わが友ホロゴン・わが夢タンバール

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162.49 ホロゴントラベル2「2005年9月青森は弘前の町の風情にしびれたね」49 次に見つけたのは?

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韓国のイ・ソンヒやソ・ヒヤンに夢中になっている内に、
突然、パティ・ペイジを思い出し、その機会にイーバ・キャシディを発見しました。
    みんなYou Tubeが私に与えてくれた贈り物。
では、この人はどうだろうか?
あの人はどうだろうか?
さまざま探し回っています。
    みんな堂々とした歌いっぷりで、圧倒されます。
    でも、たいていの大歌手たち、私の心にしみ込んでこないのです。
サラ・ブライトマンは、残念ながら、落第。
    なんだか厚化粧をした少女のような歌にたじたじとなってしまいます。
    華麗な歌の向こうに、歌い手の心が感じられない。
はっと気がつきました。
    サラ・ブライトマンに責任があるんじゃないんだ!
    私とサラとは別種の人間なのだ。
    不思議にも、さまざまな国のさまざまな時代の人々と、心が通い合うこともあれば、
    ぜんぜん通わないこともある。
それが人間です。
    私には私の縁があって、その縁のない人とはどうしても折り合えない。
じゃ、誰だったら、ぼくに合うんだろうか?
しばらく考えて、思い出しました。
    イーバ・キャシディが合うんだったら、ジョーン・バエズだって合うはずだ。
前にも書きましたが、私はずっとクラシック、バッハとオペラに没頭してきた人間。
ジョーン・バエズに若い頃ちょっと小耳に挟んで、思ったことは、
    なんだかふわふわして、甘っちょろくて、聴いてられない。
ところが、時というのは不思議な魔法をかけてくれるものです。
    試しにジョーン・バエズをYou Tubeで探して、聞いてみました。
    素晴らしい!
    若い頃からかなりの年配まで、さまざまなライブがありますが、
    どれも素晴らしい。
    私の昔の印象はとんでもない位に見当違い、聞き違い。
    オペラ歌手の壮麗なるベルカントと対比してのこと。
私の心がジョーン・バエズの心に届かなかったのです。
    私のような非常に偏った世界で生きてきたので、
    誰もが知っている世界に遙かに遅れて到着したようなものです。

この世界は、一人の人間がすべて味わい尽くせるよりも
遙かに遙かに豊かなのです。
    ありがたい!
いつかサラ・ブライトマンを素晴らしいと賛嘆するときだって来るかも知れません。
私の心がそれだけ大きくなればよいのですから。
    いつか世界のすべてを抱擁できるほどの人間になれたら?
    それが神さまかな?
by Hologon158 | 2010-06-30 22:13 | ホロゴントラベル | Comments(0)

162.48 ホロゴントラベル2「2005年9月青森は弘前の町の風情にしびれたね」48 パク・ヨンハ逝く

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サッカー負けたようですね。
    この冷たい、他人ごとのような言い方。
        (これで、アクセス数がまたぐっと減るだろうな?)
    私はテレビをまったく見ないうえ、
    国民的行事のほとんどにまったく関心がありませんのでね。
今回書きたかったことは、インターネットニュースで見つけた記事。
    韓流スターのパク・ヨンハさんの自殺。

「冬のソナタ」のサンヒョク役で一躍スターになった人。
日本でも人気があって、歌手活動をしていたようです。
記事によると、引き取った父親の介護に疲れ、不眠に悩まされていたとのこと。
そのことと自殺との因果関係は不明ですが、
別のニュースでは、人気女優のユン・ウネと新しいドラマを撮ることになっていたようで、
別にスターの地位を脅かされていたわけではなさそうです。
    「冬のソナタ」では、ヒロインのユジンを恋い慕う幼なじみを演じました。
    ついにほとんど一度もユジンに愛してもらえず、
    そのことに思い悩み、あれこれと無理な画策をしては、
    なおさらユジンの心を自分から遠ざけてしまう、
    ちょっとかわいそうな男性でした。
    うじうじとした感じをそこはかとなく引きずるような感じでした。
もちろん役作りもあるのでしょうけど、
    他のいくつかのドラマで演じたさまざまな男性主人公に共通して、
    人がよいけれど、どこかきりっと吹っ切ることができない、性格の弱さが漂います。
    からからと笑っても、目が笑わず、憂いが残る、そんな感じ。
    今回の出来事から推して、
    彼の演技には自身の性格がある程度反映していたのかもしれません。
でも、月並みな言い方をすれば、「死んで花実が咲くものか」

念のため書いておきますが、
    私は、自殺は必ずしも弱さを暗示するものではないと考えています。
    自殺は、人生の難局に対するある種の究極の解決法、人生の選択であり、
    踏み切るためには、大変な決断力を要することだってあると考えられるからです。
    もちろん、このあたり、推測です。
    私は、一度もそんな選択に直面したことがありません。
でも、そのような選択を必要とする状況はいくらでもありそうです。
    生まれることについて、人間は自由をもたないとしても、
    いつどんな風に死ぬかについては、自由であってもよい、
そう考えます。
    人生からの逃走であれ、究極の生きる道への決断であれ、
    人は、人に迷惑をかけない限り、自分の人生を自分で選ぶ権利があると考えます。
    つまり、その選択は、自身と自身の人間的環境に対する最善の選択であるべきです。

パク・ヨンハさんが自殺を敢行したのはなぜか、
おそらく永遠の謎に終わるでしょう。
    でも、それが彼の最善の選択であったことを祈りたいものです。
しかし、韓国のスターたちが死を選んだニュースが時折入ってくるのはやりきれないですね。
ふっと気づいたのですが、近頃、日本では、有名人の自殺が少ない感じですね。
三島由紀夫やその師匠の川端康成の自殺は、
創造力の枯渇が人生の破局につながることを思わせ、衝撃的でした。
人生の究極の選択であることは留保しつつも、
あまり目にしたくないニュースですね。
by Hologon158 | 2010-06-30 18:35 | ホロゴントラベル | Comments(0)

162.47 ホロゴントラベル2「2005年9月青森は弘前の町の風情にしびれたね」47 温湯温泉に移動

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田舎館から温湯温泉に移動しました。
    「ドラえもん」の静ちゃんとは違って、
    私は入浴が好きではありません。
    やむを得ないから、毎日入るだけ。
なぜか?
    その時間が惜しいから。

だから、必然的に、温泉も好きではありません。
でも、写真となると別。
名前がちょっとユーモラスなので、行ってみました。
    渓谷を挟んで、温泉街というか、温泉旅館が散発的に並んでいます。
    この町もロボグラフィの宝庫でした。

まず見つけたのは、自転車のカップル。
なぜこれがロボグラフィなのか?
そう真面目に質問されますと、こう答えるほかはありません。
    私が撮るから。
    半ば締まったシャッターの向こうに、
    スポットライトを浴びて、2台の自転車が浮かび上がります。
こんな情景を見たら、もう撮らないわけにはまいりません。

なにか音楽が聞こえてきませんか?
    聞こえてこないでしょうね。
私には聞こえていました。

    車庫ンヌの調べ。
by Hologon158 | 2010-06-30 00:39 | ホロゴントラベル | Comments(0)

162.46 ホロゴントラベル2「2005年9月青森は弘前の町の風情にしびれたね」46 だから、つまらない

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中川一政さんの画文集に、私の心にぴったりの言葉を見つけました。

    書のわからぬ人は読みたがる。
    画のわからぬ人はまず何がかいてあるか見る。

中川さんの言葉を写真に応用すると、

    写真の分からぬ人はまず何が写っているか見る。

    何だ、泥田のヒビか?
    汚い。
    つまらない。

こんな風になってしまいますね。
    私の写真は、このような見方をする方には致命的に欠陥があります。
    フォトジェニックなものが写っていない。
    ありふれた、写真にならないものしか写っていない。
だから、つまらない、という人にはどんな風に説明しても分かってもらえないでしょう。

中川さんの言葉が私にぐっと来たのは、私の撮り方がそうだからです。
    私は、たとえば、ゴミ箱をゴミ箱として見ません。
    そんな名前や用途と美醜とは関係なしに、
    私の心にぐっと来る情景があれば、バンとノーファインダーで撮ります。
    どこからどこまで撮れるかだって分かりません。
    15㎜を撮ってごらんになったら、すぐ納得していただけるでしょう。
    ですから、私は眼前の光景をさまざまな物の組み合わせとしては見ていません。
    眼前に広がる情景全部が私の撮りたいものです。
画角110度の扇形に広がる情景が私の心にかなうなら、
ぐっと踏み込んで、超接近して撮ります。
その結果なにがどこまで写るか、私には分かりません。
    だから、ノーファインダー。
でも、写真の隅から隅まで、私にとってはすべてがポイント。
切り捨てるものなどありません。
    だから、ノートリミング。
選択も抽象もないのですから、どうしようもない。
中川さんは、だからアートとはフォルムだと言いたかったのでしょう。
    私の場合、まるきり違います。
    私の写真は、表現ではないので、アートどころか、写真作品でさえない。
    私だけの体験でしかない。
どんな風に考えても、結局は、ここに行き着くのです。

    ですから、私の写真をまじめにご覧になるのはやめましょうね。
by Hologon158 | 2010-06-29 22:08 | ホロゴントラベル | Comments(0)

162.45 ホロゴントラベル2「2005年9月青森は弘前の町の風情にしびれたね」45 さびしい首相

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G8の会議で、各国の首脳たちが集まって挨拶を交わすとき、
菅首相は、言葉が話せないために、輪の外でさびしくほほえむのみだったと読み、
そのさびしい写真も見ました。
    そんなこと、ちゃんと予測できたのに、
    菅首相はなんの対策も講じなかったのでしょうか?
情けないですね。

あなたが首相になって、海外で外交に当たることになったとき、
あなたならどうしますか?
    どんな問題でも、ちゃんと頭を働かせたら、かなりこなせるものです。
    ですから、はじめて何か重要な交渉をすることになれば、
    ちゃんと頭を働かせて、用意をすべきものです。
    それができなければ、無能と言われてもしかたがない。
私は、菅首相が首相にふさわしい人格識見才能の持ち主であるとは認めないので、
今回の行動は私の認識を裏付けるものととりたいのです。

というのは、対策は実に簡単だからです。
    誰でもできる。
まず、素朴な疑問。
    菅首相は英会話ができないのでしょうか?
    できたとすれば、各国の首脳に声をかけられなかったのは、単なる人間的な気後れ。
    これじゃお話になりません。
だから、菅首相は英会話ができなかったのだと仮定しましょう。
    首相や外交担当者になる可能性のある政治家は、
    平素からすくなくとも英語位、勉強しておくべきです。
    時間はなくても、金はあるのです。
    有能な講師を週一回でも招けば、ある程度は覚えられます。
素朴な疑問ですが、これまでだって、海外から政治家、要人が来て、
公私さまざま、親しく出会う機会はあったはず。
    そのとき、どうしていたのでしょう?
    英語位話せなきゃと、どうして思わなかったのでしょう?

でも、とにかく多忙につき、英会話を勉強する時間がとれなかったとしましょう。
いざ首相になり、さっそくG8に乗り込むことになりました。
    どんなに英会話ができても、他国と重要な話し合いをもつときは、
    最上の外交スタッフに立ち会わせ通訳させるべきです。
    そうでないと、「Trust me!」なんて、馬鹿げた失言をしてしまいます。
しかし、英語が話せなくても、各国首相と挨拶を交わさなければならないのです。
だとすれば、私ならこうします。

    1 各国首脳の人柄と対応の仕方をしっかりと調査させ、報告させます。
    2 その国の言葉で、挨拶できるように丸暗記します。
    3 挨拶の後、英語で簡単な外交儀礼の言葉を言えるように、丸暗記します。
     「残念ながら、おたくの国の言葉を話せないことをおわびします。
      しかし、日頃からあなたのご活躍ぶりには感銘を受け、敬意を感じています。
      これから、国際的な問題の処理を協力してやっていきたいので、
      よろしくお願いします」この程度でよいのです。要は、誠意。
    4 そして、その一方では、別の準備をします。
      各国の首脳には、あらかじめ国際電話で通訳をまじえて仁義を切っておき、
      かつ各首脳と親交のある政治家、有名人にお願いして、
      今度G8に初めて参加するので、菅首相をよろしくと伝えさせておく。
    5 現場に望んだら、一番日本好きで人のよさそうな首脳を皮切りに選び、
     ひたすら笑顔でぐいぐい一人ずつに迫り、握手をし、ときにはもう一つの手も添え、
     顔を近づけて、2、3を一気呵成にやってのけ、
     後は「サンキュウ、サンキュウ、I was so glad to meet you!」
    6 返す刀で、次の首脳にぶつかってゆきます。
    7 後は、中曽根首相がやったように、ひたすらニコニコ、
     そして笑顔でオバマ大統領のそばにくっついて、写真撮影を中心で。
 
どうですか?
簡単でしょう?
    側近スタッフがこれ位のことは考えて、用意をすべきです。
あんたら、一体なにを用意したんだ?
そういいたいですね。

そして、菅さんに言いたい!
    あなたは日本の代表として行くんだ。
    もう少し心を込めて、しっかり支度をして、
    全人格でぶつかるようにしなきゃ、ダメじゃないですか!
    国際間で信用を得るため、発言力を得るための絶好の機会なのに!

まったく、情けない!
by Hologon158 | 2010-06-29 18:15 | ホロゴントラベル | Comments(0)

162.44 ホロゴントラベル2「2005年9月青森は弘前の町の風情にしびれたね」44 テネシーワルツ

パティ・ペイジの「テネシーワルツ」、幾度も聴いています。
    インターネットで歌詞を探して見ました。

        I was dancin' with my darlin'
        To the Tennessee Waltz
        When an old friend I happened to see
        I introduced him to my loved one
        And while they were dancin'
        My friend stole my sweetheart from me

        I remember the night
        And the Tennessee Waltz
        Now I know just how much I have lost
        Yes, I lost my little darlin' the night they were playing
        The beautiful Tennessee Waltz

なんとシンプルな歌詞。
その裏にあるのは、よくあるけれども、その深刻さは王朝の悲劇にも劣らない、
そんな愛の喪失の物語。
パティ・ペイジが軽やかににこやかに歌います。
    でも、その歌の影から、若き日に味わった喪失感、悲しみが、
    じんわりと浮かび上がり、
    外見が軽やかでにこやかであればあるほど、
    その喪失感、悲しみは深い、そう感じさせます。
You Tubeで、若き日のパティ・ペイジの歌いぷりを見るにつけ、
そのモノクロームのあたたかな質感も加わって、
なにかカルティエ=ブレッソンの古きよき時代のスナップのような、
汲めども尽きぬ、香しい味わいを感じるのは私だけでしょうか?

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by Hologon158 | 2010-06-29 00:28 | ホロゴントラベル | Comments(0)

162.43 ホロゴントラベル2「2005年9月青森は弘前の町の風情にしびれたね」43 写真はオリンピックではない

世の中のたいていのことは、私が勝手に名付けた「巨人の肩乗り効果」で、
先人よりもよくできるようになるものです。
    オリンピックがその好例です。
    記録は破られるためにあるようなものです。
    長い間100メートル10秒を切ることができなかったのに、
    一度誰かが切ると、次に続くものが出てくる。
体力、訓練法、走法の進歩もあるでしょう。
でも、でもそれだけではないようです。
誰かができると分かれば、自分もできると信じる、その効果。

でも、芸術の世界になると、演奏技術の点では確かに同様の効果があるようですが、
それを超えて、味わい、香り、風味、風格、雰囲気、人間性などというファクターとなると、
「巨人の肩乗り効果」は発動しないようです。
    真似ができないのです。
たとえば、写真でも、たとえば、カルティエ=ブレッソンの作品のもつ味わいは、
    誰も真似ができません。
写真評論家は、写真表現は進歩しているかのように書きます。
    たとえば、カルティエ=ブレッソンのような一枚写真による写真表現は、
    すでに時代遅れとして乗り越えられた、と。
でも、写真表現を一本の道にまとめあわせる権利が誰にあるでしょう?
    社会的な表現性だけが写真の価値なのでしょうか?
    社会的なアピールに役立つ表現力だけが価値なのでしょうか?
もっとひどいのは、アマチュア写真家たち。
    自分たちの方がはるかに再現性のよいカメラを使っているので、
    自分たちの方がずっと優れた写真を撮っていると誤解して、
    カルティエ=ブレッソンはもう古いとあっさり否定している方がかなりいるようです。
中には、デジタルカメラの連写機能を利用して、映画のように連写し、
その中から選んで、スナップの作品とする手法もあるようです。
    でも、狙い澄ましてのスナップと、連続写真の切り取りとは本質的に違います。
    それが分かって、その手法を使うのならよいのですが、
    そうして撮った写真をもって、カルティエ=ブレッソンを古いと否定するのは、
    モーツァルトを古いと否定するのと同じです。
勝手に否定したらよろしい。
でも、カルティエ=ブレッソンを愛する人は、いつまでも愛し続けるでしょう。
    過去の写真の巨人たちはみな同様の位置にあります。
写真はオリンピックではありません。
    超えられるものではなく、豊かに膨らんでゆくものです。
そうではないでしょうか?


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by Hologon158 | 2010-06-28 22:35 | ホロゴントラベル | Comments(0)

162.42 ホロゴントラベル2「2005年9月青森は弘前の町の風情にしびれたね」42 なめらかに滑るように

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大阪での付虹先生のレッスンをすませた後、
昼食後は奈良西大寺に移動して、陳少林先生の伴奏レッスンです。
大和西大寺駅に着くと、いつも20分ばかり時間があります。
    ベンチでポメラを使って、一文書きます。
目の前を美しい足を惜しみなく露出した女性が通り過ぎました。
    惜しい!
        靴が合っていない!
            歩き方がおかしい!
                   だいなし!
高すぎるハイヒールで、足を曲げ、
泥沼をおっかなびっくり抜き足差し足している感じなのです。

観察に徹しているので、自分のことはきっぱり切り捨てて書いていますので、
    おまえはどうなんだ? なんていうクレームはやめてくださいね。
要するに、自分の体、スタイルにあった靴を履いている女性があまりにも少ないですね。
ハイヒールが足の長さを補完する役割を果たしていることは認めます。
だとすれば、次の2つの条件を満たしてほしいですね。

    1 ハイヒールで美しく歩ける自信のある方は、足を露出する服装で結構です。
    2 ハイヒールで美しく歩ける自信のない方は、
      スラックスの裾をハイヒールを隠す程度に延ばしてください。

でも、結局、2の場合でも、ハイヒールを履いているなとばれてしまうような歩き方であれば、
    結局、同じことです。
    見る人は、「あっ、ハイヒールだな」と考えて、その分、足の長さを割り引きします。
    つまり、足のほんとの長さがばれてしまう。
結局、条件はたった1つに収束することになりそうです。
    ハイヒールで美しく歩ける人だけがハイヒールを履きましょう。
合わないハイヒールは逆効果なのです。
ハイヒールでなくても、足を美しく見せる方法があります。
    自分のスタイルにあった靴で、自然な歩き方をすること。
    股関節から下がすらりとのびて、なめらかに滑るように歩けば、
    どんな体型の方でも美しく見えるものです。
    何ごとも練習です。

また、自分のことはさておいて言わせていただきますが、
    容貌は変えようがない。
    でも、歩き方と姿勢は改善が可能です。
    容貌に自信のない方、
    せめて、バックシャンを狙いましょうね。
でも、もう一つ言わせていただきますと、
美しい方も、それなりの方も、ほんとに美しくありたいのであれば、
その基本原理はたった一つ。
    
    笑顔!
by Hologon158 | 2010-06-28 17:50 | ホロゴントラベル | Comments(0)

162.40 ホロゴントラベル2「2005年9月青森は弘前の町の風情にしびれたね」40 天才伝説の公式

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イーバ・キャシディが1996年にたった33歳で夭折したことは書きました。
次のサイトで、彼女の生涯、没後開かれた伝説への道を概観できます。
    (http://www1.ocn.ne.jp/~enja99/music84.htm)

一つの公式があります。

    天才×夭折=伝説

この公式への道を拓いた人は、もちろん、イエス・キリスト。
    (クリスチャンの方、ごめんなさいね。
     キリスト教の見地からは、生け贄の子羊として降臨されたのですから、
     夭折は定められた使命だったのでしょう。)

ラファエロ、モーツァルト、シューベルト、ショパン、
    アートの世界には、このような夭折した天才の伝説がどっさりあります。
    失われた可能性の大きさを感じさせるからです。
    ですから、天才伝説の基調はつねに愛惜と哀切に満ちた短調。
夭折しなかった天才たちには、このような伝説への道は険しいようです。
    もちろん、シャリアピン、カルーソ、マリア・カラス、チャップリンのように、
    その生涯がそのまま伝説を化した人もいますが、これは例外。
下手をすると、ヴァン・クライバーンのように、泣かず飛ばずに終わってしまいます。
    彼が23歳で第1回チャイコフスキーコンクールで優勝をした後、夭折したとすれば、
    33歳で夭折したディヌ・リパッティのような伝説的天才の名をほしいままにしたかも?
もちろんこれは大変に意地悪い見方なのでしょう。
    人間がいつ死ぬか、誰も決めることができないのですから、
    夭折は運命としか言いようがありません。
    夭折した人がなにかの天才であれば、愛惜されるのは当然です。
近頃では、解散によって夭折の運命をたどったビートルズ、
プレスリー、そしてマイケル・ジャクソン、
彼らのことは幾世代も幾世代も語り継がれることでしょう。

イーバ・キャシディの音楽に、何曲も何曲も耳を傾けました。
    この人も、無名ではあっても、偉大な天才だったことは否定できないようですね。
    そんな天才をもう一人知ってしまった!
今、さまざまな音源が発掘されて、CDが少しずつ出されているようです。
You Tubeにはその一部がアップされていて、
どのCDを手に入れても、必ず満足できることを保証してくれます。

    この人もまた心の友として、人生の道連れになってもらえる!
    嬉しいことです。
by Hologon158 | 2010-06-28 00:01 | ホロゴントラベル | Comments(0)

162.39 ホロゴントラベル2「2005年9月青森は弘前の町の風情にしびれたね」39 この人を知った!

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前回と前々回、パティ・ペイジは比類がないと書きました。
でも、パティ・ペイジのファイルをYou Tubeからダウンロードしているうちに、
一人、見つけてしまいました。

    イーバ・キャシディEva Cassidy

1963年に米国に生まれ、1996年にたった33歳で皮膚癌で世を去った人。
こんなコメントがありました。
    Eva has such a beautiful voice you just stop when you hear her,
    especially if you have never heard her before.
    Its the pureness of sound and clarity
    with perfect phraseing that produces something special.
ただ者ではないという思いが伝わってきます。
この人も、私と同じ、初めて聴いてびっくりしたのです。
ともかく聴いていただきましょう。
    丁度よいことにパティ・ペイジと対照できる歌があります。
    この歌で、この人を知ったのです。

        Tennessee Waltz
            (http://www.youtube.com/watch?v=v1TD-7k52y4)

パティ・ペイジの魅力が、その歌にふさわしい人柄と、
信じがたいほどの豊かなニュアンスと絶妙の節回しにあるとすれば、
イーバ・キャシディの魅力は、浄化された魂の歌と言いたくなるような、
あたたかな透明感にあると言えそうです。
    一曲聴いただけで、とりこになってしまいました。

近頃、韓国の歌手ばかりに心を奪われてきましたので、
よい意味でワールドワイドのバランスがとれそうです。
でも、パティ・ペイジやイーバ・キャシディを聴いた後で、
イ・ソンヒやソ・ヒヤンを聴くと、まったく遜色がない!
    心にドンと飛び込んでくる直接性と、
    力感溢れるダイナミックな歌唱は独自の魅力に溢れている。
みんな、それぞれに比類のない歌手たちなのです。
    まさに、Another mountain, Another top!
私の心の宝庫がもっともっと豊かになってゆきます。
You Tubeで発見して、CDを見つける、このパターンで、
私のiPodはますます豊かになっていきそうです。
    目下、ミュージックが8000曲、ムービーが400曲。
    これじゃ、1年見続けても見切れない。
    でも、見たい曲がすぐ聴けるのです。

オールドタイムズの人間だなんて言って、現代の利器はちゃんと使っている。
私も、好い加減な人間ですね。

    [後書き]
        田舎館って、こんな田んぼの町。
        そして、はるか彼方に故郷の山、岩木山。
        人間が住む土地ではありませんか!
 
by Hologon158 | 2010-06-27 21:00 | ホロゴントラベル | Comments(0)