクトシートの研究を始めている、
私はそう信じたいですね。
そして、彼の代表的作品200枚が含まれたコンタクトシートと、
その撮影の秘密にかんする専門的な研究とが見開きA4判2頁に掲載された、
浩瀚な研究書が出版されたら、
どんなに高価でも、三冊購入します。
一冊は大切に保存しておいて、他の二冊は分解し、
見開き各2頁をシートに貼り付けて、どこに行くにも、携帯します。
そうして、彼の創作の秘密を自分なりに見つけ出します。
待ち遠しい!
でも、マグナムは、カルティエ=ブレッソンの創作の神秘は神秘のままに残す、
そう決断して、誰にも研究させていないのでは?
いや、その可能性は考えない!
ひたすら、コンタクトシートの公刊を待ち続けることにします。

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by Hologon158 | 2008-10-30 18:03 | ホロゴンデイ | Comments(0)

37.10 ホロゴンデイ15「2008年8月2日の伏見稲荷」10 あんたら、趣味悪いのんとちゃうか!


私の身近な人間の話です。
ある時、富豪の収集した美術品を収める美術館建設に携わったことがあるそうです。
大学教授の建築家と2人してプランを定め、
富豪のお宅を訪れたのです。
広大な玄関に入って、2人は顔を見合わせ、
「しまった! 相手を間違えた!」
玄関の間には、なんと巨大な虎の剥製がぐっとにらみをきかせていたのです。
ま、とにかくプレゼンテーションを済ませることにしました。
持参したプランを見せて、説明を終わりました。
すると、くだんの富豪、2人をぐっと見据えて、
「あんたら、趣味悪いのんとちゃうか!」
品とか常識は、いわば方位のようなものです。
その人が立っているところが座標軸の中心。
ある人から上品に見えることも、他の人からは下品に見えます。
以前、満員電車で傑作な会話を耳にしました。
超満員です、3人席にほとんど2人分占領して、中年男が座っています。
とうとうたまりかねて、初老の紳士が「失礼します」と真ん中の隙間に座りました。
でも、男はまったく譲ろうとしません。
紳士、数分経ってとうとう我慢ができなくなって、丁寧に、
「窮屈なので、ちょっとそちらに譲っていただけませんか?」
そのときの中年男の返答が傑作でした、
「先に座ったもんが好きなように座るのが常識やないか!
そんなこともわからんのか!」
「話せばわかる」ってよく言いますが、わからないこともあるようですね。
お粗末の一席でした。

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by Hologon158 | 2008-10-30 14:07 | ホロゴンデイ | Comments(0)

37.9 ホロゴンデイ15「2008年8月2日の伏見稲荷」9 小瓶の中でぶつぶつ不平の老婆、それが私だった!


千夜一夜物語の中にビンの中の老婆の話が出てきます。
魔神(ジン)だったと記憶していますが、
小瓶の中でぶつぶつ不平不満を言っている老婆を見つけて、
もう少し大きなビンに移してあげます。
また、不満。
もっと大きなビンに。
またまた、不満。
この繰り返しで、とうとう大邸宅を与えるのです。
でもやはり、不満が出てくるものです。
魔神はついに堪忍袋の緒が切らして、
老婆をもとの小瓶に戻してしまうのです。
これが人間性というものですね。
私なども、クラシックカメラを漁っていた当時、同じことをやっていました。
あんなに夢にまで見た超名レンズ、ついに手に入れた!
それなのに、その途端に、ふっとその夢が消えてしまい、
しばらく使うと、なんだ、こんなものかと分かったような気になって、
気が付いたら、売ってしまっている。
アルパ用のキノプティック100㎜とか、コンタックス用の135mmF2なんていう、
猛烈に美しいスタイルで、猛烈に美しく撮れるレンズたちも、
今は夢の彼方に消えてしまいました。
なぜなのでしょう?
思うのですが、
私たち、明確な形ではないにせよ、
なにかにつけて、心の中になにかある種の理想、夢のイメージを抱いているのです。
写真で言えば、私の場合、リアリティがあって、デモーニッシュな雰囲気、
そんなところでしょうか?
でも、そんな理想、夢をかなえてくれるレンズなんて、なかなか見つかるものではありません。
こうして、さまざまな名機たちが私の手からすり抜けて去っていってしまいました。
ところが、12年前、不思議なことが起こったのです。
それがホロゴンウルトラワイドとの出会い。
他の全てのカメラ、レンズについて言えることですが、
使い方は比較的簡単です。
私の友人のRAさんなんか十数台のカメラ、60本余のレンズを
日替わりですいすいと使いこなしておられます。
でも、ホロゴンウルトラワイドだけは12年かかってもまだ習得できない!
そして、ホロゴン15mmF8の写りを予想することなど、
未だかつて成功したためしがないので、完全に断念している始末。
それでもやはり、私もいじらしいですね、
ちょっとした淡い希望、願いが心に浮かぶのです。
こんな風に撮れていたらなあ!
でも、ホロゴン15mmF8はいつもその希望、願いを見事裏切るのです。
いつももっともっと素晴らしいのです。
これじゃ、ホロゴンウルトラワイドに飽きたり幻滅したりすることなど、
とうていおこりっこない!
その結果がこの程度の写真か!
と、皆さんお笑いになるかも知れませんが、
写真の質は別として、
画像的には、ブログでお目にかけているのは、わずか72dpiに落としたもの。
私の昇華型熱転写でプリントしたときの画像の見事さは、
私にとってはいつも夢のイメージなのです。

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by Hologon158 | 2008-10-30 11:28 | ホロゴンデイ | Comments(2)

37.8 ホロゴンデイ15「2008年8月2日の伏見稲荷」8 黄泉の国に下るいざなみの尊もかくや


伏見稲荷の楽しみの一つは、お茶屋さんでの休憩。
鳥居参道が丘を延々と登ってきて、ようやくたどり着く一つの到達点がここ。
そして、夏の楽しみはなんと言っても、かき氷。
関西のかき氷の一つの頂点は「宇治金時」と言えそうです。
かき氷の中に粒あんが入っていて、たっぷりと宇治茶のシロップがかかっています。
適度な甘さで、氷で凍える舌を粒あんが休めてくれます。
見栄えも味も極めて良し!
私にとって、撮影の合間の最高の楽しみは、夏はかき氷、夏以外はお善哉!
今回も宇治金時を頂き、しばし、疲れた身体を休めました。
涼風が吹き渡り、茶屋のお座敷のカーテンと簾を揺らします。
その簾の前を見ますと、
なんとこの真っ昼間からカップルが差しつ差されつではありませんか!
けしからん!(いやあ、このあたりの表現、古い言葉ですね)
でも、あんまり羨ましくありませんね。
よく、ご覧ください。
奥様狸の方がどう見ても強そうで、旦那狸、ちょっと腰が退け気味ですぞ。
この稲荷山はお百度を踏む巡回路となっています。
その出発点がお茶屋さんというわけです。
折から美しい女性が一人通りかかりました。
通りすがり、女性の40センチばかり背後で、さっと一枚頂きました。
暗い参道に下ってゆく後ろ姿は、
古事記の、黄泉の国に下るいざなみの尊もかくやと思われる風情、
そう言いたいところですが、あいにくとても健康的でさわやかな美女、
先ほどさわやかな涼風をお茶屋に送ってくれたのは、
この女性だったかも知れません。

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by Hologon158 | 2008-10-30 00:02 | ホロゴンデイ | Comments(0)

37.7 ホロゴンデイ15「2008年8月2日の伏見稲荷」7 月のない夜、稲荷山に忍びのぼったら


伏見稲荷でなにがフォトジェニックか?
そう質問しますと、人によって随分違った答えが返ってくるでしょう。
私も幾たびに違った面を感じます。
霊地、結界としての幽玄の気配にあるとこたえる人もいるでしょう。
でも、そんな気配を撮ることなど、私の能力外。
だから、私はものを撮ることにしています。
伏見稲荷に点在するさまざまなもののなかで面白いのは、
なんと言っても、鳥居とお狐様でしょう。
私の好みはどうしてもお狐様に傾きます。
みんな顔が違い、雰囲気も違います。
狐がなぜ稲荷神社と結びついたか、さまざまな説があるようですが、
どうも定説はなさそう。
私はかってに考えるのですが、
どうも狐の容貌、姿勢、走りっぷりに原因、理由があるのではないでしょうか?
いかにも鋭い勘と切れ味のよい知恵がありそうな面構え、
すらりと姿勢のよい姿、
流れるような疾走、
こうしたものが超自然的な力を感じさせ、
他のどの動物よりも、神のお使いにふさわしい、
そう考えられたんではないでしょうか?
伏見稲荷のお狐様はそれぞれに印象的な面構えで、
真紅のよだれかけが狐の存在感を高めています。
暗い杉林に囲まれた神域を巡っていますと、
狐たちがなにか意識ある存在に見えてきます。
月のない夜、稲荷山に忍びのぼったら、
呪縛が解けて、生身の姿に戻ったお狐様たちが、
鳥居に覆われた参道を駆けめぐる姿が見られるかも…

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by Hologon158 | 2008-10-29 21:46 | ホロゴンデイ | Comments(0)

37.6 ホロゴンデイ15「2008年8月2日の伏見稲荷」6 これはちょっと違うんじゃない?


ブログを始める前、
私は写真界の現状についてまったく無知でした。
写真雑誌も10年以上見たことがないし、
現代の写真家たちの動向についても無関心だったからです。
ブログを始めて分かったことは、
ディジタルカメラがすでに写真界を席巻してしまったこと。
私のような銀塩写真の愛好家はすでに完全な少数派であること。
私も、負けじとばかり、シグマDP1を手に入れました。
最初、その8×10判ばりの超高画質には仰天しました。
でも、ふっと気づくと、それは不思議の国のアリスの世界だったのです。
面白い、
でも、いつかは現実世界に戻らなければならない、そんな世界。
肉眼を超えているからです。
実物大の再現であれば、まだ納得ができます。
でも、たかだか六切り、四切りのサイズの中で、
肉眼を遙かに超える再現をされますと、
これはちょっと違うんじゃない、そう言いたくなるのです。
それで思い出しました。
古典期のギリシアでは、素晴らしい彫像が続々と創られました。
とくにアクロポリス神殿の破風などの彫刻の素晴らしさは、
大英博物館やアテネ国立博物館でつぶさに体験できます。
大理石のなかに生身の女性が閉じこめられているかのような、
端麗、艶麗、それなのに清純な美に満ちています。
ところが、ローマ時代になって、ローマの貴族たちは、
さまざまな建築物を装飾するものとして、数知れぬ彫像を創らせました。
その多くはギリシア古典期の彫刻のコピー、模写でした。
これらの模作はなかなか見事な出来映えです、
素晴らしいとさえ言えます、
ギリシアのオリジナルを見ない限り!
どこが違うのか?
私の義兄は画家です。
彼はこう言います、「写真を見て描いた絵はすぐ分かるよ」
私、「どう違うんですか?」
彼、「線がぎこちない、死んでいる」
ローマの模作も同様です。
ほとんどの場合、衣紋とか身体のラインの流れがくっきりと誇張されています。
古典期の真作では、まったくこれと違います、
衣紋や身体のラインは匂うようなやさしさでもって、ふんわりと表現されているのです。
立派に見えるのは模作です。
周囲の空気とまじりあっているかのように、
なだらかなラインで浮かび上がる古典期の彫像は、
最初はおとなしい、地味という印象。
ところが、次第に、その優雅なたたずまいが浮かび上がってくるのです。
私は、ディジタル写真にそんな非現実的ないごこちの悪さを感じるのです。
いわばカメラ草創期とも言える20世紀前半に作られたレンズに、
私はギリシア古典期の彫刻のようなかぐわしさを感じるのです。
一生、銀塩から離れられないな、
私はそう心に期しています。

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by Hologon158 | 2008-10-29 18:39 | ホロゴンデイ | Comments(0)

37.5 ホロゴンデイ15「2008年8月2日の伏見稲荷」5 伏見稲荷の核心までもうほんの数歩


伏見稲荷に行かれたことがありますか?
全国の幾万をかぞえるお稲荷さんの総元締め。
道理で、本殿から稲荷山に向かって昇る長い長い参道には、
千本単位で数える真紅の鳥居がびっしりと連なって、壮観。
ご本家様は違うんじゃぞ! 
と言わんばかりの、徹底的な鳥居と狐づくし。
でも、この参道を頂上まで登るのはちょっと骨。
というわけで、私たちは常に東福寺から稲荷山の裏道を辿ります。
こちらも決して楽ではありませんが、
ほんの十分程度の胸突き八丁を我慢すれば、
いきなり稲荷山の頂上近くに昇天。
しかも、この裏道には稲荷のお社群がたっぷりあるのですから、
こたえられません。
この「どこでもドア」まがいの裏道、
ロボーグラフィもちゃんと用意してくれています。
本日はその沿道風景を採り上げました。
伏見稲荷の核心までもうほんの数歩!

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by Hologon158 | 2008-10-29 01:05 | ホロゴンデイ | Comments(0)