わが友ホロゴン・わが夢タンバール

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234.11 ホロゴンデイ「2006年5月28日 7年前の5月28日京都嵯峨野は晴れだった」11 日記ブログは嫌味だらけ



私のお気に入りのブログがどんどん休止するのは困ります。
すでに私の生活の一部になっているからです。
ああ、おもしろいな、がんばってるな、
そう感じることが、自分のエネルギー源になっているのに。

私の場合、ブログの制作意図が表現ではなく、記録にありますので、
みなさんのネットワークに積極的に参加する意志はありません。
だから、コメントはほとんどいたしません。
ときどき、書きたくなると、書きます。
これは例外的。

私のお気に入りの写真ブログは、それぞれに立派な写真家なので、
大変な人気で、私のような素人がしゃしゃり出る幕はないからです。
それにしても、みなさん、大変なエネルギーですね。
よくまあ独創的な作品を続々と創り出せるものだと、感心いたします。
でも、けっして負け惜しみなど出しませんね。

幾度も書いていますが、私は、写真作品の制作はずっと昔にやめました。
日々の出会いの記録を写真に撮る、ただそれだけの日記の付録写真だけ。
こう徹底すると、楽しいですね。
作品を意識しないので、いくらでも撮れます。

人が私の写真をどう感じても、私とは無関係なのですから、
気にならない。
だから、どんな写真でも、平気でどんどんブログに掲載できます。
匿名ブログで、コメント欄ももうけていないので、
どんなことでも、心に浮かんだままに書けます。
無責任だからではなく、
読みたくなければ、読まなければいいじゃないですか、というスタンス。

ブログというのは、公開ですが、自分が見つけないと読めないシステムです。
ご意見をお願いしますとこちらがお願いしていないのに、
勝手に人のブログに来て、批判などしなさんな、
読みたくなけりゃ、読まなきゃいいじゃないの、というスタンス。
気楽ですね。
だから、どんどん書けますね。

どんな人も、頭の中でどっさり思いが渦巻いているはずです。
でも、その思いを書き留める人は少ないですね。
私は、昔から、こうしてきました。
手紙にかくのが一番楽でしたが、送り出したものもそうでないものも、
全部散逸してしまいました。
まして、写真入りの日記形式なんて、ふつうなら、望んでもかなえられない夢。
それがブログとしてできるのですから、狂喜乱舞の境地。

本ブログ、北京旅行をした3日間以外、毎日毎日休みなく書き続けてきました。
私こそ、ブログ最適人間なのですね。
というわけで、このブログは読者を予定していない、完全プライベートブログです。
だから、無理しておいでになる必要はぜんぜんありません。

ときどき、こうしてわざわざおいでの方に嫌みをわざと書きます。
アクセス数を押さえるため、なのですから、常識はずれでしょう。
でも、私は気兼ねしません。
どうせ、誰も読んでないだろうと確信して、
嫌味も毒舌も書きたい放題に書き散らしています。
おかげで、ストレス零!

おいでの方は、仮に読んだとして、
言い返してやりたいこと、批判したいことがいっぱいあるのに、
それを私に伝えるすべがない。
ストレスがたまるでしょうね。

ね、だから、
こんなブログ、二度と来てやるものか!
この線で参りましょうね。



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by Hologon158 | 2011-05-31 21:48 | ホロゴンデイ | Comments(0)

234.10 ホロゴンデイ「2006年5月28日 7年前の5月28日京都嵯峨野は晴れだった」10 ブログの終わり方

saoriさんがブログを閉じることになりました。
(http://toptotoe.exblog.jp/)
写真と文章と詩とを組み合わせた独創的なブログを展開して、
毎日、これを拝見するのが喜びでした。
この何ヶ月か間遠になり、危ないなと思っていたら、案の定でした。

一般的に、ブログが休止、停止に至るプロセスには2種類あるようです。

1 突然、終わる、絶縁型。
2 段々と投稿が間遠になり、終わる、収束型。

絶縁型には、外部的な事情と内部的な事情があるようです。
多いのは、入院。
私のお気に入りでお二人が入院を告知され、中断。
その後、まったく音沙汰がありません。
これが一番心配なタイプ。
同じ位の割合で、宣言なしにプツンと途切れるタイプがあります。
モチベーションがなくなった、なにかの事情でいやになった、等々、
理由はあれこれありそうですが、こちらは再開が期待できません。

一方、収束型の多くは、仕事等の人生の繁忙に起因するようです。
いずれにせよ、ブログは、人生を豊かにするべきもので、
ブログが人生に困難を持ち込んだり、疲労させたりするようであれば、
きっぱりやめるべきです。

一番望ましいタイプは、公私どちらでもいいのですが、
人生をもっと豊かにするなにかが見つかって、
ブログがむしろじゃまになるという場合。
saoriさんは、稀にみる疾風怒濤の人生を送ってこられたようです。
別の道に向かうことになられたのでしょう。

ブログは一過性、刹那性の高い制作物です。
誰も、前日に戻って、記事を読むなんてことはいたしません。
ですから、なんらかの創造性のある制作をしたいのであれば、
あまり拡張性がない楽しみなのです。
もっと創造性豊かな道が見つかったら、さっさと転進をお勧めします。

じゃ、お前はいつまで?
こう聞かれますと、私としては答えたいですね。

死ぬまで。

私のブログときたら、その日の記事を読むことすら、苦痛を感じるほどの量。
私に読めと言われたら、私は読みませんね。
下手な文章をだらだらだらだら........

タグと本文内文字の検索窓があり、カレンダーで戻ることもできますが、
なにしろ3年弱で4000を軽く超えてしまっているために、
検索しようとしても、満足に拾いだしてくれません。
マックの検索ギアなら、マック内のすべてのファイルから文字列を検索してくれます。
でも、エキサイトの検索ギアはとても少数の記事量を前提としているようで、
私のブログ程度の記事量には対応できません。

私の記事は、平均800字、つまり原稿用紙2枚程度は軽く超えています。
少な目に見積もって4000記事とすれば、320万字(原稿用紙8000枚)なのですから、
大した量ではないはず。
それなのに、まるっきりヒットしません。
ですから、自分でも、あのこと、どこかで書いたと思っても、見つけようがない。

ブログというのが、そう意味で、実に発展性も利用性もないものなのです。
でも、ご心配なく。
私にとっては、こんなブログも徒労ではありません。

いつも書きますが、私の目標はこうです。

医師が震える声でこう告知します、
「どうやら、あと半年のようです、もうしわけありません」
泣き崩れる医師の肩をやさしくたたきながら、私、
「悲しまれることはありませんよ。
あなたはよくがんばってくれました。
感謝しています。
それで、もうそれ以上は無理ということなのですな?」
(このあたり、かなり劇化、美化されていますが、気にしないで)
机につっぷしたまま、大きくうなづく医師。
「よろしい......
それじゃ、残された時間、有益に過ごすことにしましょう。
病室でiPadを使うことをお許しくださいよ」
医師、机からカパッと顔を上げ、
「電子機器なので、それは.......」
「NKさんが骨折で入院したときは許したじゃありませんか?
なんですか?
NKさんならよくて、私のような名もない人間にはダメ、
そういうわけですかな?」
「ま、見て見ぬ振りということで.....」

ということで、それから30日間、私のブログの初日に戻り、
そこからゆっくりと読み続ける毎日となるでしょう。
ああ、あのときはこんなことをしたんだなあ、
あんなことを考えたんだなあ、
ああ、バカだったんだなあ、
それに誤字脱字がここにも......

そのためには、とにかくブログを続ける必要があります。
3年弱で原稿用紙8000枚ですから、
あと18年は続けるとして(おいおい、いつまで生き続けるつもり?)、
合計21年続けて、原稿用紙5万6000枚という計算ですね。
(なんか、民主党の膨張赤字国債みたいな、途方もない数字ですね)

こりゃ、読み甲斐があるな!
(と、もみ手するホロゴンさんなのでした)



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by Hologon158 | 2011-05-31 19:39 | ホロゴンデイ | Comments(0)

234.09 ホロゴンデイ「2006年5月28日 7年前の5月28日京都嵯峨野は晴れだった」9 孤独な美神



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アンリ・カルティエ=ブレッソンの「ポートレイト 内なる静寂」について、
前回書きましたことの証拠になるような写真が一枚あります。

145頁の、マリリン・モンローのポートレート。

底部に「マリリン・モンロー 女優」というキャプションがなかったら、
これがモンローだと分かる人はそんなに多くはないのではないでしょうか?

私は分かります。
彼女の映画をほぼ全部観ていますし、
ドキュメンタリー・ビデオも観ています。
長い間、一番のお気に入り女優だったからです。

でも、その理由は、彼女のセックスアピール故ではありません。
私には全然アピールしませんから。
そうではなくて、彼女が役柄を演じる姿の向こうから、
彼女の真摯な人柄が見えていたからです。
こんなに可憐で懸命に生きる女性はいなかった。

私は、いわゆる白人の女性にまるっきり魅力を感じません。
近ごろの美神たちはなおさら。
大きな眼をぎらぎらさせ、真っ赤な唇がかっと開いているよう。
夜中に出会いたくない。
でも、モンローは違います。
その理由の1つ、
彼女の眼はいつも悲しそうだった。

彼女の苦悩の原因の1つは、彼女の本質には全然存在しない性格を
常に演じなければならなかったことにある、とよく言われます。

カルティエ=ブレッソンの撮ったポートレートの女性は、
映画で演じる役柄の人間とは完全に異質です。
理知的で自立していて、けっして油断しない、
自分で自分の道を切り開いていく女性。

でも、役柄では常に男に依存し、男がいなければ生きていけない、
そんな女性を演じなければならなかったのです。
ハリウッドがそんなフィクションを作り上げてしまい、
ハリウッドの美神に祭り上げられてしまったモンローは、
その仮構のなかにがんじがらめに縛り付けられてしまったのです。

男たちが自分を見る眼を唾棄すべきものとして嫌悪しつつ、
笑顔を見せ、全身で反応しなければならないおぞましさは、
筆舌に尽くしがたいものだったでしょう。

このポートレート自身、なんとも不可思議な雰囲気をもっています。
応接室に居て、犬に触りながら、心は別に走っています。
背後は、一体何なのでしょう?
実験室のような無機的なメカニズムが並ぶ部屋、
それに劣らぬ無機的な視線の人たち。
モンローの前に影が見えますが、撮影カメラと照明器具でしょうか?
これもまた黒々として無機的。

モンローが、どれ位の長さでしょうか、
期待される女優像を演じるのを忘れている、その姿が見事に描かれています。
全体がモンローの孤独、周囲世界との絶縁を感じさせます。
モンローの人生をそのまま表現したかのようです。

ここには、モンローのカルティエ=ブレッソンに対する信頼が見え、
それ故にこそ、彼のあたたかな人間性がそのまま写し出されています。
そうではないでしょうか?

(おっと、その写真も見せずに、そうではないかもあったものじゃありませんね。
カルティエ=ブレッソンがお好きなら、ぜひ買い求めてください。
それだけの価値があります)
by Hologon158 | 2011-05-31 01:57 | ホロゴンデイ | Comments(0)

234.08 ホロゴンデイ「2006年5月28日 7年前の5月28日京都嵯峨野は晴れだった」8 「内なる静寂」


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アンリ・カルティエ=ブレッソン写真集
「ポートレイト 内なる静寂」(岩波書店刊)

この写真集を今日はじっくり眺めてみました。
私にはとても歯が立ちません。
アーチスト、有名人たちの見事なポートレート。

おそらくこの人たちの親しい人が見れば、
ご本人の内面をこれほどまでに浮き彫りにするとは、
と、驚嘆したことでしょう。

「内なる静寂」と副題されています。
これが作者自身の構想にかかる言葉なのか、分かりませんが、
たしかに撮影者自身の中には、息をひそめた静寂が感じられます。

静まりかえった森の中の深い池。
風が届かないので、表面は鏡面のようになめらか。
そこへやってきた人が、小石を拾って、池に投げます。
「ポトン」というかすかな音とともに、波紋が広がります。

この池がカルティエ=ブレッソンであり、
この人が対象となった人物、その振る舞い、表情が波紋。
そんな感じがします。

というのは、対象となった人たち、
二三の例外を除いて、全員、悲しそうなのです。

心の中に深い淵を潜めています。
どこかに孤独の影が射しています。

どうしたことでしょうね?
みんな、この世の成功者のはず。
さまざまな分野で、歴史に残る活躍をしている人たち。
でも、なぜか、深い苦悩と悲しみが眼差しに闇を作っています。

カルティエ=ブレッソンに撮ったポートレートが、
後世の人間が自分を評価する際の最も説得力のある資料となることを、
みんな知っていたはずです。
取り繕おうとしても、とても歯が立たない人間を前にしていることを、
みんな知っていたはずです。

でも、優れた歴史的存在としての深みを帯びた表情にしたい、
そうみんな願ったことは間違いがありません。
そのあたりの心理的相克、焦りが影響を与えているのでしょうか?

でも、敵もさるもの、です。
カルティエ=ブレッソンは、自分の名声も才能も、
また、対象となった人たちの心理状態も知悉していました。
彼らのそうした抵抗、作為、偽装なんか、簡単に見破ったことでしょう。

スリの名人と一緒です。
どんなに堅固に武装して、身構えていても、
どうかした拍子に、まったくそれと気づかずに、武装を解いて、
本心をさらけ出す、かすかなかすかな一瞬があります。
スリは、その瞬間を狙う心理学者なのですが、
カルティエ=ブレッソンはそんなスリたちの遙か上を行く、
心理学者でした。

ですから、これらのポートレートは、
きっとご本人たちの内実をさらけ出すものだったのです。

とすると、眼差し、風貌に潜む苦悩や悲しみは本物だった、
そう考えることができそうです。
これが現代なのかも知れません。
真剣かつ深遠に現実と格闘する生涯を送った人たち。
その格闘は、現代の特質として、本質的に敗北だったかも知れません。

出口のない闇、それが現代。
その闇はさらにさらに深まっていこうとしています。
このような時代に、カルティエ=ブレッソンのこの写真集、
私たちに先だって苦悩し苦闘した先人たちの真摯な姿を証言してくれる、
貴重な資料集なのかも知れませんね。
by Hologon158 | 2011-05-31 00:03 | ホロゴンデイ | Comments(0)

234.07 ホロゴンデイ「2006年5月28日 7年前の5月28日京都嵯峨野は晴れだった」7 キノプラズマート修理



先ほど、宮崎貞安さんからお電話を頂きました。

昨日お送りしたキノプラズマート25mmf1.5、
もうMマウントへの改造はせずに、そのまま使えるように補修したとのこと。

その理由がうれしかったですね。

「Mマウントに改造したら、かなり費用がかかります。
補修だけなら、大したことがないから」

ああ、私の財布の中を見通したようなやさしい言葉でした。

このレンズ、1メートルから向こうにピントが来ないという問題。
Cマウントなのですが、そのマウント部分が長くて、
オリンパスE-PL1の内部に当たって、
そのために、1メートル以上にピントが来なくなっていたのです。
マウント部を1㎜ちょっと削ったら、ちゃんと無限まで来たそうです。

そのうえ、ヘリコイドリングがとてもかすかすに軽くなっていたので、
滑らかに回転するように補修していただきました。

このレンズ、キノプラズマート特有の輝きと形の美しいレンズ。
ピントが来ないのであれば、Mマウントへの改造もやむなしと考えていたのですが、
無限までちゃんとピントがあうのであれば、
Cマウントのオリジナルで使いたいものです。

今週末には、キノプラズマート25mmf1.5を使えます。

キノプラズマート15mmf1.5とはまったく異質と言ってもよいほど、
異なる画像です。
でも、どちらも、キノプラズマートらしさがぎっしり詰まっています。
どちらも超小型名レンズですが、
両雄並び立ちます。

なぜか?

2本はルドルフ博士を父とする姉妹なのですから。

もちろん、2本とも女性ですよ。
写真をごらん頂きました。
一目瞭然ですね。



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by Hologon158 | 2011-05-30 22:04 | ホロゴンデイ | Comments(0)

234.06 ホロゴンデイ「2006年5月28日 7年前の5月28日京都嵯峨野は晴れだった」6 嬉しい出来事

今日は、とても嬉しいことがありました。

大ブロガーのNKさんからお電話を頂いたのです。

今、ギタリストで作曲家の白柳淳さんとお話をしてるんだけど、
その中であなたの好きなタイムドメインのスピーカーの話が出たので、
電話しました、ということでした。

幾度かブログで書いたのを読んで、記憶していただいていたのです。
これがまず嬉しかったですね。

タイムドメインのYoshii9、ご存知でしょうか?
ホームページでご覧下さい。
(http://www.timedomain.co.jp/index.html)

8㎝スピーカー1個を天井向けて宙づりにした、
高さ90センチのポール型スピーカー。
ただそれだけのとてもシンプルでささやかなスピーカーシステム。
それなのに、そこから風のようにさわやかな音楽が流れ出ます。

白柳さんと電話でお話をすることができました。

白柳さんは、以前、タイムドメインの視聴室で、
ご自分のギター音楽の聞き比べ会をされたそうです。
Yoshii9から流れるCDとご自身の演奏とをブラインドで聞き比べる会。
リスナーには区別がつかなったそうです。

そして、きっぱりと、

「どんな凄いスピーカーよりも、これの方が素晴らしいですね。
最高のスピーカーです」

ますます、嬉しいですね。
私も、常々そう考えてきたからです。

そんなに素晴らしいスピーカーがなぜ世界を席巻しないのか?
それは、オーディオファンの心理のせいなのです。

オーディオ好きは、お金を無制限に投入して、
次第にシステムを拡充して、自分のサウンドを作りだすことを夢見ています。
金をかけられないと、また、システムを入れ替えできないと、
工夫の余地がないので、つまらないのです。
Yoshii9を手に入れると、オーディオ趣味はデッドエンドに行き着きます。
後は音楽を楽しむだけ。
でも、オーディオファンは、音楽を聴くより、
オーディオのサウンドを聴く方が好きなのです。

お電話を頂いている傍ら、白井淳さんのホームページを探しました。
もちろんありました。
(http://shiroyanagi.com/index.html)

凄い方です。
独学でギターを学び、作曲家となり、さらにはギター製作も手がけ、
日本中で活躍をされている。
ホームページでチェックして、いつかコンサートに参ります。

こんな方まで、Yoshii9を最高と考え、お仕事にもお使いになっている。
なんだか自分が褒められたような感じさえして、ご機嫌になっています。

ついでに書いておきますと、
タイムドメイン・ミニという小型スピーカーがあります。
実売価格15000円程度で、たとえば、iPodにつなげると、聴けます。
テレビだって、イヤホーンジャックでつなげて聴けます。
この音が凄い!

小さな音量でよいのです。
よい録音のCDなら、部屋を暗くして耳を澄ませると、
広大な空間に楽器が前後左右に見事に定位して、音楽パラダイス!

ご自分のシステムにちょっとでもご不満の方、お試し下さい。
いいですよ!


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by Hologon158 | 2011-05-30 21:02 | ホロゴンデイ | Comments(0)

234.05 ホロゴンデイ「2006年5月28日 7年前の5月28日京都嵯峨野は晴れだった」5 剣に気づいている?



キノプラズマートの世界から、ホロゴンの世界へ、急転回しました。

どちらも、リアリズムの世界ではありません。
どちらも独特のレンズ特性に乗っかって、現実を幻に変容してもらっています。
その意味で、私にとって、ホロゴンとは別にキノプラズマートを使う事情は、
けっして不自然ではない、私は自分でそう考えています。

このブログにおいでの方が、私の写真をどう感じるか、
私にはまったく分かりませんが、
私に直接伝わってくる反応が平均的な反応であるとすれば、
芳しいものであるとはとても思えません。
とてもついていけない、というところでしょう。

私が、なにか表現をしたいと考えているのであれば、
これはゆゆしい事態です。
なんとか人に理解してもらうように努力しなければならない。
でも、私がこんな写真を撮るのは、私が撮りたいから。
自分のしたいことをできないようであれば、
人生、とってもつまらないことになりそうです。

近ごろの原発危機のことを考えると、なおさらつまらない。
はっきり分かったことは、
東電にこのクライシスを解消できる能力はない。

3基の原発が完全にメルトダウンしているとすれば、
原発とその周辺の現状は、政府、東電が公表しているよりも遙かに深刻のはず。
そんな危険性を秘めた原発が、なんの保護機能の改善など手つかずのまま、
地震国の日本に50以上も存在するのです。

「ダモクレスの剣」というお話がありますね。

古代シュラクーサイの独裁君主ディオニュシオスに向かって、
家臣のダモクレスが、王者の境遇をほめそやしておもねったのです。
すると、王は晩餐の席上、このお追従者の頭の上に髪の毛で剣を吊しました。
お前がお追従する王者だって、このとおり、
いつどんな危険が待ちかまえているか、わからないのだ、そう悟らせたという話。

私だって、あなただって、原発周辺のみなさんに劣らず、
おそろしい危険にさらされているのです。
政府、世論が粛々整然とこの危機に対処できる国であれば、まだましです。

ところが、現代日本は、奢侈になれ、現状を肯定する風潮一色に染められています。
原発のクライシスはさらに高まるばかりなのに、もう国民は忘れています。
民主政権はなんにもできないのに、誰もこれを改善する方向に動かない。
原発は、メルトダウン事故が発生したら、
もう不可逆的な破滅的プロセスを引き起こす、
絶対に採用してはならない、致命的電源であるのに、
現状を維持するためには、これもやむを得ないとほとんどの人が考え、
新しい動力源への道を探ろうとしない。

こんな国に生きている限り、
私たちはダモクレスの剣にさらされる日々を送らざるをえないのです。

だけど、少数の人しか、それに気づいていない。
私は、こんな風に時々書きますが、
読んだ方のほとんどの反応は、「ど素人のくせに、ええ加減なことをほざく」でしょう。

だから、私は写真を撮ります。
自分の頭上にぶらさがっているダモクレスの剣をしばし忘れるために。



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by Hologon158 | 2011-05-30 19:35 | Comments(0)

234.04 ホロゴンデイ「2006年5月28日 7年前の5月28日京都嵯峨野は晴れだった」4 Cマウントカメラ登場?



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インターネットを逍遥していて、とても嬉しいニュースを見つけました。
と言っても、かなり古いニュースなので、キュース(旧ニュース)?

第71回東京インターナショナル・ギフト・ショー春2011において、
ケンコーが、Cマウントの交換レンズを搭載できる
レンズ交換式デジタルカメラ「Cマウントカメラ」を参考出品。
センサーサイズは不明だが、画素数は1,400万画素になるという。
JPEGでのみ撮影可能で、RAW記録には対応しない。
ボディはマグネシウム製とする。
標準レンズとして新規に開発した実焦点距離6mmでF1.4の単焦点レンズを
ボディに同梱する。

つまり、Cマウントレンズがそのままの焦点距離で?
それなら、嬉しいのですが、そうでなくても嬉しいですね。

フランジバックは、
ライカLマウントが28.8mm
マイクロフォーサーズが約20mm
Cマウントのフランジバックが17.526mmだそうです。

どうやら6㎜を標準レンズにというのですが、
私はデジカメにまったく不案内なので、
これがどういう事を意味するのか、皆目見当がつきません。
でも、銀塩なら35から50㎜を標準レンズとするのに、
その標準レンズが6㎜ということは、超小型のCCDなのでしょうか?
それじゃ、私のCマウントレンズは望遠になりかねません。

しかも、レンズの中心付近しか使わないなんて仕掛けだと、
キノプラズマートの魔の周辺部が切り捨てられて、
ただのレンズになってしまうのでは?

画質はどうなのでしょうねえ?
1400万画素だそうですが、
価格を考えますと、高級なシステムが登載されるとは思えません。
画素数がどんなに高くても、画像は安っぽい、
ということにならなければよいのですが。

いろいろと、心配です。

でも、フランジバックがマイクロフォーサーズよりも約2.5mm短くなれば、
宮崎さんのお話では、2㎜もあれば無限が来るということですから、
キノプラズマート.75"f1.5で、悠々とあらゆる距離を撮れることになります。
どんな風になっても、少しは楽しめるでしょう。

今年の春発売予定が、夏に伸びたようです。
つまり、もう少し待てば、約3万円でCマウントカメラが手に入る!

かつてヤシカが高級コンパクトとしてコンタックスTシステムを開発したように、
ケンコーも、普及バージョンに加えて、
ハイエンドバージョンを作って欲しいですね。

また、ワクワクしてきました。
毎日ですが......
by Hologon158 | 2011-05-30 15:16 | ホロゴンデイ | Comments(0)

234.03 ホロゴンデイ「2006年5月28日 7年前の5月28日京都嵯峨野は晴れだった」3 前世は蝶々?



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神社の鳥居付近に黒犬が寝そべっていました。
どうやらかなり年配と見えて、私が近づいても寝そべったまま。
ちょっと遠くを眺める、お気に入りのポーズをとってくれました。

私は子供の頃から犬、猫に親しんできましたので、
平気で近寄れます。

昔聞いた話です。
ケニアで、私よりもっと動物に親しんでいるアメリカ人男性、
サファリの最中、ジープから降りて、写真を撮ったそうです。
ライオンが陰からワッと躍り出て、
残されたのは、カメラと靴の中の部分だけだった。
これはちょっと親しみすぎですね。

私はさいわい襲撃されることもなく、
残されたのは、写真だったわけです。

この黒犬、今、どうしているでしょうね。
高齢でしたが、まだしぶとく生きているかも知れません。
あの世に旅立ってしまったかも知れません。

思うのですが、仏教の輪廻転生はとても深遠で、
とても心を和ませる思想ですね。
生きとし生けるものはすべて平等なのです。
私もあなたも、前世は蝶々だったかも知れません。
この黒犬も今では幼稚園生かも知れません。
すべてのものを大切にしなければなりません。

この黒犬は、ひょっとすると、
私の父の生まれ変わりかもしれないのですから。
そういえば、なんだか似ているような......
by Hologon158 | 2011-05-30 13:52 | ホロゴンデイ | Comments(0)

234.02 ホロゴンデイ「2006年5月28日 7年前の5月28日京都嵯峨野は晴れだった」2 GR10は娘の友に



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先週土曜日、京都を歩いたとき、ギャラリーにぶつかりました。

ギャラリー吉象堂
古い立派な洋館の2階ギャラリー。
立命館大学写真部による「皐月展」

みなさん、銀塩が大半。
写真作品を目指して、がんばっています。

驚きました。
とてもしっかりとした主張とパフォーマンス。

自分自身の学生時代を思い出しました。
バイト代を貯めて手に入れたのはミノルタSR-1。
50㎜からはじめて、35㎜、135㎜を揃えて、がんばっていましたが、
人に見せられる写真を撮れるなんて、夢の又夢。
ただただ撮る練習をしていました。
また、本当に下手でした。

露出計がないので、自分の目分量で決めます。
オートフォーカスなどないので、一々ピントを確認。
でも、フィルムも性能が悪かったのでしょう、
きちっと満足の行くシャープネスを実現出来るのは、10枚に1枚程度。
カメラの習熟だけで10年以上はかかる、
それがアマチュアの常識でした。

それが今はどうでしょう。
銀塩にしても、フィルムの性能が格段に向上しました。
カメラは、たいてい、押せば撮れます。
だから、最初から、写真作品らしいものを撮ることができます。

でも、皐月展のみなさんは、昔ながらの銀塩カメラもお使いです。
自分で引き伸ばしをするそうです。
出来も立派。

でも、一番の不満は、
てんでバラバラの写真を、壁面に順不同で展示しているだけということ。
間隔を広く取っているので、邪魔し合ったりはしませんが、
壁面全体を見ても、なにか感興が浮かんでくるわけではありません。
あくまでも、一枚一枚接近して、その写真とだけ対峙する、
そんな見方しか許されません。

「折角1年に1度の写真展をするのであれば、
メンバー全員でコンセプトを決めて撮り貯め、
展示にも工夫を凝らしてほしいですね」

女性が3人おいででしたが、さすがに現代っ子ですね。
ちっとも恐れ入りませんね。
ふーん、そんな考え方もあるか?
でも、そんなのしたくない。
そんな気持ちが三人の表情から伝わってきます。

ひょっとすると、現代の若者達がそんな試みをすると、議論沸騰、
あげくの果ては空中分解、ということなのでしょうか?
余計なお節介でした。

さて、今回の写真はリコーGR10。
よいカメラ、よいレンズですが、はっきり現代的。
私の好みではありません。
写りすぎます。

だから、娘にやってしまいました。
未だに現役でがんばっているようです。
GR君、私を見返すつもりなのでしょう。
by Hologon158 | 2011-05-30 00:03 | ホロゴンデイ | Comments(0)