わが友ホロゴン・わが夢タンバール

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192.05 ホロゴン外傳10 「2010年 いざ鎌倉に携帯が駆けつけて」5 「ざくら」


満開の桜ほど、
    日本と結びついている光景はないかも知れませんね。
私は日本的情緒とはほど遠い人間で、
    そのせいか、桜にしても紅葉にしても、日本的美景に縁遠い生活。

そんな私でも、時々、満開の桜にぶつかることがあります。
    ちょうど暇でしたので、携帯をとりだして、撮ってみました。
    やっぱり苦手は苦手ですね。

    「さくら」というより、
    「ざくら」という風情。


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by Hologon158 | 2010-11-30 21:12 | ホロゴン外傳 | Comments(0)

192.04 ホロゴン外傳10 「2010年 いざ鎌倉に携帯が駆けつけて」4 一生忘れることができない


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思い出しました。
    ある死刑宣告事件で、裁判員の記者会見を開いて、
    裁判員が、一生忘れることができないと、苦悩を述べたそうですね。
そのとき、感じたことがあります。
    こんなこと、許されてよいのでしょうか?
    裁判員は、裁判員として知り得た事実について、
    絶対に他に漏らしてはならない情報秘匿義務があります。
    裁判員が、職務遂行にあたって、どう感じ、どう考えたか?
    これもすべて、秘匿すべき重要な情報なのです。

このような記者会見には、次のような結果が生じます。

    1 裁判員の行動、思考、感情が明らかになる。
    2 1の陳述から、その事件の合議の実態や、
     裁判員の事件に対する意見が推測される。
    3 裁判員に再度の無用な緊張を強いる。
    4 裁判員の職務の難しさ、苦悩を知ることによって、
     国民に、裁判員への忌避感情を醸成する。
    5 別事件の裁判員に無用な緊張を高める方向で影響を与える。

よく報道機関が使う弁解は、「国民にも知る権利がある」
    そのような権利よりも、
    まず裁判員制度を円滑に運用できるよう求めることが国民の権利です。
    国家制度の運用を邪魔する権利は、いかなる国民にもありません。
    裁判員制度が円滑に運用されているかどうかは、
    裁判の傍聴によって情報を手に入れて報道すべきなのです。
たとえば、裁判官が重要な事件について判決を下したとき、
記者会見をした例がありますか?
    ありません。
    そんなことは許されない!
    判決が裁判官の開陳すべき意見のすべてなのです。
裁判員は、裁判官の職務の一部を、裁判官と一緒に分担する仕事なのです。
    どうしたか、どう考えたか、どう感じるか?
    そんなことを裁判員に質問すべきではないのです。

早急に、この点を制度の中に盛り込んで、
    これからの裁判員に無用な負担をかけないように配慮すべきなのです。
こんな当たり前のことを、誰も言わないのでしょうか?
    マスコミは、うまく機能しますと、国民に有益な情報を与えてくれます。
    でも、たいていの場合、マスコミが取り上げたことだけがことさら注目され、
    いわばつるし上げ状態になりかねません。
    そして、積極消極さまざまな形で、国民の判断に直接的に影響を与え、
    世論の流れを恣意的に作り出しかねません。

日本の社会は、フェスティバル症候群(私の造語)にかかってしまっているのです。

        祭りだ、ワッショイ!
        それ、あいつに御輿をぶっつけろお!
by Hologon158 | 2010-11-30 17:49 | ホロゴン外傳 | Comments(0)

192.03 ホロゴン外傳10 「2010年 いざ鎌倉に携帯が駆けつけて」3 携帯もノーファインダー


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携帯カメラをみなさんはどんな風にお使いになるのでしょう?

私の場合は、
    歩いていて、おもしろいものがあると、
    時たま、撮っておこうかという気持ちになります。
    そこで、携帯を取り出して、構えます。
ところが、画面がまったく見えないのです。
    私のだけでしょうか?
    カメラだけではなく、日中戸外で、電話しようとしても、
    あまりよく見えません。
とても不便ですが、
    カメラに限って言いますと、私にとっては、これは好都合。
    ようするに、ノーファインダーで撮れるからです。
    一旦ノーファインダーに慣れると、
    ファインダーをのぞいたり、液晶画面を見るのが面倒になります。
後で、室内に入ってようやくチェックできます。
    ですから、撮り直しがきかない。
    大したことではありませんが、ちょっと緊張感を持たせてくれます。
    でも、撮れていなければ、あきらめます。
    別に、なににするという当てもないので。
by Hologon158 | 2010-11-30 17:31 | ホロゴン外傳 | Comments(0)

192.02 ホロゴン外傳10 「2010年 いざ鎌倉に携帯が駆けつけて」2 世も末じゃ!


今回の携帯シリーズをやってみる気持ちになったのは、
    この写真たちから。
    色はかなり浅くで薄っぺらい。
    でも、ほんの1、2㎜の大きさのレンズでこれ位撮れてしまう。

    世も末ですね。

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by Hologon158 | 2010-11-30 09:26 | ホロゴン外傳 | Comments(0)

192.01 ホロゴン外傳10 「2010年 いざ鎌倉に携帯が駆けつけて」1 バス停事情


「あっと驚くニューレンズ!」なんて、
    大げさに書きましたが、なんのことはない、携帯レンズ。
何㎜か、知りません。
    ズーム機能もあるようですが、使いません。
    デフォールトの広角側一本。

カメラを持たないときに、ふっと撮っておきたい光景にぶつかります。
    そんなときに、伝家の宝刀として使います。

きっかけは、今日、陳小林先生の教室に行く途中にぶつかった光景。
    私にとっては、ぐっと来る光景でした。
    たまらず携帯を撮りだして、シャッターを切りました。
    撮れた写真を見てみますと、なかなかよく撮れています。
そこで、思い立って、
    今年1年分をミニSDカードからマックに移しました。
    マック上で改めてチェックしてみますと、
    やっぱりロボグラフィです。

デジタルカメラと言っても、オモチャのようなレンズ。
    一体、ブログに掲載したら、どんな風に見えるだろうか?
    折良くシリーズの切れ目にぶつかり、
    しばらくホロゴン外傳として遊んでみることにしました。

    まずは、バス停風景から。


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by Hologon158 | 2010-11-30 01:42 | ホロゴン外傳 | Comments(0)

191.00 ホロゴン画帖54「十濡帖 葛城の古道に降る雨、昔を偲ぶ風情あり」


同じ場所を、別の焦点距離のレンズで撮れば、がらりと変わりますね。
    でも、写真作品として見れば、一つの情景には一つのレンズだけがふさわしい。
    もちろん撮る人が違えば、違う焦点距離のレンズで傑作が撮れるかも知れない。
    でも、一人の人が撮る限りにおいては、その瞬間には、
    たった一本のレンズだけが、最大の効果を発するようです。

だとすれば、ホロゴン15mmF8一本に固執する私は間違っている、
    そんな風にご覧になる方も多いでしょう?
        レンズにではなく、撮るべきものに固執すべきだ!
        レンズは目的ではなく、道具なのだ!
    私がこれに何と答えるか?
        私のブログにしばらくお付き合いされ、
        私の文章をお読みいただいた方には、答えは一つしかありませんね。

        わたしゃ、写真家じゃございません。
        ホロゴンが好きで、ホロゴンと一緒に歩くのが好きで、
        ついでに写真を撮っているだけ。
        写真は素人で結構。

私1人が楽しめたら、それでよい。
    だから、沢山の焦点距離を駆使するつもりはありません。
    昔、スリランカに行ったときだけ、ズームレンズを使いました。
    散々でした。
    腰が据わらない。
        二度と使うものか!

ですから、ホロゴンをメインに、そして時々サブに別レンズ。
    絶対はホロゴン1本、
    遊びはサブ同伴というスタンス。

雨の葛城古道で画帖を作ってみました。
    この日は、ホロゴン15mmF8MとミノルタTC-1の2本体制。
    この2本で、葛城古道を表現しようというのではありませんよ。
    お分かりになっていますね。

    私の好きな写真羅列集、ただそれだけ。


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by Hologon158 | 2010-11-30 01:14 | ホロゴン画帖 | Comments(0)

190.35 ホロゴンデイ57「2010年10月9日葛城古道はやまぬ雨に暗く沈み」35-完-わっ、これはいい!

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雨の葛城古道シリーズの掉尾を飾るのは、やはり、曼珠沙華。
    すでに枯れかけていますが、
    背後霊のように寄り添う草(なんでしょう?)に支えられて、
    きりっとした表情を失っていません。

実は、この日同行したDAさんも同じ場所を撮っていました。
    その作品を20日の写真展準備会の席上、見せてもらいました。
彼の不動のツールはライカM3に付けたエルマリート28mmF2.8(第二世代)。
    彼が使うと、なんとも言えず、生気に満ちて、しっとりとあでやかな写り。
    このレンズを自分の手の内に収めてしまったDAさんは、
    撮影に出るたびに、見事な作品を幾枚も創ります。

私のこの曼珠沙華の作品も、実は同じ焦点距離で撮りました。
    ミノルタTC-1のロッコール28mmF3.5。
    これも名器について極めつけの銘玉です。
    でも、名手が使うエルマリート28mmF2.8には劣ります。
    使い手だけの差だと、私は確信していますが。
DAさんの作品は、いつもながらですが、古典的な黄金分割の比例配分。

    所変われば品変わる、という譬えどおり、
    ほとんど一種類の撮影法で、様々な場所で様々な名作を創りつつあります。
    ここでも、曼珠沙華から背景の金剛山系までしっとりと広がり、
    見る人があっと仰天するほどの華麗で、しかも哀切な気分。
    撮影者の気持ちが写し込まれています。

私は、「わっ、これはいい!」という気持ちだけが写し込まれている感じ。
    感じ方の差が出るのですから、怖いですね。


        [後書き]
           雨はやまず、DAさんのシューズにはしみ込んできました。
           私のシューズは5年以上これだけ使うという使い古しですが、
           皮なので、しっかり雨を防いでくれます。
           それでも、2人とも、絶好の撮影日よりだったと上機嫌でした。
           DAさんはエルマリートの活躍に、
           私はホロゴンの活躍に手応えを感じていたわけです。
           やはりホロゴンはホロゴンでした。
           雨天決行レンズというわけです。

           この後、明日からは、ホロゴン画帖を挟んで、
           新シリーズを始めます。
           これが、私としては本邦初公開、
           なんと、あっと驚くニューレンズ!
           乞う、ご期待!
by Hologon158 | 2010-11-29 22:15 | ホロゴンデイ | Comments(0)

190.34 ホロゴンデイ57「2010年10月9日葛城古道はやまぬ雨に暗く沈み」34 移動時間をゼロに!


陳少林先生のレッスンは通常、月2回。
    今日は、年に2回ある、3回の月の最終レッスン日でした。

二胡の小演奏会ではたいてい「賽馬」(競馬)で締めくくります。
    ラストパートに入る直前に、通例、小休止を置いて、
    二胡による馬のいななきを3回入れます。
    二胡の弓は馬の毛でできているせいだとは思えませんが、
    いななきにとてもよく似た音が出て、はじめて聴いた聴衆はわっと来ます。
    こうして、終わりよければすべてよし、の大団円を迎えることができます。

この曲の途中で、オクターブを交互に弾く4連音が、
    ぽんぽんと数度から1オクターブ程度飛びながら続きます。
    プレストに近い速度なのに、8分音符の連音。
    たとえば、1オクターブほど飛びますと、
    移動距離があるために、どうしても遅れます。
先生曰く、
    「遅れてはいけません。
     移動時間をゼロにしてください」
私、困惑して、
    「そんな無茶な!
     そんなこと、不可能です」
陳少林先生、
    「できます!
     しなければいけません!
     こうして下さい。
     弾くときは、腕はリラックスして、やわらかく。
     でも、移動する瞬間だけは、筋肉を使って、さっと移動して、
     また、次の弦の上で、リラックスして、やわらかく。」

二胡のポジション移動も同様の技で時間差零にするそうです。
    付虹先生が揚琴で、細かいトレモロを数度ずつ飛びながら弾くとき、
    なんとも自然に弦から弦に移るのですが、
    なぜかまったくタイムラグがありません。
    まるでテレポーテーションのように、気がついたら、上の弦に。
しかしですよ、
    専門教育を含んで、20年間やってきたプロの演奏家ができることを、
    丁度3年たったばかりの私にやれと言われてもねえ?
    そう言いたくなりますが、これも挑戦です。

        やれとおっしゃるのなら、
        やりましょ!


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        [後書き]
            2枚目、これもホロゴンです。
            バイクとの距離は1メートルばかり。
            どうして撮ったと思います?
            実に簡単です。
            道端のちょっと中央よりを私はバイクに正対して歩きました。
            バイクが私の横をすり抜けた途端、
            くるっと振り向いて、可及的速やかに、シャッター!
            超広角15㎜でも、走るバイクが撮れるわけです。
            実に簡単。
by Hologon158 | 2010-11-29 20:58 | ホロゴンデイ | Comments(0)

190.33 ホロゴンデイ57「2010年10月9日葛城古道はやまぬ雨に暗く沈み」33 写真の読み方


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前回、人のブログの複数写真は1セットの総合作品と考える、
    そう書きました。
それなのに、自分自身のブログでは、
    そうした総合作品的なコンセプトはいっさい持ち込んでいません。
    1記事に複数写真を並べるときも、ぜんぶ単写真。
なぜか?
    私が写真家ではないから。
複数の写真を並べるとき、
    いつも、見やすいようにという基準だけで考えます。
    倉庫の棚にものを収納するときと同じですね。
    基本コンセプトは取り出しやすいようにであって、
    美しい展示を構成するなんてことは考えない。
    ですから、とても気楽に、すいすいとできます。
「ホロゴン画帖」なるコーナーも実はまったく同様です。
    その基準はこうです。
        1 撮影順
        2 縦横をなるべく交互に
        3 同色系統は並べない
        4 最初と最後に好きな写真を置く
    つまり、結局は羅列。

その裏には、実のところ、自分自身の写真読解力の限界があります。
    組写真も3から5枚だったら、
    なんとか作者の意図、効果を読みとることができそうです。
でも、7枚、10枚、さらには写真展全部となると、
    それが一つの作品となっていると言われても、
    その作品の意味を読みとるだけの能力は、私にはありません。

ガモフが書いていた笑い話があります。

    ハンガリーの貴族が二人飲んでいて、競争することにしました。
    もちろん賭けごとです。
    A「相手よりも大きい数を言えた方を勝ちにしよう」
    B「よっしゃ、やろう」
    A「1!」
    B「2!」
    A、かなり考えて、「3!」
    B、ぐっと考え込み、しばらくして、
        「参った!」

    昔のハンガリー貴族たち、初歩の算数さえも習っていなかったと、
    いかにも人を食ったお話。

でも、写真を読むって、私たちがほとんど誰も習ったことのない、
    新しい頭の使い方なのです。
    写真を撮るからと言って、写真をただしく理解し、感じ取れるとは限りません。
    自分の写真なら、自分で撮ったのですから、ある程度は理解できます。
    でも、他人の写真となると、お手上げという人がいっぱい居ます。
    私だって、その一人。
理解しなくてもよいような駄作を読めないからと言って、
    なんの痛痒も感じませんが、
    すぐれた写真作品は誤解なく読み解きたいものです。
    ただ感じたらいい、感じなければ、名作も自分には無縁!
    そんな考え方も成り立ちますが、
    ただしい理解、感受の仕方を知っていれば、
    一見なんでもない作品の向こうに広がる広大な感性、美、知の世界を
    かいま見ることができるかもしれないのです。
やはり、写真の読み方を謙虚に学ぶべきでしょうね。

    平木収さんのこの本もまじめに読ませていただくことにしましょう。
by Hologon158 | 2010-11-29 17:33 | ホロゴンデイ | Comments(0)

190.32 ホロゴンデイ57「2010年10月9日葛城古道はやまぬ雨に暗く沈み」32 平木収の「写真の心」


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写真評論家平木収の「写真の心」(平凡社刊)を手に入れました。
  久しぶりに、他人の写真論を読むことができます。
  最初のセクションに面白い言葉がありました。

     写真展の見方は、初歩の英文法に似ている。
     写真展の文法は、
     写真家(S)が、写真を撮って展示する(V)、何かを表現するために(O)。
     この意識が実際に熟すまではただ無秩序に、
     写されているものの形だけを眺めていたようだ。
     表現の文脈に意を注がず、
     単に視覚の断片の集積として展示作品に接していたような気がする。
     一皮剥けば、写真一枚一枚を見た感じの好き嫌いだけで、
     その作品を値踏みしていた。

私なんか、まさにそのとおりですね。
  初歩の初歩の見方しかしていないのでしょう。
でも、平木収の言葉が常に正しいとは限りません。
  写真家が、自分のお気に入りの写真作品をずらりと並べたい、
  そんなことだってあります。
  写真展の名前はちゃんとつけますが、
  それは単なる束ねのゴム輪のようなもの。
  実際には、一枚一枚の写真が隣の作品とは無関係に自己主張している。
  そんな写真展だって、許されてよいはず。
  また、過去の写真展にはそんなものがかなりあったように思われます。
こんな写真展も、上記のS+V+Oで理解することはできます。
  でも、写真に向き合うときは、
  写真がはっきりと自己主張しているのに、気づきます、

     「私だけを見てね!」

総合作品と単一作品集、この2つにははっきりと溝があるというべきでしょう。
  ブログを訪問したときも、複数の写真が1記事に並べられているとき、
  このどちらかが分からないことが多いですね。
私は、しかし、その写真の枚数にこだわらず、
  強引に、すべて1セットの総合作品として受け取ることにしています。
  そうして、写真家の意図、目的、動機、解釈、創造性、成果を吟味するのは、
  ちょっとしたパズル。
  とてもおもしろいですね。
by Hologon158 | 2010-11-29 16:32 | ホロゴンデイ | Comments(0)