わが友ホロゴン・わが夢タンバール

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40.17ホロゴン外傳6「2008年10月食後の一本」17 写真があなたを大きくしてくれる?

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写真は、人間を大きくするものでありたいですね。
写真は、撮影者に、また鑑賞者に、
人、物、世界に対するもう一つの、まったく新しい見方を教えてくれます。
つまり、視野を拡げてくれるものなのです。
より一層現実的かつ妥当な判断のためには、複眼的思考が必要、
よくそう言われますね。
ある問題をさまざまな角度から見直してみる、
まったく違った尺度を持ってきて、もう一度、初めから考え直してみる、
新たな要因が見つかったとき、従前の見方にとらわれず、
まったく別の見地に立って、考えてみる、
場合によっては、すべてを逆転して考えてみる、
一度、全部、疑ってみる、
そんなところでしょうか?
20世紀以来、映画、写真によるビジュアル的な思考の発達が人間の想像力を
信じられないほどに拡大してくれたことの重要性は、
想像を絶するほどであると、私は考えます。
文字通り、今まで見えなかったものが見えるようになったのです。
典型的な例が、月面上に上る地球の写真。
人類は、地球を、宇宙の小さな惑星であることを完全に実感できるようになったのです。
コペルニクス的転回の一つではないでしょうか?
でも、もっと手近なレベルに立ってみても、
私たちは、写真によって、愛する人たちの面影を、
シワの一つまでも明確に記録し、記憶することができるようになったのです。
写真が、人間の絆を強めてくれたと言うことだってできます。
もちろん多くの消極的、マイナス的要因が写真にもあります。
たちどころに、写真は私たちにこんな悪結果を及ぼしたと指摘する方もおありでしょう。
でも、前もって申し上げておきましょう、
あなたのその性格、ちょっと直しましょうね。
自分に損ですよ。
まず、すべてのもの、人、出来事について、
プラス要因を考えて、人生の糧にしましょうよ。
写真についても、同様。
そうすれば、写真は、人間を大きくしてくれる、
大きな跳躍台となってくれるのではないでしょうか?
by Hologon158 | 2008-11-30 17:45 | ホロゴン外傳 | Comments(2)

40.16ホロゴン外傳6「2008年10月食後の一本」16 「写虚」「写偽」「写心」、こんな感じでしょうか?


NKさんがブログでこう書いておられました、
「写真で、映画で、絵画で、文学で、音楽で、
客観的真実(事実)を描写する必要もなければ責任もありません」
NKさんと同じか、それ以上に客観的真実からかけ離れた作品を撮っておられる、
yoshipassさんが早速コメント。
「この一行に、集約されています(^^)」
私は、お二人の意見に全面的に賛成。
私の写真なんか、客観的基準を使われると、全部ボツ。
私が好きだから、撮った、
そして、私が撮ったのだから、大好き、
ただそれだけなのですから。
しかも、私は目で見たものを正確に再現したいわけではありません。
写真が現実をメタモルフォーゼしてくれるから好きなのです。
このメタモルフォーゼの中に、自分の心、気持ちがこもるように思います。
「写真」という言葉はあまりふさわしくない、むしろ 
「写虚」「写偽」「写心」、こんな感じでしょうか?
大体において、客観的真実をそのまま写し取った写真など、
写真史上、存在するのでしょうか?
私はまだ見たことがありませんね。
でも、意図において、真実を写し止めようと努めている写真家はおいででしょうし、
その結果、リアリティにかなり近い写真があるかも知れません。
それはそれで尊重いたしますが、私にはそうかどうか確認しようがありませんし、
はじめから、そのようなコンセプトの写真は、私とは無縁の世界。
おたがい、それぞれの道を歩むことにいたしましょう。

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by Hologon158 | 2008-11-30 14:27 | ホロゴン写真展 | Comments(0)

40.15ホロゴン外傳6「2008年10月食後の一本」15 写真を発表したいのなら、私のように


やっぱりアンセル・アダムズ写真展のことを考えています。
六つ切りよりも小さなプリント。
これを台紙に貼り付け、署名をして、
純白マットをかけて、四つ切り用フレームに入れる、
そんな見せ方です。
稲盛さんが京都国立近代美術館に寄贈したときの写真展では、
セント・ウィリアムスソン山につながるごろごろ石の荒野とか、
開拓部落の上に月がかかる夜の風景といった作品は、
そのスケールにふさわしい大伸ばしで、
崇高、静寂の空気感と深い精神性を見事に表現していました。
でも、六つ切りでも彼の作品の大きさは変わらないのです。
これが不思議。
欧米の写真展は、往年、8×10(エイトバイテン)が基準だったそうです。
1枚1枚じっと見つめて、ゆっくり向かい合うにはこれで十分です。
つまらない写真は、大伸ばししても水増しになるだけで、ちっともよくなりません。
逆に、小さくしても、よくなるわけではないので、発表しない方がよろしいようで。
発表したいのなら、私のように、
誰も文句の言えないブログをお勧めします。
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職場近くにも、ほとんど廃屋というお宅がいくつかあります。
とくに2枚目のおうち。
この小さな戸口の中がどんな状態になっているのか?
入って確かめたいと思いますか?
私はごめんですね。
by Hologon158 | 2008-11-30 10:52 | ホロゴン外傳 | Comments(2)

40.14ホロゴン外傳6「2008年10月食後の一本」14 路地裏の美復権運動でも起こしましょうか


まだ、アンセル・アダムズ写真展の興奮が抜けきれません。
エドワード・ウェストンとアダムズは、1932年、
グループf64を結成しました。
その理想はストレートフォトグラフィー。
それまでの絵のような写真を追求する、いわゆるピクトリアリスムに対抗して、
写真本来の理想は全画面くっきりとピントが合うべきであると主張したのです。
アダムズは、全面パンフォーカス、超細密画像の理想を実現すべく、
撮影時の露出に万全を期したばかりでなく、
引き伸ばし時においても、
全画面精密に分割して焼き込み、覆い焼きの作業を実行したと言います。
引き伸ばし時のこうした作業は、下手をすると、
これ自体、ピクトリアリスムに玉戻りしかねない危険性をはらんでいます。
でも、実際のプリントを見る限り、そんな心配は杞憂、
実に見事なグラデーションと自然な光に満ちた、輝かしい風景写真。
私は、ホロゴン15mmF8によって、常にパンフォーカス撮影をしているだけに、
アダムズのこうした方向性には大いに共感するところです。
でも、彼の写真とはまったく似ても似つかない、路地写真。
でも、卑下するつもりはありません。
彼の理想がストレートフォトグラフィーなら、
私の理想はストリートフォトグラフィー。
アダムズは、国立公園運動を成功させました。
私は、路地裏の美復権運動でも起こしましょうか?
でも、私が申請しても、首相は会ってくれないだろうな。
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現代は、赤瀬川先生のおっしゃるとおり、老人力の時代。
先日も、大型バイクが二台ウィーンと勇ましく駆けてゆきましたが、
見ると、ドライバーはどう見ても60台後半から70台前半。
自転車乗り二人がヘルメットを前方に突き立てるようにして、
曲がり角を見事なカーブでクリヤーしていきましたが、
ヘルメットの下に見えた顔はお二人ともシワシワ。
この活力を窮地に立つ日本のために活用したいものですね。
by Hologon158 | 2008-11-29 22:56 | ホロゴン外傳 | Comments(2)

40.13ホロゴン外傳6「2008年10月食後の一本」13 アンセル・アダムズ、アメリカ大自然を撮る


本日は、写真家のAHさんと一緒に、
京都の京セラ美術館「アンセル・アダムズ写真展」に行ってきました。
実は、その直前、AHさんの事務所のギャラリーで、
彼が今年の夏北海道で撮ったモノクローム20点ばかりを拝見。
極めて精妙、極めて繊細、極めて鋭敏なモノクローム作品。
まるで宮本武蔵が写真を撮ったら、こんな風になったのでは?
そう思わせるような、まるで真剣白刃取りのような、
抜き差しならぬ構図と、センスと空気感溢れる情景描写。
武蔵の名作「枯木鳴鵙図」の枯れ木のような柱が海岸にすっくと立っています。
荒涼たる海岸線と遙かな岬を背景に立つ柱の孤高の緊迫感に、思わず、
「これ武蔵のモズの絵の枯れ木のようではないですか!」
1枚めくると、なんと、別の柱ですが、その竿頭に鳥!
北海道の広漠たる海岸線と開拓村のような素朴でプリミティブな部落、
これらが堂々たるスケールで描き出されていました。
その直後に、二人で京セラ美術館に入ったのです。
アンセル・アダムズのモノクロームプリントが60枚弱、
大変に美しいギャラリーに見事に展示されています。
信じがたいようなグラデーションと純白の輝き!
深い精神性を感じさせる名品の数々。
写真愛好家にも写真嫌いの方にも、つまり万人に見て欲しいものです。
これらのビンテージプリントを見れば、
写真が芸術か否かなどという議論は影を潜めるでしょうし、
日本の近年の作家たちのいわゆるビンテージプリントなんて、
アダムズのプリントに比較しますと、まるで素人の伸ばしだと分かるでしょう。
私にとって一番驚きであったことは、
AHさんの作品群とアダムズの作品群がなんの違和感もなく並び、
同質の感動を私に与えてくれたことでした。
AHさんがどなたであるか分からないあなたには、
私の言葉が大げさに聞こえることは十分覚悟の上の発言。
でも、私の心は躊躇なく、そう断言するのです。
こんな冒険ができて、私は今日という日に言いたいですね、
ありがとう!

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by Hologon158 | 2008-11-29 19:17 | ホロゴン外傳 | Comments(0)

40.12ホロゴン外傳6「2008年10月食後の一本」12 スリはその瞬間を待っている

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よく言われることですが、
人の気持ち、性格、人生って、前から見て分からないことがあっても、
背後から見ると、よく分かる。
私に言わせると、どちらから見ても、
それなりに分かるのではないでしょうか?
スリ専門の刑事がこんなことを言っていました、
「人間って、絶対に気を抜かないでいることはできません。
どんなに警戒していても、
なにかの拍子に一瞬の隙を見せてしまいます。
スリはその瞬間を待っているのです」
人間誰しもそうですね、
他人にこう見て欲しいという、自己イメージに合わせて、
普段はぬかりなく振る舞っていても、
どうかした拍子に、自己イメージを超えたなにかを見せてしまう。
それはもしかすると、自己イメージよりももっと素晴らしいものかも知れないのです。
でも、自己イメージにある虚の部分をさらけ出してしまうのかも知れない。
こわいですね。
今回のお二人、ご近所さんのようです、
偶然出会って、連れだって家路を辿っておられるところ。
目が節穴の私にはなんにも見えませんが、
あなたはいかがですか?
お二人の人生についてなにか見えてきますか?
by Hologon158 | 2008-11-28 23:44 | ホロゴン外傳 | Comments(0)

40.11ホロゴン外傳6「2008年10月食後の一本」11 捻じょと手折ろと、こちら任せ


「塀越しに、隣りの庭へ出た鼻は、捻じょと手折ろと、こちら任せ」
これは、上方落語「隣の桜」の落ちですが、
私の大好きな塀際写真も、これと似たようなことかも知れません。
路地を歩きますと、出会うのは、必然的に、
窓と塀、ということになりますから、
塀際はロボーグラフィにとって主戦場の一つ。
塀越しに、路地に出た花は、
捻じょと手折ろと、こちら任せとさせていただきましょう。
今回の写真の中では、もちろん蔦のトタン塀がお気に入りです。
これもまた太陽のおかげですね。
どの写真についても言えることですが、
ライカのオールドレンズの地味だけど着実な味わいがなければ、
ただのぼろ写真。
こんな写真でも、私は手放しで喜んでいるのですが、
あなたの方も、落語の教えにしたがって、
ブログ越しに、ウェブ空間に出た写真は、
捻じょと手折ろと、そちら任せ。

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by Hologon158 | 2008-11-28 21:43 | ホロゴン外傳 | Comments(2)

40.10ホロゴン外傳6「2008年10月食後の一本」10 犬の耳鼻がえものを探すのさ


いしいしんじという小説家ご存じでしょうか
「麦ふみクーツェ」(新潮文庫)という、どこかファンタジックで、
どこか人を食った、奇想天外、分類不能の小説を以前読んで、大いに楽しみました。
ノーベル賞作家のガルシア・マルケスが作り出した、
リアリティとファンタジーの境界あたりをうろうろするような、
独特の小説世界にちょっと似ています。
今、そのいしいしんじさんの小説「ポーの話」を楽しんでいます。
その中で、思わず手で膝をぽんと打ってしまった部分がありました。
葦の原の中に紛れてしまった川シギを見事に銃で仕留める老人に、
主人公のポー少年が、どうしてあんなに上手く撃てるのか、尋ねるのです。
老人答えて、「犬の耳鼻がえものを探すのさ」
「わしはなにもしねえ。犬が鼻をきかせ、耳をすませる邪魔にならんよう、せいぜいおとなしく進んでゆくだけだ。こいつがたちどまれば、わしもとまる。どこかをじっと見つめだしたら、わしは黙って鉄砲をかまえる。そのうち、犬の目に見えてるものが、わしにも見えてるような気がしてくる。さっ、とな。別の目が開くんだよ」
「いってみりゃ、それは犬の目だ。おいぼれたわしの目とはちがう。犬をとおしてみる目なんだ」
「みつけるのも狙うのも、とってくるのも、なにしろこの犬だ」
これ、私たちがカメラを手に街を歩くときに起こることではありませんか?
今、レンズはなにか?
それだけで、見るものが違ってきます。
たとえば、15ミリを手にしていると、15ミリの画角と距離で、撮りたいものを選択します。
50ミリだと、50ミリの画角と距離でものを考えます。
(もっとも近頃のズームレンズをお使いの方はもっと複眼的思考かも知れませんね)
すくなくとも私はそんな見方をします。
つまり、カメラ、レンズが狩猟犬。
カメラを持たないときには見つからないものがどんどん見つかります。
でも、カメラは犬なのです。
ときには、暴走することもあります。
というより、私のようにノーファインダーで撮る場合は、たいてい暴走状態。
でも、かわいい犬なのです。
時折、見事獲物をゲットしてくれるのですから、だいじにしなくちゃ。
木村伊兵衛が、グルーミングの道具をちゃんと用意していて、
毎晩、使ったライカを丁寧にふき清めたというのは有名なお話です。
みなさん、そんな風に丁寧にカメラの世話をしていますか?
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さて、本日の写真、実は失敗作。
ライカⅡ型だったでしょうか?
幕の走りになにか不具合があったようです。
これが最初で最後の不具合。
でも、この颯爽たる女性、素敵ではありませんか。
あわや襲いかからんとした運命の暗転から、
知らずして、からくも逃れ得たヒロイン、
そんな物語を作れそうな写真、と勝手に独り決めして、アップ。
知らんぷりしておいてくださいね。
by Hologon158 | 2008-11-28 17:56 | ホロゴン外傳 | Comments(0)

40.09ホロゴン外傳6「2008年10月食後の一本」9 今回はまともにレンズテスト

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と言っても、あなたをテストしようというものではありません。
最初から、明らかにしておきましょう。
順番に、50mmF3.5,28mmF5.6,21mmF4、この3本です。
この場所があんまり面白いので、
違うレンズを使うたびに、撮っています。
いずれも開放です。
いずれおとらず暗いF値、深い被写界深度で撮りますから、
かなりフォーカスしています。
濃度を揃えた以外は、スキャン画像に手を加えていません。
私の目には、
いずれもシャープネスに不足はありません。
でも、シャープネスをことさら言うのであれば、
現代のディジタルカメラを使うべきです。
遙かにシャープ、遙かに精密。
私にとって、これらの3本が驚きであるのは、
あたたかさと立体感の描出において、極めて似通っていること。
そして、いずれも過度のシャープネスは写真の味わいをそこなうことを知っていること。
でも、そんなカメラとレンズを供給しようとしていたのは、
ライカ社がまだ若かった頃のこと。
老年期にさしかかったライカ社は今まさに
「子孫のために美田を買おう」としているようです。
次々と出すカメラとバージョン、すべてがお金持ち用。
おそらくこの十数年間に出したレンズのすべてが、
かつての温雅、中庸の「ぼってり型」ではなくて、
「ギンギンギラギラ、シャープ型」であろうと推測します。
それだけに、ライカのクラシックレンズたち、
有史以前に没していこうとするだけに、
その苦み走った味わいに満ちた風格、たたずまいは、
私にとって、日増しに価値を増しつつあるのです。
by Hologon158 | 2008-11-27 23:25 | ホロゴン外傳 | Comments(4)

40.08ホロゴン外傳6「2008年10月食後の一本」8 何が起こるか分からない、ミラクル空間


今日のお昼は、奈良盆地南西部の王寺町に仕事に出かけました。
仕事を早々に済ませ、JR王子駅の北西あたりの路地裏を歩いてみました。
もちろんバッグの底に忍ばせてあったカメラを片手に。
本日持参したのはライカⅡ型というバルナック型ライカの初期版。
そして、付けたレンズは、ロシア製のライカマウント、インダスター50mmF3.5。
オークションで即決価格3000円で落としたのです。
ランカ純正のエルマー50mmF3.5のコピーのようで、
エルマーよりもよく写るという評判の高いレンズです。
友人のARさんが愛用していて、作品を拝見しました。
これがちょっと信じがたいほどに精妙、精密、精彩!
余りの安さについ好奇心が出て、手を出してしまいました。
ヘリコイドがガタガタですが、使えないわけではありません。
外観はエルマーよりも美しい位で、沈胴する鏡胴の滑りはこちらの方が完璧。
私は、すべてのレンズの1.5mに青、2mに赤、3mに白のラベルを貼っています。
目分量で距離を合わせて、ノーファインダーで撮ったり、
外付けファインダーをのぞいたりという撮り方。
でも、今回はインダスター初撮りのレンズテストなのです。
2,3の例外を除いて、すべて開放で、ピントを合わせて撮りました。
どんよりと曇り空が覆い被さる王寺の路地裏に居て、
私の心は晴れ晴れとしていました。
続々と素敵なロボーグラフィが見つかったからです。
もちろん何でもないくすんだ裏通りです。
50mmは、広い画角に慣れている私には大変に望遠。
狭い路地の反対側の軒下ぎりぎりまで下がっても、まだ足りない。
それでも、50mmしかないときは、頭は標準型に切り換えていますから、
苦笑いしつつ、なんとか工夫をして撮ります。
これがまた楽しい。
ちょっとレトロなバイクが四つ辻を背景に、路傍に駐車。
色と形が面白いので、ライカの透視ファインダーをのぞきながら、
背景の四つ辻の向こうにぼけてゆく路地を背景に撮ろうとした途端、
四つ辻から前照灯を点灯したオートバイがくるりと回って出現。
とっさにシャッターを切りました。
数メートル後ろですから、もちろんぼけているはず。
でも、前照灯が光って、ちょっと面白い写真になりそうです。
路地裏って、何が起こるか分からない、ミラクル空間なのですね。
さて、今回の写真は廃交番3景。
大通りに面した角地で、利用価値十分なのに、
廃交番をそのままそっくり残しておく、
写真を撮る人間には嬉しい計らいです。

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by Hologon158 | 2008-11-27 21:52 | Comments(2)