わが友ホロゴン・わが夢タンバール

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152.11 ホロゴンデイ46「2009年8月8日京都の街は暑く、僕は熱かった」11 ミクロコスモスに生あり

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連休に入りましたね。
でも、私はカレンダー通りなので、出勤しています。
最近見つけたインド料理店で、おいしいナンをいただき、
ポメラを使い、本を読んでいます。
マッソン、マッカーシー「ゾウがすすり泣くとき」(河出文庫)
別のことを書くつもりだったのですが、
この本でとてもおもしろい記事を見つけました。
ブラジルの獰猛な軍隊蟻のエキトン。
ときどき、行進をやめて、怠惰に過ごすことがあります。
そんなとき、お互いに体を掃除しあうのです。

    あちこちで、一匹がかわるがわる脚を突きだし、
    一匹ないし数匹の仲間がそれをきれいにしてやっている。
    口やら舌で脚を梳くようにして、
    仕上げて前足で触角をやさしくひょいとひと撫で。
    こうした蟻たちの行動は、単なる楽しみのためとしか思えなかった。
    ということは、これらの小さな生き物たちには余剰エネルギーがある、
    種の繁栄に不可欠な仕事をした上で、余ったエネルギーは、
    子羊や子猫のように、単にはしゃぐために使っている、
    あるいは理性ある生き物のように、気まぐれに過ごしている、
    ということなのだろうか?
    見ていると、ただ遊んでいるのだという結論を出さずにいられなかった。

昔、フランス映画「ミクロコスモス」で見たびっくり仰天映像を思い出しました。

    葉っぱの上の水滴、表面張力で透明の球体なのです。
    その水滴よりもかなり小さい蟻が、球体の中に首だけ突っ込んで、
    水を飲んでいるのです。
    蟻が首を突っ込んでも、ぐっとプラスチックが凹むような感じで、
    球体はまったく崩れません。
    不思議な光景です。
    その球体の中に見える蟻の顔は、
    タンブラーでオンザロックをすする紳士よりもおいしそうでした。

蟻の世界は、人間が想像もできないほどに違っている。
そして、それなりに楽しみがあるのではと思ったのですが、
遊ぶ蟻まで居る。
ただのロボット的なメカニズムにちょっと毛が生えた程度と思っている蟻が、
    実は人生ならぬ蟻生を楽しんでいるかも知れない、
そう考えると、ちょっとした思考パラダイムの革命に近い、
生命界の豊かさへの、新しい認識かも知れません。
こんなことを知ると、私は無上にうれしくなり、幸せを感じるのです。

    まさに、地球上の生き物たちはみんな、
    私たち人間の同志であり、同胞なのです。
by Hologon158 | 2010-04-30 19:15 | ホロゴンデイ | Comments(0)

152.10 ホロゴンデイ46「2009年8月8日京都の街は暑く、僕は熱かった」10 ヘタはヘタなりに

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昨日の二胡の演奏会の打ち上げで、
お隣に座った年輩の女性の言葉が印象的でした、

   私はがんばっても、そんなに巧くなりそうにありません。
   でも、こうしてコンサートに参加して、伴奏を弾いて感じたのですが、
   主旋律のメロディがよく聞き取れ、
   また自分の伴奏が主旋律にぴったり合うのが分かると、
   嬉しくなってしまいます。
   巧い人が独奏を弾くのは当然ですが、
   別にそんな凄い演奏ができなくても、二胡をやる価値があります。
   これからも、こんな風に伴奏を楽しみたいですね。

私、心から賛成しました。
私が目指している方向とぴったり一致しているからです。
今回も、揚琴の両側、いわばコンサートマスターの席に座ったのは、
陳小林先生の一番弟子で、すでに二胡の先生もしている方と、
子どもの頃からはじめて、天才的な上達ぶりが目覚ましい大学一年生の女性。
お二人とも、二胡から流れ出るサウンドがまるで違います。
かなり技巧を要する猛スピードの中国音楽は、
この二人と先生だけが主旋律を弾きました。
理由は単純です、
   この二人しか弾けない。
私は、そんな方の伴奏をつとめるのは喜びです。
   なぜって、ぴたりと合うからです。
でも、そんな方と技量を張り合いたいとはけっして思いません。
なぜか?
   私の伴奏がぴたりと合うのは、
   巧い奏者は見事なリズムで弾くから、そのリズムに乗ればよいからなのです。
ですから、ヘタはヘタなりに、あくまでも伴奏者として楽しみたいものです。
そのあたりのスタンスは、写真と同様ですね。
by Hologon158 | 2010-04-30 00:19 | ホロゴンデイ | Comments(0)

152.09 ホロゴンデイ46「2009年8月8日京都の街は暑く、僕は熱かった」9 「紅桜」の演奏会

今、帰宅しました。
今日は、遷都祭コンサートということで、陳小林先生の二胡グループ、
関西二胡合奏団「紅桜」の演奏会に参加してきました。
1時間にわたり、12曲を演奏しましたが、私がたった3曲。
「良宵」「八月桂花遍地開」「賽馬」
この最初の曲で、私、大失敗。
リズムがそろわず、思わず行方不明になってしまいました。
普段なら、二胡の主旋律だけなので、それに合わせて戻ることができます。
ところが、聞き慣れない他の声部や古箏、笛、打楽器などのさまざまな楽器が加わると、
もう混沌として、戻るよすががなくなってしまいました。
これも、もう少しバックに居れば、余裕もあります。
ところが、真っ正面中央。
背後の巨大スクリーンに中心となる楽器が写し出されている。
これはまずいですね。
かなり進んでからようやく戻ることができ、最後はちゃんと締めました。
後の2曲は、失地挽回したいばかりに猛烈に精神集中して、かなりきちんと弾けました。
終わりよければ、すべて良しと言いたいところですが、
私自身としては、今、どこなんだろうという途方に暮れた思いを忘れることができません。
でも、メンバーの3分の2が参加して楽しんだ打ち上げで、尋ねました、
「今度の良宵で大失敗したのですが、気がついた方居られますか?」
結局、陳小林先生と私の両側の一番巧い二胡奏者お二人だけだったようです。
みなさん、自分の演奏に夢中になっていたというわけです。
大編成だと、自分の周囲の音しか聞こえなくなってしまう。
大編成のおかしな現象ですね。
うれしかったことは、300人ばかりの聴衆が最初から最後まで楽しんでくれたこと。
屋根があり、演奏ステージそのものは壁があるのですが、
客席部分は壁がなく、入場無料。
つまり、音楽を適当に楽しみ、自分の時間が来たら自由に出入りする、そんなスタンス。
それなのに、全員びっしりと席を埋め、立ち席も数十人あったのに、
誰も動かない。
これは嬉しいことでした。

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by Hologon158 | 2010-04-29 21:01 | ホロゴンデイ | Comments(0)

152.08 ホロゴンデイ46「2009年8月8日京都の街は暑く、僕は熱かった」8 どうにでもなれ!

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昨日は結局2個の記事だけに終わりました。
最少記録に近いかも知れません。
   仕事から帰って、なにをしていたか?
明日の準備をしていたのです。
陳小林先生率いる二胡グループが平城宮跡の会場で1時間の演奏会を開くのです。
私の出番は、11曲中、たった3曲です。
先生、苦笑いしつつ、
   「自分の楽器を弾かない人は、打楽器なんかに回ってサポートするんですけどねえ」
私、自分の才能をしっかりと理解している人間です。
つまり、音痴にリズム感ゼロ。
   それでよくまあ揚琴をやっているもんだ、
あなたはそうおっしゃりたいでしょう。
私もそう思います、でも、やりたいんだから、仕方がない。
そこで、私の考え出した方法は、伴奏曲を極度に限定して、
はてしなく練習して、その曲だけはなんとか弾けるようにする!
2年ちょっと、たった4曲だけを修得しようと努めてきました。
その内の3曲をするのです。
もう数回、大小のコンサートで伴奏をしました。
むちゃくちゃにヘタだったとき、すでに本格的な演奏会で伴奏をしてのけました。
度胸だけで生きているようなものです。
明日の3曲は、もう眠っていても弾ける、そう言いたいところです。
ところが、何百回やっても、突如、乱れることがあるのです。
どんなときか?
   不思議にと言うか、横着と言うか、演奏中、別のことを考えることがあるのです。
   「ぼく、かっこよく見えるかな?」
   こんな不届きなことを考えると、とたんに天罰覿面。
   どこを弾いてたか、突然、分からなくなってしまうのです。
   そのうえ、油断すると、スティックとスティックが衝突してしまいます。
   指でほんの軽く握っているだけなのですから、少なくとも一本が空中に。
   これは悲惨ですね。
   大わららで拾い上げて、どこで追いつこうかと必死の形相になってしまうでしょう。
   こうなると、ヘマをしたことが一目でばれてしまいます。
まだ、演奏中になったことはありませんで、明日起こらないとは限らない。
そんなことで、泥縄式ですが、必死で練習をしていたのです。
前にも書きましたが、合奏メンバーはなんと60人!
そのど真ん中、真っ正面に揚琴が控えるのです。
60人も2部、3部に分かれ、そのうえ打楽器、古箏、笛が入る。
もうなにがなんだか分からなくなってしまうおそれだってあります。
   どうしよう?
ええーい!
どうにでもなれだ!
by Hologon158 | 2010-04-29 00:35 | ホロゴンデイ | Comments(0)

152.07 ホロゴンデイ46「2009年8月8日京都の街は暑く、僕は熱かった」7 南海の楽園に住みたい?

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韓流ドラマを見ていて、ニュー・カレドニアのリゾートアイランドがでてきました。
部屋から見えるのは、桟橋とヨットと澄んだ静寂の海と蒼い空、
ただそれだけ。
こんな島にもちゃんと住民がいます。
長い間、住み続けてきたのです。
サマセット・モームが魅せられ、ゴーギャンが魅せられた、
南海の楽園タヒチも同じような世界なのでしょうか?
   こんな南海の楽園に住むって、どんなでしょう?
入ってくる情報は、日本の都会に住む人間の何万分の1といった量かも知れません。
あなた、そんな南海の楽園に住んでみたいと思いますか?
私は、そんな楽園に住むという想いをしばし楽しむことはできますが、
実際には、住もうという気持ちが一瞬たりと心に浮かんだことはありません。
一生、起きている限り、たえず何かをしてきたので、
なにもしないで、沈思したり、うっとりと見つめたり、耳を傾けたりということができない。
レコードを聴くのが好きでしたが(近頃は全然聴いていない)、
そのときは、その音楽の楽想に合わせて心は踊りまくる、そんな鑑賞法です。
本当の鑑賞者ではないのかも知れません。
受け身でなにかをすることができないのです。
そして、さまざまなルートを通じて入ってくる外界の情報も大切。
静かに座っていると、もうポメラを取り出して、速射砲のように書いている。
その意味で、ブログは私に理想的な作業環境を提供してくれます。
外界の情報をどんどんインプットしたら、
キャッチボールのように、ブログに、生活にアウトプットしてゆく。
私は、知り合いにはあまりブログを教えません。
見知らぬ人には、なにか機会があって、尋ねられますと、平気で教えます。
自分を絶えずさらけ出しているので、
知人に自分のすべてを公開してしまうというのも、考え物ですよね。
底の浅さがたちどころにばれてしまう。
思考の偏向もあますところなく知られてしまう。
   あの人って、深い、
そう言われたければ、さらけ出さないのが一番。
   濁った沼は深く見えます。
たいていの方は、ほとんど自分をさらけ出しませんね。
ブログでも、皆さん、見事に神秘を演出しておられます。
   感服しますが、真似ができません。
私の方は、底の底までくっきり見える浅瀬のような人間なのですから。
人と会っても、たいてい私の方から自分の意見を先に言ってしまい、
それで、お話はチョン、ということが常態。
会話から、相手のことを理解できる情報を取り出す暇がない。
深い人間というものは、違います。
   「なーるほど...」なんてつぶやきながら、
   丁重沈着に相手の意見にじっくりと耳を傾け、
   そして、完全に固まるまでは、自分の意見はけっして出さない。
   冷凍庫の氷皿のようなものです。
   完全に凍らないかぎり、使わない。
   「あの人はしっかりと考えてから話す。
   いい加減なことはけっして言わない」
   そんな評判ができると、シメたものです。
羨ましいと思うか?
そう尋ねられると、正直に答えないわけにが参りませんね。
   思わないですね。
私は全部自分で考えたい、
瞬間的な判断を大切にしたい、
どこかの国の首相と違って、後で取り消すなんてしたくない、
瞬時に決断し、それを守る、そんな人間になりたいと思い、実行してきました。
だから、ブログでも文章を垂れ流しで貫きます。
自分でほんとに考えたことだけしか書かない、受け売りは書かないので、
自分で安心できるからです。
いつか読み返すことがあっても(なんだかそんな時間的余裕はできそうにないのですが)、
バカなことを考えていたと思うことはあっても、
不正直な、見栄っぱりのことを書いていたなと、慚愧の思いにかられることはない。
たとえ読む人が稀にあっても、その人がどう思うかは、気にならない。
自分という人間を高く見てもらうための文章じゃないから。
こんな風に考えてきますと、
   どうも楽園暮らしは無理なようですね。
一生、人生の、都会の、村の裏通りばかりかけずりまわって生きることにしましょう。
by Hologon158 | 2010-04-28 18:16 | ホロゴンデイ | Comments(0)

152.06 ホロゴンデイ46「2009年8月8日京都の街は暑く、僕は熱かった」6 もしホロゴンを?

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民主党政権になってから、なんと政権をめぐる記事の50%は不祥事関係、
そう思ってしまうほどに、トラブル続き。
迷惑を受けているのは国民です。
こんな政権なんとかならないかと思っても、なんともならない。
ちょっと嫌になって、シネマ・ディスプレイの横に立てかけてあった、
「Jeanloup Sieff」(TASCHEN)を開きました。
確か昨年、ジュンク堂で4095円で手に入れた大判写真集。
鮮鋭、精彩のモノクロームで埋まった、大迫力の写真集です。
彼がライカM用のスーパーアンギュロン21mmf3.4を愛用したことは有名ですが、
縦位置でちょっと前に傾けて、パンフォーカスで撮ったときの魔術的効果は、
デモーニッシュとしか言いようのない、目覚ましいほどの妖しさ。
面白いのは、幾十年にわたって、終始ジャンルー・シーフらしいこと。
1965年の冬の東ハンプトンの海岸風景と、
1980年のフランスの田舎の田園と道の風景と、
構図的にも、黒味の強い強靱なるイメージとしても、ほとんど変わりがありません。
これが写真家というものですね。
私がいつも考えること、それは、
私の大好きな写真家たちにホロゴンを使ってもらいたかったこと。
    カルティエ=ブレッソン
    アンリ・ラルティーグ
    ユージン・スミス
    ジャンルー・シーフ
    木村伊兵衛
    セバスチャン・サルガド
彼らがホロゴンを使っていたら、とんでもない写真を撮ったはず。
ビル・ブラントがおそらく15ミリ程度の超広角特殊レンズで撮った写真群、
ご覧になったことがありますか?
まさにビル・ブラントそのものでした。
でも、その奥行きの深さが独特の空気感と静寂感を生み出しています。
    カルティエ=ブレッソンが撮ったら、どうだったでしょうか?
    ジャンルー・シーフだったら、どうでしょうか?
私のように、お手本なしに手探りで撮ってきた人間にとって、
計り知れない喜びとなり、また勉強にもなったのに!
by Hologon158 | 2010-04-28 00:29 | ホロゴンデイ | Comments(0)

152.05 ホロゴンデイ46「2009年8月8日京都の街は暑く、僕は熱かった」5 延長戦だ!

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東京地検特捜部は、巨悪を逃さないという名声を誇ってきました。
実際には、猛烈にたくさんの巨悪たちが逃れてきたことは別としても、
一旦目を付けた小沢をあと一歩で取り逃がしたということは、
特捜部にとっては痛恨の極みであったに違いありません。
    「嫌疑なし」の決定はあまりにも不可解でした。
その裏に、小沢と検察との壮烈なる暗闘があったはずです。
そして、なんらかの妥協点として、この結果が出されたのではと、
疑われます。
でも、一般市民から構成される検察審査会は、こうした圧力から無縁です。
このたび、小沢について、「起訴相当」の判断を下しました。
まことにわかりやすい結論です。
もう一度、小沢と検察の間に暗闘が繰り広げられるのでしょう。
でも、特捜部の気鋭の検察官たちは、気負い立っているはず、
    「延長戦だ!」
日本の将来のためにも、今度こそ、巨悪を仕留めて欲しいものです。
by Hologon158 | 2010-04-27 22:20 | ホロゴンデイ | Comments(0)

152.04 ホロゴンデイ46「2009年8月8日京都の街は暑く、僕は熱かった」4 ノートリこそ人生!

No.1の写真を見て、気づきました。
やっぱり、私の目の前の女性の頭ぎりぎり入る形で撮れています。
たいていそうです。
私の撮りたいディスタンスとホロゴンの画角とが偶然に一致していたということでしょう。
そんな偶然の一致が、私にはうれしいのです。
私は、けっしてトリミングをいたしません。
トリミングによって、立派な画像になったところで、
そうしないと、その画像が撮れなかったことの方が残念に思うからです。
ノーファインダーで撮ったときでも、想いは同じです。
トリミング後の画像は、自分の写真じゃない、加工品だ、
私はそう感じてしまうのです。
昔、トリミングは標準的な手法でした。
絵画の影響もあったのでしょう、
フィルムはただの素描、スケッチ、これをきちんと作品に仕上げる。
そのプロセスが、トリミングやモノクロプリントの焼きこみ、覆い焼きだったわけです。
今でも、トリミングをされる方はかなりいるようです。
   人すきずきです。
私はしない、それだけのことです。
ノートリには、ブログをしていると、実利的な意味もあります。
いちいち画面を加工しているんじゃ、
私のように記事が多い人間には、いくら時間があっても足りません。
でも、もう一つ感じることがあります。
   トリミングは、お化粧なのです。
エステをし、化粧をして、最大限繕った美女の姿は、たしかにきれいですが、
自分の容貌、容姿を商売道具としている方は別として、
日常生活では、そんなものは、人間を美しく見せる方法として、筋違いです。
   喜びに顔を輝かせる、
   心をそのまま素直に顔に表す、
   自分のやりたいことを心行くまでやれる、
   そんなときこそ、一番美しく見えるのではないでしょうか?
はつらつとして、喜びを体いっぱいに表しさえすれば、
美女をますます美しく見せますが、
そうでない女性だって、ドラマチックに美しく見えるものです。
写真だって、そうです。
撮った本人が、その写真をそっくりそのまま愛して、
そのまま記事にしてあげたら、
写真は幸せな気持ちに輝くはず。

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by Hologon158 | 2010-04-27 18:03 | ホロゴンデイ | Comments(0)

152.03 ホロゴンデイ46「2009年8月8日京都の街は暑く、僕は熱かった」3 轟々というイビキ?

ヴィクトリア女王の時代、
80を過ぎてめっきりと衰えた公爵は、名案を思いつきました。

    夜な夜な、領地の18歳ほどの少女たちを召して、
    ベッドに一緒に寝てもらったのです。
    なにも悪さをするのではありません。
    触れたりはせず、ただ一緒に寝るだけ。
    それだけで、少女たちの弾けるような生命力を吸収できたということです。

私は試したことがないので、効果のほどは確認できません。
    あなた、いかがですか?
でも、私も娘の静を抱きしめると、うん、こんな感じかな?
もうそれだけで、自分の身体に若さが流れ込む、そんな感じになりますね。
とても柔らかなのに、ゴム鞠のように生き生きとした弾力があり、
ビンビンと生命力を放射しているのです。
赤ちゃんもそうですね。
この感触はちょっと表現しようがありません。
思い出しました。
まだ大学生の頃読んだのですが、ある哲人が書いていました、

    散歩の途中、
    いつも向き合う大樹の前に来て、
    その幹に杖を当ててぐっと押す。
    すると、大樹が押し返してくる。
    そのとき、大樹の心と自分の心が触れあっているのを感じる。

とすれば、大きなベッドだったのでしょうが、
傍らですやすやと寝息を立てている少女の存在だけで、
老公爵は若返る気持ちになったに違いありません。
おばさまではだめかもしれませんね。
    
    夜、眠れない公爵になにやら聞こえてくる。
    なんだ?
    轟々というイビキではないか!

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by Hologon158 | 2010-04-27 00:40 | ホロゴンデイ | Comments(0)

152.02 ホロゴンデイ46「2009年8月8日京都の街は暑く、僕は熱かった」2 おれは無敵だ!

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戦前に、アレキサンダー・テクニークを作り出したのは、
フレデリック・マサイアス・アレキサンダー。
彼の基本原理は、心身を分けることができないということでした。
ちょうど同じ頃、アルフレッド・ノース・ホワイトヘッドも、
哲学の世界でまったく同じ論理を展開していました。

   彼の形而上学は、宇宙のあらゆる構成要素はすべて、
   精神極と物質極との統合的存在であると主張しました。
   すべての存在が主体として、宇宙全体の存在と関係を結んでいます。
   この関係性そのものが現実に存在する、そう考えたのです。
   宇宙のなかから、私、あなたという存在を抜き出すことはできない。
   抜き差しならぬ関係をがんじがらめに絡んでいる、
   その関係の総体こそ、存在なのだというわけです。

関係にはさまざまな質があります。
宇宙のすべての存在と肯定的な関係を結ぶことははじめから無理ですが、
肯定的な度合いが強ければ強いほど、その存在は強力なのでしょう。
思い出してください。

   配偶者がいるとして、その人に愛を告白して、受け入れられたとき、
   人生を左右するほどの重要な試験に無事合格したことを知ったとき、
   誰か大切な人から、「あなたは素敵な人だ」なんて、心からほめられたとき、
   どんな感じになりますか?

      身体が二倍にも膨らみ、年齢も10は若返り、
      まるで宙を飛ぶように歩き、
      矢でも鉄砲でももってこい、ぼくは無敵だ、
      そんな自負で胸がふくれあがる、
      そんな感じではありませんか?

鳩山さんも、内閣総理大臣となったとき、そんな感じだったですね。
   声も朗々として、肌の艶もよく、眼光は炯々と輝いていました。
ところが、今はどうでしょう?
   声もつまりがち、肌の艶は消え、目はあらぬ方にそれて行きがち。
   帰り道がわからなくなって、夜が来ようというのに、誰も迎えに来ない、
   そんな幼児の風情です。
   もちろん激務が身体を激しく消耗させていることでしょう。
   でも、やることなすこと、うまく行かない、こちらの方が大きい。
   心身統一体として、心が弱まるとともに、身体、外観も弱々しくなっているのです。
わずか半年で、この変化!
300議席をバックにして、怖いものなんかいない、おれは無敵だ、
そう叫び出さんばかりの自信、自負はどこに行ってしまったのでしょう?

   人間と人間の対決、勝負を決めるのはなんでしょうか?
   平素の実力ではありません、
   俺は負けないという自負と、勝つぞという気力の勝負。
   気力、自信を失ってしまったら、もうアウトなのです。

小沢は、すでに鳩山のそんな姿を見て、
これはだめだ、鳩山では参院選挙を乗り切れない、そう的確に判断しているでしょう。
鳩山内閣の支持率はなんと24パーセントに落ちてしまいました。
5月末を待たずに、政局が動く可能性だって、出てきましたね。
by Hologon158 | 2010-04-26 20:43 | ホロゴンデイ | Comments(0)