わが友ホロゴン・わが夢タンバール

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134.08 ホロゴンデイ39「平成10年1月16日大阪日本橋にレアレンズちん入し」8 斉一性の原則

妻がおもしろい話をしてくれました。
昨日出会った友人がこう言ったそうです、
「私はピアノが大嫌いだったのです。
二世代住宅の親の家に同居している、夫の未婚の妹が朝から晩までピアノ。
うるさいのなんのって。
苦情の電話があっても、ものともせず、引き続ける。
ところが、グールドを聞いて、ピアノってこんなに美しかったのかって、
はじめて知りました。」
もちろん大ピアニストたちがたくさんいます。
みんなすばらしい。
でも、そんな大ピアニストたちも、
ある人はグールドに熱狂し、
たいていの人は一目置いていました。
何かが違う!
違うファクターはいくつも考えられますが、
私のような音楽素人にでも分かることは、音の斉一性。
両手でいくつかの音をぽんと叩いたときのシンクロニシティが際だっているのです。
ですから、音が混濁しない。
そして、その音の質や色が曲に応じて見事に変化する。
バッハでは、チェンバロ風の乾いた音に、
ベートーベンでは、ドラマチックに、
モーツァルトでは、まろやかで粒立ちよく。
偉大な揚琴奏者もそうです。
両手のスティックで、2つの音をぽんと叩いたとき、
完全にシンクロしているので、単一の音に融合してしまっている。
音楽家たちがそこまでシンクロするためには、どれだけの努力と天才が必要なのでしょうか?
こんな風に考えてゆきますと、斉一性はすべての芸術の根幹にあると分かります。
たとえば、絵。
絵のなかのすべてのファクターがしっかりと組合わさったとき、突然、絵は完成します。
余分な雑音が一つもない、ハーモニー。
ピカソやパウル・クレーが無造作かつ無秩序に描き出したかのように見える絵が、
音楽が流れ出るような調和を感じさせるのは、この斉一性ゆえ。
とすると、写真にだって、同じことがいえそうです。
素敵な写真はすべて、もうこれ以上加えも減らしもできない、
完璧な調和と自然さを感じさせるものです。

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by Hologon158 | 2010-01-31 22:23 | ホロゴンデイ | Comments(0)

134.07 ホロゴンデイ39「平成10年1月16日大阪日本橋にレアレンズちん入し」7 独特の手形

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昨日、葛城古道を一緒に歩いたDAさんは、幾度か書きましたが、
私の友人のうち、彼ともう一人AKさん、
このお二人ほどドラマチックに写真が変貌した人を私は知りません。
お二人の変貌ぶりは以前にも書きましたが、
不思議なことがあります。
DAさんの変貌の理由はかなり推測可能、
AKさんの変貌の理由はかなり推測困難と、対照的なのです。
DAさんは支社から本社への単身赴任を数年経験しました。
愛する妻とその極上の手料理、安楽な自宅から切り離されて、
会社をとるか、自分をとるか、という厳しい人生の岐路に立たされて、
心身ともにすり減らす生活を生き抜いて、無事、自分の生活を取り戻しました。
そして、丁度、その頃、写真家の林孝弘さんに出会ったのです。
先日、この林さんについては少し書きましたが、
エルマリート28mmF2.8付きライカをアイレベル縦位置で構えて、
信じられないようなエネルギーと空気感に満ちた、絶妙の写真をお撮りになる、
カントリーサイドの写真家。
人間といい、作品といい、大変な影響力を持った写真家なのです。
この林さんの写真群に接して、突然変身したのです。
林さんとその写真群に出会ったことで、私を含めて、私の友人たちはすべて変わりました。
でも、DAさんの変貌が一番顕著。
その理由は、やっぱり彼の人生経験が彼に深みを与えたことにあります。
昨日も、十数枚、近作プリントを持参されました。
得も言われぬほどに美しいグラデーションで描き出された作品群。
その写真群を3巡拝見して、一つ気づいたことがあります。
林さんから受け継いだ、アイレベルでカメラをちょっと前に傾けた姿勢での作品作り、
その数枚に顕著な様式感があるのです。
彼もエルマリート28mmF2.8の使い手です。
そのレンズをちょっと前に傾けて撮るのですから、地面がピラミッド型イメージとなります。
そのピラミッド地面に巧みにハイライトを演出している。
まった異なる場所、異なる雰囲気の写真なのに、
その位置、大きさ、傾きがぴったり一致するのです。
DAさんの写真群に、DAさんの手形がどんと押されているようなものです。
写真家と言えるためには、こうした他の写真家では撮れないような、
独特の作風を身につける必要があると思われます。
DAさんの写真をいつ拝見しても、DAさんならではの雰囲気と美感が横溢している。
すでに彼は写真家の域に達している、
私はそう信じています。
彼にそう言う度に、彼は迷惑そうに、こう言い返すのです、
「冗談も好い加減にしてくださいよ」
よく言われます、写真家は「成る」ものではなく、「ある」ものだ。
彼の場合がどうもその好例のようです。
別に写真家に成りたいなんて、思ってもいない。
でも、人生経験と先達の影響とがあいまったとき、
気がついたら、写真家、
それなのに、自分はそれに気づいていない。
こんな人もいれば、私のように、特殊なレンズの特殊な効果だけに頼って、
ただシャッターを押すのを楽しんでいる素人もいる。
これだけ、写真の楽しみというのは裾野が広いのですね。

[後書き]
今日は娘夫婦と一緒にあちこち回ってきます。
おそらく記事のアップは午後9時あたりとなるでしょう。
家族といるときは、カメラはもちません。
ただドライブと食事とショッピングを楽しんできます。
あなたも楽しい一日をお過ごし下さい。
by Hologon158 | 2010-01-31 10:06 | ホロゴンデイ | Comments(0)

134.06 ホロゴンデイ39「平成10年1月16日大阪日本橋にレアレンズちん入し」6 コンビネーション最高

約1か月ぶりで、ホロゴンウルトラワイドを使います。
つまり、トポゴンピュアワイドと初めてコンビを組んだわけです。
その使い心地は上々でした。
オーバーホール済みなので、使い心地が滑らかなのです。
ニコンS2も、コンタックスⅡaとライカM3のよいところをとったうえ、
当時すでに確立していたニコンの技術に裏付けられて、
ニコンFからF3の全盛時代に通じるような、実に安定した使用感。
どんなに酷使しても壊れそうにない堅固なたたずまいがとても印象的です。
でも、フィルムを撮り進むにつれて、巻き上げが段々と重くなり、
かつぎこちなくなるのはちょっと使いづらいところです。
でも、シャッターの音と使い心地は上々。
トポゴン25mm f4とのコンビネーションも最高なのですから、文句は言えません。
一方、ホロゴンウルトラワイドの方は、もうどこも文句のつけようがないカメラ。
発売当時でさえも、誰も手が出なかったほどの高額のカメラだけに、
すべての作動がスムーズです。
シャッと小気味のよい音を立てるシャッターは感触は最高。
f8ですから、8分の1秒、15分の1秒という低速シャッターでの撮影も日常茶飯事。
でも、怖くはありあません。
すでに、ホロゴン15mmF8Mとトポゴンとの相性は確認しました。
ホロゴンウルトラワイドとも、それに勝るとも劣らない相性であれば、
最高に幸せなのですが...

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by Hologon158 | 2010-01-31 00:21 | ホロゴンデイ | Comments(0)

134.05 ホロゴンデイ39「平成10年1月16日大阪日本橋にレアレンズちん入し」5 よしとしましょう

ただ今帰りました。
昨夜11時までは、今日は近江八幡に出かける予定だったのです。
ところが、相棒のDAさんが仕事から遅帰りして、電話、
「近江八幡はちょっと飽きたので、葛城古道に行きましょう」
私が実はどこでもいいということを知っているので、
私が固く近江八幡行きを決意していても、平気でこんな提案ができるのです。
私、一も二もなく賛成。
どちらに行っても、なにかが待ってくれているのですから、どっちでもよいのです。
ホロゴンウルトラワイドとトポゴンピュアワイドを持参しました。
ホロゴンは感度400、トポゴンは感度100のコダックネガフィルム工事用を各8本準備。
なんで工事用か?
ただひたすら、これが一番安いから。
かつては、もっと安いコニカセンチュリア400が常用でした。
コニカが撤退して、目下一番安いコダックに移行した、ただそれだけですが、
富士のような色づけがなく、かなり使いよいフィルムで気に入っています。
朝、ADさん「フィルム持っていませんか?」
間違ってモノクロームを持参してしまったのです。
そこで、私が2本提供。
近鉄御所駅から、六地蔵、九品寺、一言主神社、長柄の部落、龍正寺と経て、
午後4時半撮影終了してみると、残り14本全部使い切っていました。
いつものとおりの結果ですが、今日はかなり楽しい撮影になりました。
古道にほとんど人影はなく、ロボグラフィがどっさり待っていてくれたからです。
何度行っても、なにか新しいロボグラフィを発見できる。
よほど私の目が節穴だからでしょうね。
葛城古道の斜面を山水が路傍の溝を急降下するのですが、
その水音の爽やかなこと、軽やかなこと!
九品寺の手前で、古道が今や舗装道路に生まれ変わろうとしていました。
一番大好きな古いジグザグ道なのに、
いつか葛城古道が葛城新道になってしまうのです。
寂しいですね。
せめてもの慰めとして、その現場を写真に残しておきたいものです。
14本の中にどれほどの記憶に値する写真が含まれているか、
神ならぬ身、知るよしもないのですが、一つ言えること、
「私がこの日この時この場所でいいなと思ったものは全部撮っている!」
それでよしとしましょう。

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by Hologon158 | 2010-01-30 22:31 | ホロゴンデイ | Comments(0)

134.03 ホロゴンデイ39「平成10年1月16日大阪日本橋にレアレンズちん入し」3 客観的な観察者?

前回の、私の銀塩レンズ讃、にわかには賛同していただけないことでしょう。
分かっています。
私のような銀塩党はいまや自民党状態、つまり崩壊一歩手前なのですから。
ですから、悪あがきかも知れませんが、もう少し書きます。

一番肝心なことは、
情報量が豊かになればなるほど、失われてしまうものがあるということ。
私たちは、眼前のものをすべて見ているわけではありません。
視覚は、注意の連続によって、網膜像を作り出します。
角を曲がる。
いきなり、フォトジェニックな光景が眼に飛び込んできます。
その一瞬からほんの数秒で網膜像ができあがります。
像の大半は実は、経験が作り出す虚像。
そこまで全部見ることなどできないからです。
その瞬間にシャッターを切ったとしますと、
レンズは、撮影者の視覚とは別個独立に、
そのレンズ特性に応じて画像を記録します。
それもまた一つの選択であり、レンズ特有の虚像を含んでいます。
この現実世界に、客観的に正確な像など実現不可能です。
そんな客観的世界など存在しません。
つねに見る者と見られるものとの対話、選択のファクターがあるからです。
私が考えるのは、そこに問題があるということなのです。
レンズの映像に含まれる「これがほんとの姿なのだ」という主張は、
実はよけいなお世話なのです。
詳しければ詳しいほど、私の視覚イメージとは合わなくなる。
どこか違和感があり、
それなのに、カメラは、「私こそ客観的な観察者なのです」と押しつけてくる。
でも、客観的な観察者などありえない。
カメラは、自分が実はかなり偏った観察者であることに気づいていないのです。
私は、完全に主観的で偏った観察者です。
私の心と知覚とが融合した独特の体験を記憶しています。
ですから、同じ場所に数人いても、それぞれに独自の体験を記憶するので、
一つとして同じ知覚体験はないのです。
ある人が見えたと思っているものを、他の人は見ていない。
ある人が存在したと確信している状態は、他の人の確信とは異なっています。
写真をする人の多くは、かなりのカメラ、レンズ遍歴を経験しています。
私が思うに、それは、自分の記憶と写真とが、望ましい具合に対応している、
自分の記憶を、自分が欲するような形で写真にしてくれる、
そんなレンズを探しているのではないでしょうか?
極度に精密精彩な画像を希求するデジタルレンズは、いわば、やり過ぎ。
クラシックレンズ遍歴の面白さ、意義はそこにある、
そして、私はそんなレンズを見つけた、それがホロゴンなのだ、
私はそう信じています。

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by Hologon158 | 2010-01-29 21:23 | ホロゴンデイ | Comments(0)

134.02 ホロゴンデイ39「平成10年1月16日大阪日本橋にレアレンズちん入し」2 写らないからいい

携帯写真からホロゴン、トポゴンの銀塩写真に戻ると、ほっとします。
情報量という点では、むしろ携帯の方が勝っています。
デジタルカメラのレンズだったら、どれをとっても、
おそらくホロゴンは遙かに及ばないでしょう。
情報量がすべてであれば、もちろんデジタルに移行します。
フィルム代がいらず、現像スキャンも不要、撮影日に即ブログアップができるのですから。
デジタルカメラは、まさに光彩陸離とした描写。
ホロゴンもトポゴンもとても及ばない。
スーパーアンギュロンもエルマリートも、
デジタルカメラで使えば、もっとすごい切れ味になります。
でも、デジタルに移行しない。
なぜか?
アナログが持つ魔性とでも言いたくなるような味わい、たたずまいにこだわっているからです。
たとえば、美女がここにいます。
もっとも美しいシーンとして思い出すのは、源氏物語の紫の上の1シーン。
御簾が風でそよいで、その隙間から、紫の上の立ち姿が一瞬見える。
義理の息子はその姿をちらりと見ただけで、恋に陥るのです。
紫式部はこんな風に、美女の美しさを際だたせる仕掛けを随所に忍ばせています。
前にも書きましたが、玉鬘の周りにぱっと蛍を放って、その微光で浮き上がらせるとか。
隠されたもののほんの一部がちらりと見える、
それが美の仕掛けなのです。
最新の映画どころか、映画をいっさい見なくなったのは、それがなくなったから。
いきなり美女を丸裸のヌードにしてしまう、どこに美を感じるのですか?
私は、銀塩レンズの描写に、このデリカシーを感じるのです、
そう言ったら、理解していただけるでしょうか?
もちろん私はフィルムスキャンするのですから、
最終的にはデジタル化されてしまう。
ですから、ほんのかすかな違いです。
でも、私には、決定的な違い。
それに、いざとなれば、銀塩オリジナルプリントだってできます。
美女は、見せないから、奥ゆかしさ、優雅さを感じさせるのです。
クラシックレンズは、写らないから、やさしさ、かぐわしさを醸し出すのです。

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by Hologon158 | 2010-01-29 19:44 | ホロゴンデイ | Comments(0)

134.01 ホロゴンデイ39「平成10年1月16日大阪日本橋にレアレンズちん入し」1 今日はさい先がいい!

先月16日、私は勇んで大阪に出かけました。
トポゴンのお見合いに出かけたのです。
つまり、結婚相手となるボディを捜しに出かけたというわけです。
すでにその経緯は書きました。
ニコンS2ブラックペイントとの幸せな結婚を果たすまで、
かりそめの配偶者というのもちょっと可哀想ですが、
コンタックスⅡaと一緒に出かけたわけです。
日本橋の電々タウンの入口あたりの路地が最初のターゲットでした。
なぜか、電気店街の裏手が飲み屋街。
秋葉原もそうなのでしょうか?
電気商品の買い手はたいていサラリーマン、
お目当てのものを探しにきて、ついでに呑むはずということでしょうか?
小さな都市では、飲み屋街はごっそりと廃業に追い込まれているようですが、
日本橋はまだ健在のようです。
電々タウンの方は、殴り込みをかけてきたヨドバシカメラなどの大手量販店相手に、
苦戦、防戦、負け戦を強いられていますが、飲み屋街はがんばっている。
そんな裏通りのロボグラフィからまずお送りしましょう。
襤褸は着てても、心は錦、という歌がありましたが、
あの元気よかったおねえちゃん、今はどうしているんだろうな?
テレビを一切観ないので、かつての人気歌手の消息も知れない。
さりとて、インターネットで検索してみようという気も起こりません。
忙しすぎて、そのあたりは神様にお任せいたしましょう。
まず、登場するのは、襤褸を着て、車庫でおねんねしている車から。
前回、鹿野園では研修期間中でしたが、今回はもうすでに実戦。
修羅場になったら、トポゴンだ、ホロゴンだなどといちいち気にしておれません。
いわば手当たり次第に、手元の武器で戦うほかはない。
というわけで、どのレンズで撮ったかなどという話題はたいてい抜きにいたします。
どんと、力強いロボグラフィに出会ったわけで、
今日はさい先がいい!

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by hologon158 | 2010-01-29 00:13 | ホロゴンデイ | Comments(0)

133.07 ホロゴン遊び1「携帯に遊ばれそうと思いつつ、携帯で遊び」7-完-愛おしい!

たそがれどきって、一番絵になる時間かも知れませんね。
空は青みを増し、ものは黄金の光を斜めに浴びて浮かび上がります。
私は「黄金のとき」と呼んでいます。
でも、その黄金のときにカメラを持っていることはほとんどない。
カメラを持っていると、空は曇って、黄金のときが来ない。
皮肉なものです。
でも、携帯があれば、もうこのディレンマとはさよならできます。
バス停から家まで、短い下り坂を歩きながら、数枚撮りました。
最後の一枚は、我が家の裏にある細い道(おそらく農道の残滓)から、
我が家の北側のやや高い法面の冬枯れの木と月とを撮りました。
かなり満足しています。
れっきとしたロボグラフィだからです。
この木、お月様を独占して、随分威張っているではありませんか?
ほかの木たちだって、同様です、それぞれに誇らしげに胸を張っています。
考えれば、猫背の木ってありませんねえ。
柳だって、垂れているのは枝で、幹はしっかり胸を張っています。
貧相だけど、この狭い地面ではぼくが王様なんだ、
胸を張って、そう言いたいようです。
この貧相さに反比例する、この根拠のない自己満足、
なんだか私自身の自画像のようです。
それだけに愛おしい。
5枚目の木、よく見ると、2本なのです。
どちらが妻か、どうも決めがたいところがありますが、
ともかく仲の良い夫婦木なのです。
ますます、私に似てきました。
(ちなみに、私は小さい方の木です)

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[後書き]
ものにはついでということがあります。
明日から、ついでに、トポゴンとホロゴンのコラボレーションパート2、
日本橋シリーズをお送りします。
コンビネーションがこなれてきているか?
邪魔し合っているか?
検証をお願いしますね。
by Hologon158 | 2010-01-28 22:19 | ホロゴン遊び | Comments(0)

133.06 ホロゴン遊び1「携帯に遊ばれそうと思いつつ、携帯で遊び」6 携帯も武器だ!

ブログを回ってみますと、
saoriさんを初めとして、携帯で撮っている方はかなりおられるようです。
もうきっと携帯だけで作品を作る携帯写真家もおいでになることでしょう。
はるか昔から、便器をひっくり返しても芸術になる世界なのです。
携帯はましてコミュニケーションの道具。
その道具を使って写真芸術に挑む人たちが数知れず出てきたっておかしくない。
しかし、挑むなんて夢にも思っていない人だって無数にいる。
そんな人間だって、携帯カメラで楽しんで悪い法はない。
私もその一人で、生活のあらゆる場面でなにか楽しみたいという口。
私も少しは反省しているのです。
実は、電話という電話が大嫌い。
電話というシステムに、子供の頃からまったくなじめないのです。
顔を見ないで話をするということが難しい。
私の娘などは、2歳の頃から、電話が鳴れば、わっと飛びついて、
「少々お待ち下さい」なんてませた口をきいていたのですから、
この世代の差というのは大きい。
携帯は、そんな若い世代の武器となりそうです。
私にとっても、武器であることに違いがありません。
どんなときでも、手軽に写真が撮れる!
家に帰る途中、西日が波板に射して、輝いていました。
その中心にうちわがありました。
これもロボグラフィ!
さっと胸ポケットに手を伸ばして、携帯を取り出し、カメラを起動し、
シャッ!
その間、5秒。
もう一枚、撮っておきましょう。
なんだか、うちわも僕に向かって手を振っている。

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by Hologon158 | 2010-01-28 21:14 | ホロゴン遊び | Comments(0)

133.05 ホロゴン遊び1「携帯に遊ばれそうと思いつつ、携帯で遊び」5 携帯をホロゴン風に

あやうくハイブリッド車にひかれそうになった道を3枚出しておきます。
こんな風にして、携帯カメラでノーファインダーと来るうえ、
撮り終わったショットをすぐに見ることはできません。
一旦カメラを終了して、メニュー、フォトアルバム、メモリーカードと進んで、
貯蔵場所を開いて、そのショットをオープンしなければ、見ることができない。
陽光の下では、画面上で写り具合をチェックするのも困難なのですから、
もう写真以前の代物ですが、こんな風に写真から自由になれるというのも快感。
でも、こんな風に、ホロゴン風に両手を突き出して、ノーファインダーで撮ると、
なんだかホロゴンを使っているような気分さえするのが不思議です。

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by Hologon158 | 2010-01-28 19:40 | ホロゴン遊び | Comments(0)