わが友ホロゴン・わが夢タンバール

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158.31 ホロゴンデイ49「2009年12月12日しとしと古都奈良町に冬の雨が降り」31 様式化は悪いことじゃない

アインシュタインは、こんな芸術論を残したそうです、

    日本人は形を喜ぶ眼を持った人間であり、
    出来事を倦まずに芸術的に抽出して、
    それを様式化した線に変える。
    我々の言うリアリズムの意味での自然の模写は日本人にはなじめず、
    また、感性的なものを宗教的に疎隔するということにも無縁である。
    明晰性と単純な線とを何よりも愛好する。

この言葉を読んで、私は感じました、
    自分が日本人らしく、写真でも同じことをしている。
もちろん芸術としてではなく、記録としてではありますが。
水平垂直線だけで写真を撮っていることは、
すでに幾度も書いているとおりです。
そのうえ、ホロゴンというレンズの露出特性を使って、
常に中心だけで露出を決定し、周辺減光をまともに使って、
常に、中心だけ明るい、暗い暗い写真になるように撮っています。

    いわば、バカのひとつ覚え風に単調な撮り方に頼って、
    ひたすら露出の誤用によって、
    出会ったものの顔だけが浮かび上がるようにしているわけです。
    ですから、私の写真は、リアリズムではありません。

ホロゴンを使うこと自体、初めから、リアリズムを拒否しています。
    ホロゴンの魔術的なメタモルフォーゼが、そのもの自体の形ではなく、
    そのものに出会った私の気持ちを顕して欲しい、
    それが私の望みなのです。
そんなにうまく目論見が当たってくれるわけではありません。
たいていは、ホロゴンが好き勝手に撮っている。
それでもよいのです。
    なにがしか、出会いを思い出すよすがにはなりますし、
    ついでに、ホロゴンのプレゼントを喜ぶこともできます。

このホロゴンが大事にしているのが、
    「明晰性と単純な線」
私は、むしろこういうべきかも知れません、

    ホロゴンは、形を喜ぶ眼を持ったレンズである。

そんな写真の一例をあげておきましょう。

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by Hologon158 | 2010-05-31 21:20 | ホロゴンデイ | Comments(0)

158.30 ホロゴンデイ49「2009年12月12日しとしと古都奈良町に冬の雨が降り」30 高貴なる未開人デハナイゾ

実は、今日、ワウワウを解約しました。
長い間、沢山の映画をワウワウで観てきました。
3年前、チェ・ジウを知ってから、韓流ドラマ一辺倒となり、
映画は一切観ない人間になりました。
ですから、月額使用料をずっと無駄払いしてきたことになります。
いつか、なにかを撮りたくなるかもしれないと躊躇していたのです。
でも、コンピューター処理された映画など、1秒も見たくない。

近いうちに、電気屋さんに来てもらって、
テレビのアンテナを全部外してもらいましょう。
テレビと来たら、もっと前から、まったく観たことがない!

驚かれる方もおいでかも知れませんね。
    テレビのない生活をするなんて、まるで世間知らずじゃないか!
でも、私も妻も、チラッとも寂しいと思わず、
世間から取り残されているとも考えません。

明日になれば、忘れてしまうような情報は人生の情報ではありません。
テレビに姿を表す人をすべて知ることができなくても、
そのために、世間の人と話題を共通にすることができなくても、
私がよく生きることができないとは考えません。
    むしろ逆に、私は、テレビを観る時間を人生から削っていると考えるのです。
20世紀半ばよりも以前のすべての人類はテレビなしに生きてきました。
今でも、世界の大半の人間はテレビと無関係に生きています。
    私たち夫婦も、そんな未開人というわけです。

    それがどうした?

もっとも、高貴なる未開人と呼んでいただきたい、
なんて言うつもりはありませんから...


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by Hologon158 | 2010-05-31 18:07 | ホロゴンデイ | Comments(0)

158.29 ホロゴンデイ49「2009年12月12日しとしと古都奈良町に冬の雨が降り」29 怒らないで、怒らないで...

№26で書きましたユダヤ引用辞典、面白いので、頁を繰ってみました。
Pleasureの項目にこんな文章がありました。

    When a man faces his Maker,
     he will have to account for those (God-given)pleasure of life
     which he failed to enjoy.
                    (タルムード キドゥシン編から)

怖い言葉ですね。
神さまの用意された人生の喜びって、何なのでしょう?
沢山の宗教があって、それぞれに違いますね。
一体どれをエンジョイすればよいのでしょう?
    私だけでなく、他の誰にも、これがそうだ、などと断定できる人はいないはず。
    いるとすれば、その方は、ただの妄信者。
おっと、怒らないで、怒らないで。
今から、その理由を説明いたしましょう。

何万年の人類史の中で、
現行のすべての宗教は、ほんの2千数百年以下の歴史しかもたない。
神さまのほんとの宗教は一つしかないと仮定して、
    (この仮定に反対する宗教人はいませんね)
人類史を5万年と仮定すると、最長の宗教でわずか20分の1の短期間。
しかも、すべての宗教が地球のほんの一部のみに限定されています。
    時空すべてがローカルなある宗教の信仰の喜びだけが、
    神さまの用意した喜びなのでしょうか?

一体、神さまって、どんな存在なのでしょうか?
    地球だけのローカルな神さま?
    そんなことはありえませんね。
たとえば、キリスト教、マホメット教では、宇宙の創造神なのです。
    そんな神さまが、地球の歴史のほんの一握りの人たちだけのために、
    この宇宙を創造したって、ほんとでしょうか?
    そんなこと、ありえませんね。

神さまは、存在するとすれば、
宇宙の時空のすべての星々に棲息する生物の神さまのはず。
    数百億年、数百億光年にまたがる時空すべてを支配している神さまですから、
    その思考、行動は、人類の思考、行動とはまるっきり違います。
そんな神さまが、宇宙のすべての存在に対して慈しみの眼を注ぎ、
人生の喜びを用意されているとすれば、
    その喜びは、宇宙のすべての時空に生きた存在が
    エンジョイできる性質のものであるはず。
    そうではないでしょうか?

私のような考え方を、どこかで読んだ記憶がありません。
今、たった今、思いついただけですが、
こんな風に感じている方はきっと沢山いるはず。
    なんだかこちらの方が正しい感じがするのですが、いかがでしょうか?

もし私が正しいとしますと、
    極めて限定された人だけに信仰の喜びと天国への扉を用意する宗教は、
    すべてどこか間違っていると言わざるを得ません。
    (ああ、キリスト教、マホメット教、仏教、ヒンズー教、その他、
    ありとあらゆる宗教の信者の方が、今、私のブログから立ち去ってしまった!
    やれやれ、今後、アクセス数はさらに激減しそうだな)

ということで、私としては、
    ひたすら自分の心にしたがって生きる、
    自分の心が喜びを感じること、すべきだと命じることだけをして、
    安んじて生きることにいたしましょう。


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by Hologon158 | 2010-05-31 16:14 | ホロゴンデイ | Comments(0)

158.28 ホロゴンデイ49「2009年12月12日しとしと古都奈良町に冬の雨が降り」28 ど素人根性というもの

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5月中、私はリムスキー・コルサコフの「シェエラザード」を練習してきました。
もちろん揚琴独奏用の編曲版です。
    トレモロ、トリルのような装飾音をあれこれと織り込んだり、
     4連音をたたみ込むように高速で演奏したり、
    現在の私の能力を上回る、かなりの技量を要する曲です。
一応、暗譜は済ませました。
    でも、弾き始めるとき、まだちらっと脳裏をかすめます、
    最後までちゃんと弾けるかな?
    どこかでひっかかるんじゃないかな?
こんな懸念が残る限り、自信を持って弾き続けることはできません。

まあ、ただの素人の域でのことなので、腹を立てないで読んでくださいね、
本当に弾けるようになると、一曲は一つの塊になってしまいます。
    弾けるか弾けないか、なんて、懸念はちらっともかすめません。
    弾き始めたら、終わっている!
    その間、スティックをどう動かすか、どこを叩くか、なんて、
    考えたりしません。
    ただ、身体が動きます。
これはただの熟練、記憶だけなのかも知れません。
でも、心が確信しているのです、
    「やれる、完全にやれる!」
    そう確信しているから、最後まで突っ走れる。

「あがる」というのは、そんな確信がぐらつくことではないでしょうか?
    うまく弾きたい、喝采を浴びたい、
    でも、失敗するかも知れない。
    そう思うと、失敗する。
    自転車の覚え初めの頃と一緒です。
    あの石に乗り上げちゃうぞ、ちゃうぞ、ちゃうぞ、
    ガタン!
そんなことを全部忘れられたら、
ただひたすら、楽しんじゃおうという気持ちになれるなら、
あがらないのかも知れません。
私の場合、完全に弾けるという自信があるわけでもないのに、
    なぜかわけもなく、あがりません。
    あがらなくても、まちがいます。
    まちがっても、あがりません。
陳小林先生や付虹先生に聴きますと、こんな人はあまり居ないらしいですね。
どうも、ど素人根性というものらしいですね。
    うまく行かないのがあたりまえ、
    だから、いいじゃないの?

こう書いて、ふっと気づきました。
    なんだ、これって、写真のときと同じじゃないの?

創作衝動に駆り立てられている人はつらいですね。
    凄い写真が撮れて、ようやく当たり前。
    下手な写真はすべて失敗。
    でも、そんなにホイホイと凄い傑作が撮れるわけじゃない。
    ですから、挫折感と敗北感に責めさいなまれることになりかねません。
ど素人はその点実に楽ちん。
    下手な写真、すべて当たり前。
    ときに偶然がなにかいたずらしてくれたら、
    
        ありがとう!
by Hologon158 | 2010-05-31 14:06 | ホロゴンデイ | Comments(0)

158.27 ホロゴンデイ49「2009年12月12日しとしと古都奈良町に冬の雨が降り」27 気って何?

高韶青コンサート以来、気のことをずっと考えています。

気とは、なんだろうか?
    私が生きるとき、
    私がなにか行動をしようとするとき、
    私の心の内からわき起こってくるもの、
    それある故に、全身全霊がそのことの実現に向かって一致団結できるもの、
    そんなものでしょうか?
誰にもあるもの、でも、その気の強さ、大きさが違う。
気が希薄なら、大きな仕事はできません。
    自民党の末期小泉以降の首相たちや鳩山さんを見たとき、
    私が感じたのは、気がまったく薄いということでした。
    作り上げられた外面、外装しか感じられず、
    その向こうに実質がまったく感じられなかったのです。
    小泉、鳩山に共通することですが、
    口はうまいけど、実現のための気がまったくない。

偉大な演奏家たちのコンサートで、本当の気を味わうことができます。

    演奏が始める前から、演奏家から気がぐぐっーと湧いて来るのです。
    そして、演奏の間、気は一瞬たりともたゆむことなく、
    ぴーんと一本の光芒ラインとして楽曲を輝かせます。
    どうやら、観衆の気も演奏家の気に合流するようです。
    閉ざされた一室で、演奏するときには起こらないような、
    奇跡的なラインが浮かびあがるのです。

    見られていること、
    聴かれていること、
    されていること、
    讃仰されていること、
    これらが演奏家に凝縮されて、気をなおさらに高め横溢させるのです。

    もしかすると、偉大な演奏のとき、
    演奏家と観衆の気は一体となっているのかも知れません。

私たちが、自分の生活のなかで、この気をどうやって高めるのか?
    勉強したことがないので、さっぱり分かりませんが、
    勉強して分かるものでもないのかも知れません。
そんな方法論など、どこにもなく、
    自分自身がなすべきことに誠実に立ち向かい、全身全霊を傾注する、
    その反復、連続、発展がいつしか私の気を高めてくれるのかもしれません。

       気に近道はない?


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by Hologon158 | 2010-05-31 11:29 | ホロゴンデイ | Comments(0)

158.26 ホロゴンデイ49「2009年12月12日しとしと古都奈良町に冬の雨が降り」26 嘘に脚はない!

鳩山政権がついにデッドロックに乗り上げました。
大手各紙が行った世論調査は、民主党政権は完全なる死に体になったことを告げています。
鳩山と小沢と二人して、民主党と、ついでに日本を谷底に引きずり下ろしたのです。
    でも、二人はそのことを理解できないでしょう。
    理解できる頭と心と才能を持つ人なら、こうはならなかった。

そんなことを考えると、こんな場合、ユダヤ人ならどう言うだろうか、
ちょっと知りたくなりました。
かっこうの素敵な本があります。

    「Leo Rosten's Treasury of Jewish Quatations」

タルムードのようなユダヤの諸書に散りばめられた智恵を集めた本です。
古代ユダヤ人は、寸鉄人を刺す短文で物事を表現するのが得意、
古代中国人といい勝負です。

「小さな罪でも、大人物が犯すと、大罪になる」
    鳩山首相がその好例。
    アメリカ大統領に向かい、12月中に決着するよ、トラストミーと嘘を言い、
    連立与党に対して、僕たち一緒に決めようねと嘘を言い、
    国民に対して、米軍基地は、少なくとも県外、できれば国外と嘘を言い、
    そのうえ、母さんから9億もプレゼントされたなんて、ボクちらなかったよと嘘を言い。
    (ほんとのところ、どれもこれも小さな罪とは言えないですが)

「一度や二度ついても、ただの嘘だけど、三度つくと、政治になる」
    鳩山さん、この言葉を徹底的に実行しようとしてきたようですけど、
「嘘つきは記憶が良くなければいけない」
    そうでないと、矛盾だらけになって、嘘だとばれてしまうからです。
    でも、この人、不思議に、前の日に言ったことも覚えることができない人。
「嘘に脚はない(だから、立てない)」
    人間として、国家指導者としての信頼を完全に失ってしまいました。
「嘘をつかって長い道のりを進むことはできるけど、後戻りはできない」
    もう信頼回復は無理ですね。

「金が権力である」
    小沢は、権力にものを言わせて貯めに貯めた金で土地を買いあさり、
    みんな自分でせっせと貯めたお金なんだから、いいじゃない?

「傲慢は王国である、ただし、王冠はない」
    政治資金報告なんて、どう記載しているか、ちっとも知らなかったと、
    しれっと嘘を言い、
    泣く子も黙る筈の東京地検特捜部をころっと騙して、黙らせてしまい、
    権力を自分に集中するためだけに権力を揮い続ける、我が道街道。

「笑いながら権力を悪用できる人こそ、リーダーとなるにふさわしい」
    小沢は、こう言って、自分はちっとも悪くないと言い張るでしょう、
    その裏で、国家と民主党政権の危機にはほおかむりをし続けてきました。
    どうやらことの真相はこうのようです、
    小沢さん、自分でも、どうしてよいのか、分からない!
    おかげで、日本と民主党は、
「船長を失った船こそ災難」

「ちっちゃな虫でも、大男をチクリと刺すことができる」
    小沢王国はもうじきお終いです。
    検察審査会が「起訴相当」の結論を出すことでしょうから。

国民から見ると、このお二人の日本支配については、次の言葉こそふさわしい。

    「蛇が、頭よりも尻尾の言うことに従っていたら、
     溝におっこち、火の中に飛びこみ、いばらの中をはいずりまわることになる」


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by Hologon158 | 2010-05-31 10:21 | ホロゴンデイ | Comments(0)

158.25 ホロゴンデイ49「2009年12月12日しとしと古都奈良町に冬の雨が降り」25 韓国にも海賊盤?

韓国のトロット(演歌の一種)歌手で、私が愛してやまない人が、

    イ・ソンヒ

十数枚のCDを出しているのですが、もうほとんど手に入りません。
ようやく楽天で、もう一組見つけました。
イ・ソンヒ、パク・インヒ、ウンヒ、3人の歌手をCD2枚セット。
尾っぽふりふりただちに注文。
昨日、到着しました。
1枚目を聴くと、まだ聴いたことがなかったイ・ソンヒの曲集です。
早速iPodに収めました。
さて、2枚目の歌手たち、どんな声かな、どんな歌かな?
私はわくわくです。
聞こえてきたパク・インヒの歌声は、なんだ?
    イ・ソンヒではありませんか!
では、ウンヒの歌は?
    やっぱり、イ・ソンヒ!
2枚目は、私がすでに持っている、イ・ソンヒの定番名曲と同一録音ばかり。
見事な装幀で、パンフレットにもしっかりと二人の歌手の名前がプリントされています。
    海賊盤ではなさそうです。
私の推測はこうです。

    イ・ソンヒの声と歌はあまりにも有名で、
     CDのプロデューサー、制作者が間違うはずがない。
    ですから、これは意図的なのです。
    イ・ソンヒの盤に、若手歌手でイ・ソンヒの歌を歌っている二人を選んで、
    カップリングしたかのように見せかけて、廉価に2枚セットを作りだして、
    購買層を拡大しようとした!

    イ・ソンヒにとっては不愉快きわまりない販促法、
    他の二人にとっても、迷惑この上ないファン迷惑。

中国のCDには、海賊版がぞろぞろ横行している感じがしますが、
ひょっとして、韓国にもそんな海賊版が横行しているのでしょうか?
私としては、イ・ソンヒの歌が増えたので、文句はないのですが、
ちょっと心配です。

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by Hologon158 | 2010-05-31 00:09 | ホロゴンデイ | Comments(0)

158.24 ホロゴンデイ49「2009年12月12日しとしと古都奈良町に冬の雨が降り」24 気合い十分に生きている!

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この逸話に前回のような疑義を挟んだ人はこれまいなかったようです。
    いたら、宇佐見文理さんが見逃さなかったでしょうから。
私が、なぜ、こんなことを思いついたか?
    それはやはり昨日のコンサートの影響の残映なのです。
    それほどまでに、高韶青、涂善祥のご両名の気は強烈でした。
    こんな人は、けっしていかなる緊急事態にもたじろがないのです。

中国に旅行されたことがおありでしょうか?
私は行くたびに、テレビをとても興味深く眺めるのです。
中国語はからきしだめです。
でも、不思議になにを言っているのか、雰囲気と気合いだけは分かります。
    大すきなのは、討論会、インタビュー。
    誰一人として、けっして遠慮しない、けっしてたじろがない。
     4人がパネルディスカッションを見たことを記憶しています。
    まず、Aさんが滔々と論陣を張りました。
    その口調のなめらかで、論調の自信に満ちていることはどうでしょうか?
    この人に勝る者はいないだろう、私はそう思ったのです。
    ところが、次のBさんが間髪入れずに、持論を展開しはじめました。
    その態度、顔つきの自信に満ちていることはどうでしょうか?
    Aさんがなにを言ったにせよ、堂々と向こうを張って、反論します。
    これで決まりだろうな、なんて思うのは甘い、甘い。
    Cさんがしゃべりはじめると、あっとのけぞります。
    Aさん、Bさんなど、お話にならぬと言わんばかりに、
    奔流のように言葉が流れ出すのです。
    でも、まだまだお後が待ちかまえています。
    Dさん、それまでの3人の論理などたちまちのうちに蹴散らしてくれんと、
    立て板に水に、まあしゃべること、しゃべること!

女性たちだって、負けていません。
ちょっとかんがえあぐねるとか、ちょっと遠慮して、口ごもる、
そんなことはけっして起こりません。
市井で出会う人たちだってそうです。
すべて議論を真っ向から戦わせるのです。
    たとえば、夫婦喧嘩もストリートに出て、派手に論争します。
    周辺の人、道行く人が、30㎝の距離で対峙する夫婦のまわりに
    びっしりと十重二十重に人垣を作って、どちらが正しいか判定する!

春秋左氏傳や司馬遷の史記、三国志、水滸伝、紅楼夢、
    どこまで行っても、人々は常に気合い十分に生きています。
    内からぐぐっと迫り上がる気をもたない人間など、相手にされません。

ですから、閻立本は、そんな行動をとったはずがない、
私はそう確信しているのです。
by Hologon158 | 2010-05-30 20:58 | ホロゴンデイ | Comments(0)

158.23 ホロゴンデイ49「2009年12月12日しとしと古都奈良町に冬の雨が降り」23 名人らしくないじゃない?

「歴代名画記」に面白い話がのっています。
唐のいわば伝説の画家、閻立本について。

    唐の太宗が宮廷内の大きな池に舟を浮かべて遊覧していると、
    珍鳥を水面に見つけました。
    皇帝は、急ぎ伝令をつかわして、絵の名手閻を召して、
    あの鳥を描くようにと、命じました。
    画家はすでに郎中という高官であったのに、
    並み居る賓客が見守る中、汗みずくになりながら、
    池のほとりにうつぶせになって、絵を描いたのですが、
    宮廷から下がって、子どもたちを呼び寄せて、
    こんな風に戒めたそうです、
    私は子どもの頃から君子の技芸をすべてたしなんできたが、
    絵の腕で有名になったばかりに、奴僕のような恥ずかしい仕事をさせられた。
    お前たちは、絶対に絵を学んではいけないよ。

宇佐見文理さんは、著者は、この逸話を書き留めることによって、
「絵は君子の技芸」であると強調しようとしたと書いておられます。
私は、このお話はちょっとおかしい、きっと歪められていると感じます。

まず、第1点。
    太宗は、群臣の中で、閻立本をずば抜けた絵の名手と認めているから、
    わざわざ伝令を発して呼び寄せたのです。
    いわば、晴れ舞台。
    汗だくで駆けつけたかも知れませんが、
    事情を知れば、賓客たちの手前もあり、
    また、画家の立場をおとしめたくないという気持ちもあり、
    謹んで仰せを承り、悠揚迫らざる堂々たる態度で、粛々と絵を描いたはず。
    絵を描く段になれば、絵の名手なのです、
    珍鳥がいつ飛び立つか分からないのであれば、
    きっと、まずしっかりと観察して、頭の中にその姿を刻印したうえ、
    あせることなく、けっして汗だくになどならずに描いたことでしょう。
    わざわざ岸辺にかっこ悪くうつぶせになったりしたはずがないのです。

次に、第2点。
    太宗は、閻立本が描き終わると、どれどれと絵を眺めたはず。
    名手なのです、きっと水際だった筆裁きで珍鳥が見事に描きこまれていたはず。
    太宗は、なみいる賓客の前で、手放しで「見事、見事」と賞賛し、
    賓客たちに回覧させ、画家は大いに面目を施したはずです。
    なぜなら、皇帝自らが閻立本なら描けると判断して召し出したのですから、
    閻立本を褒めるということは、自分の鑑識眼を褒めることなのです。
    もし、出来が悪かったら、賓客の前で、自分が恥をかくことにもなり、
    画家をさんざんに罵倒したことでしょう。

とすると、閻立本が帰宅して、子どもたちに教訓を垂れたとすれば、
その内容は、技芸を学んで人に自慢したければ、それ相応に努力せよ、
ということになったはずです。

そして、第3点。
    この逸話が、閻立本の生涯のどの時点にあったことか分かりませんが、
    彼は、生涯に「歴代帝王図」のような大作を次々とものしつつ、
    ついには宰相の頂点にまで登り詰めるのです。
    結局、彼は、絵をやめなかったのです。
    このような大画家がこんな逸話を残すとはとても思えません。

以上の次第で、このお話も、また私たちに教訓を残してくれました。

    字に書かれたものが常に信用できるとは限らない!
    というわけで、私が今書いたことも、けっして信用なさらないように。
    たった今、思いついたばかりなのですから。


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by Hologon158 | 2010-05-30 18:51 | ホロゴンデイ | Comments(0)

158.21 ホロゴンデイ49「2009年12月12日しとしと古都奈良町に冬の雨が降り」21 心がぱっと広がった!

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高韶青リサイタルは、3曲目に琵琶奏者の涂善祥が加わったことで、
ちょっと様相を変えました。
高韶青さんは日本語ができないので、涂善祥さんが通訳もすることになったのですが、
この琵琶奏者、どうも高韶青さんの12年先輩のうえに、
大変な気の持ち主で、あっという間に、その場を支配してしまいました。
けっしてずうずうしいとか、目立ちたがりだからではなくて、
ただ単に気が横溢して、生気に溢れているから。

彼の最初の曲が「白帝城追想」という二胡、琵琶の協奏。
高韶青さんの合図で「ホイ、ホイッ」と合いの手をいれてくれと指示。
いざ本番になったら、涂善祥さんと高韶青さんのド迫力の声に圧倒されて、
観客はそんな声出せません。
琵琶という楽器は、たった一本でもオーケストラに対抗できるほどに、
鋭角的に強烈なサウンドを出すことができます。
このあたりから、涂善祥さんが出てくると、
琵琶はただの伴奏ではなく、れっきとした二重奏になりました。

次に、予定外の「アルハンブラの思い出」をピアノ伴奏で演奏したのですが、
    こちらはピアニストと初対面で早速やることにした飛び入り。
セゴビア以降沢山の名ギタリストが名演奏を繰り広げてきたので、
これに外部から参入するなんて、冒険もいいところですが、
涂善祥さんの演奏は、言葉に尽くしがたいほどに美しい琵琶でした。
    私が、このコンサートがただものではないと感じ始めたのは、
    まさにこの演奏からでした。

第2部の「荒城の月」は、リハーサルで急きょ、
二胡、琵琶、ピアノでやってみることに決まった曲だそうで、
飛び入りで演奏されたのですが、これもほとんど琵琶の独壇場。
高韶青さんが見事に伴奏をつとめのですが、
主旋律を二胡が奏でたときの美しさが得も言われぬ香りに満ちていました。
「荒城の月」という日本の曲がなんと二胡にぴったりと思わせる入魂の演奏でした。

「シルクロード」も、これまで聴いた同曲の最上のバージョン。
「競馬」は、涂善祥さんの曲ですが、「賽馬」より面白い。
ここではモンゴルの歌唱法ホーミーまで飛び出しました。

コンサートが終わった後のサイン会では、
何十人もの人が高韶青さんの机に並びましたが、
涂善祥さんには、私の前にたった一人でした。
私、CDに署名してもらいながら、
    「演奏も作曲もとても素晴らしかったので、感激しました。
     最後に、ホーミーまで歌われたのにはびっくりしました」
すると、涂善祥さん、大喜びして、席から立ち上がってくれました。
お電話番号までおしえて頂き、再会を約してお別れしました。

妻は高韶青さんに、CDに署名をしてもらい、ご機嫌。
     大喜びして夫婦して、心がぱっと広がった一日でした。
by Hologon158 | 2010-05-30 15:57 | ホロゴンデイ | Comments(0)