わが友ホロゴン・わが夢タンバール

<   2010年 03月 ( 127 )   > この月の画像一覧

145.20 ホロゴンデイ44「2010年2月7日清水あたりで京の雅を体験し」20 偉大さへのサイクル

「音楽家のためのアレクサンダー・テクニーク入門」で読みました。

    「ボレロ」で有名な作曲家ラヴェルは、代表作の弦楽四重奏曲を作曲後も、
    パリ音楽院でフォーレの作曲クラスに通っていたそうです。

    偉大なソプラノ歌手ロッテ・レーマンは、すでに盛時を過ぎた後も、
    毎日45分間、音階をゆっくりと完璧に歌えるように練習したそうです。

    偉大な音楽教師ナディア・ブーランジェも、高齢になっても、
    ピアノで単純な和音の練習を続けたそうです。

偉大な音楽性は、とても地道な努力に支えられていたのですね。
怠惰で偉大さに達した人などいませんね。
そして、彼らは、音楽が好きでたまらなかったのではないでしょうか?

    好きだからこそ、謙虚になれた。
    謙虚になれたからこそ、さらに努力ができた。
    努力ができたからこそ、なおさら好きになった。

こんな風にサイクルを重ねるうちに、音楽性がどんどんと増幅していくのかも知れません。
私たちは、どうも、努力もせず、好い加減に試してみたあげく、
好きだ、嫌いだと勝手に独り決めしている感じがあります。
とことんまで、その道を突き進んでみて、その向こうに突き出たとき、
はじめて正当に好きなのか嫌いなのかを決めることができるのかも知れません。

c0168172_21491588.jpg
c0168172_21492441.jpg
c0168172_21494688.jpg
c0168172_2150119.jpg
c0168172_2150879.jpg
c0168172_21501589.jpg

by Hologon158 | 2010-03-31 21:53 | ホロゴンデイ | Comments(0)

145.19 ホロゴンデイ44「2010年2月7日清水あたりで京の雅を体験し」19 謙譲の美徳もほどほどに

昨日朝の通勤バスの運転手は最悪でした。
新米の女性運転手。
私の乗るバス停の前には大学直通バスのバス停があり、
通学バスはそのバス停の広場で回転します。
昨日朝、そんなバスが回転を始めました。
客は一人も乗っていません。
私のバスがやってきて、これを見た運転手、
なにを思ったか、私の立つバス停よりも30メートル以上手前で停車してしまいました。
まず、なによりも十人ばかりの乗客がすでに乗っているのですから、
公道をやってきた自分のバスの方が優先です。
次に、かりに回転中のバスに先に行かせる事情があったとしても、
先行車が行った後すぐに続けるように、バス停の客は乗せるのが普通ではありませんか?
先輩に対するなんという謙譲の美徳。
さすがに回転中のバスの運転手が気がついて、先に行けと手で合図しました。
当然です。
しかも、出発場所からたった一つ目のバス停なのに、
このときすでに時刻表より3分も遅れて到着していたのです。
5分遅れでようやくバスに乗り込んで、運転手のネームプレートを確かめますと、
名前の上に麗々しく印字されていました、
     「わたくしは安全運転につとめます」
まったく通行車も通行人もない田舎のバス停なのです。
     こんなの安全運転じゃない!
ようやく進行したのですが、途中2度、同じバス会社の対向車に出会いました。
すると、同じ広さの道が続いていて、
しかも走行しながら十分行き交う余裕がある大通りなのに、
なんと7、80メートル手前で停車してしまい、うやうやしく待機するのです。
2度目の対向車運転手、たまりかねたのでしょう、手を振って、そのままこっちへ来いと合図。
たった15分の道のりが、10分遅れでした。
新米であることを考慮しても、この常識はずれの運転ぶりには参りました。
自分が通勤客を乗せて、できるだけ定時に運行するべきであることを、
まったく念頭に置いていない。
以前、駐車場入り口の警備員が、バスの前に出て停車させ、
やってきた右折車を駐車場に導きました。
すると、バスの運転手、警備員を呼び寄せて言いました、
    「あんた、公共のバスの直進を止めたらあかんで」
毅然として、よかったですね。
郵政、普天間基地移転と、
鳩山首相の優柔不断、食言、基本を忘れた事なかれ主義、参院選優先のご都合主義が続き、
大事なところで決断力を発揮するという宣言など、どこに行ったのでしょう?
このバスの運転手さんの毅然とした姿勢、
公共の福祉を基本とする原理、原則主義を見習ってほしいものですね。
今のありさまは、むしろ最初の新米運転手とそっくり。

c0168172_18275195.jpg
c0168172_18275843.jpg
c0168172_1828639.jpg
c0168172_18281337.jpg
c0168172_18282063.jpg
c0168172_18282986.jpg

by Hologon158 | 2010-03-31 18:31 | ホロゴンデイ | Comments(0)

145.18 ホロゴンデイ44「2010年2月7日清水あたりで京の雅を体験し」18 どれだけトライする?

ある賢者が言ったそうです、

    なにかを試してみるということをしない人生は、
    生きる価値がない。

この言葉に賛成しない人の方が多いのではないでしょうか?
たいていの人はこう言うでしょう、

    自分が試してみたいと思うものが現れたら、試してみるよ。
    でも、そんなにたくさん現れないんだ。

どちらも正しいように思えます。
    結局、自分が試したいと思ったら、そのときこそ、
    徹底的に試してみるべきだということでしょうか?
中途半端は行けませんね。
ほとんどのクラシックレンズファンは、ちょっと試してみただけで、
レンズの価値を決めてしまいます。
このようなやり方は2つの面で間違っていると、私は信じています。
自分のことは棚上げにして言うのですから、怒らないでくださいね。

1 あなたの写真の腕は、ほんの数十本撮っただけで、レンズを評価できるほどじゃない。
2 あなたのレンズは、数十本で自分のすべてを見せるほど、底の浅いものじゃない。

そして、どれだけ試してみるかは、その人の人生観次第ではないでしょうか?
人生の段階で、一つずつ味わう、試してみるという人もいれば、
人生のいかなる段階でも、同時にいくつもいくつも試してみる人もいるでしょう。
でも、かじっただけで、次ぎに飛びつく人は、人生を無駄にしている感じがします。
なんにも試していないように見えて、
実は、深い底流でなにかを試している人だっているでしょう。

    「あんたはどうなんだ?」
そう尋ねる方が当然おいでになるでしょう。
私は、とても狭い人間で、なんでもやってやろうということはありません。
    ときどき、心にピンと来るものがあります。
    そんなものだけを試してみることにしています。
煙草もついに一度も吸わなかったし、
あらゆるスポーツもしなかった。
ゴルフも車の運転もしたいとも思わなかった。
人がすることはほとんどしない人生です。
でも、後悔してはいません。
器用ではないので、ほんの少しだけじっくりトライすることにしたいものです。

c0168172_2249412.jpg
c0168172_2249124.jpg
c0168172_22492077.jpg
c0168172_22492615.jpg
c0168172_22493476.jpg
c0168172_22494256.jpg
c0168172_2249501.jpg

by Hologon158 | 2010-03-31 00:08 | ホロゴンデイ | Comments(0)

145.17 ホロゴンデイ44「2010年2月7日清水あたりで京の雅を体験し」17 風に変身する

ナポレオンは、大陸諸国に連戦連勝してあらかた征服してしまいました。
フランス軍は、諸国の将軍たちが予測したよりもずっと迅速に移動して、
まさに青天の霹靂のように、意表をついた場所に出現したからです。
ジンギスカンのモンゴル軍も同じことをしました。
モンゴル軍は、裸馬を兵数の倍以上用意して併走させ、
次々と馬を乗り換えて、休みなく行軍したと言います。
フランス軍は、歩兵中心ですから、軍楽隊の音楽のテンポをあげたのです。
数値は覚えていませんが、他の大陸軍よりも20パーセントばかりは速かったと記憶しています。
軍楽と軍歌が兵士たちの歩調を決めました。
行く先ざきの沿道にしっかりと食料補給所を設け、兵士たちが飢えたりしないようにしました。
その上、フランス兵たちは一般徴募された共和国市民兵でした。
自分たちは、ヨーロッパ諸国の民衆を専制から解放する戦いをしていると信じていました。
盛んに歌われた軍歌は、きっと有名な革命歌「サ・イラ」だったに違いありません。
こうして、心身ともに元気いっぱいで行進して行ったのです。

私も、近頃知ったアレクサンダー・テクニックの影響を受けて、
なにもかも元気よく、姿勢正しく行いたいという気持ちでいっぱいです。
脊柱をしっかりと一本の棒にして、姿勢ただしく、
そして、頭を前方上方に向かって運動させるようにして、歩く。
両手は、腰に平行にするのではなく、親指を内側に回転させ、
手のひらを後方に向けるようにして、歩くのです。
合気道の達人が技を決める腕の方向もこの方向ですね。
こうすると、肩が自然に開き、呼吸の根幹である胸郭を広げてくれます。
そこで、これに私の軍楽をつけることにしました。
何だと思いますか?
笑わないでくださいね。

    iPodに流れるのは、桂銀淑さんの「釜山港に帰れ」

音楽全体が実に調子がよく、伴奏がリズムを刻んでくれます。
このリズムが、私のいつも歩く歩調にぴったりなのです。
この歩調、ナポレオン軍よりはちょっと速いかも知れません。
ナポレオン軍は重い軍靴をはき、重い背嚢を背負い、武器を抱えて行軍しました。
私は、ペダラというアシックスの超軽量ビジネスシューズで、
軽いバッグ一つなのですから、このまま行進を続けたら、
ナポレオンが青くなるほどに迅速に有利な位置に付けるかも知れません。
もっとも武器はカメラ一つなのですから、
最初の一斉射撃で私はあの世にもっと迅速に行進していってしまいますが。
ということで、ナポレオン軍との対決は避けて、平和な日本だけを歩くことにします。
この歩き方と歩調、実はとても楽なのです。
人間、肩を落として、頭を下にして、いろいろ思い悩みながら歩くと、
体にさまざまな負担をかけてしまいます。

    私の歩き方は、いわば「風に変身する」方法。

軽快なので、疲れません。
お試しください。

c0168172_2164722.jpg
c0168172_2174729.jpg
c0168172_2175637.jpg
c0168172_218480.jpg
c0168172_2181196.jpg

by Hologon158 | 2010-03-30 21:11 | ホロゴンデイ | Comments(0)

145.16 ホロゴンデイ44「2010年2月7日清水あたりで京の雅を体験し」16 信長症候群ってあるの?

人間にとって一番快い立場って、なんでしょうか?
一部の人にとって、それが「権力者」という立場。
織田信長は、今日に上って天下様の地位に昇ったとき、
自分に前にはすべてが開かれたと感じたことでしょう。
やることなすこと、全部大当たり。
日本の各地で武将たちがしのぎを削りながら、支配地域を広げている。
      俺は成功した!
そう感じた途端に、転落への道が開かれました。
      1 勝利と権力、
      2 成功の確信と奢り、
      3 そして破滅。
ホップステップジャンプと彼は本能寺の火炎の中に消えてしまいました。
不思議なことに、2まで進化すると、もう後戻りはできないようです。
運良くそのプロセスへの途中で死ねば、破滅を免れることができる。
たとえば、秀吉。
でも、その付けはちゃんと息子に回りました。
アレクサンドロスは免れることができなかったようです。
おそらくこの暴君王は部下の重臣たちに殺されたというのが定説となっているようです。
でも、こうした三段跳びは、歴史に残る偉大な英雄たちにだけ起こるのではありません。
歴史に残るはずのない小沢だって同じ三段跳びを演じつつあります。
そして、私たち平凡な一般市民にも、同じようなプロセスが進行することがあります。
たとえば、会社で営々と出世の梯子をよじ登り、ついに社長になった!
途端に人間が変わってしまう人がかなりの割合でいるようです。
      「昔はほんとによい人だったのに」
よくそんな慨嘆が昔の仲間からこぼれます。
もちろん若い頃の友情はあえなく終わりを告げています。
定年が来て、地位を失ったとき、残されるのは、往時の権力を懐かしむただの老人。
すでに社長でもなんでもないのに、「俺は社長だったんだぞ」とところ嫌わず自慢してしまい、
周囲の軽蔑を買うだけ。
      その地位に奢りを感じれば感じるほどに、
      その地位に本来ふさわしい人間味はあせてゆく。
      地位と名声を得たひとかどの芸術家が盗作に走ってしまう。
      斯界の権威をもって自他ともに許す大学者が人の研究を無断借用してしまう。
これを信長シンドロームと呼びましょう。
すべて人間の実質よりも外観を重んずるようになった人間、
実質を失い地位だけ残された抜け殻人間の末路です。
こんな信長症候群を避けるにはどうしたらよいのか?
一つしかありませんね。
      どんな地位、名声を得ても、
      それは運命の巡り合わせが与えてくれた幸運であって、
      どんな地位も名声も周囲の人が支えてくれてはじめて成り立つものだと、
      しっかりと自覚し、
      謙虚さと自由と平等の感覚を失わず、
      常にその地位、名声にふさわしい豊かな人間性を育てるようにすること。
今日、揚琴レッスンで付虹先生に教えられました、
      「あなたのフォルテッシモは、弦をぶったたいているだけ。
      ですから、耳障りです。
      本当のフォルテッシモは、スティックと弦の触れ合い方で生まれます。
      力を込めるのではなく、美しいフォームを覚えてください」
権力者と部下、被支配者との関係も同じなのかも知れません。
偉大な権力者は被支配者たちとの間に、
人間味に満ちた穏やかであたたかい関係を築くのではないでしょうか?

c0168172_17472847.jpg
c0168172_17473697.jpg
c0168172_17474310.jpg
c0168172_17475091.jpg
c0168172_1748285.jpg

by Hologon158 | 2010-03-30 17:50 | ホロゴンデイ | Comments(0)

145.15 ホロゴンデイ44「2010年2月7日清水あたりで京の雅を体験し」15 背広×カメラって?

法事の席上、従兄の一人からこう尋ねられました、
    「今日はカメラ持ってきてないの?」
私が写真好きであることを知っているのです。
    「持ってきてないよ、
    を撮るつもりにならないと、カメラは持って出ないことにしてる」
私のロボグラフィは、基本的には路地裏が舞台です。
写真を撮るためには、路地裏に行かなければなりません。
路地裏に行くときは、それなりに正式礼装が必要です。
つまり、ちょっとぼろっよれっとした、地味でくだけた服装。
態度もそれに合わせたいものです。
戦闘的に胸を張り、大股で闊歩なんて、ビジネススタイルは避けた方がよろしい。
つまり、普通のおっさんスタイルが一番よろしい。
背広姿は絶対に避けたいところです。
私の仕事は、私の大嫌いな背広スタイル。
長年そんなスタイルで生きてきた人には悲しい「さが」がしみついてます。
背広を着たとたん、ビジネス精神がパリッと全身にみなぎり、
寄らば斬るぞ式敢闘精神で「進め、進め」となってしまうのです。
ですから、背広でカメラを取り出したりすると、悲劇的ですね。
そんな精神でロボグラフィは撮れないのです。
路傍の片隅にひっそりと生きるやつらと同一平面に降りていけない。
もっと正確に言いますと、やつらの自由な平面に上ってゆくことができないのです。
仕事の日にも、外出したときなどに、撮りたいものに出くわすことがあります。
がまんできずに、携帯で撮ったりします。
これは撮影衝動を満足させるため。
でも、ストックするだけで、写真にはなりません。
気持ちが乗っていないのです。
そんなわけで、撮影の日以外にカメラを持ち出すことはないのです。

c0168172_22512515.jpg
c0168172_22515212.jpg
c0168172_2252538.jpg
c0168172_22521255.jpg
c0168172_22525218.jpg
c0168172_2253133.jpg

by Hologon158 | 2010-03-30 00:12 | ホロゴンデイ | Comments(0)

145.14 ホロゴンデイ44「2010年2月7日清水あたりで京の雅を体験し」14 天才×努力は?

デッカの伝説的な名プロデューサー、ジョン・カルショウは自伝で、
カラヤンには、ほとんど初見の楽譜を正しく演奏する能力があったが、
それは、怠けるということを知らないカラヤンの勤勉のおかげだったと書いています。
天才が超絶的な仕事をする場合でも、
その陰には、勤勉な努力の積み重ねがあるというのはおもしろいですね。
     天才だけで、仕事はできない。
ほんとうに偉大な業績、仕事の陰には、刻苦勉励があるのです。
むしろ、天才だからこそ、刻苦勉励ができるのかも知れません。
いずれにせよ、これだから、凡才がどんなに努力しても、天才に追いつけない。
まして、努力しなければ、はじめっから絶対に追いつけないわけです。
写真の世界でも同様ですね。
カルティエ・ブレッソンを引き合いに出すまでもなく、
森山大道やアラーキーの超人的な業績の裏には絶え間ない努力と勤勉が隠れています。
そうでなくと、あんなに凄い量の写真集など作れません。
1冊の写真集に100枚の写真を納めたとすると、
その十倍、二十倍もしくはもっと多くの量の写真を撮りためたはずです。
超多忙の公私の生活の中で、それだけの仕事をし続ける、
その陰に写真家たちの人並みはずれた意志力と志とを感じます。
1週間にたった1回出かけて、十数本程度のフィルムを消費する程度では、
とてもとても人並みの写真など撮れはしないのです。
こんな風に書いても、いわゆるハイアマチュアの自称写真家はびくともしないでしょう。
     「ふん、俺なんか、せいぜい月20本程度だけど、
     フィルムの消費量が少なくても、問題なし。
     傑作主義で撮っているので、俺のコンタクト見たら、
     みんなびっくりするだろな?」
あるいは、
     「ふん、俺なんか、デジタルカメラだけだから、問題がないね。
     一日シャッター押し続けで、何千枚も撮っちゃうからね。まさにプロ並みだな。
     自分でも怖い位」
恐れ入りました。

c0168172_2112712.jpg
c0168172_2112155.jpg
c0168172_21122215.jpg
c0168172_21123045.jpg
c0168172_21123790.jpg
c0168172_21124419.jpg

by Hologon158 | 2010-03-29 21:14 | ホロゴンデイ | Comments(0)

145.13 ホロゴンデイ44「2010年2月7日清水あたりで京の雅を体験し」13 悠久の時の流れ

清水寺の参道を撮っています。
何度ここに来たでしょうか?
どんどん街が変わっていっています。
栄枯盛衰のリズムが短くなっています。
それだけロボグラフィの可能性も増えるのかも知れません。
でも、どんどん観光化しているという感じは否定できません。
奈良町と同様、そして遙かにスケール大きく。
それだけ街がまだ生きていて、動いているのです。
でも、その動き方は古都のリズムではありません。
古都は、もっと悠久の時の流れがたゆたう中に、
しっとりと浸っていてほしいものです。
                  
c0168172_2364431.jpg
c0168172_237754.jpg
c0168172_2371622.jpg
c0168172_2374614.jpg
c0168172_2382914.jpg
c0168172_2384370.jpg

by Hologon158 | 2010-03-29 00:42 | ホロゴンデイ | Comments(0)

145.12 ホロゴンデイ44「2010年2月7日清水あたりで京の雅を体験し」12 Simple is the best.

私は、写真だけでなく、あらゆる芸術どれをとっても、素人ですから、
評価の方法は、実に単純です。
自分の心がバンと反応するか、しないか?
予期せぬ瞬間に、心が叫びます、
     「うわっ、参った!」
そんな反応がなければ、まあ、大したことはない、
私はそう独り決めしています。
自分の基準を人に押しつけるつもりはないし、
自分の判定をユニバーサルに正しいと言うつもりもありません。
     自分の人生になにか新しい喜びを与えてくれるか否か?
ただ、これだけ。
与えてくれないのであれば、それとお付き合いするのは時間の無駄でしかありません。
そして、そんな風に心にビンビンと響いてくるものには共通性があります。
     「Simple is the best.」
この言葉がいつも妥当します。
     シンプルでなきゃ、芸術じゃない!
もちろん複雑混沌とした芸術は数知れずあります。
でも、私の心は喜ばないのです。
この複雑な形象はなにを意味するんだろうか?
そんなとまどいがある限り、心にバンと響きはしないからです。
     じゃ、お前の写真はどうなんだ?
     シンプルとはほど遠いじゃないか?
そう反撃される方がきっとおありのことと思います。
もちろん私の写真はたいてい何を撮っているか、人には分からないものばかり。
でも、私は、そんな指摘、指弾を受けても、びくともいたしません。
私は、芸術家ではなく、私の写真はただの素人写真なのですから、
     シンプルであろうがなかろうが、どうってことはない。
     私が好きでありさえすれば、全部よろしい!
気楽なものです。

c0168172_21485187.jpg
c0168172_21485823.jpg
c0168172_2149544.jpg
c0168172_21491376.jpg
c0168172_21492198.jpg
c0168172_21492955.jpg
c0168172_21515436.jpg

by Hologon158 | 2010-03-28 21:52 | ホロゴンデイ | Comments(0)

145.11 ホロゴンデイ44「2010年2月7日清水あたりで京の雅を体験し」11 ホロゴン家の没落

昨日は大阪本町界隈の撮影、
今日は大阪江坂で叔母の四十九日法要、
明日は大阪ユニバーサル・スタジオ・ジャパン駅で付虹先生レッスン、
三日のお休み全部を大阪もうで。
疲れますね。
今、その二日目の法要の帰りのJR電車で書いています。
従兄のお父さんが私の父の弟です。
我が家は、私の父が長男、その下に二男、三男、長女の四人兄妹。
すでに、四人兄妹はぜんぶこの世を去ってしまいました。
配偶者は三男のお母さん一人だけが健在。
その四人兄妹の子どもたちの約半数とその家族が集合したわけです。
従兄のお母さんが94歳で大往生されたので、
たいへんに気楽な和気藹々とした集まりとなりました。
私は、昔で言う本家の長男です。
本家本家と立ててくれます。
今日は、その本家と叔父の墓とが混在する墓地に行って、
叔母の遺骨を叔父の墓に納骨しました。
大変に仲の良い夫婦だったそうで、なんと40年振りの再会。
きっとあの世で再会を喜び合っていることでしょう。
ついでに、私の家の、つまり本家の墓地もみんなで参ってくれました。
そのとき、盛んに、並んでいる幾つかの古いお墓の由来、
埋葬者のことを尋ねられましたが、私はまったく知りません。
従兄の一人が昔、元の墓地をお参りしたとき、
江戸時代のご先祖様の名前が刻まれた古い墓石が幾つも並んでいたと教えてくれました。
墓地移転のとき、その墓石の数に比例する大きさの墓地をもらったそうですが、
収めきれない古い墓石はその際全部処分してしまったのです。
今回従兄たちが盛んに家系のことを尋ねました。
私は関心がないまま、在世中の父に尋ねもしなかったので、答えようがありません。
たいていの方は、年配になると、先祖のことが気になるようです。
ルーツ探しなのでしょうか?
私は、現在と未来のことしか関心がないので、そんな気持ちはゼロ。
どうも話がずれて、困りました。
こんなご本家では、早晩、没落となりそうですね。

c0168172_18595718.jpg
c0168172_19091.jpg
c0168172_1903764.jpg
c0168172_1905627.jpg
c0168172_191579.jpg
c0168172_1911414.jpg
c0168172_1912712.jpg

by Hologon158 | 2010-03-28 19:02 | ホロゴンデイ | Comments(0)