わが友ホロゴン・わが夢タンバール

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86.10 ホロゴンデイ24「06年3月26日大阪玉造裏通りで素敵なものたちに出会った」10 あなたなりの逆境を?

画家の三岸節子さんは、29歳のとき、天才画家と呼ばれた夫好太郎を失います。
三人の幼い子と夫婦のアトリエ建築の借金が残されてしまいます。
そのときの発言が強烈です、
「助かった、これで画家として生きていける」
夫を含めて、誰の助けもなしに生き延びなければならないという状況に追い込まれて、
これからがほんとうの力を付けるときだ、そう感じたのでしょうか?
だいたいにおいて、名を成した画家って、なぜか貧困が多いですね。
生き延びようという意欲、気力が絵のエネルギーに還元されるのでしょうか?
絵って、一筆一筆が画家の決断、技によってなされます。
火事場の馬鹿力と言いますが、せっぱ詰まらないと出てこないような底力、
これがないと、最後の一押しはできないのかも知れません。
日曜写真じゃ、なんのことはない、ただのお遊びですね。
写真って、最後の重要なプロセス、画像の記録の段階ですべてをメカニズムに委ねてしまう。
このブラックボックスが写真にかすかな緩みを与えてしまうのかも知れません。
とすると、いやしくも写真家たらんと志す方であれば、
そんな写真自体が置かれた弱みを跳ね返すためにも、
自分をことさらに逆境に放り出してみる必要があるのではないでしょうか?
私は、くどいように申し上げていますが、写真とは無縁の素人に止まるつもり。
(そんなことわざわざ言わんでも、あんたはど素人じゃあ、とおっしゃるのは誰ですか?)
それでもなお、愛機ホロゴンウルトラワイドが私の手の中で軽やかに踊ってくれるよう、
どこまでもホロゴンウルトラワイドを使い続けたいのです。
ご承知かどうかはわかりませんが、超広角15ミリ一本で撮るって、かなり不便なのです。
他のレンズの写真技術がまるで使えないのです。
でも、どんなものでも、どんな人でもそうですが、長い間不便をしのんで付き合いますと、
いつかしっくりと互いになじむことがあるものです。
私も、自分が稀代の名レンズホロゴンになじむこともさることながら、
ホロゴンが私になじんでほしい、そう考えて、ひたすら使い続けているのです。
これが私なりの逆境。
あなたがアマチュア写真家であるなら、
あなたなりの逆境を自分のために作り出してみてはいかがでしょうか?
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by Hologon158 | 2009-06-30 22:07 | ホロゴンデイ | Comments(0)

86.09 ホロゴンデイ24「06年3月26日大阪玉造裏通りで素敵なものたちに出会った」9 結果がすべて!

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写真を楽しんできて、分かったことが一つあります。
写真は、結果がすべて!
誰が撮ったか?
どう撮ったか?
どんなに工夫がなされているか?
どんなに難しい撮影条件を克服したか?
どんなレンズで撮ったか?
どんなに立派に撮れているか?
どんなに独創的か?
写真として、どれだけの価値があるか?
珍しい被写体かどうか?
これらのことは、たいていの人にはまったく無関係。
肝心なことは、見た人が「いいっ!」「すてきだ!」と感じるかどうか?
いいと思ってもらえなければ、どんなに苦労し、どんなに技巧をこらしても無意味。
どのようなジャンルであれ、写真家は、そうした関門をちゃんとクリアーしているのです。
自分のジャンルで、人に見てもらって満足してもらう、そんな作品をちゃんと創っている。
私がクリアーできなかったのは、この関門でした。
ほとんど誰も、私の写真をいいとは思わない!
どう受け取ってよいのか、それすら分からない人もいるようです。
ほんの一握りの写真家からは、おもしろいと言っていただきました。
でも、ある大写真家は、ただ一言、
「ぎりぎりに撮られて、構図が決まりすぎているので、窮屈だ」
ホロゴンのノーファインダーなので、ぎりぎりもなにもないんだけどなあ、
と、内心途方にくれましたが、結果がすべてなので、いいわけ無用。
そんな次第で、今日までついに好評を博することなく来たのですが、
ブログ上も、ちっとも事情は変わらず。
私の写真をいいとお感じになる方はほんの一握りで、たいていは黙殺。
見た方の平均的な質問は、「なんでこんなものを撮るの?」なのでしょう。
皮肉なことに、私自身、その理由をちゃんと説明できません。
分かっていることは、誰が見ても美しいと思うようなものは撮りたくない。
誰が見ても美しいと思わないのに、自分は美しいと思うものを撮りたい!
これじゃ、他の人から好評価を得るのと期待する方がおかしい。
だから、私は、人様に、私の写真をご覧くださいとは言えないのです。
ブログというものも、自己認識にとても役立つようです。
ブログを開いて、このことをなおさらしっかりと理解するようになって、
迷いはなくなりました。
ブログという場を借りて、自分の写真をストックしよう。
自分一人を観客に見立てて、思いっきり写真遊びをしちゃおう!
というわけで、作りだけは、写真作品のプレゼン風に構成してありますが、
誤解のないように、ただの遊び、ただの冗談。
これぞ写真ソリティア・ゲーム。
by Hologon158 | 2009-06-30 18:01 | ホロゴンデイ | Comments(0)

86.08 ホロゴンデイ24「06年3月26日大阪玉造裏通りで素敵なものたちに出会った」7 その物が喜ぶ

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画家香月泰男の言葉をまだ考えています。
「人が美しいと思うものを描いてもしょうがない」
「なんでもないものを描いてやったほうが、その物が喜ぶ」
私のロボーグラフィの極意のような言葉。
私が考えてきたのは、こんなことです。
「片隅にひっそりと隠れていたものが、
にわかに立ち上がって、私だけのためにアリアを歌ってくれる。
その瞬間、私にとって、それは美しい」
でも、ニュアンスは似ていても、結果は大きく違います。
香月のほんの数枚の絵を見ますと、
そんな「なんでもないもの」が香月の絵の世界の住民に変容を遂げています。
私の場合、ホロゴンがメタモルフォーゼを受け持ってくれます。
2人とも、なんでもないものが異貌のものに変身しています、
この点は似ている。
香月がどのように考えていたのか、私には分かりませんが、
自分のことは分かります。
私が現場で感じる、そのもののアリアは、必ずしも写真の結果と一致はいたしません。
でも、一致なんかしなくてもよい、私はそう考えています。
たいていの写真家は、一致すべきだとお考えです。
そうでなくては、自分の作品とは言い難いから。
私の場合、はじめっから、写真はホロゴンの作品と考えているので、
一致などするはずがない。
でも、私はそれを特別なものと感じるからシャッターを押すのです。
すると、ホロゴンが自分の好きなように料理します。
それでよいのです。
私はホロゴンの画像を心から愛しているのですから。
私は、どんな味でもよい、喜んでお料理をいただきます。
香月は猛烈に画材を工夫したようです。
つまり、自分で思う存分料理したのです。
このあたり、画家香月と写真素人私との間にはおおきな隔たりがあるようですね。
でも、どちらも「なんでもないもの」たちは喜んでいる、
私はそう信じたいのです。
by Hologon158 | 2009-06-30 00:10 | ホロゴンデイ | Comments(0)

86.07 ホロゴンデイ24「06年3月26日大阪玉造裏通りで素敵なものたちに出会った」7 自慢話みたいですが

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40.18ホロゴン外傳6で、青木繁の「海の幸」について、こう書いたのです、
「誰もが知っている、「海の幸」(裸の漁師たちの行進)、
たった一人、美しい女性の顔がこちら(つまり、画家?)を見ています。
画家の恋人なのだそうです。
その直前を進む若い男の横顔が画家そっくりなのです。
恋人を書き入れたとすれば、当然、その側に自分も、というのは自然。
そして、この若い男だけが、なぜか身体が白く、特化されている。
おそらく自画像でしょうね。」
大竹昭子の新刊書「あの画家に会いたい 個人美術館」で新情報を知りました。
2004年の赤外線撮影で、この2人だけが、下に別の線が認められ、
後に加筆修正されたものであることが分かったとして、
著者は、この若い男は青木自身ではないかと推測しているのです。
私の勝手な推測と同じ結論というのは、うれしいことです。
加筆修正の経緯からおそらく間違いはなさそうですね。
鬼の首をとったように、ことさら書きましたのは、
このブログはほとんど全編、私のかってな思考プロセスの文章化なので、
みなさん、まあいろいろとデタラメを書いてときっとお考えになっているだろう、と、
私自身、いつもちょっと心許ないところだったからです。
ときには、下手の推測数撃ちゃ当たる式のこともあるんだな、
そう分かっていただければ、私も励みになります。
by Hologon158 | 2009-06-29 22:09 | ホロゴンデイ | Comments(0)

86.06 ホロゴンデイ24「06年3月26日大阪玉造裏通りで素敵なものたちに出会った」6 静にびっくり!

幾度か、私の末娘、静が天才であることを書きました。
今日もそんな証拠の一つを見つけました。
夕食を用意したのです。
我が家の猫たちはそれぞれ別の仕様の夕食を、別の部屋で頂きます。
長男銀太は、夕食のお皿を用意する台所の隅で待っています。
私は、銀太のお皿を彼の前に置きます。
静とグリは、一番最初に置かれる銀太のお皿に殺到なんて、幼稚なことはしません。
そのときには、すでに居間の入口を出て、2階への階段の下で待っているのです。
私が残りのお皿を両手に持って行きますと、2人はさっさと階段を上ります。
いつもは、静は私の部屋のドアの前に居て、私がドアを開けると、さっと入ります。
グリは妻の部屋で頂くので、それが済むのを待っています。
最後に、私は妻の部屋のドアを開けて、グリと一緒に入ります。
これが普段の手順。
ところが、ときどき妻が自分の部屋で仕事をしていることがあります。
こうなると、状況は逆転します。
グリは、妻に気兼ねして、同じ部屋で夕食を頂くのをためらうのです。
ちょっとおっかないのですね。
そこで、妻が自室に居るときは、静がそこで食べ、グリは私の部屋で食べます。
今日、静とグリの後を階段を上って、気づきました。
静が、私の部屋ではなく、妻の部屋のドアの前で待っていたのです。
私が妻の部屋のドアを開けますと、さっと中に入りました。
今日は、ママが部屋に居るので、部屋は交替と、ちゃんと判断していたのです。
静が並外れた洞察力と推理力とをもっていることはすでに書きました。
読んだことのない方が多いでしょうから、また近いうちに書きましょう。
猫と一緒に住むようになって20年になりますが、
知れば知るほど、猫って賢いですよ。

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by Hologon158 | 2009-06-29 17:45 | ホロゴンデイ | Comments(0)

86.05 ホロゴンデイ24「06年3月26日大阪玉造裏通りで素敵なものたちに出会った」5 これはうれしい!

なぜでしょうか?
写真家には、あまり心豊かな人が見つからない。
私の心にぐっと突き刺さるような言葉を吐ける人があまり見つからないのです。
画家は違います。
それぞれに独特に魅力的。
画と人とがたがいに相手を豊かにしている感じがします。
また、素敵な言葉を見つけました。
山口県の長門三隅という小さな町で描き続けた画家、香月泰男。
シベリアでの抑留体験を通して、彼は決意するのです。
「私は決心した。
今度日本に帰ったら、故郷の三隅の町で一生を送ろう。
モチーフはどこにでもある。
私がいるところに、モチーフもあるのだ。
これほど夢の中にくり返しよみがえる故郷をおいて、
いったいどこが私の仕事場にふさわしいといえるだろう」
香月は学校の美術教師を勤めたのですが、生徒にこう教えたそうです。
「絵になるものを探しちゃだめだ。
なんでもいいから、端から描け」
「人が美しいと思うものを描いてもしょうがない」
「なんでもないものを描いてやったほうが、その物が喜ぶ」
なんのことはない、私がいつも考えていること、書いていることを、
ずっと前にちゃんと言っている人がいたのです。
これはうれしい!
私のドラム缶たちも喜んでいますね。

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by Hologon158 | 2009-06-29 16:10 | ホロゴンデイ | Comments(0)

86.04 ホロゴンデイ24「06年3月26日大阪玉造裏通りで素敵なものたちに出会った」4 すーっと落ちてゆく

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ブランコって、どこで誰が発明したものなのでしょうね?
子供から大人まで大変に人気の高い遊具でした。
私も大好きで、身体が上向きに水平になるまでこぎ続けて、
この後、すーっと落ちてゆくときの快感がたまらない。
バランス感覚を訓練するのに最高の遊具かも知れません。
でも、近頃、公園から姿を消しつつあるようですね。
子供がちょっと怪我をしたりすると、ニュース騒ぎになり、もう撤去というパターン。
こうして、さまざまなものが日本から姿を消しつつあります。
なんでもかんでも、超安全な造りを要求する、これは危険な風潮ですね。
ここにも過度の情報化社会の弊害が顕れています。
昔だって、怪我をしていました。
はるか以前の統計で、現在はどうか知りませんが、男女の出生率が違う。
男子の方が沢山生まれますが、少年期の死亡率が女子よりも高いために、
成人の頃には、男女の人口比率はほぼ同じになるというのです。
つまり、男の子は冒険をするように生まれついているのです。
男子の冒険好きが、男子を鍛え、新世界を切り開いて、歴史を作ってきたのです。
少々怪我をしても、ニュースになんかならなかった。
男の子に怪我はつきもの、それが常識だった。
少々血が出ても、遊んでいる間に止まる。
ヒルが脚に食いついて真っ赤にふくれあがっても、平気で引っぱがして、また遊ぶ。
母親も、子供の少々の怪我なんか気にしていません。
なんでも自分で解決する、それが子供ってものでした。
ところが、今では、男子は男の子は冒険を許されません。
すぐ親がしゃしゃり出て、保護しようとする。
冒険しないので、意気地も覇気もなくなり、新世界を切り開くなんて夢の又夢。
身体だけは大きくなりましたが、気力、迫力が感じられないのが多すぎます。
私は大まじめで、これからの日本の男たちのことを心配しています。
なに、女性たちのことは心配していないのか、ですって?
ほとんど心配していませんね。
女性は強くなりました。
by Hologon158 | 2009-06-29 14:39 | ホロゴンデイ | Comments(0)

86.03 ホロゴンデイ24「06年3月26日大阪玉造裏通りで素敵なものたちに出会った」3 見栄がある?

白い犬に出会いました。
かなりの年寄りでした。
ホロゴンを50センチばかりに近づけても、おっとりしたもの。
この犬、右の横顔が写真写りがいいと知っているみたいですね。
ちなみに、マリア・カラスと同じ方向ですね。
カラスは大変に美しいドラマチックな容貌の持ち主でしたが、
左側から見ると、ちょっとごつごつした違和感があります。
自分でも当然分かっていて、正面か、または右横顔で撮っています。
この白犬、ひょっとしたら、女性なのかも知れません。
別の場所で、洗面台を見つけました。
なんだか、白い犬と対の存在に見えました。
こちらはどうやら男性。
左横顔を見せていますね。

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by Hologon158 | 2009-06-29 12:19 | ホロゴンデイ | Comments(0)

86.02 ホロゴンデイ24「06年3月26日大阪玉造裏通りで素敵なものたちに出会った」2 生きたものを撮りたい

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中川一政という油絵の画家がいました。
1991年に97歳で亡くなったのですが、
1949年、神奈川県の真鶴に居を構えた後、
自宅の近くの漁港の防波堤で、なんと20年も描き続けたそうです。
独学だった中川にとって、それが絵をわがものとするたった一つの道だったのでしょうか?
「私のアトリエは世界で一番大きい。
幅は6メートル、縦は80メートルもある。
私はこのアトリエを徘徊して描いている。
高さも世界一大きい、青天井だから」
ここで苦しみ抜くのです。
十数年たって、絵が澄んできたということです。
彼の言葉が素晴らしいのです、
「画はリズムから成っている。
物を見て描くのは、自然のリズムを感得することにある。
対象物の説明ではなく、
対象物であることによって起きるリズムである」
「私のとった道は写生道である。
生を写すことである。
生きたものを自分の画面に写すことである。
山なら山、川なら川。
生き物を殺さないで、生かして持ってこなければならない。
生き物だから、器官があって呼吸している。
血脈があり、神経がある」
そして、「画は芸術ではない。
画の中に呼吸し、うごめいているものが芸術なのだ」
私のような非芸術家の素人でも、こんな言葉には激しく動かされます。
中川の言葉はほとんど全部、写真に当てはまるからです。
中川の言葉を読んでいると、心の内から欲求が湧いあがってきます、
ぼくも撮りたい、
生きたものを撮りたい!
万物は生きています!
私の心を揺り動かし、生かしてくれるものは、ぜんぶ生きています。
私の心とものが一体となって生きているのです。
心が宇宙の大きさにまで大きく伸び広がって、宇宙全部で生きている人だっているはず。
心が縮み、沈み、淀み、死んだも同然となると、
どんなに広大な空間に居ても、ただの外界に過ぎず、心は孤立したまま。
心が広がり生き生きと脈動すると、
どんなに小さな空間に居ても、その空間が大きく広がります。
心がその空間を取り込み、その空間を支える空間、さらにその向こうと、
心が広がっていくからです。
そんな気持ちで、写真を撮りたいものですね。
by Hologon158 | 2009-06-29 11:00 | ホロゴンデイ | Comments(0)

86.01 ホロゴンデイ24「06年3月26日大阪玉造裏通りで素敵なものたちに出会った」1 たった一本の視線だけ

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台湾から2年前の大阪玉造の裏町に飛びましょう。
ずっとごらん頂いているなら、すでにお分かりでしょう。
私は、どこに居ても、いつも裏町の片隅にひっそりと輝くものたちを撮っていて、
時間も場所も無関係。
私のライフの軌道と、もののライフの軌道とがある一点で交差する、
その瞬間の記録ですが、
ほとんど時間を超越して、私とものとが向かい合っています。
たった2,3秒の出会い。
でも、ホロゴンがその出会いを記録してくれています。
だから、玉造で撮った、飛鳥で撮った、京都で撮った、こんなことはほんとは無関係。
私とものとを結ぶのは、たった一本の視線だけ。
彼らもまた、私の心を富ませてくれる、私の大事な友人たちなのです。
by Hologon158 | 2009-06-29 00:29 | ホロゴンデイ | Comments(0)