わが友ホロゴン・わが夢タンバール

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67.19 タンバールドラマ1「近江八幡をタンバールで撮ってみた」19-完-乗りかかった船、最後まで


アッハッハー
馬鹿ですねえ!
ホロゴンで撮った近江八幡、すでにスキャンずみでした。
2008年京都山崎のフォルダーにうっかりため込んでしまったのです。
毎日毎日至る所のフィルムをスキャンしているので、すっかり失念していました。
今さら、タンバール編に合体させるのは無理。
次回から、今度は、近江八幡ホロゴン編をお送りすることにしました。
近江八幡はもう飽きたという方、ホロゴンももう飽きたという方、
ゆっくりとお休みください。
私としては、それこそ乗りかかった船、最後まで漕ぎきることにいたしましょう。
そんなわけで、タンバール写真はこれで終わり。
では皆さん、当分、さようなら。
また、気が向いたら、おいでください。

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by Hologon158 | 2009-04-30 22:57 | タンバールドラマ | Comments(0)

67.18 タンバールドラマ1「近江八幡をタンバールで撮ってみた」18 全宇宙を一口に飲んじゃおう!


画家、高島野十郎はノートを残しました。
№11の言葉もそのノートに記されたものでした。
その直前にある言葉がまた凄いのです。

「全宇宙を一握する、是れ寫実
全宇宙を一口に飲む、是れ寫実」

美術界から遠く離れて、片田舎に逼塞しながら、この画家はこんなことを考えていたのです。
この言葉だって、「寫実」を「写真」に置き換えたら、
私たちがほんとうにやりたいことを活写する、至言と言えそうです。
実際には、そんなことは不可能。
でも、ある一面を写したとき、
その一面は全宇宙を代表していると言えそうです。
そのものがここにあるということは、全宇宙がそれを支えているということであり、
支えられているものを写したとき、
そのものの地盤として、全宇宙が実は眼前にそっくり見えているのかも知れません。
ホルヘ・ルイス・ボルヘスの小説に、ちょっと似た思想があったことを思い出しました。
ある秘密グループが、全宇宙を網羅するエンサイクロペディアを企画し刊行を開始するのです。
すると、そのエンサイクロペディアは、宇宙の説明するものではなく、
宇宙を創成するものとして機能しはじめるのです。
私はそんな大仰なことを望んではいません。
でも、自分の写真が自分の人生のほんのひとかけらでも表現してくれたら?
そう考えて、せっせと写真を撮り貯めてきました。
今、ブログを始めて、ふむ、このブログも一種のエンサイクロペディアだな、そう気づきました。
毎日数回ずつの記事と写真たち、これらが集積していったとき、
私の人生がこのブログの中に記録されてゆくわけですし、
もしかすると、こんな風にブログを創造すること自体が人生を創っているのかも知れません。
そんな風に考えると、ブログがますます大切なものに思えてきました。

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by Hologon158 | 2009-04-30 21:21 | タンバールドラマ | Comments(0)

67.17 タンバールドラマ1「近江八幡をタンバールで撮ってみた」17 興奮すると、ちょっと異常に


すでに亡くなった私の三男の名前はデビル。
ぶっそうな名前ですが、ちょっととぼけた表情の黒猫、
赤ちゃんの頃、タスマニアンデビルにちょっと似ていたので、こう命名したのです。
でも、性格は大変に穏和で、やさしいのです。
猛烈に弱虫で、逃げ足が早くないので、いつもお尻に怪我をさせられていました。
ちょっとした特技は、時間が分かること。
午後6時きっかりに、パパの部屋に来て、晩ご飯をせがみます。
パパが晩ご飯係であることもちゃんと知っているのです。
ある日、午後6時、デビルがもう一人の賢い雌猫シマと連れだって書斎にやってきて、
二人頭を揃えて、書斎の扉の下の隙間からのぞきながら、
「ニャー!」(これは「晩ご飯頂戴」という意味ですね)
パパの仕事が切迫していたので、子供部屋に行って、娘に頼みました、
「今日は猫たちに晩ご飯あげて」
娘、「うん、分かった」
私は書斎に戻りました。
すると、書斎の前に居たデビル、さっと子供部屋に走っていって、その閉じたドアの前に座り、
「ニャー、ニャー!」
状況に応じた高度な推理ができるのかも知れませんが、
私は、静のことも考え合わせて、人間の言葉が分かると考えています。
大変に賢い猫だったのです。
この子も音楽ずきでした。
興奮すると、ちょっと異常になります。
私は、デビルがいた頃、ブロックフレーテを練習していました。
デビル、私の笛の歌声を、普段は行儀良く聞いているのですが、
午後6時になると、音楽の美しさに恍惚となるのでしょうね、
我を忘れて、私の肘やブロックフレーテを頭でぐいと突き上げたり、
譜面台をぐいと押して、倒してしまうのです。
私も、デビルに美しい音楽を聴かせたいのはやまやまなのですが、
デビルの興奮が冷めないので、音楽はちょっと休憩、
いつも晩ご飯をあげることにしていました。
デビルも残念そうに、だけどちょっといそいそと台所に。
どうやら静の音楽好きは、今は亡きデビルおじさんの血をひいているようですね。

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by Hologon158 | 2009-04-30 16:38 | Comments(0)

67.16 タンバールドラマ1「近江八幡をタンバールで撮ってみた」16 愛娘の静とちょっとお話できる幸せ


末娘の静は、明らかに私の揚琴を聞くのが大好き。
でも、運の悪いことに、その度になにか用ができるようです。
揚琴を始めると、一曲終わった途端に、だっと高所から飛び降りてきて、
私の膝に両手でとりつき、すがるような目つきで、
「ニャー!」(A)
愛らしいけど、断固とした表情で、そう言った後、とっとっと扉に向かい、
私が開けると、すっと出て行ってしまいます。
ときにはもっと切迫したご用と見えて、演奏中の私の膝に両手でとりつき、
私の肘を頭でぐいっと突き上げ、下から
「ニャー!」(A)
やっぱり出て行ってしまいます。
今日も、一曲終わって、下に居た静に、
「どう? よかったでしょ?」
静、しずかに見上げて、ちょっと冷たく
「ニャ」(B)
「どうして、とっても良かったと思うんだけどなあ」
静、やっぱり冷たく
「ニャ」(B)
「じゃ、もう一曲弾いてみるよ」
そう言った途端、静、強く
「ニャーーー!」(C)
そして、出て行ってしまいました。
ちゃんとおしゃべりができるのです。
私の翻訳はこうです、
Aは「きれい! もっと聞いていたいんだけど、ちょっと用ができたので、ドア開けてね」
Bは「うん、パパ、凄い!」
Cは「静ももっと聞いていたいんだけど、残念だけど、用を思い出したので、失礼します」
こんな風にして、私たち親子はなごやかに会話を交わしているのであります。

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by Hologon158 | 2009-04-30 15:54 | タンバールドラマ | Comments(0)

67.15 タンバールドラマ1「近江八幡をタンバールで撮ってみた」15 深読みでしょうかねえ?


近江八幡の八幡堀を取り巻く路地はロボーグラフィの宝庫。
行く度に別のものを見つけます。
今回は、タンバールがいたので撮れた写真たち。
トタン塀やビニール波板の破れは、いわば人間の生活上にふと顕れる揺らぎ。
そんな揺らぎの向こうになにかが浮かび上がってくる。
私はかってにそんな風に感じて、いそいそと撮ります。
おそらく誰とも共有できない、私の心のひとかけらとの共鳴。
2枚目は、自家用車の中に置かれた人形。
和歌山の勝浦でも似た光景に出会いました。
こんな異常な光景を見るたびに、共鳴はしません、
人の心の寂しさ、虚無を感じ、ちょっと背筋が寒くなるのです。
深読みでしょうかねえ?

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by Hologon158 | 2009-04-30 12:25 | タンバールドラマ | Comments(0)

67.14 タンバールドラマ1「近江八幡をタンバールで撮ってみた」14 よかったら、お試しください

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もしあなたが恋人と別れようとしているのであれば、
ぜひ近江八幡のこの場所をお勧めします。
この2つのベンチにたがいに逆向きに座り、
肌寒い風が枯れススキをしずかに揺らせる光景に気分を静かに高めつつ、
でも淡々と別れ話を進め、そして、最後にこう言うのです、
「お互いに未練を残さないために、
後ろを振り向かないで、この場を去ることにしようよ」
(どこかのドラマで聞いたようなセリフですが、そこは難しく考えないで)
でも、その際、くれぐれも言っておきますが、
右に座ってはいけませんよ。
左だと、まっすぐ近江八幡駅の方向に向かうことができるのですが、
右だと、あなたは水郷に向かうことになり、その果てには琵琶湖が待っています。
あんまり気分が乗りすぎて、琵琶湖にそのまま入水する羽目に陥りかねませんよ。
お気を付けて。
でも、一生忘れることのできない別れを体験することだけは請け合い。
ぜひ、お試しください。
おっと、言い忘れそうになりました、
もしあなたが恋人と別れるつもりがなかったら、
おふざけでそんなドラマを遊んでみたりなんて、絶対にだめですよ。
恋人はそれが引き金になって、本気で別れを決断しかねないのですからね。
by Hologon158 | 2009-04-30 11:26 | タンバールドラマ | Comments(0)

67.13 タンバールドラマ1「近江八幡をタンバールで撮ってみた」13 水郷のそこかしこに沈んでいる船たち


見つけたら絶対に撮る、そんな被写体があります。
沈船はその筆頭。
なぜか? 
その理由は分からないのですが、
死してなおしぶとく存在し続けようとする、強烈なる存在意思を感じるからでしょうか?
近江八幡の水郷のそこかしこに沈んでいる船たち、
一体何艘あるのでしょうか?
夜な夜な集まって、会議を開き、歌を歌うかも知れませんね。
えっ? なんの歌か、ですって?
もちろん、あれですよ、あれしかありません。
琵琶湖周航の歌。

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by Hologon158 | 2009-04-30 00:07 | タンバールドラマ | Comments(0)

67.12 タンバールドラマ1「近江八幡をタンバールで撮ってみた」12 縁であり、運命でもあります


ホロゴンとタンバール、
よく考えてみると、このレンズたち、猛烈にマイナーですね。
どちらも特殊レンズと言ってもよい位、特化された機能しかありません。
しかし、その写りは、どちらも魔術的、驚異的。
世に言う「カリスマレンズ」の双璧でもあります。
それだけに、写真家は、よほどのことがない限り、使いません。
写真家のキャラクターよりも、レンズのキャラクターが出てしまうからでしょうか?
すべてのショットにおいて、レンズをコントロールすることが困難なせいもありそうです。
まして、この二本を一緒くたに使う人も、私の知るところでは、ほかに居られないようです。
私がこうして二本のカリスマレンズと知り合ったのも、縁であり、運命でもあります。
こうなると、私としては、徹底的にお付き合いしようという気になります。
人のしないことをしたい、そんな欲求が強いこともありますが、
むしろ私の撮りたい写真を、二本のレンズがたがいに補完しないながら、撮らせてくれる、
私はそう信じているのです。
近江八幡でそれをお見せしたかったのですが、タンバール写真だけでも、
そのあたりお分かり頂けるのではないでしょうか?
ホロゴンでは絶対に撮れないような写真が並んでいます。
そして、私はこの写真たちが滅法好きなのです。
そして、ホロゴンとはまったく異質な写真を作り出してくれ、
しかもけっして競合しないのです。
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by Hologon158 | 2009-04-29 22:04 | タンバールドラマ | Comments(0)

67.11 タンバールドラマ1「近江八幡をタンバールで撮ってみた」11 私に迷心に落ち入ってゐる?


高島野十郎という画家、ご存知ですか?
ちょっとした偶然から、「高島野十郎画集 作品と遺稿」(求龍堂刊)を手に入れました。
その帯の言葉が画家への興味をそそります、
「甘美な世捨て この世にあらざる写実 謎深き画家の全貌」
独特の精密画像で、しかも写真とはまったく似ていません。
でも、絵のことはまた後ほど。
この本で、我がロボーグラフィのためと言いたくなるような、彼の言葉を見つけたのです。

「道ばた、ゴミだめに転がつていてもはっきりと見える、
どんなにうたがつて見ても、そうとしか見えないものが芸術品、
ころがつてゐれば誰れの目にもとまらないもの、うたがへば無くなるもの、
額ぶちに入れてかざれば何か意味がつくといふようなものは迷心品、
批評専門家は多くは迷心に落ち入ってゐる」

ロボーグラフィは芸術品じゃないので、この言葉をロボーグラフィに入れ替えるだけで、
最初の二行はロボーグラフィの定義となってしまいます。
もっとも、高島が道ばた、ゴミだめにあるものを描いたわけではありません。
むしろ道そのものを描くあたりは、題材としては奇妙なところはぜんぜんありません。
でも、キャンバスに出現する絵そのものは実に異様。
空気感、実在感が溢れんばかりなのですが、ちょっとどこか過剰。
おかげで、どうやら高島は画家としては生前異端の道を歩んだようなのですが、
そんな高島が自分の絵をこんな風に考えていたということは嬉しいですね。
もっとも我田引水もそこまで。
私の場合は、ただの素人写真なので、異端ではなく、
「あっ、いたんの?」と言われる程度ですね。

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by Hologon158 | 2009-04-29 21:13 | タンバールドラマ | Comments(0)

67.10 タンバールドラマ1「近江八幡をタンバールで撮ってみた」10 腕や胸が何をしてるんです?


最後にもう一つだけ、ゾルバの言葉、
「分かってまさあ、お前さんが頭でものを理解しなさるぐれえのこたあ。
お前さんのいうなあ、「これは正しいが、あれは間違っている。
これは本当だが、あれはそうじゃない。
あの男は正しいが、他の男は間違っている」なんてことでさあ。
ところで、そんな理屈がわしらをどこへ連れて行くってんですか?
おまえさんが話してなさる間、
わしゃ、おまえさんの腕や胸を見てまさあ。
それで、腕や胸が何をしてるんです?
ただ、黙ってまさあ。
一言だっていいませんぜ。
まるでそこにゃ血の一滴だってねえみたいになあ。
それで、おまえさん、何でもって理解するってんですから?
頭ですかい?
フン!」
痛い言葉ですね。
私は、さいわい文章を書かない限り、頭は使わない人間。
揚琴を弾いたり、写真を撮ったりするときは、頭は忘れて、気分ですっとばします。
絵や写真を見るとき、見た瞬間、わっと感じない限り、無。
感じたら、あれこれ頭で考えることもあります。
でも、そんな分析は、最初の感じを打ち消すようなものになってはならない。
あくまでも、「わっ」が最初で最後。
揚琴だって、暗譜しますが、無理に覚えてゆくのではありません。
繰り返し弾いている間に暗譜している、そこまで追い込みたい。
ホロゴン、タンバールがまさにそれです。
ひたすら撮り続ける、そのうち、段々とヒットしはじめる。
そんな感じでずっと来ました。
これからも、その調子で行きます。

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by Hologon158 | 2009-04-29 15:51 | タンバールドラマ | Comments(0)