わが友ホロゴン・わが夢タンバール

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52.37ホロゴン外傳7「1989年8月パキスタン」37 私って、やっぱり変ですかねえ?


先ほど帰宅しました。
総勢7名、奈良の古い町並み、奈良町を歩いてきました。
私は、いつもどおり、ホロゴンウルトラワイドとタンバール付きM3。
ちなみに、本日の仲間のうち、銀塩カメラは4人、ディジタルカメラは3人。
両膝手術をされたOKさんも元気いっぱいにお出でになりました。
ちょっと小型のディジタル一眼レフで、バリバリ撮影をなさいました。
本日は、集合時間が遅かったこともあり、撮影時間はわずか3時間ちょっと。
傑作だったのは、撮影結果にえらいばらつきがあること。
一人など、収穫はフィルム1本。
たったの一本?
私は、ホロゴン8本、タンバール4本。
本日も、15分に1本、両レンズの比率は2:1。
いつも通りであったのですから、撮影は順調だったと言うべきでしょう。
土塀の小路があります。
沁みが見事な画像を作りだして、まるでインカの王に家臣が謁見しているかのよう。
十数年来、私のお好みの場所。
何度も撮った場所ですが、来る度に違った印象なので、飽きることがありません。
喜んで撮っていると、後ろから仲間が近づいてきて、DAさんの声、
「知り合った頃、ここに連れてきてもらったんですよ。
そして、この塀の沁み、何に見えますか?
王様と家来たちに見えませんか、なんて言うんで、
これは変な人と知り合ってしまった、
困ったなあって思ったんですよ」
なんのことはない、私のことだったのです。
そのうち、見ていただきます。
沁みとか剥がれ、錆びなどの経年変化が作り出す影像を見ると、              
沁みそのものではなく、
人間とか動物の顔や姿をそこに見いだすのが、私の習慣。
というより、自然にそう見えてしまうのですから、防ぎようがありません。
それって、やっぱり変ですかねえ?

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by Hologon158 | 2009-02-28 23:31 | ホロゴン外傳 | Comments(2)

52.36 ホロゴン外傳7「1989年8月パキスタン」36 ちょっとした箸休めということで


今日は土曜日、
久しぶりに写真の仲間のほとんどが集合します。
仲間の紅一点、我らがお姫様が昨年一年かかって、
両膝の関節手術をしたのです。
大変に勇敢な決断でしたが、見事リハビリに成功し、
本日が、生まれ変わっての写真事始め。
それに、仲間6人がお供しようという次第。
そんなわけで、ぐずぐずしている暇はありません。
ちょっとした箸休めということで、
余っている一枚、アフガン難民の少女たちの情景をアップします。
ランドローバーで難民村を通過する際、
車内からスナップしたものです。
どこでも、子どもたちは成長します。
でも、心なしか、憂いが見られます。
この男の子、今では成人しているはず。
こんな写真があると知ったら、
恥ずかしがるかな?
それとも、懐かしがるかな?

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by Hologon158 | 2009-02-28 09:44 | ホロゴン外傳 | Comments(0)

52.35 ホロゴン外傳7「1989年8月パキスタン」35 精霊流しとは大違いだね

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No.34を書くとき、写真集「人間讃歌」を取り出しました。
ふと開いたページが、マグナムのジョージ・ロジャーが撮った、
アフリカの女性たちの行列。
荒野を頭に梱包を載せて運ぶ列。
そのシルエットが大変に優雅で美しく、
まるでファッションモデルのように見えます。
頭にものを載せるためには、どうも姿勢を正しくする必要があるようですね。
巨大な台地のようです。
大空が背後に広がっています。
18人の女性が一列に並んで進んでゆくのです。
子供を抱いたお母さんも一人います。
どこから来て、どこへ行くのでしょうか?
なにを運んでいるのでしょうか?
それとも、頭の上に載っているのは、帽子のような装飾品なのでしょうか?
なんで一列なのでしょうか?
一つだけ言えること、それは、威厳があること。
シルエットでしか見えませんが、威風堂々たる歩み。
ファッションモデルが強調するのは、ニューファッションで包まれた肉体、
それに対して、このアフリカの女性たちが強調するのは、
自然の中に誇り高く生きる心意気!
このあたりが大いに違いますね。
今回の写真は丸太流し。
身を切るどころか、骨まで凍えさせる氷河の溶け水の渓流、
そのまっただ中に立って、流れてくる丸太を流れに乗せる役。
まるで、時の流れのまっただ中に立ちはだかって、
丸太の進行をぐいぐいと案配しているのです。
何時間続けて水に浸かっているのでしょうね。
この男も大変に姿勢がいい。
ちょっと判断とタイミングを間違えば、
自分自身が丸太に一撃されて、激流に流される危険があるのです。
張り詰めた緊張感がこの弓なりにしなった肉体にみなぎっています。
頭が下がるお仕事でした。
by Hologon158 | 2009-02-28 00:10 | Comments(2)

52.34 ホロゴン外傳7「1989年8月パキスタン」34 学芸員の仕事って魅力的だな


生まれ変わったら、なにになりますか?
私は、美術館の学芸員!
トマス・ホーヴィングの「謎の十字架」(文藝春秋社刊)をお読みになりましたか?
まだ学芸員になりたての青年が、稀代の象牙細工の十字架を発掘し、
メトロポリタン美術館の至宝とするまでの顛末が迫真の筆致で描かれます。
ご当人が自分で物語るのですから、臨場感溢れるドキュメンタリー。
この本を私が高校生の時代に読んでいたら?
そう、こんなことが起こらなかったために、
世界は、あたら最高の学芸員を得る可能性を失ったのである、
なんて、夢想したりはしません。
自分にそんな芸術的感性があるとは思えないからです。
でも、冗談は抜きにして、
一介の学芸員(と言ったら、失礼ですが)が文化に偉大な貢献を果たすことは多々あるようです。
ニューヨーク近代美術館のスタイケンによる1955年の企画、
「The Family of Man 人間家族」は世界中に大きな影響を与えました。
「フォト・リテラシー」で、著者は、スタイケンは冷戦対策であったことを例証しています。
そうだったかも知れないですね。
でも、この写真展を観た人は、アメリカ礼賛、民主主義万歳と感じたのでしょうか?
私は、そんな批判力がないせいでしょうか、世界中でみんながんばっているな、
人間って、素晴らしいな、と感激したものでした。
そして、素晴らしいのは、同じニューヨーク近代美術館のジョン・シャーカフスキー。
ラルティーグを見いだして、写真展を1963年に開催し、
この知られざる大写真家を世界に知らしめるきっかけとなりました。
ラルティーグ自身、自分がそんな大した写真家であるなんて、夢にも思っていなかったのに、
それ以降、大写真家の自覚を得て、見事、さまざまな名作を残したのですから、
シャーカフスキーの功績はそれだけ偉大であると言うべきでしょう。
そして、今度は青森県立美術館の学芸員の出番です。
まったく無名の写真家を見いだしたということではなさそうです。
郷土ではかなり有名なのでしょう。
でも、県立美術館がこの写真家を大々的に取り上げ、写真集を編纂することによって、
小島一郎という優れた写真家が写真史の檜舞台に躍り出ることができたのは、
学芸員の高橋しげみさんの功績のようです。
まだ「写真集成」、3分の1程度、
なかなか進まないのは、あんまり素敵な写真に出会えるので、
そんなに簡単にパラパラとめくって見終わりたくない、
第一印象を一枚ずつきっちりとつかみたいからなのです。
それほどにインパクトが強く、
それほどに大事にしたくなる画像、
ミレーになぞらえたのも無理からぬところがある、
つまり、写真よりも絵画に近い雰囲気がたまらない魅力なのです。
やっぱり生まれ変わって、学芸員になりたい!

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by Hologon158 | 2009-02-27 22:49 | ホロゴン外傳 | Comments(0)

52.33 ホロゴン外傳7「1989年8月パキスタン」33 経験でホロゴンを使えるか、考えてみました

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No.31で、山形さんから、実に鋭い、実に興味深い問題提起をいただきました。
「作為的な創造行為は一切しないと言っても、無意識のうちに、
今まで培った、構図やタイミングで撮っているようにしか見えない」写真を撮っているのでは?
とりあえず、私なりのお答えをさせていただいたのですが、
まだ十分意を尽くしていない感じで、あれこれ考えてみました。
まず、タイミングのことですが、
私は、この十数年、スナップは本来的には撮らなくなりました。
写真を撮るという意図でもって、写真を撮らないからです。
だから、ある人が来るのを見て、「よし、ここまで来たら撮るぞ」とは考えません。
それはスナップ。
でも、突然、眼前の光景が「面白い、撮るたい!」と感じる瞬間があります。
ホロゴンで撮る場合、そう感じる瞬間の被写体との距離は、
常に1メートル以内なのです。
それ以上離れたら、私が撮っているようなスナップ風の写真は撮れません。
人がぐーんと遠くに行ってしまうからです。
そうではなくて、袖擦り合うばかりの至近距離で、突然撮りたくなる、
その瞬間、めくら滅法撮る、それが私の今のやり方なのです。
だから、タイミングなんてありません。
でも、結果として、ちゃんと写るときがあるのです。
そのときは、ホロゴンのプレゼントと考えて、ありがたく頂戴します。
確かに、私は自分の経験で撮っています。
私が写真を本格的に始めたのは1979年、つまり、30年撮ってきたのです。
ローアマチュアで通してきたとはいえ、
その間撮ったフィルム本数は、モノクローム3600本(全部残しています)、
カラーはおそらく5000本ばかり(大半捨てました)、
その内ホロゴンで1400本を超えているのですから、
かなりの写真経験を積んだことは否定しません。
でも、以前に幾度か書いた理由で、ホロゴンではその経験がほとんど通用しないことが分かって、
私は、ただのど素人として、レンズに撮らせてもらって楽しむことにしたのです。
今回の写真は、85ミリで、タイミングを計って撮っています。
当時は、スナップ屋だったのですから。
カメラを手に提げて、なにするでもない風情でぶらぶらと歩き、
向こうから来る少年がここだと思う場所に来た瞬間、
突然、コンタックスRTSⅡを構えて、すでに予備的に合わせておいたヘリコイドをちょっと廻して、
ピントを合わせて、撮ったのです。
私は、ある程度の経験で、そのとき、どの広さで、また少年がどんな大きさで撮れるか、
分かっていたのです。
つまり、この写真は、私の狙い通り。
でも、110度の画角を持つホロゴンの場合、10センチ違っても、写る範囲は劇的に違うのです。
ある瞬間、腰に構えた15ミリで、どの範囲が写るかなど、少なくとも私には絶対予測不能なのです。
そんなことができる人がいるとは、私は思いません。
ウェストレベルで撮るので、ファインダーをのぞけない。
だから、距離の経験を重ねることもできません。
それなのに、ノートリミングを鉄則とすることに決めたのです。
これは、写真を始めたときからの、私のがんこな鉄則です。
なぜって、カルティエ=ブレッソンを心の師匠とする人間なのですから。
だから、私としては、こう申し上げたいのです、
「今まで培った、構図やタイミングで撮っているように」見えても、
少なくとも私の場合、そうではないのです。
では、なぜトリミングをしなくてよいのか?
私にはその理由は分かりませんが、一つ言えることがあります。
実は、ノーファインダー撮影は難しいものではないのです。
広角レンズで水平垂直を守って、一度、ウェストレベルで撮ってみてください。
像が正立するので、なぜか情景は至極真っ当に写ってしまい、
そうすると、トリミングなんかしなくてもよい感じになります。
一度、お試しください。
そうすれば、私がそんなに難しいことをやっているのではないことを納得していただけるはず。
by Hologon158 | 2009-02-27 18:29 | ホロゴン外傳 | Comments(0)

52.32 ホロゴン外傳7「1989年8月パキスタン」32 冬の作家、冬の詩人

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「小島一郎写真集成」、
最初の十数頁を見て、とても進めなくなって、見るのをやめました。
なぜか?
退屈だから?
いいえ。
とてもついていけないから?
いいえ。
がっかりしたから?
とんでもない!
圧倒的だからです!
通常、写真家は、アーチストとしての才能がないために、
下手な創造心を働かせると、とんでもないほどにでたらめな作品になってしまうようです。
ディジタルで加工ができると分かった途端飛びついた方が一杯います。
その結果は、破滅的。
でも、小島は違います。
私が初めて見た本格的なピクトリアリズムの作家ではないか?
そんな感じがします。
徹底的に暗室作業で追い込んで、イメージ通りの作品に仕上げる、
そんな作り方です。
ただのドキュメンタリーではなくて、正真正銘のアートなのです。
一枚一枚、ゴシックロマンのよう!
強烈なる空気感と、
張り詰めた緊張感と、
風を切るような凄絶な季節感。
冬の作家なのです。
仮借なき酷寒の風土が心にぐいぐいと食い込んでくるので、
思わずたじろいでしまうほど。
でも、その寒さのイメージに痛いほどしばれながら、
なんとも言えないようなリリシズムが漂っていて、
まさに音楽!
冬の詩人なのです。
また、宝物の写真集が一冊増えました。
人生、至る所にはかりしれない宝石が埋まっているものですね。
by Hologon158 | 2009-02-27 00:04 | ホロゴン外傳 | Comments(4)

52.31ホロゴン外傳7「1989年8月パキスタン」31 パキスタンの写真、ただの旅行写真ですよ


私は、基本的に、ホロゴン専科なのですが、
私の友人たちからあまり評判がよくないのです。
ホロゴン以前の写真に比べて退化した、これが一致した意見なのです。
その基本的な例証の一つがこのパキスタンの写真なのです。
つい昨夜も、友人から電話で言われました、
「パキスタンの写真の方が、今の写真よりずっといいですよ」
でも、これにはいくつか誤解があります。
まず、第1に、私は、今、写真を作品として作っていないのです。
先日も、以前の写真の仲間と弘法市で出会ったことを書きましたが、
私が「近ごろは、もう写真のど素人として楽しむだけにしています」と言いますと、
その方、「それがアマチュアじゃないの!」
でも、私は知っています、たいていのアマチュア写真家は、
表面はともかく、心の中ではしっかり自負しているものです、
「自分はアマだけど、写真の才能にかけてはプロに優る、立派な写真家だ!」
私は、だから、アマチュアとも考えていないのです。
その理由は幾度も書きました、
一番基本的な理由は、構図なしで、目の前のもの全部を撮っていること。
すべてをレンズに託して、作為的な創造行為は一切しないことです。
だから、自分の作品だというつもりもありません。
このブログは、写真ストックを兼ねて、私の遊びでしていることで、
写真ブログとして、写真を作品として掲載しているのではないのです。
もちろんやるからには楽しまなくちゃということで、
写真を選択し、ときには写真についての注釈も付けてアップしています。
写真作品を発表していると誤解される向きもあるかも知れません。
その点、誤解なきように、よろしくお願いします。
次に、第2に、このパキスタンの写真たち、ただの旅行写真です。
ちょっと腕の立つアマチュアだったら、私の写真の何倍も素晴らしい作品をサクサクとお撮りになるでしょう。
私は、けっして「井の中の蛙」でも「お山の大将」でもありません。
自分の写真の腕がどのくらいか、知っています。
だから、本シリーズに限らず、決してお間違えのないようにお願いします、
私は、決して「よい写真だから、見てね」というつもりはないのですから。

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by Hologon158 | 2009-02-26 22:25 | ホロゴン外傳 | Comments(5)

52.30ホロゴン外傳7「1989年8月パキスタン」30 「小島一郎写真集成」が我が家にやってきた!


日経新聞で、青森の写真家、小島一郎(1924-1964)を知りました。
青森県立美術館の学芸員高橋しげみさんがどうやらこの写真家を再発見したようです。
青森のミレーとして、そのあたりの消息を書いています。
もっか、回顧展「小島一郎 北を撮る」を開催中とのこと。
新聞に掲載された写真があまりにも見事だったので、
インターネットで美術館をチェックしてみました。
回顧展の作品が数枚掲載されており、そのすべてが見事。
でも、青森まで行くのは無理。
早速アマゾンで検索してみますと、嬉しいですね、
ちゃんと同美術館監修で「小島一郎写真集成」(インスクリプト刊行)が発売されているではありませんか?
昨日注文して、もう今日帰宅すると、届いていました。
ほんとに便利な世の中になったものです。
梱包を解くと、とても上品な造本の写真集が出現しました。
セピア調色風のシックなプリント。
いい!
気に入りました。
内容については、また詳しく書きます。
ますます写真展に行けないことが残念。
3月8日までなのです。
近くの方、是非ご覧下さい。
写真集、3800円もしますが、
今、も一度、パラパラとめくってみて、ちょっと興奮しました。
この人、芸術家です!
ほんとに、青森のミレーだ!

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by Hologon158 | 2009-02-26 19:14 | ホロゴン外傳 | Comments(0)

52.29ホロゴン外傳7「1989年8月パキスタン」29 こんなものを見て、感動したんじゃない!


top-to-toeさんのブログ、素敵な文章と、
それにふさわしい特有のフレーバーの写真たちが並ぶ、
大変に完成度の高いブログですね。
私のような弱小不人気ブログとは段違いの人気ブログ。
このブログで、銀塩カメラは残るかという論議を拝見しました。
(http://toptotoe.exblog.jp/)
圧倒的に、銀塩は残る、必要だというご意見で、心強い思いをしました。
でも、私にとって、議論の余地はまったくありません。
ディジタルカメラには、
ホロゴンウルトラワイドもタンバール90mmF2.2もない!
少なくとも、ライカレンズはM8で使えるじゃないかとおっしゃる方がおいででしょう。
でも、焦点距離が変わってしまうのはご免です。
それに、どんなにディジタルカメラが発展しても、
ホロゴン15mmF8の味わいに取って代われるものは出現しないでしょう。
それに、私は、数年たつとジャンクものに成りはててしまうようなメカで、
自分の体験を写真にしたいとは思いません。
私にとって、写真は結果ではなく、プロセス。
心から愛する道具を手に、路地裏を歩き、心が動けば、写真を撮る、
心に映ったままの情景を!
肉眼よりも遙かに精密に撮れてしまうような写真はごめんです。
ぼくは、こんなものを見て、感動したんじゃない!
ぼくの見たのは、これじゃない!
そう感じるような写真が、私になんの意味があるでしょう。
凄い写真を撮りたい、
人がびっくりするような写真を撮りたい、
写真家と言われるような作品を作りたい、
そんなことは、私はまったく思わないのです。
私のこころを揺さぶった君を、やさしく写真に包み込みたい!
ディジタルカメラの眼を奪うばかりの精細描写と、
華麗そのものの色彩は、私の心とはなんの関係もないのです。
だから、私の願いはただ一つ、
とにかく世界のどこかの会社で銀塩フィルムを作り続けてほしい!
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[後書き]
フンザの家は平屋根です。
どういう状況で、この少年を撮ったか、私は記憶していません。
不思議なことに、1枚目では、少年が私を見下ろし、
2枚目では、私が少年を見下ろしています。
運命の逆転ですね。
by Hologon158 | 2009-02-26 00:06 | ホロゴン外傳 | Comments(2)

52.28ホロゴン外傳7「1989年8月パキスタン」28 人生って、こんなものですね


二人で川を見下ろす
日名子「見える?」
砂也子「なにが?」
日名子「底の方」
砂也子「底なんて見えないよ」
日名子「…わたしにはやっぱり見えるんだ。
東京ってね、この川みたいなものなんだよ。
わたしが見てきた東京は、この川の水面。
今みたいに夕日が反射してキラキラして、眩しくて、
憧れで、すべての夢をかなえてくれるように見える。
でもね、底の方は違うんだ。
人の心がね、泥に呑み込まれていくように変わる。
キラキラは続かないの。
でももしかしたら、またあの水面に浮上できるかもしれない。
そんな夢みたいなことを考えてる人間たちが、どんどん川の底に沈んでいくんだ」
(砂也子、じっと底を見ている)
日名子「東京は寒くなってきたよ」
砂也子「うん」
日名子「帰んないの?」
砂也子「帰りたい。けど…」

私の娘がアマチュア劇団で上演したドラマの脚本です。
娘の処女作。
我が子ながら、実によくできています。
セリフがポンポンとつまらずにやりとりされ、
伏線があって、サスペンスがあって、思いがけない展開があって、
すべてが納得できる形で氷解する大団円があって、
ドラマを実演で観ても、脚本を読んでも、変わらず、満足できます。
日名子のこの言葉、東京という大都会を表現するものであっても、
私には、むしろ人間存在を喝破するものと読みたくなります。
人生って、こんなものですね。
でも、底に沈んで行きながらも、楽しみがないわけではない。
たとえば、ブログ。

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by Hologon158 | 2009-02-25 21:56 | ホロゴン外傳 | Comments(2)