わが友ホロゴン・わが夢タンバール

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119.05 ホロゴンデイ36「2009年10月10日浪華の人生は十三の下町で華開き」5 私が得た自信

午後、奈良県庁の中庭で開催されるリレー音楽会に行ってきました。
師匠の陳小林先生が総勢28人で二胡の演奏をしたのです。
合計10曲近くしましたが、私の受け持ちはたった3曲。
「八月桂花遍地開」「良宵」「賽馬」
あとは、揚琴の前にじっと座りずくめなのですから、
私の立場には、かなりつらいものがあります。
でも、陳小林先生の二胡をすぐ横で見聞きできるのです。
これは特権、おかげで退屈しません。
さて、3曲目にいよいよ出番、
「八月」はかなりきちんと演奏できました。
あとの出番は、最後の2曲です。
「良宵」は、始まってみると、いつものスピードよりも、ずっと早い。
私はいつものスピードで弾いたので、合わない!
陳小林先生がいつもおっしゃることですが、メンバーの誰かがあがると、
どうしても普段のスピードよりも速くなってしまい、
これを是正するのはなかなか難しいとのこと。
近頃の奈良と大阪の発表会で体験して、私が自信を付けたのは、
ちきんと伴奏を付ける腕ではなく、
間違っても、なんとなく、いつしか正道に立ち戻る能力。
今回も、途中でなんとか追いつき、最後はきちんと終わることができました。
ラストは、「賽馬」
二胡の演奏会のラスト曲の定番です。
なぜかと言いますと、勢いがよく、意外性があり、派手な見せ場があるからです。
ところが、この曲も、つい20分前のリハーサルのときは着実なテンポで無難な出来。
これならと自信を付けたのですが、
本番は、とんでもない早さに。
私は、リハーサルのスピードで開始したものですから、これもまた合わない!
それでも、中途からちゃんと正道に復し、
最後は、ジャン、と、平仄が合いました。
今回も、立派に伴奏らしく弾くことまではとうてい行かない出来。
こうして3回立て続けに、私が得た自信というのは、たった一つ。
間違っても、元に戻ればいいのだ、
だって、終わりよければ、すべてよし!
なぜか?
伴奏って、誰も聞いていないのだから。

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by Hologon158 | 2009-10-31 19:58 | ホロゴンデイ | Comments(0)

119.04 ホロゴンデイ36「2009年10月10日浪華の人生は十三の下町で華開き」4 笹の葉さーらさら

毛沢東の文化大革命もチェーン・リアクションでした。
中国の歴代王朝が、創業後、功臣たちを一斉に粛正することで、
王権を確立してきたことはご存知でしょうか?
中国の統一王朝として長期政権を確保した最初の王朝が漢です。
漢の創業者高祖劉邦は、功臣たちを駆使して、
おのれに遙かにまさる力量の英雄項羽を倒して、広大なる中国全土を従えます。
統一後に彼が行った最大の事業は、自分の功臣たちを整理してしまうことでした。
最高の功臣は言うまでもなく、韓信、あの股くぐりの逸話の主です。
項羽に匹敵するほどの力量と、類い希なる戦争の名人なのです。
自分よりも遙かに有能な英雄韓信を生かしておいては、
自分の没後、韓信の天下になりかねない、
そう怖れた高祖は韓信に罪をなすりつけて殺してしまいます。
そのとき、韓信が言った言葉が、中国の王朝のなすべき仕事を決定したのかも知れません。
「狡兎死して、走狗煮らる」
猟が済んだら、猟犬はお役御免というわけです。
毛沢東は、共産政権樹立後、実質的には、高祖と同じように、中国王朝の始祖となり、
事実上の王者として中国に君臨しました。
でも、長年の同格の同志たち、劉少奇や周恩来たちが次第に邪魔になってきます。
毛主席としては、帝王として振る舞い、神格化されつつあるのに、
当然ながら、同志たちは、共産主義政権の理想との乖離を感じ始めている、
そのうえ、毛主席は大躍進政策を猛烈に推進して、失敗してしまいます。
国家主席の地位を退き、権威も失いかねないと懸念した毛沢東、
同志たちを倒そうとしても、彼らの権威がそれを許さない。
そこで、紅衛兵を利用して、チェーン・リアクションを発動したのです。
彼としても、文化大革命が、数百万から1千万を超えると推定される虐殺と、
文化抹殺の大惨害を引き起こすとは予測できなかったかも知れません。
でも、天安門事件で、小毛沢東とも言うべき鄧小平が、
「国家を守るためには、百万を殺してもよい」とまで言い切ったことを思い出しますと、
毛沢東もまた、反動分子(つまり、自分に邪魔な者)をいくら殺しても、よい、
そこまで考えていたと推測できそうです。
これはまさに高祖と同様の、功臣粛正の事業だったのです。
しかし、この大惨害は中国史に大きな傷と禍根を残しました。
たった一人の人間がこれだけの悲惨な歴史を作り出してしまうのです。
それがチェーン・リアクションというものです。
そう考えますと、国家の歴史に影響を及ぼしかねない地位に立つ者は、
心して、動かねばならないのです。
鳩山首相がそこまでの覚悟と自覚を持っているか?
私ははなはだ心許ないのです。
もっとも、自覚したからと言って、どうなるものでもないのかも知れません。
滔々たる奔流の上に浮かぶ、笹の葉一枚、
それが日本なのかも知れないのですから。
笹の葉、さーらさら...
トホホ...

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by Hologon158 | 2009-10-31 11:22 | ホロゴンデイ | Comments(0)

119.03 ホロゴンデイ36「2009年10月10日浪華の人生は十三の下町で華開き」3 怖いですね

シェークスピアの史劇をご覧になったことがありますか?
随分昔、英国BBCだったでしょうか、シェークスピアの全ドラマを作り、
日本でも見ることができました。
デレク・ジャコビのような、当代最高のシェークスピア役者たちが揃い、壮観でした。
脚本として読むと、あまりにも登場人物が多すぎて、訳が分からなくなるのですが、
ドラマを観ますと、人物の性格、地位、政見などが一目瞭然という感じで、
猛烈に楽しめました。
薔薇戦争の時代の王様の史劇が幾つもありますが、
シェークスピアが打ち出してくる王様観というのが、実に面白い。
頂点に立つと、後は転落するばかり!
その典型が、リチャード三世、マクベスなのですが、
王位に即くまでは、遮二無二、政敵を蹴り飛ばして、玉座にまっしぐら駆け上る。
でも、玉座に座った途端、この場所がどんなにも孤独であるか、
どんなに寂しく、どんなに希望がないか、突然悟って、愕然とするのです。
自分がしたように、家臣たちも自分を追い落とそうと狙っている、
隙あらば、寝首をかこうとしている、
そのすべての言葉が、自分を裏切るために落とし穴、
そんな風に思えてきて、誰も信じることができなくなる。
暗がりには刺客がひそむように見えて、もう夜もおちおち寝ることができない。
そんな中で、王国を統治しなければならないのですが、
家臣の持ち込む情報をそのまま信じることもできず、
さりとて、他に情報源もないまま、能力不足を痛感させられる。
歴代の自民党の首相たちに起こったのも、かなりリチャード三世状態だったのでは?
そして、今、鳩山首相が威勢のいい言動をくり返すなかに、同じ影を感じるのです、
次第にリチャード三世状態への近づきつつあるのでは?
かつてソ連邦の共産主義政権は、計画経済を企図し、
3年計画、5年計画と、次々と立案して、その実現に努力しました。
そして、分かったのは、操作すべきファクターは無限であり、
その組み合わせから生じる因果関係も無限であるために、
計画、予測など到底不可能ということでした。
政治も経済も、今では、カオス現象であることが判明しています。
アマゾンで蝶々が一匹ぱたりと落ちて死んだ、これが引き金となり、
チェーン・リアクションが起動され、ついには日本の株が暴落する、
そんなことが起こりかねないというのです。
鳩山首相は、政権をとって中枢に座ることで、日本が置かれている窮境をさらに理解させられ、
これにどう手だてを施せばよいのか、今、答えを求められて、困惑しているはずなのです。
もし、矢でも鉄砲でも持ってこい、おれは万能の首相として歴史に名を残すのだ、などと、
勢い込んでいるとすれば、めくら蛇に怖じずのたとえは悪いですが、
つまり、なにも見えていないわけで、要するに、馬鹿ということになります。
せめて、しっかりと目が見えておいてほしいものです。
政権をとるまでは、あんなに希望に満ちて見えていた首相の座が針のむしろとなり、
さりとて、周囲に、信頼のおける有能な部下を見つけることもできず、
背後には、野心満々の幹事長の影がおおいかぶさってくる、
そんな状況にあるのであって、首相にもそれが見えていないと困ります。
政権にできることは、健全なチェーン・リアクションを発動するきっかけを与えること。
でも、それが何なのか、どう組み合わせればよいのか、わからない。
だから、せめて、政権をとるまえに、裏付けなしに、かってに立案したとはいえ、
目に見える唯一の行動計画であるマニフェストにしがみつくのです。
かつて小泉もまた同様の窮境に立ったのです。
彼がとった逃げ道は、たった一つの小さな小さな改革案、郵政民営化にしがみつくことでした。
こうして、他の改革をすべておざなりに置き去りにしたまま政権を握り続け、
最後には、自民党の崩壊を引き起こすチェーン・リアクションを発動したわけです。
これも無能ゆえの、名ばかり、形ばかりの改革への固執でした。
これと同じことが起こりそうで、怖いですね。

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by Hologon158 | 2009-10-31 10:12 | ホロゴンデイ | Comments(0)

119.02 ホロゴンデイ36「2009年10月10日浪華の人生は十三の下町で華開き」2 愕然としました

今朝、日経の一面を見て、愕然としました。
鳩山首相は、日本の国家政策、経済政策に関するブレーンをまだ持っていないらしいのです。
首相は、在任4年の間に、マニフェストを完全実行する、
できなかったら、責任をとると答弁したそうですね。
なにか、勘違いしておられるんじゃないですか?
日本国民が民主党を選んだのは、
マニフェストを実行してくれるだろうと思ったからではありません。
そんなものは、ご都合主義で作られた選挙用プロパガンダであることは誰もが先刻ご承知。
それでも、選んだのは、自民党はアウトだからであり、ひょっとしたら、
民主党ががたがたになった日本を建て直してくれるかもしれないと期待したからです。
日本の国家、経済、政治システムに対する統合的な改善方針など一度も提示されていません。
そのためには、日本の英知という英知を集め、
システムというシステムを活用できるよう調整しなければならないのです。
とにかく各個がんばってやってみろ、最後は俺が決断する、ではダメなのです。
官僚には専断させない、政治家が主導するというのであれば、
官僚システムに代わる、それなりのチームスタッフを準備すべきです。
でも、そんなものはどこにも用意されようとしていない。
官僚たちは、それぞれの分野における専門家です。
それを指導するって、どういうことなのか、首相は分かっているのでしょうか?
誰が、練達の寿司職人に、
ネタの選び方、保存の仕方、包丁の入れ方、握り方を指導できますか?
政治家主導システムというのは、
政治家がなにもかも決めて、官僚に実行を命じると言わんばかりですが、
そんなことは実行できっこないのです。
そうではなくて、政治家、官僚が一体となって、問題解決に取り組むためのチーム体制に、
官僚システムを組み替え、官僚の縄張り根性、出世主義を打破し、
省単位での視野から、国家的視野に拡大する、
そんな官僚システムに切り替えて行かなければならないのです。
今のように、くちばしを出すなと一方的に椅子に縛り付ける方策は愚の骨頂です。
専門家がやる気をなくしたら、誰が替わるのですか?
手足として駆使すべき官僚を怒らせて、どうやって駆使しようというのですか?
首相は、マニフェストはちょっと横に置いておいて、
日本国としての国家政策をしっかりと立案してから、予算を策定すべきなのです。
言葉ばっかり先行して、内実が伴わない、
そんな現状にだまされるのは、ほんの一部の愚民だけ。
それが分かっているのでしょうか?
鳩山首相は、国家のあらゆる問題について、自分がただしく統合的な政策を作りだし、
実行できると信じているのでしょうか?
そんな政策はまったく明らかにされていません。
でも、もしそれがあるのであれば、
その具体化のためのスタッフ、ブレーンをしっかりと組織化しなければならない。
彼と彼の内輪の相談役だけで何ができるというのでしょうか?
根本的な問題を認識して、これを有効に処理するための施策を講じる
ここから始めるべきなのに、言葉だけが華麗に先走っている。
在任期間中にマニフェストを実現できなかったら、責任をとる?
バカを言っちゃいえない。
国民は、あなたが日本をただしく導くことができるかどうかで、
首相としての適否を判断するのだ。
マニフェストを個々バラバラに実行したって、誰も評価しない。
日本丸をさらに沈めるようなことがあれば、
あんたが責任をとる前に、こちらの方からやめてもらいますよ。
無考えに調子のよい言葉をポンポンとしゃべり散らすのはやめなさい!
しっかりと首相の仕事をやりなさい!

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by Hologon158 | 2009-10-31 00:25 | ホロゴンデイ | Comments(0)

119.01 ホロゴンデイ36「2009年10月10日浪華の人生は十三の下町で華開き」1 街に出よう!

田園の後には、都会の街と参りましょう。
大阪の下町ベスト5を選定することとなったら、当選確実というのが、
この十三。
10月10日、一人で歩きました。
持参したのは、もちろんメインがホロゴンウルトラワイド、
サブは、手に入れたばかりのズミクロン35mmF2八枚玉をM3に付けて。
まだ、このレンズが実はM3用の眼鏡付きの眼鏡を外した改造ものとは知らぬ身。
ヘリコイドは、実距離と完全にずれています。
そのため、レンズの性能を見るために、たまにM3のファインダーで焦点を合わせたものは、
全部アウトでした。
ノーファインダーで、被写界深度で撮ったものがかろうじてセーフ。
どれがどれと一々断りません。
ホロゴン15mmF8とズミクロン35mmF2、レンズ屈指の名レンズのコンビネーション、
これを試してみたのです。
yoshiさんが同じ八枚玉を駆使して、強烈なる切れ込みの名作をバンバンと作っておられます。
私の写真は、同じレンズかと思うほどに、おっとりとした写りです。
ちょっとエルマリート28mmF2.8にも似ていて、
この時代のライカって、やさしさに満ちているなと考えると、
自然と、微笑みが浮かんでくるのです。

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by Hologon158 | 2009-10-30 22:05 | ホロゴンデイ | Comments(0)

118 ホロゴン画帖22「十佐帖 落葉は命の芽生えと佐保路唄い」

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十画帖シリーズ、なんともう22回になってしまいました。
一日歩いて撮ったものをアトランダムに記録として集積するホロゴンデイ・シリーズ、
それが終わるたびに、ちょっと習作的なまとめをやってみる、そんなお遊びです。
でも、みなさん、よく分かっていますね。
素人がめったやたらに撮りまくったものを十数枚選んでみたところで、
写真作品になるというものでもない。
ですから、コメント欄を開いている間でも、
1、2の方からちょっとしたコメントがあっただけで、
ほとんど全部、コメント零という、輝かしい記録を続けてきたものです。
出している本人はどうか、と言いますと、
この試み、楽しくてたまらない。
数十枚だろうが、数百枚だろうが、とにかく1日撮った写真から、
たった十枚ちょっとを選び出すという、この作業がスリリングです。
でも、私の場合、選択基準はごく単純です。
好きか?
これでは選べない。
全部好きだから、スキャンしたのです。
そこで、メッチャ好きか?
この問いに断固「イエス!」と答えられたものだけが残ります。
次ぎに、その写真たちをどう並べるか?
これはまあ適当です、要するに、フィーリング、これだけ。
そして、その写真たちをどんなパネルに貼り付けるか?
こちらは、その画帖の写真たちに共通する心情を色に直します。
そんな写真たちをブログ上に整列させますと、
写真展の前日、出展作たちが壁面を埋めたのを初めて見るときのように、
新鮮で、すがすがしい気持ちになるのです。
コメント欄を閉じたおかげで、
明日になっても、この気持ちを保ち続けることができる。
嬉しいですね。
by Hologon158 | 2009-10-30 18:13 | ホロゴン画帖 | Comments(0)

117.15ホロゴンデイ35「2007年12月8日奈良佐保路の冬枯れは華麗」15-完-新座右の銘

奈良の佐保路シリーズ、これで終わり。
季節も手伝って、滅びを感じさせるシリーズになりました。
これまで幾度か歩きましたが、その都度、古道は変化していました。
昔の哲学者ジョン・ロックの時間の定義を思い出します。
「Perpetual perishing」
絶え間なく続く解体、それが世界。
エントロピーの法則を哲学的に言いかえたものと見ることもできますが、
むしろロックが、次第に老年期に差し掛かって、
自分の回りに起こりつつあることを実感したものと見た方がリアリティがあります。
笑いと希望に満ちていた家族は、子どもたちの成人とともに離ればなれとなり、
親族、友人たちも一人、また一人と世を去ってゆく。
自分自身も、いつとも知れぬ、でも不可避的な死に向かって、
着実に押し流されてゆく。
人生の残り時間は、確実に1秒ずつ縮んで行く。
そんな気持ちを哲学的に凝縮したものなのでしょう。
でも、私は、saoriさんのブログで、とても素晴らしい言葉を見つけました。
彼女のお許しを得て、座右の銘とさせていただきます。

    regeneration
      Dead leaves are not the end of a life but the start of a new life.
      落ち葉は 生命の終りではない それは新しい命の始まり

毎日を新しい一日として生きる、
それがなんであれ、どんなものであれ、
自分の人生として、新しく生きるつもりで生きる。
そんなことができる人は、いつまでも新しい。
私もそんな風に生きたいですね。
時間は、「Perpetual perishing」ではないのです。
「Perpetual beginning」なのだ!

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by Hologon158 | 2009-10-30 00:05 | ホロゴンデイ | Comments(0)

117.14ホロゴンデイ35「2007年12月8日奈良佐保路の冬枯れは華麗」14 演奏も写真も難しい

揚琴のような楽器と写真とには、かなり違いがあります。
楽器という楽器は、修得しない限り、ほんとうに演奏することができない。
なぜなら、すべての楽器には、楽譜という形で提供される原型があり、
演奏がその原型をきちんと表現しているかどうか、
どんな素人でも一目瞭然だからです。
表現するために必要な技量と心が自分に備わらない限り、聴いちゃおれない!
ところが、写真は、その点、かなり違いますね。
とにかく撮れば、なにかが必然的に撮れる。
現代のカメラは、露出とピント合わせという、
長年写真家たちが艱難辛苦を重ねてきた最大の難関を軽くクリアーしました。
おかげで、インターネットのブログ界には、
私のブログを含めて、無数の写真ブログが花盛りなのです。
高校生だって、もっと小さな子供だって、
シャッターチャンスに素直に反応できさえすれば、人を驚かせる写真を撮れる。
オートフォーカスができる前のカメラだと、そんな芸当は夢のまた夢。
大変な時代が来たものです。
でも、それでもなお、思うのですが、ありていに言えば、
やっぱり写真だって、カメラだけに頼っていたら、ろくなものが撮れないのです。
見る人が見れば、たちどころに化けの皮がはげてしまいます。
ちょっと目の肥えた写真愛好家なら、誰もがそんな目を持っています。
おかげで、レンズだけに頼っている私のブログなど、
自分から進んで先行自白しているせいもあるでしょうが、
読者はあるかなきかという低迷状態に終始していますね。
逆に、私の方も、ブログを渉猟しても、
本気でエンジョイできる写真ブログがなかなか見つからないという苦しさ。
それでよいのです。
カメラの性能と、使いこなしの技術だけで、写真家になれたら、世話はないですね。
そんなに簡単に、写真家は生まれない、これって当たり前の道理。
結局、演奏も写真も難しいものだということでしょうね。

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by Hologon158 | 2009-10-29 19:01 | ホロゴンデイ | Comments(0)

117.13ホロゴンデイ35「2007年12月8日奈良佐保路の冬枯れは華麗」13 ヤッター!

今日は大変に嬉しい日でした。
私にはもったいない位にすばらしい揚琴奏者、付虹先生のレッスン日。
前回、台風で流れたので、1ヶ月ぶり。
先生は、北京に2週間里帰りして、帰宅したのが昨夜。
おととい携帯に電話しますと、「電波の届かないところに...」
ひょっとしたら、両親のいる北京に居る方がやっぱりいい、
もう日本はやめ、という気持ちになっているのではないか?
ちょっと心配していたのです。
昨夜電話をして、明るい声を耳にして、ほっとしての今日です。
先生からは、台風で一回抜けたとき、ちょっと心配そうな口調でこういわれました、
「基礎をしっかりと練習しておいてくださいね」
先生の持論では、弟子は、2週間ひとりで練習させると、
1週目に、教えられたことを忘れ、
2週目に、我流の悪い癖をしっかりと定着させる。
こんな風に考えますと、昔、写真家の田島謹之助さんに教えられてから、
あとはずっと独学独習、ただ写真をめくら滅法撮り続ける人生を歩んできた私です、
無茶無茶の悪癖が写真につきまくっているはず。
ですから、せめて揚琴だけは、しっかりと基礎から学びたいのです。
今日は、前半、みっちりと左手の動きを教えられました。
先生厳しく、「これからの2週間、これまでの倍の遅さだけで練習してください!」
やっぱり悪い癖がついていたようです。
この悪い癖、手首が横に逸れるというものですが、テンポが早くなると、目立たない。
ゆっくりと打弦しつつ、弦のどこを叩いているか、
手首はきれいに回っているか、
スティックをゆるやかに、ただそっと持っているだけにしているか、
腕のすべての部分から力が抜けているか、
しっかりチェックしながら弾きなさい、ということなのです。
その後、「歌唱祖国」という、オクターブ上下の2音を同時に叩く奏法の曲を、
その2倍の遅さで。
手首の矯正のあとなので、なんだか調子がよいのです。
きちんと音が出ると、中国音楽になるのですから、不思議。
続いて、もう一つの練習曲「旱天雷(ファンティェンレイ)」
日照り続きの空に雷がにわかに鳴って、待望の雨がどっと降ってくる、喜びの歌。
こう説明しながら、ああ、そうだったなあ、そんな気持ちで弾かなきゃ、
などと考えているのですから、泥縄式練習もいいところですね。
先生が横で歌う声に合わせて弾きますと、なんだかこれまで聴いたことがないほどに、
完全な中国音楽が聞こえてくるではありませんか!
こんなことは初めて!
先生、かなり喜ばれたようで、
「この前のクレオホールの演奏会での伴奏、良かったですよ」
「でも、間違いだらけで。なにしろ初めて2年ならないのに、伴奏をしようというのですから」
「いえ、今でもびっくりするほど、凄いですよ」
通い帳に今日の評価もスタンプを押していただきました、
「ヤッター!」
ベストのゴム判、これを押してもらうのは初めて!
演奏会も本日も、先生の揚琴が、私の揚琴よりもはるかに良いせいもあります。
「先生、お願いがあるんです。
どう見ても、私が同じスティックが叩いているのに、
先生のと私のとでは、揚琴の音がぜんぜん違う。
私に、これ位よいのを見つけていただきませんか?」
先生、しばらく思案して、
「よい揚琴を手に入れるためには、
揚琴の権威が工場に行って、いくつもテストして、選定しなければなりません。
北京の中央音楽院楽団の主任奏者(つまり、中国でもトップクラス)が私の友人です。
しばらくしたら、電話して頼んであげます。
彼は、そんな風にして、良いものだけを選んで、印を付けます。
完成すると、そんな選ばれたものだけが中央音楽院の楽団に行ってしまいます。
楽器店には、残りがでるだけで、しかも、店頭には一つ、二つしか出さない。
本格的にチェックしようとすると、倉庫の在庫を出させて、
弦を張って調律してということになり、大変に面倒です。
彼に頼むのが一番です」
私が天井まで飛び上がるほど喜んだことは、容易にご想像いただけることでしょう。
スケールは天と地ほど違いますが、もしそんなことが実現したら、
千住真理子さんがストラディヴァリウスのデュランティを手に入れたことに匹敵する!
もちろん、私の技量が名器に匹敵するものになることが先決です。
でも、楽器が技量を補ってくれる可能性だってあります。
もちろん私はホロゴンウルトラワイドのことを念頭に置いています。
腰だめでひょいと撮っただけで、
私にとっては、信じがたいほどに魔術的な画像をプレゼントしてくれる、
これが名器なのです。
孫悟空の如意棒、
ジークフリートのノートゥング、
近藤勇の虎徹!
Hologon158のホロゴン15mmF8、
そして、いつの日か、
※※※の揚琴◎◎◎!
わくわくしながら、今、思いついたのです、
手に入ったら、中国風の芸名を自分に、楽器名を揚琴に、
プレゼントしちゃおう!
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by Hologon158 | 2009-10-29 15:54 | ホロゴンデイ | Comments(0)

117.12ホロゴンデイ35「2007年12月8日奈良佐保路の冬枯れは華麗」12 手がとどく範囲

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「秋、三題」と行きたいところですが、
実際には、いつものとおり、私には、風景写真を撮るぞという意識は皆無。
3枚とも、ホロゴンウルトラワイドをざっと向けて、だっと撮ったというだけ。
風景写真家なら、たっぷりケチをつけたくなるような代物でしょう。
でも、私にとっては、佐保路で出会ったロボーグラフィ。
太いやつもいれば、吹けば飛ぶような、か弱い灌木もいる。
でも、みんながんばっている。
これから冬が来て、それぞれに寒い思いをするんだけど、
今、この瞬間は自分のものだ、今、精一杯生きられたら、
明日がどうなっても、いいじゃない?
私には、そんな思い入れが感じられます。
大和には、こんなやつらに出会える古道が至る所にある、
これは私にとっては、大変な歓びなのです。
心を入れ替えて、風景写真を撮ることだって、やっていけないことじゃない。
たとえば、カメラボックスの奥の方には、キャノン85㎜f1.8がひっそり隠れています。
風景と言えば、85㎜、昔はよくそう言ったものでした。
もっと画面が整理できて、フォトジェニックなイメージが浮かび上がることでしょう。
でも、そんなことはしない。
なぜか?
私の心が、写真的な表現を受け付けないのです。
でも、あなたは疑問に思うことでしょう、
2枚目なんか、85㎜で撮って、道をもう少しぼかしたら、味わい深いものになるはず。
でも、紅葉樹から2mばかりのところに立っている、その距離感が、
私にはなんとも言えず、魅力的なのです。
いわば「手がとどく範囲」、そこで出会った、お気に入りのものたちだけで、
自分の記憶を組織化したい、それが私の念願なのですから。
by Hologon158 | 2009-10-29 01:02 | ホロゴンデイ | Comments(0)