わが友ホロゴン・わが夢タンバール

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170.20 ホロゴンデイ53「2010年5月11日大阪玉造から鶴橋へ下町お遍路」20 OK牧場の決闘!


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やっぱりでしたね。
    昨日9時投稿の№17でこう書きました、
    
    全面対決回避のために両候補が今夜会談をするそうですね。
    でも、ここで、菅首相が全面的に小沢の実権を承認する方向で折れないかぎり、
    和合の余地はまったくないのではないでしょうか?
    菅首相が戦わずして自分の首を絞めるとはとても思えないのですが?

このとおりになってしまいました。
    小沢の要求は、名目は菅政権でも、実権は小沢派に委譲せよということだった筈。
    菅首相がこれを呑めば、彼をもり立ててきた盟友たちは全員闇討ちになってしまう。
    すると、菅首相は、外堀を埋められた大阪城の秀頼状態に落とされてしまうでしょう。
しかも、小沢の標的第一号は他ならぬ菅首相自身なのです。
    第1の理由は、「静かにしておれ」と宣言して、小沢派を政権から蹴りだしたこと、
    そして、第2の理由は、消費税増税の旗印を掲げることによって、
    民主党のマニフェストに巨大な綻びを作り出したことにあります。
でも、仮に菅首相が小沢の要求に唯々諾々と同意の構えを見せても、
    小沢は会談を決裂状態に持ち込んだことでしょう。
    №17に書いた小沢の目標実現に、この筋書きは決定的に合わないからです。
小沢お得意の「背後からばっさり」作戦が大幅に遅延してしまうのですから。
    なにがなんでも、自分が首相にならなければなりません。
    そして、首相の座にありながら、民主党を解体して、
    反対派をごっそり駆逐して、
    自民からの分派を含めて、公明党その他の諸政党を糾合して、
    新しい与党連立政権に居直らなければならないのです。
    (ついでに言いますと、小沢の首すげ替え作戦に反抗して、自分に
    無理心中を強いた鳩山のことだって、心中、憎しと思っているはず。
    今は利用するだけ利用して、その内必要がなくなれば、ざっさり切るはず)

菅首相とその盟友たちも、代表選に敗れたときの自分たちの運命が分かっています。
    これから熾烈な抗争が始まろうとしています。
    その様相は、高邁な政党政治での政争とは異質で、血のにおいを感じます。

    O(小沢)・クラントン率いる、
    法(民法や政治資金規正法)を無視するカウボーイたちと、
    市民(国民)の声援を受ける、
    K(菅)・アープ率いる保安官たちとの間の、まさに、

        OK牧場の決闘!
by Hologon158 | 2010-08-31 21:27 | ホロゴンデイ | Comments(0)

170.19 ホロゴンデイ53「2010年5月11日大阪玉造から鶴橋へ下町お遍路」19 めったやたら撮法?


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太陽のなんと心おきなく照りつけること!
    疲れないんでしょうかねえ?
    もちろん、太陽は疲れない。
    お天気の仕組みは知りませんが、
    毎日このじりじりと照り焼き状態に置かれているのは、地球上の問題ですね。
    毎年、まったく予測を越えた天候変化が起こって、私たちを困らせていますが、
    今年の北半球の酷暑は万人に等しく降りかかる災難だけに、
    天災と言いたくなるほどですね。
私は8月生まれなので、かなり暑さに強い方です。
    Yoshiさんをはじめとして、ブロガーの皆さんは私と似ています。
    皆さん、夏だからと言って、撮影はお休みということにはならない。
    ありがたいことです。
どのブログに言っても、次の表示にぶつかりたくはないですね、
    「夏休み中につき、涼しくなるまで当分お休みさせていただきます」

一方、たいていの風景写真家のみなさんは「夏眠状態」に入っておられるようです。
    私の仲間もほぼ完全なる休眠状態。
    よく撮らないで我慢ができるものだと思うのですが、
    どうもこちらの方が異常らしいということは、うすうす気づいています。

私は、子供の頃から、夏休みは遊ぶための書き入れ時!
    現職中も、3週間の夏季休暇のほとんどを撮影旅行に当てていました。
    同僚たちは、たまりにたまった仕事をこの間に仕上げます。
    私は、仕事をためませんので、遊びます。
    おかげで、評判が悪かったようです。
ただし、この十年間が長期旅行はなし。
    小さな子供たち(猫たち)ができてしまったからです。
    やむなく近場の諸都市の見回り組となっていますが、これが実に面白い。
    海外に出かけなくても、近場に一杯おもしろいものが見つかります。
関西以外の皆さんにはまことに心苦しいことですが、
    関西は、写真好きにとっては、宝庫なのです。
    大阪、京都、神戸、奈良、大津、和歌山と、
    県庁所在地はすべて独特のキャラクターがあり、
    言葉も社会生も文化も歴史もまったく違います。
    その周辺にある小都市も同様です。
    つまり、何十とロボグラフィの景勝地がひしめいているのです。
要するに、行けば何かが撮れる。
    入れ食いというのは、こんな状態なのですね。
    だから、どこかの町に着いたら、ホロゴンをバッグから取り出し、
    (ウルトラワイドを皮ケースから取り出す素早さでは世界中誰にも負けませんね。
    要するに、目にも留まらぬ早業、そう自分では思っています)
    それから後は、ホロゴンをあらぬ方に向けては、ろくに見もせず速写、
    ほれ、お次!
    という「めったやたら撮法」
こんなに暑くても、速度は鈍りません。
    こんな風にできるのも、華奢な体格に似合わず、体力があるせいですが、
    本質的な活力源は気力です。
        
        全員に災難なことは、ちっとも災難じゃない!
        みんな暑いんだから、平気だ!
        死ぬまでは暴れ続けるぞ!
by Hologon158 | 2010-08-31 17:49 | ホロゴンデイ | Comments(0)

170.18 ホロゴンデイ53「2010年5月11日大阪玉造から鶴橋へ下町お遍路」18 結果に責任がないから


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ホーヴァット「写真の真実」を読んでいますと、
    写真史に残るような偉大な写真家たちも、
    まるで、私たち素人と同じように悩み、惑うんだなあと分かって、嬉しくなります。
ホーヴァットとジャンルー・シーフの次の対話など、いかがですか?

    ホ「で、撮影の瞬間には、これがよい写真だということが分かる?」
    シ「めったにわからないな。
      よい写真が音のように通り過ぎるとき、それを感じることがある。
      でも、めったにない。
      たびたび、僕がよいと信じていた写真が現像すると、つまらなかったりする。
      逆に、思いがけない写真が自分の言いたかったことすべてを言い表すこともある。
    ホ「まるで、撮影の瞬間にはある程度の盲目差が不可欠みたいだね」
    シ「でも、だからと言って、我々には結果に責任がある。
      千分の一秒で起きることだから、我々には意識する時間がないんだよ」

私なら、こうなりますね。
    ホ「で、撮影の瞬間には、これがよい写真だということが分かる?」
    私「まず、よい写真というのは、ぼくにとっては、好きな写真ということなんだ。
      それでよかったら、答えさせてもらうよ。
      ぼくの場合、ホロゴンウルトラワイドを使うようになってからは、
      よい写真が撮れたなんて感触は一度もないよ。
      どう撮れるか、まるで予測できないんだから。
      よいものに出会ったという感覚はいつもある。
      第1、それがないと撮らないんだから。
      スキャンしてはじめて、どんな写真が撮れたかがわかる。
      たいていは、ぼくがよいものに出会ったという確信の強いものが写真もよい。
      でも、よいものに出会ったという感触がさほど強くないものだって撮る。
      そんななんでもないものの中に、とんでもないものが混じっていることがある。
      これがホロゴンの贈り物。
      そんなときが一番嬉しいね」
    ホ「まるで、撮影の瞬間にはある程度の盲目差が不可欠みたいだね」
    私「ある程度どころか、写真に関するかぎりは、完全盲目でありたいね。
      まったく意想外の場所で撮ったものに猛烈によいものが見つかる、
      その喜びがもっと大きくなるからね。
      それに、結局、ぼくには結果に責任がないからね。」


     [後書き]
       実は、今回の写真、本文の「ホロゴンの贈り物」なのです。
       それほど大したバイクに見えませんでした。
       色も、私があまり好きでない緑だし、古びているし。
       でも、なぜか画面一杯、どんぴしゃりの位置にバンとのさばってくれました。
       私は、ホロゴン写真のうち、こんな存在感の効いた写真が割と好きなのです。
       ちなみに、ホロゴンでノーファインダーの場合、
       撮影範囲をあらかじめ予測するのは、私には無理、はなから試しません。
       でも、心配はしていません。
       ホロゴンは、いつもどんぴしゃりの位置に納めてくれます。
       おかげで、全写真、ノートリで通せます。
       私にとっては奇跡のカメラなのです。
by Hologon158 | 2010-08-31 00:25 | ホロゴンデイ | Comments(0)

170.17 ホロゴンデイ53「2010年5月11日大阪玉造から鶴橋へ下町お遍路」17 一石三鳥だあ!


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マスコミ各社が大まじめに、
民主党代表選の候補者二人についてアンケートをしていますね。
    一社では、78%が菅首相、17%が小沢でした。
    その理由がふるっています。
    小沢については、首相にふさわしくないという理由が圧倒的。
    菅については、相手候補がふさわしくないという理由が圧倒的。

でも、小沢には、もう一つのことしか頭にないように思われます。
    首相になって、起訴の危険を絶対的に回避すること。
でも、それじゃ、首相として政治をするつもりはあるのか?
    ありません。
    起訴の危険が去れば、次に述べる理由で、あとはどうなってもよいのです。

小沢という人は、徹底的に政党政治家です。
    彼はほとんど国政の具体的な仕事に携わったことがない人なのです。
彼の得意分野は、政党の離合集散のための豪腕。

    解党して、
        結党して、
            政権をとって、
                    政権を倒して、
                解党して、
            結党して...

この輪舞の名人なのです。
日本の近代史において、こんな人って他にはいないのではないでしょうか?
    でも、そこには一つの目標、高邁な理想を目指す志はまったく見あたりません。
    悲しいことに、いきあたりばったりの策謀家にすぎないのです。

そして、もう一つの顔があります。
    売られた喧嘩は絶対に買う。
    やられた怨みは絶対に復讐する。
菅首相が政権をとると、まず第一声が、
    「小沢さんは当分静かにしていて欲しい」
    小沢にしてみれば、「邪魔だ、どけ!」そう言われたのです。
    喧嘩を売られたようなものです。
    このときの怨みは骨髄に達しているに違いありません。
菅首相の側では、小沢の幹事長時代の政治資金配分につき調査を始めたそうです。
    もちろん小沢は、自分とその子分に不当に巨額の分配をしたことは明らか。
    ここでもお尻に火が付きそうなのです。

彼には、こんな状況の下で、
    菅首相やその僚友たちと一つの政党で仲良く国政に携わる、
    そんな気持ちは一切ないはずです。
そのうえ、政界を再編しなければ、民主党は早晩袋小路に追い込まれてしまうのです。
    彼の得意技を日本と日本の国民が待っている!

よし、一石三鳥だあ!
    
    1 まず、首相にあって、起訴をぶっとばす
    2 政界を再編して、自分と鳩山の議員200名に上積みして、新政権を立てる。
    3 菅、仙谷ら反逆者たち(小沢から見れば、反逆者です)を蹴り出す。

全面対決回避のために両候補が今夜会談をするそうですね。
    でも、ここで、菅首相が全面的に小沢の実権を承認する方向で折れないかぎり、
    和合の余地はまったくないのではないでしょうか?
    菅首相が戦わずして自分の首を絞めるとはとても思えないのですが?

私は民主党支持者ではありませんが、さりとて他党もとても支持できない。
    曲がりなりにも政権担当の器を持つ唯一の政党が空中分解すれば、
    日本列島沈没になりかねません。

    和合のための名案が見つかればよいのですが.............
by Hologon158 | 2010-08-30 21:04 | ホロゴンデイ | Comments(0)

170.16 ホロゴンデイ53「2010年5月11日大阪玉造から鶴橋へ下町お遍路」16 安心立命の境地


偉大なピアニスト、アルトゥール・ルービンシュタインの娘エヴァは、
    34歳からフリーランスの写真家として活躍している人だそうです。
    彼女も、写真は写真家自身の表現するという考え方です。

    一枚の写真に見えるすべてのものが私たちのことを語っています。
    私たちを惹きつけた被写体、選んだアングル、フレーミング、
    レンズ、対象間の関係など、あらゆる表現が自画像、または自画像の断片です。
    生徒から「どのように自分を表現したらよいのか、
    やり方を教えて下さい」と尋ねられたら、こう答えています
        「どうしたらあなたが自分を表現しないことができるか、
         それともあなた以外のものを表現できるか、おしえてちょうだい」
                            (「写真の真実」から)

私の写真だって、私を惹きつけた被写体として、
    たしかに私の一面を示しています。
    でも、これはエヴァの言う「自画像の断片」、それもほんのひとかけら。
    私もその意味では、どんな人の写真でも自画像だと認めます。
    でも、そのひとかけらから、どんな人間なのかを見抜くのは無理。
    髪の毛一本の写真を見せられて、その人の容貌肢体を想像できますか?
エヴァが言った、その他のファクターは、ホロゴンの場合、
    被写体との距離以外は、完全に撮影者自身にも不明です。
    ですから、写真から読み取れる「アングル、フレーミング、
    レンズ、対象間の関係」は、撮影者自身を表現するものではありません。

これでよいのです。
    私の写真一枚一枚が、私の自画像だってごらんなさい。
    こんなに沢山の写真をブログにアップすれば、
    私という人間の隅から隅まで読み取られてしまいます。
幸い、私のロボグラフィは、私が好きな物だという以上に私を物語らない。
私の文章は、写真、音楽、アートを中心の限定された話題だけで、
私の人生すべてを物語るような文章ではありません。
    おかげで、私はいわば安心立命の境地でブログを楽しむことができるわけです。


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by Hologon158 | 2010-08-30 17:51 | ホロゴンデイ | Comments(0)

170.15 ホロゴンデイ53「2010年5月11日大阪玉造から鶴橋へ下町お遍路」15 写真家になれる!


前回、「人間が違うから、写真がこんなに違う」と書きました。

念のためつけ加えておきます。
    これは写真家のレベルでのこと。
    私やあなた(失礼)のような素人の場合、
    ご自分の性格上の欠陥が写真を通して現れるなんてことはありません。
    ご心配なく。
写真は、あくまでもカメラ、レンズが撮ってくれます。
    撮ったものはあくまでも写真です。
    暴露されるのは、写真が下手だなあ、ということだけ。

ついでに言いますと、前回、大御所土門拳さんについて、
「すべての存在をただの被写体、オブジェに化してしまう」と書きましたが、
    これは、彼自身が意図したことで、そうした究極の物体化の向こうから、
    もの、人の本質が見えてくるというのが、どうも彼の本領だったようです。
    私は、そんなやり方って、嫌いだ、ただそれだけのことです。
先行自白しておきます、
    この言葉をもっとはっきり言えるのが、私の写真なのです。
私の意図していることは、土門さんよりはるかに単純でずぼらです。
    路傍で出会ったものや人を撮りたい。
    それも、徹底的に写真作品でないように撮りたい。
    ただのもの、ただの人を撮りたい。
    ほとんどのレンズは、どんな風に撮っても、写真的になります。
    焦点距離が選択につながり、選択は作品化につながります。
    そうはならないレンズは、私にとっては、たった一本。
    ホロゴン15mmF8。
    これなら、目の前全部が撮れて、
    それなのに、ものにずばり接近すれば、それだけを撮れる。
    ノーファインダーなので、構図なんかそっちのけで撮れる。
    出会ったもの全体がそっくり写ってくれる。
    一番よいことは、ノーファインダーなので、疲れません。

ですから、私の写真は完全にホロゴンが作ったものです。
私の人柄が表れているとすれば、これは次の2点においてだけ。
    1 レンズ一本に全部任せてしまうほど、写真に何も期待しない人間である。
    2 こんな変なもの、変な光景が好きな人間である。                                    
というわけで、私のブログに並ぶ写真には立体感、エネルギー感があります。
    でも、これは私の人間性ではなく、ホロゴンというレンズの迫力です。
    つまり、誰でも、このレンズをお使いになったら、こんな写真になります。
私の写真をご覧になって、この人、かなりしつこいんじゃないか?
などとけっしてお考えにならないようにお願いします。

要するに、写真家と素人は違う、ということです。
    もっとも、この命題、実は、写真界では認められていません。
写真界に通用する命題は、こうです、
    誰でも、努力すれば、写真家になれる!
どちらととるかは、あなたのご自由です。


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by Hologon158 | 2010-08-30 15:34 | ホロゴンデイ | Comments(0)

170.14 ホロゴンデイ53「2010年5月11日大阪玉造から鶴橋へ下町お遍路」14 怒濤のよう!


まったくうかつでした。
    NKさんは、骨折後、エキサイトの「NK's PhotoBlog」に、
    以前の傑作群をアップされていたのです。
        (http://k7003.exblog.jp/)

まさに怒濤のような作品群です。
    いつもNKさんの作品を拝見すると、考えるのです。
        才能って、なんだろうか?
    まさか神さまが、天地創造の後、人間を創造されたとき、
    それから幾万年かの後、人類がカメラと写真を発明し、
    アートとしての作品を創造する写真家が出現することを計画して、
    才能をひそかに埋め込まれたわけではないでしょう。

    あるいは、人類の進化のプロセスの中で、写真才能に関する遺伝子結合が生まれ、
    そんな遺伝子を持った人が写真を撮ると、とんでもない作品が生まれる、
    というのも考えにくいですね。

とすると、結局は、人生の中で、どう生きてきたか、
    どう体験を活かすか、ある瞬間にどう感じ、どう反応するか、
    そんな生きる行為として、写真に人生のエネルギーを注ぎ込むことができる人がいる。
    それが写真家なのでしょう。
NKさんの写真のすべてにそんな写真家魂が感じられます。
    どう撮ろうか、などとあれこれ思案していたら、絶対に撮れない写真ばかりです。
    鍵穴に鍵がピタリと挿入され、クルッと廻すと、撮れている。
    驚異なのは、その作品が常に幾何学的にドンピシャリで、非の打ち所がないこと。
カルティエ=ブレッソンとNKさんとはまったく異なる人間性と推察します。
    でも、構図がどうしようもなく完璧である点で、共通しています。
    おかげで、構図と内容とがぴたりとかみ合って、
    節度ある高潔な人士が撮れば、こうなる、という鑑のような作品群なのです。

こんな風に幾度か書いてきたのですが、
    NKさんの創造の秘密のほんのひとかけらも解明できません。
    言えることは、人間が違うから、写真がこんなに違う、ただこれだけ。
でも、そんなNKさんに、私がにやっとしたくなるような一面があります。
こう書いておられるのです、

    土門拳をどうしても「楽しむ」ことのできなかった
    ディレッタントとしてのボクの若い頃がありました。
    森山大道がわからないNKでした。

このあたりだけは、私の気持ちにピタリかなっていて、嬉しくなります。
    おっしゃっている言葉の理由は、私と一致するわけではないとしても、
    私も、凄いことは分かっても、土門拳が楽しめず、森山大道についていけません。
    お二人の心がわからない、私とは趣味が合わないだけなのでしょう。

    でも、土門拳には、すべての存在をただの被写体、オブジェに化してしまう、
    そんな感じがあって、その強引さに権力者の圧政の気配を感じてしまいます。
    小沢さんが写真を撮ったら、こうなるじゃないでしょうか?

    森山大道については、真剣勝負だった若い頃は別として、
    GRを使い始めた頃以降の無差別絨毯爆撃風大量撮影法には、
    異様なニヒリズムを感じさせられてしまうのです。
    すべての写真が「空の空なるかな、空」とつぶやいているようで、
    撮影者が「これはいいなあ」と心から喜びを感じているようには見えません。

NKさんの写真は、このお二人とは完全に対極的。
    大きなものを撮っても、小さなものを撮っても、
    愛と慈しみと喜びがそこからあふれ出てきます。
    「清濁併せ呑む」がよしとされる風潮がありますが、私の嫌いな言葉。
    そんなことを言うヤツに限って「濁濁併せ呑む」人間ばかり。
NKさんには「濁」はありません、ひたすら「清」。
    だけども、深みがないわけではない。
    作品群の印象は、「怒濤」と言っても、清流なのです。
    ですから、心が洗われます。

1日も早く健康を取り戻されて、
新生の喜びに満ちた新作を見せていただくことを期待したいものです。


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        [後書き]
           普通、一枚写真は記事の先頭に置きます。
           でも、NKさんのことを書くので、ラストに廻しました。
           ここにおいでの方の大半はすでにNKさんのことはご存知でしょう。
           でも、ご存知でない方がおありでしたら、ぜひご覧になってください。
           ファンになってしまいますよ。
by Hologon158 | 2010-08-30 12:34 | ホロゴンデイ | Comments(0)

170.13 ホロゴンデイ53「2010年5月11日大阪玉造から鶴橋へ下町お遍路」13 出会いの奇跡


朝食時、フランク・ホーヴァット「写真の真実」をおかずにしています。
    夢中になると、何を食べているのか、分からなくなります。
    そんなときは本を主食にし、パンをおかずにしているわけです。
    どちらにせよ、ピンピンしていますで、健康には悪くないようです。
今朝、前にも幾度も感激した言葉にぶつかって、心が大きくふくらみました、
    ロボグラフィにぴたりとあてはまる言葉、

        (観る人が写真に何かを感じるとき)
    その奇跡を発明するのは多分君なんだ。
    一枚の写真は君が見るものだけでなく、
    君の想像力によってそこにつけ加えられるものからも成り立っている。
    別の人はおそらくこの写真に別のものを見るだろう。
        (中略)
    大切なのは、
    人と人との触れあい、
    僕たちがさっき落ち葉のこと、
    気づかずに踏んづけたもののこと、
    所有者に放棄されてゆっくりと死んで行くこの家のことを話していたという事実。
        (中略)
    僕にとって富とは、まさに他人が捨てた無用なもの、
    別の者にとっては意味をなさないつまらない物だから。

これは、マリオ・ジャコメッリの言葉です。
    ホーヴァットの「奇跡となりうるのは若干の写真だけ」というコメントへの答え。
    ですから、私のロボグラフィとはおよそ別の次元での言葉です。
    でも、私がロボグラフィに感じていることそのままです。
ジャコメッリの写真は世界中の人間に届くなにかを持っています。
    翻訳では「奇蹟」ですが、これはキリスト教の秘蹟のことですから、
    おそらく誤訳なのでしょう。
    でも、ジャコメッリの場合に限って言えば、
    シンとした静寂の中に、永遠に向かって立ちのぼるような、
    「秘蹟」と言いたくなるような、なにかを感じさせられることは事実です。

私の写真は、私一人だけに届きます。
    私が感じ、私が撮り、私が見て、もう一度出会いの奇跡を喜ぶ、
    これで十分。


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by Hologon158 | 2010-08-30 10:33 | ホロゴンデイ | Comments(0)

170.12 ホロゴンデイ53「2010年5月11日大阪玉造から鶴橋へ下町お遍路」12 世界は救われる?


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レールが敷かれた人生を歩んではならないのです。
    県庁や市役所の人間と会うことがあります。   
    はっきり言って、自分の頭で考えることができない人がいます。
    頭に霞がかかって、見通しができないのです。
    なぜか?
    人に行く先を決めてもらう人生、
    人の意向を忖度して、自分の意見を決める人生を歩んでいるからです。
省庁の官僚たちも、その根本的な思考原理が「横並び」であるとすれば、
    歳をとればとるほど、多かれ少なかれ同様の症状を呈しているのではないでしょうか?

女性については、男性ほど心配はしていません。
    若い女性たちとも話をする機会がよくありますが、
    とても切れ味のよい頭脳と決断力を示す人がかなり居ます。
    度胸とか気っぷといった言葉は今では女性の性格表現になってしまいました。
    そんな言葉があてはまる男性はとても少ないですね。

新潟でお会いしたsaoriさんなど、どえらい迫力と電撃的な才知で、
    並み居る新潟のブロガーたちを横一線に並べて、
    ついでにその端っこにいる私も一緒に、
    軽くぶっ飛ばしてしまいました。

ブログ界には、私の知るかぎりでは、もう一人傑物がいます。
    kiricoさん。
    ブログはやめて、ホームページに移行されました。
        (http://filmart.s1.bindsite.jp/index.html)
    私のブログを読む暇があったら、こんなもの放って置いて、
    彼女の「Kiriko-showers」の方をぜひお読みになってください。

    ガッツと切れ味鋭い知能、そして、なんとなんと、志を持って、
    ご自分の夢に向かってくじけずひたむきに前進している姿をご覧になれます。
    素敵ですよ。

幕末の志士たちの現代版がいるとすれば、女性を探すべきなのです。
    現代にこのお二人のような女性がまだまだいるのであれば、
    世界は救われる可能性がある、そんな風に思いたくなります。

    男たち、もっとがんばらなくちゃ!
by Hologon158 | 2010-08-30 00:30 | ホロゴンデイ | Comments(0)

170.11 ホロゴンデイ53「2010年5月11日大阪玉造から鶴橋へ下町お遍路」11 活字文化はどこへ?


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古書店のたたずまい、好きですね。  
    この一つの古書店を取ってみても、
    この店の中にどれだけの智恵と文化が詰まっていることでしょう?
でも、もっと深刻な問いを考えてしまいます。
    この本たち、誰が読むのだろうか?
    あと30年もしたら、古書店は全部死に絶えるのではないだろうか?

20世紀後半から現在にかけても、ニューメディアの驚異的発展は、
人類になにを与えたでしょうか?
    コミュニケーションの発展と情報処理の驚異的な進歩。
    でも、その陰で、現代の強力なメカニズムは、
    人間から貴重な時間を奪ってしまいました。
    テレビ、コンピューター、携帯電話等のメディアは、
    人間から読書する時間を奪い取ってしまいました。
ほとんどの人間は活字本を読むことがなくなってしまいました。
    かろうじて新聞ですが、それさえも読まない世代が急速に増加しています。
    オリンピックだ、ワールドサッカーだと、世界的なイベントが始まると、
    全世界の人間がテレビに釘付けになってしまいます。
    これもまた人間から落ち着いてアートを楽しみ、智恵を学ぶ時間を削っています。
テレビ人間は、自分で自分の頭脳を劣化させる競争をしているのです。
    情報を受動的に受容する人間と、主体的に情報を収集する人間、
    どちらが頭を使っていますか?
    頭を使わないで、どうして賢明さを保ち、成長することができるのですか?
    行列人間がどんどんと増えているのは、人口集中のせいばかりではありません。
    自分の頭、自分の感性で選ぶことができない人間が増えているからです。

私は、読書する人間は、読書しない人間より賢いと主張するつもりはありません。
    主張しませんが、内心、そう思っています。
    少なくとも、私は実感しています、
    読書する人間としない人間との間にはコミュニケーションが成り立ちにくい、
    
    理路整然とした説明、説得、主張ができず、
    また、そんな議論を受け付けない人が多くなっています。
    もっと悪いことに、自分の頭で考えることができない人間が増えています。
思考方法が大幅に新種のいわばフィーリング思考法にシフトしているのかも知れません。
新種の思考方法の方が有効なのかも知れません。
    私としては、どうぞご勝手に、とでも言う他はありません。

でも、あやういなと思わざるを得ません。
    でも、世界が複雑になればなるほど、理性的な思考法はますます重要になってくる、
    フィーリング思考法では、自分自身の能力を超えた事象を理解し、
    問題を理解し、解決法を発想することなど、とてもできない、
私はそう信じています。                                                                             
今の政治家たちが、能力を超えた難問に、平気で単身立ち向かってゆく姿を見ますと、
心配になってきます、
もうすでに日本の中枢の人間たちも、
理性的思考法ができなくなっているのではないでしょうか?
     
by Hologon158 | 2010-08-29 22:11 | ホロゴンデイ | Comments(0)